・・・6・・・  


 その後の数時間の記憶が綾乃にはなかった。
 気がついたら、自分の部屋のベッドの上にねっころがって天井を眺めていた。
 時計を見ると、時間は1時を少し回っていたところ。
 ―――いつ、おやすみなさいを言ったのだろう?
 せっかくの松岡さんのおいしい料理も全然覚えてないや・・・
 何が出て何を食べたか、あの席で一体どんな話をしたのか、何も覚えていない。
 そういや、いつお風呂に入ったんだっけ?

 張り付いていた笑顔の所為で、まだ頬の筋肉がひきつる感じがする。

 綾乃はゆっくり首を巡らした。
 ―――あ・・・・・・・
 机に置かれた参考書が目に入る。
 開かれたままのページ。
 ―――なんで受験するなんていっちゃったんだろう。
 落ちたら怒られるかな?
 でも、それはそれで陽子さんの優越感を満足させられるのかも。
 その時の顔が、目に浮かぶようだ。きっとまた慰めの言葉をかけながら、満足げに笑うのだろうその姿が。

 綾乃の目から、一筋の涙が頬伝って、シーツを塗らした。

 もう、無理。
 もう、ここにもいたくない。

 結局僕の居場所なんか、ない。

 ―――どうして、ここなら、なんて思えたのだろう?
 なんてバカな。そんなもの、あるはずないのに。
 ありえるはずがないのに。
 僕は、愛人の娘の子で、
 母さんは
 家にもいられなくなって。

 居場所がないのも、同じ。

 だから、僕の居場所はどこにもないんだね?
 だから、父さんにも捨てられた。
 嫌われないようにどんなに必死になっても、叔父さんの家からも、追い出された。

 誰も、僕を必要としてくれないのは、僕がいらない命だったから。

 いらない物体だったから・・・・・・・・・

 なら、僕はどうして生まれてきたんだろう?

 ずっと、ずっと思ってた。

 それなのに、死ぬ勇気もなくて。

 ただ、息をしてるだけ。

 どうして、死ねないんだろう・・・・・・

 どうして死ぬ事が怖いんだろう?

 引き止めるものなんて

 何もないのに・・・・・・


 使用人・・・

 愛人・・・・・・・・・

 なんか、凄い響き・・・・・・・・・


 なんか、笑えて来る・・・・・・・・・・・・







 ふと、頬に何かが触れた。
「泣かないで。一人では泣かないでって言ったでしょう?」
 優しい声が聞こえる。
「・・・雅人、さん?」
 見上げたそこに、雅人さんの悲しそうな顔がある。でも、よく見えない・・・
「ノックしたんですけど、返事がなくて、寝ているのかと思ったのですが」
 気になって。
「あ・・・・・・すいません」
 僕は、起き上がらなくっちゃて思うのに、身体が痺れた様に動かない。
「綾乃。大丈夫ですか?」
「え?大丈夫ですよ?なんでですか?」
「ずっと、泣いてたのですか?」
「・・・え?」
 泣いてる?言われて自分の頬を触ったら、濡れていた。
―――ああ、ほんとだ。だから雅人さんの顔がよく見えなかったんだ。
 綾乃は、うつろな瞳で雅人を見上げる。
「綾乃、ちゃんと私を見てっ」
 雅人が、苦しそうな顔を浮かべて、綾乃の身体を抱き起こす。
「雅人さん、どうしたんですか?ちゃんと見てますよ」
「あやの」
 綾乃の目は雅人を、真に見てはいなかった。
 はりついた笑顔。嘘の言葉。
 その心が、ずべてを拒絶しているようで。
「すいません、僕、なんで泣いてるんだろ?なんか、新発見な事がいっぱいで、頭がついていかなくて。変なの」
 どうして、泣いてるんだろ?
「綾乃、陽子さんの言った事は気にしないでください」
 そんな事で傷つかないで。
「え?気にって、母の事聞けて楽しかったですよ」
 なんでこんなにつらいんだろう?
「あの人は、その、悪い人ではないんですが、ちょっと無神経なところがあるんですよ。他意はないんです」
 あんな女のために泣かなくていいから。
「?雅人さん、言ってる意味がよくわかりません。本当にお会いできて良かったです」
 ほら、ちゃんと笑えてる。
「覚えてますか?わたしが言った事。わたしはいつも、どんな時でもあなたの味方です」
 お願いです、心を閉ざさないで。
「はい。ありがとうございます。僕なんかに、そんな風に言ってくれて感謝してます」
 ほら、ちゃんと正しく答えられてる。
「綾乃、そんな事言わなくていいから」
 行かないで下さい。
「雅人さん?」
 なんで?間違ってますか?
「どんな物からでも、あなたを守ってみせます」
 お願いです。そんな苦痛に満ちた顔で笑わないで。
「どうしたんですか?僕はそんな子供じゃありませんよ?」
 そう、大丈夫。だって分かったから。
「綾乃」
 もう、私の声は届かないのですか?
「はい?」
 ずっと不思議だった。
「綾乃」
 お願いです。
「はい?」
 どうして僕だけが愛されないのか。
「綾乃っ」
 返ってきてください。
「綾乃・・・っ・・」
 そんなの簡単だった。


 僕は、

 いらないものだったんだ。



 わかってたのに、

 ずっと前から知っていた事なはずのに、

 なんだか夢を見ていた。

 忘れていた。




 ずっと忘れられると思ってた。


 忘れられるわけもないのに。


 でも、いい夢を見てた。


 楽しかった。



 きっと、

 一生分の夢を見た・・・・・・・・・・・・・・・




 雅人の腕に抱き締められながら、綾乃は、笑った。
















 高校受験の日。
 綾乃は、会場へ行くかどうかを迷った。
 行かないでおこうかなんて考えた。

 でも、雅人さんが理事長なんだから、行かなかったらバレるかなって考えて。

 揉めるのは嫌だった。

 あの日から、色んな話をした。
 そのたびに、雅人さんが苦しそうな顔をする。
 悲しそうな顔をする。
 つらそうな顔をする。
 そんな顔して欲しくないのに、どうしたら笑ってくれるかわからない。

 だから、僕は必死で笑うのに、
 僕が笑えば笑うほど苦しそうで。

 雅人さんが悲しい顔をするのは嫌だった。
 苦しそうな顔をするのは嫌だった。

 けれど、答案用紙を見て、また迷った。

 正解を書こうか、
 間違いを書こうか。
 迷って、正解を書いたり、嘘を書いたり。
 何をどう書いたのかもわかんなくなって。


 僕は、運を天にまかせる事にした。
 受かるも、
 受からないも・・・・・・・・


 だって、決めれなかったから。



 あそこは、あったかくて、

 やっぱりあったかくて、

 また勘違いしてしまう。

 夢を見てしまう。

 手が届かないものに、手を伸ばしてしまう。

 だから、早く出て行かなくちゃって思うのに、

 違う僕が、
 もう少し、もう少しだけでいいから
 夢を見たいって言うんだ。
 雅人さんのそばにいたい。
 直人さんと話していたい。
 雪人くんと遊んでいたい。
 松岡さんのご飯が食べたい。
 雅人さんに笑っていて欲しい。
 もう1度言って欲しい。
 "私だけは、あなたの味方です"
 抱きしめて欲しい。
 "一人では泣かないで"
 笑って欲しい。










 そして、僕の手元に、

 1枚の

 合格通知が来た・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 僕の頬を涙が伝った。

 あの日以来の涙。

 その涙の意味を

 僕は



 この3年間で知る事が、

 出来るのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?








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これは全体のプロローグ的な役割です。助走かな。
全然BLな内容がないような気もしますが...次から本編高校生活に突入です。その時にはきっと。
少しづつ強くなっていく綾乃と、少しづつ臆病になっていく雅人(予定)を暖かく見守っていただけるとうれしいです

(2005.2.25改定)