内緒の昼下がり -3-




『直人様・・・』
「ああ」
『・・・今どちらに』
 どうしてぶっきらぼうにしか言えないのだろう。久保の声は、泣きそうなのに。いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。
 泣かせたのかも。
 それがわかるのに、苛立ちだけが先行して。
「ん〜都内をぶらぶらドライブ中」
『・・・・・・あの、仕事に戻ってきていただけませんか?』
「仕事なんかあんの?ああ、接待?」
『直人様』
「直人さん・・・っ」
 電話の言いように綾乃も声を出してしまった。
「――――わかったよ。すぐ戻る」
『お願いいたします』
 小さな声はそれで、切れた。その弱弱しさに物足りなさを感じてしまうのは、直人の身勝手だろう。
 もっと、強く言ってくれたら良いのに。
 言って欲しいのに。
「直人さん、酷い」
「酷くねーよ。酷ぇのはあっちだろ?」
 確かにそれはそうかもしれないけれど、でも、その原因というか元というのは直人にあるのではなかろうかと、綾乃の瞳が遠慮がちに訴えていて、直人はちぇっ、と視線を逸らした。
 直人だって、重々わかっているのだ。
 久保を、そんな風にしてしまったのは自分なのだ、と。
 でも―――――悔しくて少々乱暴に伝票を掴んで立ち上がった。
 カフェを出ると、さっと車の中から運転手だろうか、が降りてきた。
 直人は軽く手を上げて歩み寄る。
「綾乃、送って行こうか?」
「ううん、僕はまだもう少し見てから帰るから」
「そうか」
 運転手が後部座席のドアを開け、直人が乗り込もうとドアに手をかけて、振り返った。
「?」
「さっきのレタースタンド、結構いいと思うぜ」
「ほんと?」
「ああ。最近はメールも多いけど、招待状やらなにやらはやっぱり封書だからな」
 そんな接待紛いの嫌な仕事でも綾乃の送ったレタースタンドに挟まれれば、雅人の気持ちも少しくらいは和まされるかもしれない。
 それを見るたびに笑みを浮かべる雅人の顔が浮かぶようだ。
「じゃあ、そうする。ありがと」
 綾乃は嬉しそうな満面の笑みを浮かべて頷くと、直人もつられるように笑った。
 黒塗りの車は滑らかに滑り出して、綾乃は仲直りその背に手を振って見送った。
 ―――――あ!ってことは直人さんクリスマスには帰ってこないだ!?
 という事に気が付いたのは、5200円も(綾乃にとっては"も")したレタースタンドにラッピングをして貰っている最中だった。
 ―――――雪人が寂しがるのに・・・・・・
 せめて、一瞬でも顔を出して貰える様に頼んでみようかとも思うのだが、さっきのあの話を聞かされた後ではなんともそれは切り出しにくい様な気がして。
 綾乃はこっそりとため息をついた。





・・・・・・





 ホテルに着いて、自室に戻るか社長室に戻るか考えて、直人は社長室の扉を開けた。
 ―――――ビンゴ。
 そこには久保が一人待っていた。
「他の者は?」
「大橋専務は今夜経団会の方との会食があり、大木君は一緒に。三浦君は例の旅館の方へ出向中。多田くんは田村社外顧問のところへ」
「そうか」
 直人は久保の横をすり抜けて、社長室に入っていく。その後を久保が静かに続いた。椅子に座った直人の目の前に、久保が高人よりメールがあった事を告げた。
「メール?」
 直人はそのメールを開くと、先日送った、大まかな今期の収支報告と春に向けての営業方針についての返事だった。
 それを黙って目を通す。
 無意識に、口の端が吊りあがった。
「直人様?」
 高人のメールに間違いが無いのか問題がないのか先にザっと目を通していた久保は、直人がそんな自虐的な顔をするような無いようだっただろうかといぶかしげな声をかけた。
「いや―――――、通信簿を見る子供の気分だな、と思ってな」
 シニカルなその言葉に、久保は何も言えなかった。
 確かにまだ、高人の手のひらの上に自分達はいる――――――雅人も含めて。
「まあいい。べつに"がんばりましょう"と言われたわけじゃないしな」
 直人はそう言ってメールを閉じた。
「他に報告する事は?」
「――――先ほどの件ですが」
「ああ」
「正式にお断りしておきました」
「そうか。で――――クリスマスの予定は?」
 サクっと切り込んだ。
「・・・っ」
「ん?」
「直人様の予定は特に入っていません」
 久保の耳が赤くなっている。
「和樹の予定は?」
 耳以外のところも、赤く染まった。まだ、名で呼ばれるのは慣れないらしい。名を呼ぶのは、二人きりの睦言の時が多いからだろう。
 いつになったら慣れるのかと思い、慣れたら慣れたで面白く無いのかもしれないと思いなおした。
「・・・特に、は」
「じゃあ俺の誘いは受けてくれるわけだ?」
「私で、よろしければ」
「和樹っ」
「はい」
 直人は立ち上がって、机越しに久保の頬に指を添えた。
「素直に"はい"って言え。俺は、お前とだけ、過ごしたいんだから」
「――――はい」
 小さな声が悔しくて、聞こえないとでも言うように直人のその唇を塞いだ。




 一方綾乃は雪人よりも雅人よりも早くに帰宅できて、買ったプレゼントをこっそりとクローゼットの奥に隠しておくことが出来た。
 雪人のプレゼントも、松岡のプレゼントも既に買ってある。直人へのプレゼントは今度雪人と一緒に買いに行く約束をしているから問題無い。
 ―――――さて・・・、暇だなぁ・・・・・・
 見たいテレビも無いし、一人でゲームする気にもなれないし出されていた宿題でもしておこうかと机にノートを出したけれどなんだかやる気が起きなくて、綾乃は携帯を手に取った。
 そのままベッドに仰向けに転がる。
 ―――――どーしよう・・・
 昨日の別れ方が気になってはいた。
 薫の、結構思い詰めている様な感じが。
 綾乃はしばらく携帯を見つめてから、思い切って薫に電話をかけたけれど。
「あれー・・・」
 留守番電話に切り替わるまでコールして、切った。傍にいないのか、気づかないのか。もう1度かけなおしてみたけれど結果は同じで、綾乃はしょうがなく携帯を机に置いた。
 ―――――大丈夫かなぁ・・・・・・
 留学する前、あんなに好きなのに別れを決意した薫。もし翔にバレて、透に仇なすような事になったら、今度こそ身を引くかもしれない。
 自分の心をズタズタにしても。
 見つめた電話の先。
 薫はちゃんと部屋にいた。ただ、電話が鳴っているのに気づかなかったのだ。
 薫は隋分前からPC画面を前にじっと座っていた。
 画面には、"クリスマスは会えません"の文字。このメールを送るかどうするか、じっと画面を見つめて考えていた。
 右手はマウスの上。
 カーソルは、"送信"の上。
 僅かに人差し指を動かすだけで透にそれは送られる。
 透がメールを受け取れば電話がかかってくるかもしれない。それを無視したって、会いに来るに違いない。
 逃げ出す事は出来るかもしれない。
 でも――――――――

 薫はじっと動かないで、画面を見続けていた。

 どうしたらいいのか、わからなかった。












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