新年早々9
俺が、冬柴響という人間と出会ったのは高2の時だった。なんのことはない、同じクラスになったのだ。 響は、クラスには贔屓目に見ても馴染んでいなかった。無口だっただけじゃない、誰も寄せ付けない空気があったのだ。 全てを遠ざけて、シャットアウトしていた。 俺は対照的で、自分で言うのもなんだけ社交的だったし友人も多かった。1年の時からダチだったやつの友人が、2年の時同じクラスになって、そいつからも響は変わってる、と聞いていた。他校と生徒と派手な喧嘩をしたとか、年上のちょっとヤバい女と付き合ってるらしいとか色々噂もあった。それはのちにガセだったとわかったが。 当時はそんな色んな噂の所為もあって、みな遠巻きで、かくゆう俺も近づこうとはしなかった。近づかなきゃいけない理由も無かったし、友人にも不自由していなかった。 でも、頭の片隅で、意識のどこかで響という存在を気にしていたのは事実かもしれない。 そんな響と、話す機会は唐突にやってきた。 それは1学期、体育大会を来週に控えた5月の美術の時間。課題は、写生。生徒は銘々校内に散らばって、思い思いの場所で絵を描くのだが、その課題が出されたとき俺の頭にはある場所が瞬時に浮かんだ。 そこを描きたかった。 おれは、面倒くさがる友人たちに引き止められて、教室を出るのが少し遅れてしまった。どこで描くか、という相談で何故かその場所に友人達を連れて行きたくなかったのだ。 俺は適当に誤魔化して教室の前で友人と別れ、校舎裏に向った。焼却炉の近く。何故か1輪だけたんぽぽが咲いていたのを見つけていたのだ。 俺はそれを描こうと思った。 誰もいないだろうと思っていたのに、そこには意外な先客がいた。 「冬柴・・・」 そこにいたのは響。足音や気配でわかっているはずなのに、響は俺に一瞥もくれなかった。でもその態度が頑なすぎて、逆に俺を意識してるのがわかった。 「・・・なんだ。俺しかいないと思ったのに」 「悪かったな」 響はそう言うと、道具を片付けだした。 「え、おい―――――ちょっと待てよっ」 相変わらず顔は合わさないけれど、立ち上がったまま響が困ったように固まった。 ―――――なんだこいつ? 「別に移動することないだろ。俺もこれ描くし、冬柴も描いたらいいんだし」 俺がそう言って傍に腰掛けた。 心のどこかで、チャンスだと思っていた。何故かはわからなかったけれど、響としゃべる機会を得たことが嬉しかったのだ。 「早く座れって」 響は隋分迷っているみたいだった。でも、授業時間は限られてるし、今からまた場所を選びなおすのも面倒だとわかったのだろう、響は俺から少し距離を取って座りなおした。 目の前のタンポポはまだ黄色い花をつけていて、どう見ても時期ハズレだ。焼却炉の傍で、暖かさを間違って成長したのだろうか。 風に揺れザザっと木々が揺れる音に混じって、響の鉛筆の音がした。 その音に、あまり美術が得意でない俺は眠気を誘われないでも無かったが、それでもちゃんと鉛筆を走らせかなり大雑把な下書きをかき上げた。 ―――――さて、後は色付けっと。 そう思って立ち上がったと同時に、響も立ち上がった。手には互いに水バケツ。 「おお、びっくりした。冬柴も下書き終わったのか?」 「・・・ああ」 "ああ"の声はかなり小さかった。なるほど、これはとっつきにくいなと俺は思ったけれど、元来性格がおおらかというか気にしないというか。ある意味無鉄砲なところがあるというか、大雑把というか。 まぁ、この時は響に対して興味がだいぶんあったからだろうけれど、俺はめげずにしゃべりかけた。 「水、汲んで来てやるよ。何も2人で行く事無いし」 俺は別に何気なく言ったと思う。響とちょっと話てみるキッカケが欲しかったんだし。だから、普通に手を差し出したけれど、響はピキっと固まってたな。 「・・・な、に?」 「なにってバケツ」 「あ、うんっていうか、あ・・・」 なんかごちゃごちゃ言ってたけど、俺はさっさと響の手からバケツを取って、水道口へと向った。その時響は、"頭が真っ白だった・・・"と後になって聞いた。 あんな風に親しげに話かけてくるヤツ、いなかったから、久々にしゃべったから・・・と。 もちろん、その時俺は響のその心理は知らなかったけど、それでも態度と表情だけで、とりあえず他校と喧嘩とか、スカしたヤツとか、クールで燃えないヤツとか年上の女って噂は眉唾だなって分かった。 だって、普通に戸惑ってるだけだったんだから。 「ほい、お待たせ。って、別に立って待ってる事ないけど」 「あ、あ、そうだな。―――――水、っありがとう」 つーか、もうちょっと声張れ! 「どういたしまして。って、冬柴何気に絵上手い?」 「・・・」 「?」 「別に、普通だろ」 っていうか、今の間はなんだ!? この時俺はどんどん響に興味を持ち出していた。だってなんだか、面白っ!!って思ったのだ。噂と違いすぎて違いすぎて。 ところが、相手はこっちに興味は持っていない。さて、どう話を続けようかと思ったときだった。 「おーやってるか?」 美術教師の佐伯がやってきた。 佐伯は、30半ばの美術教師らしい柔和の感じのある先生だった。褒めて伸ばす、そんな典型だ。 「なんだ珍しいコンビがこんなところで描いてたのか」 「別に、コンビじゃありません」 ムスっとした顔で響が座る。そんな目一杯否定して言われたらいくら俺でも傷つくだろう。そんな気持ちが顔に出たのか、何故かわからないが佐伯がポンポンと俺の肩を叩いて笑う。 「ああいう言い方しか出来なくてな――――――――お、タンポポじゃないか。こんな季節に」 俺は響の顔をチラっと見てから、座りなおした。 なんつーか、取り付く島が無いというか。 「角川はどんな感じだ?ああ、今から色付けか。・・・随分大雑把な下絵だな」 「ダメっすか」 「いいや。お前らしい。冬柴は――――ああ、綺麗に描けてるな」 響は軽く頷いた。声を発したかもしれないが、俺のところまでは聞こえて来なかった。 俺はなんとなく面白くない気持ちを抱えたまま、筆をバケツで乱暴にかき回した。 「じゃあな、後半もがんばれよ」 佐伯は校内をぐるぐる回っているのだろう、早々に立ち去って行って俺はまた響と2人取り残される。 俺は響を意識しながらも、絵に集中することにした。話したいという気持ちはあったけれど、どう話していいのかもわからなくて、その後俺達に会話は成立しなかった。 チャイムが鳴る5分前、途中まで描いた絵を持って教室に戻るときも、俺と響の間には5メートルの間があって、その次の美術の時。絵の続きを描くはずなのに、響はたんぽぽの場所には来なかった。 俺は響と話すキッカケを完全に逸してしまっていた。 その後、体育祭をサボった響は決定的にクラスから浮き立った。何故かクラスの女子に人気が高かったのも、男の反発を余計に招いたのかもしれない。 俺は、みんなのイメージと少しだけ触れた響とのギャップを回りに話すことも出来ず、数日が過ぎていた。 あれは、6月の期末テストが終わった日だった。 テストも終わって、試験休みの突入する開放感に気持ちが踊っていて。俺は美紀さんを交えて家族で外でご飯を食べた帰りだった。 大通りまで来て、タクシーを拾おうか、なんて話をしているときだった。 「――――冬柴?」 人の波に紛れて、響が向こうから歩いてくるのが見えた。その衣服が破れ、頬に殴られた後が見えて、俺は思わず響の腕を掴んだ。 「!!―――――・・・・・・あ・・・」 響は俺に気づいていなかった様で、一瞬脅えた様な顔をした後、俺を認めて顔の強張りを緩めた。 「お前、どうしたんだよ?」 瞳の色が不安と暗さに揺れているのが見て取れた。 「関係ない」 「って、怪我してるじゃないか」 「だから――――っ」 「あら、剛のお友達?」 母さんののんびりした声が聞こえた。母さんは、どっちかというとお嬢様育ちののんびりした人で、でも強い人だと俺は思う。 この時も、響を見てもまったくうろたえなかった。 「あらあらあら、怪我してるじゃない。大丈夫?」 響は覗き込んできる母さんにびっくりしたようで、俺に言うはずだった言葉を飲み込んでしまったらしい。 「お家は近く?ついでだから乗っていく?」 5人ではどうせ1台のタクシーには乗れないから、一人増えたところでどうということはない。 「冬柴?」 「っていうか、この子手ぶらなんじゃない?財布とか持ってる?」 今度は美紀さんが興味を持ったのか響の身体を見回してきた。 「もしかしてお前、かつあげされたのか!?」 「されるかっ」 「でも、殴られてるよね?」 「あらあら、これ殴られた痕?」 「早く手当てしないと痕に残るよ」 「まぁ。じゃあ急がなきゃ」 「タクシー止めたぜ!」 兄貴はこの中、マイペースに車を止めたらしい。親父はすでに乗り込んでいるから。 「はいはい、じゃあ行きましょうね」 「あ、ちょっと」 響は展開に驚いている様だったが、どう言っていいのかわからない様子でした。俺の見立てでは、響は相当の口下手で、人付き合いが下手みたいだからどう対処していいのかさえわからなかったようだ。 無理矢理押し込められた車の中で、俺は響に"家どこ?"って聞いた。 この時、俺は響の家のがだいたいどこら辺なのか知っていた。ダチのダチに響と同じ中学のヤツがいたからだ。 そいつから、新しい話も仕入れていた。 響の両親が再婚なのこと、家がどうも複雑な事。その所為かどうか、中学の時も体育祭などには出ず修学旅行などの旅行類は全部欠席したこと。 だから、家の場所は言わないだろうな、と思っていたら案の定。 「適当なところで下ろしてくれ」 ―――――なるほどそう来るか。 「適当なところなんてダメよ。まだ高校生なんだから。もう帰らなきゃ」 響は何も言わない。 家には帰りたくないのだろうか。もしかしたら、家でなにかあったのかもしれないと俺は思った。 「じゃあさ、ウチ来るか?家には電話しとけばいいし」 響は素でびっくりした顔で俺を見た。考えもしていなかった言葉だったのだろうか。絶句って感じ。 「じゃあ運転手さん、このまま前の車に付いて行ってください」 美紀さんが素早く反応してくれた。母さんはそれでいいのか少し判断に困っているようだったけれど、俺も美紀さんもこのまま行くつもりになっていた。 響は、何も言わない。 |