直人の恋物語U 19
結局その夜、2人は近況からたわいもない昔話まで、久しぶりに色んな話をした。それもう本当にたくさんの事を。そしてそれは、松岡にとっても直人にとっても、楽しい時間だった。 こんな時間が、もっと必要だったのだきっと。 そうしてほとんど寝る事無く迎えた朝も、徹夜明けの様なしんどさよりも清々しさの方が心を占めていた。ちゃんと2人分用意された朝食は申し分なく、直人にいたっては朝から白ご飯をおかわりするほどだった。 「お世話になりました」 「またいつでもどうぞ。お待ちしております」 ―――――しゃべれたんだな・・・ 松岡と初老の男性の挨拶を直人はそんな風に思いながら聞いて、昨夜見た景色に視線を移せば、青い空に緑や黄色くなった葉が映えて綺麗に見えた。 ―――――やっぱこういうのは夜見るもんじゃねーな。 うんうん、と一人納得してみる。昨夜はどーも不気味に見えたもんなぁ〜 「じゃあ行くか」 「はい」 「お気をつけて」 「お世話んなりましたっ」 戸の外で直人が会釈して、松岡と2人木々の間を歩く。 「あぁ〜あの距離帰ると思うとちょっとぞっとするけどなー」 松岡と違い、とんぼ返りの直人がげんなりしたように言う。 「電車あんのかなぁー・・・―――あれ?」 昨日の夜くぐった木の門を再びくぐって今度は外に出てみると、えらく綺麗に磨き上げられた車が止まっていた。 「社長」 「―――鹿島さん」 そこにいたのは、岩手にある南條グループのホテルで統括マネージャーをしている男だった。 「お迎えに上がりました」 「え」 「これから東京へ戻られるんですよね。さ、どうぞ」 「あ、ああ」 どうらや鹿島は直人と松岡を迎えに来たらしい。良く聞けば、昨夜のうちに雅人の秘書の久保から連絡が入って、ここから新幹線の駅まで送ってほしいと言われたとの事。 ―――――用意周到だこって。どうせならついでに駅弁も用意してくれてたらいいのになぁー ・・・・・・ それから数時間後。南條家からそう遠くない場所にある高級スーパーの中で、直人は久保に電話をかけていた。 『・・・そこに行けばいいんですね?』 指定された場所がどう考えても直人に似つかわしくなくて念を押すと、直人はうんざりした雰囲気で頷いて、すぐ来るように言って電話を切った。 久保にとって直人の命令は絶対。目の前に書類が積まれていても、ホテルに直人も自分もいなくて大丈夫なのかという危惧も、とりあえず横に置いて慌ててホテルを出た。 幸い道は混んでいなくて30分程でスーパーの前に車を止める事が出来たので、すぐに直人にその旨を告げると程なくして中から直人の姿が出て来た。 「―――直人様・・・」 ―――――似合わない・・・ スーパーのカートに買い物袋を山と積んで、それを押している姿がどうみたって似合っていない。 「久保さん」 「―――松岡さん。戻ってらしたんですね」 傍らから姿を現した松岡の姿に久保が僅かに顔を歪めた。その脳裏に2人が仲良く買い物をしていたであろう姿が想像出来たから。 ズキっと心臓が痛んだ。 「ご迷惑おかけいたしました」 「いえ・・・」 「悪かったな急に」 「いえ。―――それを運ぶんですね」 「ああ」 久保は急いで後ろを開けて、中に買い袋を詰め込んでいく。手が僅かに震えているのにその時、気づいた。 ―――――どうしよう・・・止まらない。 「ったく。雪人たちがずーっと出前だったっつったら、今日は腕を奮うって聞かなくてさ。こんな買って・・・何日分だよ」 「何をおっしゃってるんですか?これくらいでは、1週間も持ちませんよ」 「まじ!?」 直人が嘘だろ!?と松岡を見ると、松岡は当たり前だと頷いた。雅人と直人が高校生の時など、もっとずっとすごい量を消費していたのだが、どうやら本人に自覚は無いらしい。 「乗ってください。送ります」 「はい」 「頼むわ」 直人と松岡の穏やかな空気に、直人の説得が随分うまく言った事が久保にもわかった。一気に雪解け、そんな感じだ。 ――――― 一体何があったんだろう・・・ 久保の心に不安な気持ちが渦巻いて嵐を起こしていく。 エンジンをかける手さえ震えていて、運転出来るだろうかと手を握ったり開いたりして柔らかくしてからハンドルを握った。 運転は嫌いじゃない。上手いほうだとも思っていた。けれど、今日ばかりは空いてる道路に感謝した。バックミラーはまともにいれなくて、手は相変わらずで肩は緊張にがちがちだった。 事故らなかった、奇跡に思える。 無事に南條家の玄関に車を横付け出来た時は、久保は心底ほっとした。 「荷物下ろしますね」 「すいません、私が」 「いえ・・・」 顔も、まともに見れなくて俯いたまま後ろを開けて袋を取り出した。 「久保さん」 ガサっと袋を3つ、久保が掴んだときだった。 「・・・はい」 松岡の改まった声に、久保の肩が無様に震えて、膝がガクガクして立っているのもしんどかった。 「直人様のこと」 「―――っ」 「よろしくお願い致します」 「―――――え・・・」 一瞬言葉の意味が理解出来なくて、ポカンとした顔で久保は松岡の顔をまじまじと見つめてしまった。 口が半開きで、結構間抜けな顔になっている。その久保に、松岡は深々と頭を下げた。そうして、呆然としている久保の手から袋を取ると中へ入っていった。 「おい!」 「え・・・あっ!あれ?」 「ったく、なんつー面だよ。お前ほんっとに俺のいう事信じてねーな」 しょうがねーなと、大業に呆れた口調で直人は言う。たぶん、こんな会話を後何回かは繰り返すんだろうな、と思いながら。 「俺はお前がいい、っつただろ?」 けれど、久保がその言葉を普通に受け止めて信じられるようになるまで何度でも言おうと思った。それが今までの自分への免罪符に、少しくらいなればいいと思う。 「・・・でも」 「ん?」 「・・・だって」 久保の瞳が頼りなく揺れて直人を見る。 「呼ぶから」 「?」 「タクシーだって良かったのに、呼ぶから」 「だってお前も呼んでくれって言うからさ」 「え・・・」 「俺もあん時のままっていうよりはさ、1回会っといてもいいって思ったし」 直人の言葉に、あの夜の廊下での風景が蘇ってくる。暗く、悲しく切ない夜だった。 「それにさ、出前も飽きたじゃん。一緒に飯食って帰ろうぜ」 "帰ろうぜ、あのホテルに" その言葉に、久保の瞳にじわじわと涙が込み上げてきた。 あそこが、自分達の職場で居場所。そこへ帰ろうと言ってくれたのだ、直人が。 「はい」 「泣くなよ。虐めてるみてーだろ」 「すいません」 ったくしょうがねーな、と直人は久保の頭を抱えてぎゅっと胸に押し付けて抱きしめた。 一方先にドアを開けた松岡は、靴を脱ぐのに酷く緊張した。今日は日曜日で、間違いなく雅人も綾乃も、雪人もいるだろうから。 松岡は思わずそっと袋を置いて、音を立てないように靴を脱いでしまう。それがなんになるわけでも無いのに。 まるで、叱られて帰った子供の様だ。 「あ―――松岡さん!」 いち早く気づいたのは、綾乃だった。どうやらちょうどキッチンにいたらしい。出て来たところで廊下を歩く松岡を見つけた。 「綾乃様・・・その、長い間留守にしまして」 「おかえりなさい!!」 少し居心地の悪そうな松岡に、綾乃ははじけるような笑顔を向ける。 「凄い、嬉しいっ。――――あ、荷物持ちます」 重そうな袋に目を止めて綾乃が手を差し出すと、その声に気づいたのだろう。奥でかすかな物音がした。 「雪人」 姿は見えなくてもそこにいるのはわかる。綾乃がそう言うと、松岡はそっとダイニングの方へ視線を向け、進んでいった。 「・・・雪人様」 布きんをぎゅっと手に握り締めて、雪人がそこに立っていた。もじもじと、俯いたままの視線が右に左に動いているのがわかる。 松岡は手にしていた袋を置いて、しゃがみ込んだ。 「雪人様。―――すいませんでした。謝って済む事じゃないとはわかってますが―――」 「僕、・・・僕松岡のこと好きだよ。嫌いになんか、なれないよ」 涙の混じった、小さな声だった。 雪人の精一杯の気持ち。 松岡のいない間、雪人は雪人できっと色んな事を考えたのだろう。そうして、綾乃や雅人と色んな話をしたのかもしれない。 「僕、お母さん違うけど・・・」 「雪人様っ」 松岡は思わず両手を伸ばして、雪人を抱きしめた。その声が、仕草が、まるでここに来たばかりの雪人にダブって見えた。 どこにいていいのか、ここにいていいのかわからなくて自信無さ気にしていた姿に。 「そうじゃないんです。―――――そうじゃない」 松岡は搾り出すようにそう言った。まだうまく言えそうに無くて、何をどういったらいいのかわからないのが申し訳なかった。 でも、松岡は雪人の事が嫌いなんじゃ無い。 「私だって雪人様の事大好きですよ」 「・・・良かった」 一生懸命笑った雪人の頬を涙が流れ落ちていく。 松岡はその涙を生涯忘れる事は出来ないだろうと思った。 「これからも、もっとビシビシ怒りますからね」 「えーなんでー?」 少し泣き笑いみたいな顔で言う松岡に、雪人は驚きと不満そうな声を上げた。 「そりゃあお前、雪人も後継者の一人だからだろ。怒られろ怒られろ」 いつの間にやってきていたのか、直人がからかいながら言う。 「大丈夫ですよ。雪人様は直人様よりずーっと素直ですからね」 「おい。綾乃も頷いてんじゃねー」 「アハ」 綾乃に直人が小突く真似をする。 いつの間にか雪人の涙は乾いていた。 大丈夫、綾乃は何度目かわからないそんな思いを再び胸のうちで呟く。だって、こんなにも皆がみんな優しくて思い合っているんだもん。 だから大丈夫。 きっとちょっとずつでも、わかりあっていける。絶対に――――――――― 「さて、夕飯の準備にとりかかります」 「やったー」 「僕、手伝う!」 雪人がビニール袋を一つ持って松岡についていきながら言うと、松岡は振り返って一同を見渡して。 「そうですね。お願いしましょう。この中で料理の才能が少しでもあるとしたら、雪人様だけですもんね」 「ひどーい」 松岡の言葉に綾乃が頬を膨らませば、直人は俺は食う専門でいいと嘯いた。 「僕も手伝います」 久保も後に続こうとすると直人が声をかけた。 「仕事いいのかよ?」 久保のことだ、どうせ持って来てるに違いないと思ったのだが。 「急に呼び出すから置いてきてしまいましたよ」 「まじで。ラッキ〜。俺飯まで寝てくるから」 「直人様!」 手伝う気もまったく無いらしい直人に思わず久保がその名を呼んでも、直人は手をひらひらと振って嬉しそうに行ってしまった。 「すいません」 育て方間違えたかと思わず松岡が謝ると、いえいえと久保が恐縮したように頭を下げた。そんな光景を綾乃は見て、嬉しくなった。 なんかわかんないけど、いい感じだ。 「賑やかですね」 そこへ直人と入れ替わるように雅人が姿を現した。 「雅人さん」 雅人は松岡に何も言わなかった。ただ一瞬2人の視線がぶつかっただけ。雅人も言う事は無かったし、松岡も無かった。雅人にはその顔と今の状況を見れば、それだけで十分だったのだ。 ―――――直人に行かせて正解でしたね。 「今日の夕飯はなんですか?」 「煮込みハンバーグです」 「やったぁ!!」 雪人が嬉しそうな歓声を上げた。これは綾乃も好きなので、綾乃も嬉しそうだ。が、雅人はそこまで好きでは無いこのメニューに少し嫌そうな顔をする。 「雅人様には別のものも用意いたします」 「お願いします――――じゃあ綾乃、夕飯までゲームでもしますか?」 「えー!!」 途端に不満そうな声を上げたのは雪人。ここ数日綾乃を独占されていた雅人にとっては、今がチャンスと思ったらしいがどうもそんなに上手くは進まない。 それに、綾乃もちょっと迷うように首を傾げた。やはりこの場を離れる事を躊躇っているらしい。 「・・・・・・じゃあここで、オセロでも?」 「うん!」 妥協点を提示しなければいけない辺り、今回の勝負は雅人の負け、だろうか。 綾乃はオセロ版を取ってきて、テーブルに乗せて雅人と勝負をしながら、徐々に漂い出す美味しそうな香りにお腹を鳴らした。 キッチンに立つ松岡の姿があって、手伝う雪人の姿。 そんな光景を目にしながら雅人とゲームをして過ごす午後は、なんて素晴らしいんだろうと綾乃は思っていた。 当たり前の日常。 そんな日常が、一番幸せなのかもしれない。 ―――――これでもうちょっとオセロ勝てると、もっといいのになぁー・・・ 後日、雅人の元へ届いた報告書には雅人の予想通り "直人の縁談話などまったくなく、かの次女は別の男性との縁談が進行中" と、記載されていた。 end |