「るせぇー!!」
 都内の繁華街にある、有名な居酒屋チェーン店で篠崎は後輩相手に大きな声でいきまいていた。
「先輩落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか!!俺はなぁ、ずっと芸能畑で歩いてきたんだよ!それがいきなり転属、転勤っておかしいだろうが!!」
 今日、篠崎はいつも通り出勤していた。昨日までとなんら変わらない日が待っていると信じて疑うこともなかったのに。いきなり編集長に呼ばれて、転属の話を言われた。抗議しても取り合ってもくれず、それならばと移る先の編集長に掛け合いにいったらいきなり転勤と言われた。
「絶対なんかある!」
 篠崎は鼻息も荒く、ドンとテーブルを叩く。
「まぁ・・・確かにちょっとおかしいですよね。いきなり社会部に行かされて、そこで報道写真取れなんて」
「ありえないだろ!!」
「塚本なんかは羨ましがってましたけどね。あいつはそういうの志望でうちに入ってきたし」
「ならそういう奴が行けばいいんだよ!!」
 篠崎はやりきれないとばかりに手に持っていたビールジョッキに残っていたビールを一気に煽る。
「で、どうするんですか?行くんですか?」
「行くわけないだろ!!辞めてやるさ!俺だってコネの一つや二つはあるんだよ。辞めて他の所に行くさ」
 芸能畑でそれなりの実績と評価もある。顔も十分繋いできた。それはいつかフリーにと思っていたからだ。それが多少早まっただけだと思えば良いと篠崎は考えていた。
「そうっすか・・・まぁ、そうですよねぇ」
「ったりめーだろ!!」
 篠崎は当然そのつもりだった。明日1番に辞表を叩きつけてやるっと心に誓っていた。
 その日は後輩相手に夜中2時まで飲んで、タクシーで帰宅した。どうせ腹は決まっていると、言いたい事を言って酒の入った所為か多少気も大きくなっていた。
 いい気分だった。
 俺のこんな扱いにした事を後悔させてやる!そんな風にいきまけるほどに。
 倒れこむようにマンションの自室に入って、握り締めていた郵便物に眼をやる。握り締めていた所為かB5サイズの封筒がぐしゃりとまがっていた。
 ―――んだぁ〜?
 篠崎が無造作にその封を破くと、中から写真が滑り落ちてきた。
「っ!!」
 その中身を目に止めて、真っ赤だった篠崎の顔が一気に青ざめた。したたかに酔っていた気分も一気に吹っ飛んで、目の前の写真が信じられないとわしづかみにする。
「・・・っんで・・・・」
 喉が一気に渇いて、声が張り付いた。
 それは、篠崎自身が盗撮した写真。クローゼットの奥にしまい込まれた自分だけの秘密。性癖。しかも、相手はあどけなさの残る少年。
 金を渡して自慰しているところを撮らせてもらった写真と、芸能界入りをちらつかせて騙し撮った少年の縛られて顔が苦痛に歪む写真。そんなものが3点。
 数あるコレクションの中でも特に気に入ってるものばかりだった。
 篠崎は転がり込むように寝室に入り、慌ててクローゼットを開ける。
「――――ひぃっっ!!」

 『ばらされたくなかったら運命には逆らうな』

 たったそれだけ。そこには、ワープロ文字でそう書かれた紙が貼り付けてあった。
 篠崎は今までの威勢も、酔っ払ったいい気分も全て木っ端微塵に吹っ飛んで、そのままその場に崩れ落ちた。
 誰かが秘密をかぎつけ、自分がいない間に部屋に侵入してこの膨大なコレクションの中から篠崎が気に入っているものをわざわざ3点選び出していったのだ。
 目に見えぬ恐怖に思わず背筋に冷たい汗が流れて、思わず部屋を見渡す。カメラでも仕掛けられているかもしれない。
 何故こんな目にあうのか。一体自分が何をしたのか。篠崎自身にはまったくわからない。検討もつかない。けれど、篠崎には、もう選べる道は一つしかなかった。
 脅迫文が何を示しているのかは、考える余地もなかったからだ。
 転勤は異例のスピードで3日後に迫っている。相手を探る時間は篠崎には残されていなかった。
 こんなことで前科持ちにはなりたくなかった。


 後輩がいぶかしがる中、篠崎は何も言う事もなく辺境の地へと旅立って行った。

















「は?」
 直人は一瞬自分の耳に流れ込んだ言葉を理解できずに、目の前に座る雅人の顔をポカンと見つめた。
 久保兄から久保弟へ、そして直人へと一夜にして伝わった2人のデートの顛末を、どうしても聞きたいと直人は朝一番に雅人に会いにやってきた。
 てっきり最後までいったものと思って、からかう気満々で勇んでやってきたのに。
「嘘だろ?」
 あろう事は雅人は、せっかくとった部屋で綾乃が眠ってしまうまでただ夜景を見つめて、何もしないで帰ってきたと言う。
「・・・・拒絶されたのか?」
 直人はまさかという思いで言うと、はやり雅人は苦笑を浮かべてそれを否定した。
「そうじゃありませんよ。―――まだいいかなと思っているだけです。まだ、綾乃は高校生なんですし」
「高校生で経験してる子供なんてどんだけいると思う?」
「そんな事は人と競うことでもないでしょう。・・・・焦る事はない。それに、男女間ならまだしも男同士です。もう少し慎重になってもいいと思うのですが」
 微笑を浮かべて話す雅人はとても穏やかに見えてその言葉をそのまま受け取ってしまいそうになる。確かに雅人はいつも綾乃の事には慎重で、直人もそれはよく知っていた。
 けれど、それだけでは説明できないような、何か居心地の悪い思いを直人は心に感じた。
 これだけ大切にしていて。
 愛していて。
 そして何よりも愛情を欲している綾乃が目の前にして、拒まれてもいないのに何もなかった。
 セックスが全てだなんて直人だって思わない。愛なんてなくたって出きる行為だ。それも認める。けれど、愛があればセックスをしてもっと想いを感じあえることだってある。
 今でも不安に揺れることのある綾乃を、そのことだけで今よりももっと安心させてやる事だってできるのに。
 何故そうしなかったのか。
 そう思った瞬間に、考えるよりも先に直人は言葉を発していた。
「―――それは本当に綾乃のことを思って言ってるんだよな?」
「どう言う意味です?」
 思わず眉をしかめて直人を見ると、直人は真っ直ぐに射抜くように雅人を見つめていた。
「・・・・・慎重しすぎるからさ。ちょっと気になったんだよ」
 その顔からはいつものからかうような薄い笑いは消えうせて、めったに除くことのない冷たい表情が浮かんでいた。
 重い沈黙に挑むような瞳をお互いにぶつけ合う。
「身体を繋げて、本当の意味で覚悟をつける決心がついていないんじゃないかと思ってな」
「なにをバカな事を――――」
 ありえないと軽く首を振って浮かべた雅人の笑顔。それが、次の言葉で凍りついた。
「綾乃の為とか言いながら、南条家と綾乃とどちらを取るのかを本当に迫られたとき、綾乃を選ぶ自信がないんじゃないのか?」
「直人!?私は―――っ!」
 思わず雅人が大きく椅子を鳴らす。
 そんな事はとうに考えている、と、続いていく言葉。
 全てを捨てる決心などとうについているという確固たる思い。
 何に変えても綾乃を守っていくのだという誓い。

 ―――なのに、思いのほか静かに見つめる直人の瞳とぶつかって、何故なのか雅人の言葉は止まってしまった。


 ―――――雅人は知っている。


 昨夜。



 綾乃の言葉に、



 どこかで一歩を踏み出せなかった自分を。



 何故か躊躇した自分を、雅人だけは知っている。



 だから。



 その心の内を見透かすような直人の視線に、思わず目をそらしたのは、雅人の方だった。




 遠くで夏の名残のセミが、耳障りな音をたてていた。











      kirinohana    novels    top   






アトガキ・・・・・夏のちょっとした出来事を書きたいなと思って始めたので、短めです。
       ほのぼの夏のエピソードのはずなのに、こんな終わり方でスイマセン。
       今回ayukiも初めて雅人のことを知りました。
       慎重すぎてなかなか進まない雅人にイライラしていたら・・・・ちょっと腹立たしいです。綾乃を傷つける気なのでしょうか・・・・心配。
       でも、よく考えたら生まれたときから人生が決まっていて、その為に努力してきた人が
       簡単には全てをかける覚悟は決まらないものなのかもしれません。
       雅人が約束された未来を全て捨ててでも綾乃を選び取ってくれるのか、とっても心配。