軌跡 12 


「へぇ〜そんな事があったんだ!」
 ベッドに横になって薫の話しを聞いていた綾乃が、楽しそうに、そして少しうらやましそうに言う。
「うん。あの後さ、僕も思ってたこと全部言ったんだ。寂しかったことも、辛かったことも、もう何もかも全部。そしたらさ――――父さんも母さんも泣き出しちゃって。ごめんねーごめんねーって」
 薫はその時のことを思い出しているのか、照れながらもくすくすと笑っていた。
 本当に、口に出して言えばなんでもない事だった。ずっと我慢してがんばっていたのがバカみたいに。だからしばらくはくだらないワガママを言って親を困らせたな、なんて思い出もある。
「ただ、それ以来ずーっとあんな調子なのがどうもねぇー・・・」
 今となっては困るね、と笑う薫の顔が幸せそうだと綾乃は思った。ああー家族の事大好きなんだなぁとしみじみ思えて、やはり少しうらやましかった。
「翔と仲良くなったのはそれがきっかけ?」
「うん、そうだね」
「その、太一クンは結局どうなったの?」
「太一もね、泣いて泣いて訴えたんだって。そうしたら、離婚はしないってなって。なんだよそれって翔は怒ってたけどね。しかもさぁ、呆れることに今すっごい仲良しらしいよ。本当、なんだったんだよって感じ。まぁ、金銭的な理由で結局中学からは違う公立に行っちゃったけどね」
 でも、離婚なくなったんだって言った時の太一の嬉しそうな顔は、今でも忘れられないと薫は思う。そしてその後、ありがとうって言われた言葉も。
「そっかー。あ、今でも連絡取ったりしてる?」
「うん。時々だけど遊んだりもする。あ、今度綾乃もおいでよ」
「え?いいの?」
「もちろん。太一にも言っておくよ」
 薫は、穏やかに笑う。きっと、綾乃と太一は仲良くなれると思いながら。
「で、さぁ・・・その時、好きになっちゃったの?」
「え?」
「朝比奈先輩。ぎゅーって抱きしめられて、かばってくれたんでしょう」
 一番気になることを綾乃は上目遣いに切り出した。だってそれが本題のはずだもの。それに対して薫は少し遠い目をして、目を細めた。
「今思えば、そうだったのかもしれないなぁ・・・」
 薫が、懐かしむような声で言った。
「朝比奈先輩も薫のこと好きっぽいし、すぐうまくいっちゃったの?」
 綾乃の言葉に、薫は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 事はそう簡単には、運んではいかなかったのだ。







「卒業おめでとうございます」
 3月18日。少し散ってしまった梅の花の下で、薫は透にそう言った。
「ありがとう。いい、送辞だったね」
「会長も、素晴らしい答辞でした」
「俺はもう会長じゃないよ。会長は、樋口でしょ?」
 梅の木を見上げていた透が振り返って、薫に言う。あの、家出して祖父からかばってくれた時は確かに"薫"と呼んだのに。透は、その後一度も薫の名前を呼ぶ事はしなかった。
 薫も、その理由を問う事は何故かしなかった。
「でも、僕にとっては会長なので」
「よくわかんないなぁー」
 薫の言葉に、透はおかしそうに肩を揺らした。
 昨年、透が6年生の秋。薫が4年生の時。薫は透から次期生徒会長に任命されて、2代続いての4年生生徒会長に学校が湧き上がったのは、記憶に新しい。
「それと―――ずっとちゃんと言えませんでしたが、あの時かばってくださってありがとうございました」
「いや。もとはといえば、翔が巻き込んだことだし?」
 どこまでも軽く言う透と薫の間を、ザァーっと風が吹き抜けた。
 かばってくれた理由もまた、薫は問えずにいた。何度か言いかけた事もあったのだが、透がなんとはなしにはぐらかすから。結局そのうち、聞きづらくなってしまった。そう薫が思うのは言い訳だろうか。
 本当は、ほんの少しの勇気の問題なのかもしれない。
 けれど今もまた、その問を口には出来ない。その答えを怖がっている自分が、薫にはわからなくて。
「では、中等部でのご活躍を、期待しています」
 当たり障りのない言葉を口にした薫に、透は無言で笑う。
 そんな透に一礼して、薫が身体を反転させた時。
「薫」
「――っ!」
 ドキッ――――と、心臓が揺れて。
 名前を呼ばれた驚きに振り返った。
「・・・!!」
 一瞬、薫はわからなかった。
 キス、されていることに。
 唇と唇が触れ合って、数秒。ゆっくり離れていく透と目が合った。
「目くらい、閉じて欲しいな」
 クスリと笑う。
「なっ!・・・っ」
 薫は、真っ白になってしまった頭で口が回らない。
 ただ、馬鹿みたいに心臓がうるさく跳ね回る。
「また、中等部で会おう」
 その笑顔が、何故かどうしようもなく寂しさを運んで来た。
「待ってる」
「・・・なぜ・・・」
 ――――どうして・・・?
「じゃぁな」
 呆然として吐き出された薫の問いには答えず、そんな言葉だけを残して透は薫の横をすり抜けて行く。
 足音が遠ざかっていくのを耳に聞いて、薫は無性に悲しくなった。それが切なさと、それゆえの寂しさなのだとその頃にはまだわからなかった。
 ただ何故か心臓が痛くて。頭の芯が熱くなって涙が込み上げた。
「待って!」
 そう叫んだのは、ただの本能。けれど振り返って見た先では、すでに透の姿は校舎の陰に隠れていた。
 薫は、思わず駆け出した。



「見−ちゃった」
「高原先輩」
 透が校舎まで戻ってくると、ニヤニヤと笑っている高原と小泉がいた。小泉は、小等部の時に透を生徒会長に任命した人。
「何してるんですか?」
「ん〜透の卒業式の見学」
「暇なんですね」
 中等部からわざわざ見に来たというのに、透の言葉は冷たい。まぁ、そんな風に言い合える仲なのだろうけれど。
「そんな事より、樋口にあんなことして」
 高原はとがめるような口調で言う。
「樋口は真面目なんだよ?」
「俺だって真面目ですよ」
 口元に笑みをたたえて、卒業証書の入った筒で肩をポンポンと叩きながら言う姿勢は、あまり真面目には見えないが。
「落とすまでが楽しいって言ってたくせに。何が真面目なんだか」
 さらに刺々しい口調で言う高原に、透は黙って肩をすくめた。
「お前そんな事言ったの?」
「ノーコメントで」
 少し責めるような視線を向けた小泉に、透はポーカーフェイスでそう告げた。けれどその顔は、何か挑戦的にも見えて瞳は笑みさえ消えうせていた。
「・・・ふ〜ん?」
「なんですか?」
「いーや」
 面白いものを見るようにみる小泉に、透は冷たい視線を向ける。それ以上、何も聞きたくないと言うように。
 その顔を見て、小泉は黙って笑って肩をすくめた。



 ――――ああ・・・なんだ。
 校舎の影。3人からは見えないところで、薫は小さく息を吐いた。話の衝撃に、知らず知らずに自分の肩をぎゅっと抱きしめていた。
 ――――びっくりした。からかわれただけなんだ・・・
 キスにびっくりして、意味も無く後を追いかけてきた薫は3人の話を聞いてしまった。
 『落とすまでが、楽しい』
 ――――ばかみたい・・・
 薫は、足の力が抜けてしまったようになってズルズルとそのままその場に座り込んだ。立っているのが、何故かよくわからないけれど、辛かった。
 ――――ファーストキスだったのに・・・
 薫の瞳から、一筋の涙が頬を伝い落ちた。その涙の意味を、薫はまだ知らない。
 ただ・・・・・・
 あの時、かばってくれた優しさに。
 祖父に負けない強さに。
 生徒会長としてのリーダーシップに。
 何気ない優しさに。
 ―――――ちょっと憧れてたりしていた。いいなぁーって・・・

 違う。
 今になってわかった。
 こんな風に、会長の本心を知った今になって。

 ――――僕は、好きになってたんだ・・・・・・

 新しい涙とともに、最低、と、薫の口から声が漏れた。



「ん?」
 透は、フッと後ろを振り返った。
「どうした?」
「―――ああ、いえ。今なんか聞こえた気がしたんですけど」
「誰もいねーぞ」
「・・・ですよね」
 3人が立っているその場所からは、薫の姿は見えなかった。もし一歩でも左へ動いていたら、薫の影が見えたかもしれなかったのに。
 風が大きな音を立てて吹き抜けて、ああ風の音かと思わせてしまった。
「じゃぁ帰るな」
 小泉が軽く透の肩を叩く。
「はい。ありがとうございました」
「中等部からは、生徒会入りだからな」
「・・・まじっすか?」
「まじ。こき使うから楽しみにな」
「遊びも、ほどほどにしなよ!」
 二人はそう言うと、軽く手を振って中等部の校舎の方へと戻っていった。透は、苦笑を浮かべてその後姿を見送って、小さく息を吐いた。
「遊び、か・・・――――そう、したいんですけどね・・・・・・」
 もう、遊びには出来ないかも・・・・・・
 その呟いた透の声は小さすぎて。
 薫には届かなかった。


 もし少し、透が戻っていたら。
 校舎の陰で膝を抱えて蹲っている薫に、気づくことが出来たのに。

 薫にもう少し勢いがあって、ふざけるな!とでも怒鳴っていけたなら良かったのに。

 透はそのまま、校舎の中へと歩き去っていってしまった。
 薫はじっとその場を動かなかった。



 そしてその日。

 薫と透は決定的にすれ違った。






「軌跡」-終-





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