夜明けを待ちながら
今、咲斗は病院のベッドで横たわって、すやすやと安らかな寝息を立てている響の姿を暗がりの中眺めていた。 嬉しさを抑え切れなくて、愛しさと切なさが募ってその身体を病院のベッドに押し倒して、本当に全てを確かめたくてそのシャツを脱がせて、綺麗な肌を瞳に写した。それだけでは当然飽き足らず、舌と指で確かめるように、身体に滑らせて這わした。 明日検査があるからと印を残すことを響が嫌がったので、咲斗は最大限に理性をかき集めてなんとか我慢した。 わき腹や、腰、腕や足にはやはり打ち身の青痣がしっかり残っていて、それを目にした咲斗の顔が苦痛に歪んだ。 ・・・咲斗さん、ただの打ち身だから。 咲斗の顔があまりにも悲しそうで苦しそうで、気遣って掛けられた掠れた響の声にも、咲斗はぎこちなく笑みを返すのが精一杯だった。 膝を立たせて足の付け根にも舌を這わして、ふるふると勃ち上がった響にも舌を這わした。響の身体がビクっと反応して咲斗の口の中で重量を増して、漏れる声を抑えるような荒い息遣いに、咲斗の舌もいっそう響を追い立てて。 ――――病院のベッドで最後までするなんてこんな機会じゃないと出来ないのに。 響は咲斗の口の中で果てて、そのままぐったりと身体の力が抜けて、気絶するように寝入ってしまったのだ。 ったく・・・と、声にならない笑いが咲斗の口元から漏れる。 吐き出せなかった咲斗の欲求はくすぶったままだけれど、意識がない響を抱く気にはなれないし、そんな楽しくもない事をしたくもない。 それに、今の響にそこまでを強いるつもりもなかった。ただ、その身体を感じたいと思ったのは本当だけれど。 それはまた帰ってからのお楽しみにしていればいい。 響は――――どこへも逃げないのだから。 逃げたりしないから。 響はずっと傍にいてくれるから。 裏切ったりしないで、好きだと言って笑っていてくれた・・・。 本当はそれだけで、十分なんだ。 十分過ぎる物をもらった。 ずっとあまり眠れていないみたいだった響。自分は一体どれくらいつらい日々を送らせてしまったのだろうか。 「・・・ごめんね?」 返事のない暗闇に咲斗と言葉は吸い込まれて消えた。 咲斗はこの数日の日々を思って唇を噛んだ。 うまくやれなくて、ちゃんと出来なくて。 不用意に傷つけてしまった。 苦しめてしまった・・・・・・ 何よりも大好きで、守りたい存在なのに。 いつもそんな想いだけが空回ってしまう。 不甲斐なくてかっこ悪くて、ごめんね。 咲斗は手を伸ばしてそっと眠る響の頬に触れて見ると、暖かくて柔らかくて、すーすーとした寝息が聞こえた。 「・・・うっ、・・・ふっ」 唐突に押し寄せて来た狂おしいほどの想いに涙が込み上げてきて、咲斗は思わず口を手で覆って声を殺した。 ――――生きてる。 何故今になってなのか、その事が咲斗を直撃した。さっき触れてわかっているはずなのに、その精を飲んだのに。 そんな事よりも、安らかな寝息と温もりが、何よりそれを実感させた。 夢じゃないんだ。 生きて、傍にいてくれているという事。 傍にいることを望んでくれた響。 信じられないような、現実。 心の底から望んでいた、平穏で穏やかな何気ない、普通の生活。 愛しい人との、時間を重ねていける未来。 ずっとずっと望んで渇望して。 手のひらからさらさらと流れ落ちていた。 気持ちだけが空回ってどうしようもなくて。 響を攫って部屋に閉じ込めて、無理矢理抱いて征服した。そんな風にしか始められなかった自分。 何度も、"出て行く"と言われる夢を見て、そんな日がいつか来るのではないかという思いに囚われた。 「ううっ・・・、っ・・・」 好きだと最初に言われたときは、言葉では言い尽くせないくらいに嬉しくてどうしようもなくて。 優しい日々を重ねて、やっとの決心で話をしようと思った。 やっぱり響には全部を受け入れて欲しくて。 過去も、格好悪い自分も、卑怯な姿も丸ごと。受け止めて欲しくて。 そんな思いは重いのかもしれない。勝手なのかもしれないと何度も考えたけれど、止めることも出来なかった。 そう決心して。 それなのに、響は自分や由岐人の事をどんな瞳で見るようになるのだろうかと怯えて、最悪のパターンばかりを想像しては泣きそうになった。 それが現実になるような気がして怖かった。 ずっとずっと怖かった。 響は優しいと言ってくれたけれど。ただ怖がりで卑怯なだけだと思う。どうしようもなく自分が嫌になって、本当に最低だと思う時がある。 どうしようもないと思えて立ち尽くすしかない時が。 それなのに、そんな自分を響は丸ごと受け入れてくれた。 好きだと言って、笑ってくれた。 ――――愛してる。 そんな言葉では足りないくらいの、想いがあるから。 咲斗は顔を上げて響を見つめると、その瞳からはまた新しい涙が流れ落ちた。 その時。 「・・・・っ」 咲斗の携帯が震えて着信を告げる。響を起こさないように慌てて取り出すと。 ――――あ・・・ 着信画面に写し出される、由岐人の名前。 咲斗は慌ててその身体を窓際に寄せて、電話に出た。 『もしもし?』 「・・・剛?」 咲斗の耳に響いてきたのは由岐人の声ではなくて、剛の声。 『おう。俺』 「由岐人は?」 『泣き疲れてさっき寝たとこ。今も由岐人の部屋にいるんだけ、とりあえず目ー醒ますまでこっちにいるわ』 ――――そんなに、剛の前では泣いたんだ? 「そう・・・、由岐人・・・大丈夫?」 『おうっ。大丈夫』 何が大丈夫で、どう大丈夫なのか、そんな疑問は二人とも口にはしなかった。その声だけで、互いに心配していたのがわかるし、まだ大丈夫って言えるほどでもないのがわかるから。 4つのピースは、咲斗と響は繋がって、響と剛も繋がっているのに、まだ由岐人のピースは完全にはハマっていない。どこかぎこちなく、横にポツンと置いてある状態な今。 それは、嫌というほど分かっているから。 「剛は?・・・大丈夫か?」 『俺?俺は全然問題ねーよ』 それも、嘘。問題がないわけじゃない。頭はまだパニックだし全然冷静じゃないし、なんか脳みそはぐるぐるしていてまとまってもいない。まだわけわかんない状態で、今はただ本能が身体を動かしている感じだった。 正直、今日は疲れたーっ!!って叫びだして、ベッドに倒れこんで寝てしまいくらいなんだけれど、それも出来るような状態ではない今。 『・・・タイプじゃないってさ』 剛の、少し疲れの混じった笑い声が咲斗の耳に届くが、咲斗にはその意味がわからなかった。 「なに?」 『由岐人のやつ、俺のことタイプじゃないって言ったんだぜ』 「っ、・・・そう」 ――――由岐人・・・お前はどうして・・・ 幸せになりたがない由岐人。幸せってものから、自分からどんどん遠ざかって。それでいいと笑ってしまう由岐人。 ――――そんな風にさせてしまった原因の一端は、俺にもあるよな。 『あーんなに全身で好きーって言いながらさ。説得力ねーっての。ったくよー・・・ばかだな』 「・・・うん」 ああそうか、剛はちゃんと分かってるんだね。由岐人の事。それぐらいちゃんと、由岐人を見てくれていたんだ。 ちゃんと、好きでいてくれたんだ・・・・・・ 『俺と幸せになるから』 「・・・は?」 ――――なに? 『由岐人は、俺と幸せになるから。俺が幸せにするから。だからっ・・・―――大丈夫だぜ?』 ――――おいおい、いきなり大風呂敷広げちゃってるぞこいつ。 「・・・本気?」 『当たり前だろ。本人にも言ったし』 ――――由岐人に?そう言った!? 「由岐人、なんて?」 『タイプじゃないから嫌だって』 剛の声が、くすくすと笑っている。それだけとると、なんだか冗談の様なのに、電話の向こうでどれだけ剛が本気なのに、咲斗にはひしひしと伝わってきた。 「・・・でも、剛はそうするつもりなんだ?」 『おう』 「幸せに・・・」 『ああ。ラブラブになるぜ』 ――――はは・・・、由岐人・・・―――おめでとう。――――良かったね・・・っ 咲斗の瞳にみるみると新しい涙が溜まってきた。 「・・・じゃぁ、絶対に由岐人を裏切らないでくれ。もし、―――――もし裏切ったりしたら許さないから」 きっとこんな事、俺が言えた義理じゃないんだけどね。だって俺も、由岐人を裏切って見捨てたんだから。 それでも由岐斗、俺はお前が幸せになる事を心の底から願ってるんだ。勝手だって、怒るかもしれないけどね。 『ぜってー大丈夫』 「そう」 由岐人が一番辛い時に、逃げてしまって一人にぼっちにして。俺は由岐人に背を向けたんだ。一人泣いていた由岐人を、苦しんで閉じこもった由岐人を、重い―――そう思って見放した。たった二人っきりの家族だったのに。 あの時由岐人はどう思っていたのだろう。 「由岐人は、素直じゃないけど・・・、でも本当は優しい子だから」 死にかけた俺に泣きじゃくって、ごめんねって笑った。謝るのは俺の方だったのに。 『知ってる』 そして、傷ついた俺を癒してくれた。 「傷つきやすくて、自分よりも相手のことを思って我慢してしまうから」 本当は俺よりも、ずっとずっとアイツの仕打ちに苦しんでいたのに。 『うん』 自分を責めていたのに。 「あんな態度しか取れないけど、本当は人一倍、寂しがり屋だから」 俺よりもずっと強く、母の愛を、家族というものを望んでいたんだ。 『ああ』 俺には出来なかった。 してやれなかった事。 俺にはどうしても癒してやれない傷があるから。 由岐人の心に踏み込んであげて。 抱きしめてあげて。 愛していると、言ってあげて。 『由岐人は俺が受け持つから、お前は響を幸せにしてやってくれ』 「わかってるよっ」 だから、もう幸せになって良いのだと、教えてあげて。 『響は?』 「寝てる。ぐっすりだよ」 響に視線を移すと、さっきと変わらない姿勢でよく眠っている。 『そっか。朝まで付き添い?』 「うん。とりあえず起きるまでいて、検査が始まったら一回着替えを取りに帰るよ」 『了解。俺も落ち着いたら一回覗くし』 「うん」 『じゃーな』 「ああ、じゃぁ」 プツリと電話が切れて、咲斗は携帯を畳んだ。 また訪れる静寂。 咲斗はそのままずるずると窓際にしゃがみ込んだ。 ホッとして、力が抜けてしまった。 良かった。そう思って壁に頭をもたれさせた。 なんの涙だろうか。零れ落ちる涙が止まらない。 ああ・・・きっともう大丈夫。 由岐人は剛が好きで、きっと剛は由岐人を裏切ったりしないと思うから。 そう、思えるから。 まだまだ時間はかかるだろうけれど、きっと由岐人は幸せになって、いつの日にか、ちゃんと笑ってくれると思える。 その時は、過去のことも笑って話せるだろうか? 今はまだ、由岐人のピースは完全にはハマってないけれど、いつかちゃんとハマって。 4つでちゃんと絵になった時。 そんな日が来るのは、そう遠くない未来だよね? end ※以前設置していたアンケートの御礼SSです。 |