直人の恋物語T−12
「久保――――っ」 直人の制止の声が飛んで、その手が久保の肩にかかる。けれど久保はかまわず直人の腹に身体を乗り上げた。 「代わりだなんて、大それたこといいません」 直人のネクタイをなんとか解いた。 「今はただ、寂しさを紛らわしませんか?」 余裕ぶって浮かべた笑みは、うまく笑えていただろうか。 ボタンを外す指が震えているのは、気づかれていないのだろうか。 「直人様・・・」 久保は直人のシャツの前をはだけさせて、その肌に指を滑らせた。 「久保!」 強い声にハッとすると、直人の顔が言い様の表情に歪んでいた。 それが、この人の最大の拒絶なんだと分かった。分かっていたのに、今更引き下がれなくて、久保はただと強がった笑みを浮かべた。 心が上げた、軋んだ悲鳴は無理矢理無視した。 「僕じゃぁ、・・・ダメですか?」 久保はそう言いながら初めてこんな風に触れる肌の感触を楽しむように、ことさらゆっくり動かしてその筋肉質は触り心地を感じた。 必死で煽るように指を動かして、引き裂かれて飛んで行きそうなくらいバクバクする心臓を必死で奮い立たせて唇をその胸に落とした。 「久保!!」 強い力で肩をつかまれてひき剥がされた。 目が合った瞬間、ぐしゃりと自分の中に何かが壊れる音を久保は聞いた。もう終わった、そう思った。 恋も夢も、想いも希望も。 今、この瞬間自分の手で壊してしまった、と。 だから、もういいと思えた。 ならいっそ、最後まで壊してしまえばいい。僕なんて―――――――――― あなたにとっては、取るに足らないモノでしょう? 「だって、感じてる」 考えるより先に、言葉が口から滑り落ちた。必死だった、挑発したくて。だって、尻の下に感じるのは、その証拠だから。 「男なら、煽られれば誰でも勃つだろう?」 「はい」 「それだけだ」 「はい」 久保は、―――――――穏やかに笑った。 「なら、しませんか?自分で処理するより、いいじゃないですか」 「だめだ」 「どうしてです?」 指を、直人の身体に這わした。その途端にピクっと揺れた腹筋と、熱に久保の身体が熱くなった。 「これ以上は、ダメだ。今なら」 「今なら?今なら何も無かった事に出来ますか?」 「・・・・・・」 「出来るはずなんて無い。そんなわけにはいかない!・・・そうでしょう?」 「久保?」 あ・・・と思った。 「―――――お前・・・」 直人の瞳がカッと見開かれ、驚愕に唇が震えた。 「僕は・・・っ」 気づかないで。 「僕は男が好きなんです。ずっと、秘密にしてきましたけど。だから、」 気づかないで、いて。 「誰でもいいんですけど?」 張り付いた笑みが、久保の顔に浮かぶ。まるで、お面をつけているように揺らがない笑み。けれど、その下に流した涙に気づかないほど、直人は愚かではない。 「・・・和樹」 ハッと、久保の瞳が揺れた。 直人も、何故今名前で呼んだのか、分からなかった。ただ、口を突いて出た。 「俺は、松岡が好きだ」 「はい」 「だから」 「知ってます。でも、叶わない!!そうでしょう?」 「――――」 流されちゃいけない、直人にはわかっていた。 「ただの、行為ですよ」 わかっていたのに。そう、強がって言う久保を、何故放っておけないと、思ったのだろう。 「気楽に、考えましょう?・・・ね?」 ダメだ、と思っていたのに。 何故、手を伸ばしてしまったのだろう。まるで、熱に犯された様に。 言い訳をするなら、この時はまともな思考回路じゃなかったんだと言うしかない。 ただ。 張り付いた笑みを、崩してやりたくなっただけなのかもしれない。 寂しさを、紛らわしたくなったのかもしれない。 それとも、目の前のこの男を。 抱きしめてやりたくなったのか。この時はまだ、答えは分からなかった。 ・・・・・ 僅かに動いた拍子に感じた身体に痛みに、久保は深い眠りから意識が上昇させ、素肌に触れる手の平の感触にそのスピードを上げて一気に現実に戻って来た。 「・・・ぁ・・・」 半分ほど開いた瞼の先に見える壁。 何故今ここにいるか、泥の様に疲れきって動こうとしない脳を叱咤激励して思い出す。 後ろから感じる人肌の温もり。自分を抱きしめてくる腕の重み。 「・・・っ」 身体にありありと残る身体のだるさと、奥に感じる違和感に久保はゆっくり息を吐き出した。 夢なんかじゃなかった、出来事。 直人に組み敷かれて、初めて感じた異物感とそれがもたらす途方も無い快感。途中からは余裕ぶる事も出来なくて翻弄されるがまま。 男の経験はもちろん初めてで、女の経験も本当に、経験して見ましょうという程度のものでしかない久保にとって、遊びなれた直人の手管に理性を保っていられる時間はそう長くは無かったのだ。 「・・・ふっ・・・、っ」 けれど、後悔などしない。 絶対自分には与えられないと思っていたものを、直人の心の隙間を突いて手に入れたのだ。 自分が望んだこと。 これで全てを無くしても。 全てを壊しても、それでもいいと思った。 その、はずなのに―――――――――― 「なに、泣いてるんだ?」 「―――――っ」 久保の身体がビクンと震えた。起きているなんて、思っていなかった。 「久保?」 直人は久保の顔を見ようと、その肩に手を掛けて身体を反転させようとする。それを久保は、いやいやと首を横に振った。 「久保」 焦れたことに、久保は顔を両手のひら覆い隠した。 「顔、見せてくれよ」 困った様な直人の声に久保は一層いたたまれなくなって必死で顔を覆い隠そうとする。そんな久保を直人は仰向けにして、自身はそれに覆いかぶさるような格好で久保の手に指をかけ引き剥がそうとした。 「後悔してんのか?」 久保は首を横に振る。 後悔とは、少し違うから。でもやはり、後悔なのかもしれない。 もう、よくわからない。なにが、なんだか。何もかも。 「じゃあなんだ。良くなかった、とか?んなわけないよな」 独り言に、なんと言葉を返していいのか分からない。 ただ涙が止まらない。 「なぁ?言ってくれなきゃわかんねー。久保」 だって。 だって。 「僕は・・・」 「ああ」 ごめんなさい、こんな言葉を言う僕をどうか許して。 「好き」 なんで、後悔は先に立ってくれないのだろう。 今口走ってる事だって、きっと数時間後には後悔するに決まってるのに。 「好きなんです」 でも、今は言わずには耐えられない。 「・・・・・・・」 もう、溢れ出して止まらないです。 「貴方が、好きなんです。ごめんなさい」 「・・・んで、謝んだよ・・・」 口走った言葉に、直人の動揺と焦りが久保には十分伝わっている。言わなければ、この感情は二人の間には無かったものに出来て、この1回もきっといつか、忘れる努力をして何もなかったみたいに忘れて、また何もなかった日々に戻れる。 直人はきっとそう思っていたのだろうと思って、久保だって、そうするつもりだったのに。 「ごめんなさい」 「だから、謝んな!」 「・・・っ」 ヒッっと喉が鳴った。 涙の所為で、背中を震わす久保の身体を抱え込んで数分後、いや数秒だろうか、直人は久保の想像を裏切る穏やかな声で尋ねた。 「それってさ、いつから?」 「え?」 「俺を好きでいてくれたのはさ、いつから?」 言って、いいのだろうか? 「・・・もう、ずっと前、から」 「前って・・・」 「直人、様が、恋したのと、同じくらい・・・」 「っ、・・・・・・んな前から・・・。悪い、全然気づいてやれなくて」 「いいんです」 そんな事は、全然いいんです。 「そっか・・・、そうだったんだな」 直人はそういうと久保の上から退いて、久保の横に並んでごろんと仰向けになった。 「ごめんなさ―――」 「次!―――謝ったら、殴るぞ」 「・・・っ」 それからどれくらい二人して並んでいただろう。第一、午後の仕事を放ったらかしにして二人で抱き合って、そのまま寝入ってしまったのだ。 今が何時で、仕事は一体どうなったのか。考えなきゃいけない事はいっぱいあるはずなのに、久保も直人もそんなことには一切神経が回っていなかった。 ただ、二人して天井を見つめていた。 シンっと静まり返った室内に、互いの僅かな息遣いだけが聞こえる。 本当に、一体どれくらいそうしていたのか。 「悪い、今は何も考えられねぇ」 ポツリと直人が呟いた。 「はい」 いいんです、答えなんていりません。 「しばらく―――――時間をくれ」 苦渋に満ちた声に、もう既に言ってしまった事を後悔した。 何を期待したのだろう。もしかしたら、とでも思ったのか。そんなはずは無いと、嫌と言うほど分かっていたのに。 「・・・はい」 それなのに、"わかってますから、いいんです"と、何故言えないのだろう。 何故、僅かな。きっと蜘蛛の糸よりも細いであろう望みに、期待してしまうのだろう。 どうして僕は、こんなにも愚かなのだろうか。 どうして好きな人を、苦しめてしまったんだろう? それから数日後、直人は誘いのあった5家に正式に電話をいれ、接待の申し込みを丁重に断り、その直後にあった曽我社長からの食事の誘いもきっぱりと断ったのだった。 久保がそれらを知ったのは、それから数日たった後だった。 END |
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