最愛の日に・・・4


 綾乃は夢を見ていた。
 白いふわふわした夢。綿菓子のような白色の綿(ワタ)の様なふわふわに包まれて寝転んで、甘い香りの漂う優しい世界にいた。見上げれば、白い綿の様な綿菓子の様なものは空中にもふわふわと浮かんでいる。綾乃はそれを掴んでみたくなって立ち上がって、手を伸ばした。けれどそのふわふわは、するりと綾乃の手を逃れてしまって、中々うまく捕まえることが出来ない。
 ジャンプしようにも地面がふわふわで柔らかくて、飛び上がることもうまく出来ない。それでも綾乃はそれを捕まえようと精一杯腕を伸ばした。
 ――――あ・・・・
 触れたっ、そう思った瞬間に天から一筋の光が降り注いだ。その筋はみるみるうちに幾筋にも増えて、辺りを光で満たしていく。綾乃上にもその光は降り注ぎ、綾乃の身体が光に包まれていく。
 ――――もう少し・・・っ
 そう思って必死で手を伸ばしたのだが、視界が目を開けていられないほどに明るさに染まって―――・・・・・・・・・
「・・・・・あ・・・」
 目が醒めた世界も、光の世界だった。窓からは惜しみない光が室内を照らして、そして柔らかな腕にしっかりと包まれていた。
「おはようございます」
 降ってきた声に目線をめぐらしてみると、雅人の優しい笑顔とぶつかった。
「・・・おはよーございます・・・」
 綾乃はまだそれが夢の続きのようで、ふわふわした気分に支配されていた。頭がうまくめぐらない。そんな綾乃の目じりに、雅人はキスを落とした。
「誕生日、おめでとうございます」
 とろける様な優しい瞳が綾乃を見つめていた。
「16年前の今日、生まれてきてくれてありがとうございます」
「え・・・・っ」
「綾乃が生まれてきてくれて、そして出会えて。―――本当に嬉しいです」
 真摯に告げられる言葉が綾乃の耳に届いて、ゆっくり頭にその言葉が染み渡っていく。心にも届いた想いに、どうすることも出来ない涙が溢れてきた。だって、今までそんな事言われた事もないから。親にだって、・・・他の誰にだってそんな事言われたことなった。誰も言ってくれなかった。
「こうやって、こんな素晴らしい日を一緒に迎えられるなんて、言葉では言い表せません」
 雅人はそう言うと、言葉では到底足りない想いを伝えたくて、ぎゅっと綾乃の身体を強く抱きしめた。優しく抱きしめたいと思うのに、想いが強すぎて、ついつい力強く抱きしめてしまうのを止められない。
 そして、そっと耳や頬、首筋にキスを落としていく。本当に嬉しくて幸せで、どうしようもない想いを伝えるために。
 愛していると、切ないほどに強い想いを教えるために。
 そんな雅人に包まれた綾乃は、泣いているのか身体が少し震えていた。小さくしゃくりあげる声とともに、肩が苦しそうに上下するから、雅人はなだめるように優しく背中をさすって、じっと抱きしめ続けた。
「今日は夕方くらいに帰れば良いですから、映画でも見て帰りましょうか?」
 綾乃の動きが少し落ち着いて、もう大丈夫かと雅人が綾乃の顔を覗き込むと、綾乃の瞳はまだ涙で濡れていた。
「その前に、お昼ですかね?もう11時になりますし」
 綾乃は何か言わなければと思うのに、胸がいっぱいで何をどう言っていいのか頭がちっとも動かなかった。そんな綾乃に、雅人はクスリと笑みを漏らす。
「何がいいでしょうね?―――何が食べたいですか?」
「・・・っ、なんでも、いいっ」
 綾乃はそれだけ言うと、再び雅人にぎゅっと抱きついた。言葉が出てこなくて、嬉しさと感謝と泣きそうな気持ちと、湧き上がってくる大好きって想いをどう伝えていいのかわからないから。叫びだしたいくらいに嬉しくて幸せで。そんな想いにはどんな言葉も追いつかないから。
 ただ抱きつく事しか知らない。
「じゃぁ・・・、とりあえず起きましょうか?」
 雅人は綾乃の髪に指を差し入れて優しく梳いてやりながら言う。あんまり抱きつかれると、理性がどこかへ行きそうになるから。
 まさか昨日の今日で再びベッドに縫いとめるわけにもいかないし、そんな休日を綾乃にさせたくなかった。
 だから―――そろそろ起きて、一緒にお風呂に入ってもいい。ああ、でもそれではやはり理性が持たないかもしれませんねぇ。
 昼食は、ルームサービスにしてゆっくり部屋で取るのも良いですね。
 映画は、何を見ましょうか?綾乃は何が見たいですか?綾乃の好きな映画をみましょう。ジュースを買って中に入りましょう。そうですね、ポップコーンも買いましょうか?パンフレットも買えばいいですね。帰りはパンフレットを広げながら、感想を言い合うのも楽しいですし。
 ねぇ綾乃。
 これからいろんな言葉をつむいで、いろんな話をしましょう。どんな事でもいい、どんな些細なことでもいいから。
 ねぇ、綾乃。
 ずっと、一緒にいてくださいね。
 ずっと、ずっと、そばにいてください。




・・・・・




 その夕方、ゆっくりし過ぎた綾乃と雅人は6時ぎりぎりになってタクシーを玄関に着けることになった。映画の後にお茶をしていたのがまずかった。あれで帰りに少し渋滞にハマってしまったのだ。
 綾乃は慌てて門をくぐって玄関を開けた。
「おかえりーっ!!」
 音を聞きつけたのか、中から雪人が廊下を走ってやってきた。
「ごめんねぇ遅くなって。ただいまぁ」
 綾乃はバタバタと靴を脱いで玄関を上がる。その後を松岡もゆっくりとした歩調でやってきて、笑顔で綾乃を出迎えた。
「綾乃様、雅人様、おかえりなさいませ」
 小声で、廊下は走ってはいけませんと雪人に注意する事も忘れない。
「ただいま帰りました」
「松岡さん、ただいま。遅くなってすいません」
 綾乃の慌てている様子とは対照的に、雅人は余裕の笑みを浮かべている。雅人としては、もっと二人っきりでいたかったというところなのだろうか。
 遅くなったのを悪びれている様子はないのが問題だ。
「おせーよ」
 奥からのんびりとした声とともに直人が顔を覗かせた。直人も今日のこの日ばかりは仕事の調整を付けて待っていたらしい。
「すみません」
 雅人が苦笑を浮かべて直人を見ると、直人も器用に片眉を吊り上げた。
「とりあえず着替えてきたらどうだ?」
 直人の言葉に、綾乃と雅人は2階へと上がって自室へと戻り、とりあえず荷物を置いてラフな部屋着に着替えた。
 そして二人は少し慌てた足取りで階下に戻って来て見ると、リビングには誰もいない。
「あれ?」
 綾乃は首を傾げながらダイニングへ向かい扉を開けると。
「綾ちゃん、お誕生日おめでとう!!」
 雪人の声とともに綾乃の目に飛び込んできたのは、真っ暗なダイニングの中でゆらゆらと揺れる蝋燭の炎。
「綾乃、おめでとう!」
「綾乃様、おめでとうございます」
 口々に聞こえるその言葉に、一歩ダイニングへと綾乃が足を踏み入れる。暗闇に目を凝らすと、そこには雪人と直人と松岡の顔。穏やかな瞳と、にやりと笑う顔。そして、目一杯の笑顔に迎えられて綾乃の胸がぎゅっと締め付けられた。
 思わず立ち尽くしてしまった背中には、雅人のぬくもりを感じる。
「さ、綾乃。蝋燭の火を吹き消して」
 雅人の手が綾乃の両肩に置かれて、すっと前へと押し出される。綾乃の足はそれにつられて、一歩、また一歩と前へ踏み出した。
 蝋燭の明かりの元に見えるのは、生クリームのケーキ。蝋燭で囲まれた中央には、"あやちゃん、おたんじょう日おめでとう!!"の、少しゆがんだ文字が見える。
「綾ちゃん吹き消してっ」
「・・・うんっ」
 綾乃は目頭が熱くなって、それでなくてもゆがんでしまっている文字がさらにぼやけて見えた。今にもこぼれそうな涙をぐっとこらえて、綾乃は大きく息を吸い込んで、ふーっと目一杯噴出した。
 フッと炎が消えて、一瞬の闇と静寂。
 パンッ、パンッ、パンパーン!!
 明かりがついた瞬間には大きな破裂音がなった。そして目の前を色とりどりの紙テープが飛び交う。
 鳴らされたクラッカーに驚いて目をつぶって、こわごわ開いた瞳に移ったのは、テーブルに所狭しと並べられた料理の数々。ケーキはやっぱり生クリームで、周りにはたっくさんのフルーツで彩られていた。料理も綾乃の好きなから揚げや、ちらし寿司もちゃんと用意されてある。
「すごいでしょう!?僕もお手伝いしたんだよ!!」
 驚いている綾乃に、雪人は嬉しそうに声をあげる。予定通りに大成功で、綾乃がびっくりしている様子がとってもうれしいのだ。
「うん、凄いね・・・っ」
 そう言うと、とうとう綾乃の瞳から涙がぽろぽろ零れ落ちた。しゃがみ込んでしまいそうなその身体を、雅人はぎゅっと抱き寄せた。
「あっ、綾ちゃん、どうしたの!?」
 びっくり誕生日パーテー計画は成功したはずなのに、急に綾乃が泣き出して、雪人はおろおろと綾乃に駆け寄った。雪人には泣いている理由がわからなくて、心配そうに見上げるその瞳に、綾乃は泣き笑いした顔を向けて首を横に振る。
「ごめん、うれしすぎて・・・っ」
 その先はやっぱり言葉にはならなかった。涙で声が詰まってしまうから、綾乃は膝を折って雪人に目線を合わせると、ぎゅーっと雪人を抱きしめた。
「ありがとうっ」
 綾乃はそうつぶやくと、まだ瞳は濡れていたけれど、精一杯笑顔を作って笑った。
 幸せをくれてありがとう。
 もらうばかりで何も返せていないけど、でもいつかちゃんとした大人になって、お返しをするから今は許して。
 ただもう幸せで、ただもう嬉しくて。
 僕に初めてをたくさんくれてありがとう。
 僕を好きでいてくれてありがとう。
 僕を受け入れてくれてありがとう。
 そんな感謝の言葉は、あげたらきりがないくらい浮かんでくる。
 本当はまだまだこれからなんだけど、きっと身分不相応なんだけど、でも、ここで僕は家族になりたい。
 家族になりたいよ。
 家族に、なりたい。
 ・・・ここに、いたい。

「さっ、早く食おうぜっ。朝からずーっと準備してて俺は腹減ったっつーの」
 少ししんみりした空気を、直人の軽い言葉が吹き飛ばす。
「直人様よりも雪人様のほうが、たくさんお手伝いしてくださいましたよ?」
「おいっ」
「そーなのっ。僕ね、いっぱいいっぱいお手伝いしたんだ!」
「そうなんだ?へー、どれをお手伝いしたの?」
 涙を拭って綾乃が顔上げると、雪人は嬉しそうにテーブルの料理を指差した。
「えーっとね、まずから揚げをこねて、ケーキもお手伝いして、それからトマトも切って、それからねっ・・えーっと」
「うん、それから?」
 直人に松岡が冷たくつっこんで。直人が拗ねているのも無視して雪人がはしゃいで、綾乃が笑って。
 そんな"家族"を、雅人の暖かい瞳が見守っていた。
 雪人に手を引かれて綾乃が席について、直人や雅人もめいめい自分の椅子に座る。
 直人はさっそくシャンパンを抜く準備をして、綾乃と雪人にはシャンメリー。
 きっとこんな日々が。
 何気ない日常が。
 日常の中の優しさが。
 きっと"家族"になるための、ゆるやかな助走。
 手を取り合って、ジャンプするための。
 明日へ向かって、歩き出す勇気への――――




end





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