雪人が最強?・後
「まーさか、雪人がああ出るとはな」 高人と陽子が出かけていって、ホッと一息ついた直人は一人ダイニングで遅い昼食を食べていた。目の前には、松岡が用意した御節が並んでいて、ご丁寧にお麩のお吸い物まである。 「ええ。・・・ですが、それも仕方がないのかもしれませんね」 「へ?」 松岡のため息ともつかない呟きに、数の子をシャリシャリ噛んでいた直人が視線を上げた。 「あの方が雪人様と過ごされた時間は短いですからね。生まれて4ヶ月間はご一緒に過ごされましたが、その後は高人様について仕事で飛び回り、4歳になった頃にニューヨークに行かれることになって連れて行かれましたが、それも小学校に上がる歳には一人日本に戻されました」 「・・・ああ」 そうだったなと、直人はふと遠い記憶を探り出した。 あの時は雅人と二人、空港まで迎えに行ったんだった。てっきり陽子も付き添うのだと思い嫌々迎えに行った直人は、一人不安げにゲートから出てきた雪人の姿に驚いたのだ。 遠慮がちにニコっと笑った顔が今でも脳裏に焼きついている。 「雪人様は、陽子様が思っていらっしゃるよりも、大人ですよ」 「そうか?」 松岡の言葉に直人は肩をすくめた。どうみても、子供っぽいとしか言いようがない気がするのだが。 「昔、甘えられなかった分を今取り戻していらっしゃるんですよ」 直人の言葉に緩く首を振って、松岡は静かにそう告げる。 陽子がニューヨークに連れて行ったのも、小さい時代に英語社会にいることが将来役に立つと思ったから連れて行っただけだ。 それも、自分が描く雪人の将来のために。本当に雪人の為ではなかった。 当時、雪人の面倒を見られない陽子が、松岡にニューヨークに来るように再三連絡をよこしていたことを、直人は知らない。 「綾乃様の方が、無心に雪人様のことをかわいがっていらっしゃいますからね」 子供は、愛情に敏感なものだ。陽子は、それを知らないだけ。 「それはそうかもな」 綾乃は本当の弟のように雪人を気遣って、可愛がっている。それは直人も知っている事だ。 「ちょっとべったり過ぎだけどなー」 「綾乃様の家出が少しショックだったようです。もうドコへも行かないと言われても、少し帰りが遅いだけで心配していらっしゃいますしね。綾乃様も、そういう気持ちがおわかりになるのでしょう」 「あー・・・なるほど」 それはわかるな、と直人は内心頷いた。 大好きな人が、どこかへ行ってしまうのではないだろうかという不安感は、力のない子供の心には強烈な焦燥感へと変わる時がある。 それを、直人も知っている。遠い昔、経験した。 「おかわりは?」 空になった茶碗に松岡が言うと、少し考えた直人が首を横に振った。 「夕飯まで時間もないし」 「そうですか」 「うん」 直人が食べ終わった皿を重ねておくと、松岡がありがとうございますと言って笑い流しに持って行く。その後姿をさり気なく直人が見つめている事に、松岡は少しは気づいているのだろうか。 「夜は日本酒でいいですか?焼酎もありますが」 食器を洗いながら視線を上げないのは、直人と視線を絡ませたくないからなのだろうか? 「あー日本酒かな。正月だし」 直人は、お茶を手に立ち上がりながらそう言うと、少し笑ってダイニングを後にした。 やっぱりまだ当分ここへは帰りたくないな、そんな苦い思いと切なさがどうしようもなく込み上げてくる。 こんな時は一人でいたくないとリビングを覗くと、その窓からこの寒空の下バトミントンをしている綾乃と雪人が目に入った。 ――――あーあ、ヘタくそ・・・ 高校生の綾乃と、小学生の雪人が同レベルの争いをしている。 そういえば、昔あんな風に一緒に遊んだことがあったな、と思う。今はまだ思い出にするには、近すぎる過去だろうか?あれは一体いくつのときだった? 夏の暑い日に、無邪気に遊んだ頃が懐かしくもあり、また切ない思い出でもある。どんなに頑張っても、あの日にはもう帰れないのだ。どれだけ帰りたいと願おうとも。 「・・・ふっ」 そんな自分の想いに、くだらないと自嘲気味な笑みを直人は漏らすと、何かを振り切るように頭を振って手にしたコップをテーブルに置いた。 そして、過去の上に新しい思い出を乗せるために、直人は庭へと飛び出した。 ・・・・ その夜。綾乃が部屋でごろごろしながら翔に借りたマンガを読んでいると、暖かいホットレモンと焼酎のお湯割を手にした雅人がやってきた。 「マンガですか?」 「うん、翔お勧めなんだ」 綾乃はそう言いながらも、雅人がベッドの座ると、手にしたマンガを閉じてサイドに置いた。 寝転がって雅人を見上げると、にこにこと笑った顔にぶつかる。 「今日は、いきなりで驚きましたが・・・意外に大丈夫そうでしたね?」 雅人は内心もうどうなる事かと思っていたのだが、実際に二人が帰った後も綾乃はいつもと変わらないように見えた。 1年前はあんなにも落ち込んで、傷ついて、そして全てを拒絶するようになってしまったのに。 「うん。意外にへーきだった」 綾乃も少しおかしそうに笑って肩をすくめて、ホットレモンをごくりと飲んだ。 「なんでかなぁー。なんかね、意外に冷静でいられたんだ」 「ええ、そう見えました」 綾乃の言葉に雅人も頷いた。本当に、顔色一つ変えずにいた綾乃。ある意味、雅人や直人の方が顔色が変化していたのかもしれない。 「雪人の発言、ですか?」 あの発言には雅人もしっかり驚かされた。予想だにしていなかったからだ。ある意味嬉しい誤算ではあったのだが、それが綾乃のリラックスの元となると少しおもしろくない様な気もしてしまう。 そんな自分はまだまだ大人に成りきっていないと、苦笑してみてもそれは仕方が無い想いなのだ。そんな甘い嫉妬が、また雅人を幸せにしてくれるのだが。 「あはっ、あれにはビックリしたし、恥ずかしかったよ〜餌付けされてるみたいなんだもんっ」 「餌付けぐらいでずーっと傍にいて笑ってくれるのでしたら、いくらでも運びますよ?」 「あのねー!・・・もうっ。餌付けじゃないよ」 ――――そんなんじゃないもん。そんなんでココにいるんじゃないもん。 雅人の言葉に怒ったような照れたような顔をする綾乃に、雅人は込み上げる笑みを留められない。 「はい。知っています――――が、それでは何故ですか?」 その問に綾乃は何故か少し赤くなって口ごもった。 だってそれはきっと、雅人のおかげなのだと思うから。そして、雪人や直人や、松岡や、薫や翔やたくさんのみんなのおかげなんだと思うのだ。 ここにいていいよ、って言ってくれたみんなのおかげで、受け入れてくれて居場所をくれたから。だから、なんだか平気だったのだろうと綾乃は思う。 あの人に何を言われても、そんな綾乃でいいと言ってくれる人がいるんだと、綾乃が知ったから。だから大丈夫でいられた。全然平気でいられたんだ。 「内緒」 でも、それを口にするのはなんだか照れてしまうから、内緒。 「内緒なんですか?」 「うん」 それにね、去年の今頃は知らなかった。 「それは、おもしろくないですね?」 人を愛する気持ちを。 人に愛される気持ちを。 「へへぇ〜」 少し拗ねたような顔を作る雅人に、綾乃は笑って誤魔化そうとする。きっと去年はそんな余裕もなくて、顔色ばかり窺ってビクビクしていた。 居場所が欲しくて、道を見失って。ただしゃがみ込んで丸くなってた。 「誤魔化されませんよ?」 拗ねた顔ではだめらしいと、今度はちょっと怒った顔でつめよる雅人に、綾乃はやっぱり笑ってしまう。すると、雅人は詰め寄ったままに顔を近づけてきて、綾乃の頬に唇を押し付ける。 離れ際目が合うと、今度は唇にキスされた。 「どうしても口を割りませんか?」 「黙秘です」 その頃には綾乃の頭は、雅人の膝の上に引き上げられて、膝枕の様にされて逃げられなく包囲されて。顔中にキスが降ってくる。 嬉しくなった綾乃が、雅人の頭に腕をかけて引き止めると、長いキスが始まった。 きっと、雅人は答えを知っているのだろうと綾乃はわかっている。目が、そう言って笑っているから。そんな優しい瞳が大好き。 雅人のキスが首筋に押し付けられて吸われて。綾乃の身体がピクっと反応した。 「愛してます」 真摯に何度も告げられる言葉。その一つ一つが、綾乃の心の宝物だと雅人は知っているのだろうか。 「・・・僕も―――大好きっ」 ドキドキしながら告げるその言葉に、綾乃の胸が一杯になるのをわかっているのだろうか? 別に知らなくてもいいけれど。 でもきっとばれてしまっているに違いないと思う。 だってそれくらい愛されていると思うから。 少しだけ、自信があるから。 見詰め合う瞳が絡み合って。 雅人の浅かった口付けが深いものへと変わっていく――――それが今からの夜の始まりを、静かに告げていた。 さて。明日の朝、雪人が起こしに来る前に、雅人が自室に戻っていられればいいのだけれど・・・・・・ |