・・・12・・・

 午後、体育祭は大きな問題もなく無事に終えて。
 綾乃のリレーの出来も、まぁ及第点というところだろうか。綾乃のクラスは1年生の中では健闘していて、学年では2位。全体でも18クラス中7位に入る大健闘だった。




「お疲れ様でした」
「―――お疲れさまでした」
 時間は、もうすぐ夜中の12時を指そうとしている深夜。
 本当なら凄く疲れていて、もう眠りに落ちていてもおかしくない時間なのに、綾乃はまだ寝れそうにはなかった。
 今から10分ほど前に雅人がようやく帰宅して、綾乃は雅人の自室へと招かれていた。
 隣に座るように促されて、ソファに腰掛けるものの、雅人との間には微妙な空きが出来ていて。それが綾乃の緊張した度合いなのかと、雅人はなんだか微笑ましく思える。
 ―――緊張して、何言っていいのか、わかんない。
 綾乃はといえば、ドキドキと高鳴る胸を押さえることもできなくて、すでに頭の中はパンクしてしまいそうだった。
「どうしました?」
 顔を赤くしている綾乃に、雅人は意地悪気に問う。
「いえっ・・・・・あ、そう、そうだ!杉崎君と話ました」
 何か言わなきゃと、焦って出た言葉はそんな事。
「杉崎君と?2人でですか?」
 しかし、途端に雅人の顔が、わずかに険しいものに変わって。綾乃は安心させるように笑顔を作る。
「ううん、翔と薫も一緒だった時に」
「そうですか。―――それで?」
「うん、杉崎君は、お姉さんが大好きだったから、それでそのためになんとかしたいって思ってたみたい」
「お姉さんのために?」
「うん。雅人さんが結婚断っちゃって、杉崎君は納得出来なかったんだって。大好きなお姉さんを、その・・・振ったなんて信じられないって。だから、僕と仲良くなって、お姉さんと雅人さんが会う機会をなんとか作りたかったみたい」
「なるほど」
 ―――子供のあさはかな考えに、どうやら振り回された・・・かな。
 結局裏も表もなかったのだ。綾乃の言葉を聞いて雅人は苦く笑ってしまった。もしかしたら、杉崎頭取も噛んでる話なのかと警戒しすぎてしまったのがよくなかったらしい。裏で色々調べたことは、今回の事に関して言えば、全て無駄だったわけだ。
 けれど、どっちにしてもなんだかうまく間に入っていけなくて、綾乃を苦しめてしまったことは事実で、雅人はやっぱり深い後悔の念を抱いてしまう。
 けれど、心のどこかで、これで良かったのかもしれないとも思っていた。
 ―――綾乃が、少し強くなれた。
 かすかに変わった雰囲気をなんとなく感じていた雅人は、少しホッとする。それでも、自分の落ち度に変わりはないとは思うだが。
「良かったです。色々ありましたけど、ちゃんと、誤解も解けて。綾乃とこうしていられて」
 目を細めて笑う雅人は、綾乃をどこまでも優しく包み込むようで。こういう時綾乃は、どうしていいのかわからず、いつも困ってしまう。
「本当に、何の役にも立てなくて。そればかりか、綾乃を苦しめてしまって。すいませんでした」
「っ、もう。それはいいの。だって―――謝られるような事、何もないもん」
「綾乃・・・・ですが」
 綾乃は、雅人の言葉をさえぎるように首を横に振る。
「杉崎君のこと、ちゃんと話しておいて欲しかったっていうのは思う。思うけど、でも、雅人さんが言えなかったのも、半分は僕の所為だって思うから」
 ―――弱くて、ダメな自分の所為。たぶん、言われたら、真っ直ぐには受け止められなかったかもしれないから。
「綾乃・・・・」
「でも、これからは言って欲しいって思うけど。でも、そしたらへこたれたり落ち込んだりするかもしれないけど・・・・・」
「はい」
「でも、雅人さんには僕は、いっぱいいっぱい感謝してるし。―――学校だって、行くつもりなかったし、行けるはずもないって思ってたけど。雅人さんのおかげで、桐乃華に行けて。友達も出来たし。色んなこと教えてもらったから。僕には手にすることも許されないだって諦めていたたくさんの事、雅人さんにもらったから。それは、どれだけ感謝しても、言葉が足りないから、もうこんな事で謝らないで欲しい」
「・・・・・・・・感謝、ですか?」
「うん」
 真っ直ぐに雅人を見詰めて、綾乃は大きく頷いた。自分がどれだけ感謝しているのか、その気持ちをちゃんと伝えたくて。たくさんもらった物が、どれだけうれしいか伝えたくて、もう謝ってなんて欲しくなくて。
 『感謝』という言葉に、雅人が僅かに曇らせた顔には気付かなかった。
「感謝なんて、いいんですよ?」
 穏やかな、雅人の声。綾乃にはわからないくらいの、響きの変化。
「ううん。本当に、ありがとうございます」
 綾乃は目一杯の笑顔を向けて言う、どうしても言いたかったお礼の言葉。照れ隠しも混じってはいたそれ。 けれど、その言葉は、雅人の心に小さな棘を刺した。
 だから、伸ばしたい手が雅人には伸ばせない。僅かな隙間を置いて、綾乃はそこに座っているのに。
 切なくて、狂おしい想いが、心の中を渦巻きすぎていて、どうしていいのかわからなくて。重役連中を前に窮地に陥っても、こんなにも困らずに適当な言葉を並べて誤魔化す自信が、雅人にはあるのに、今は何を言えばいいのかすらもわからなくなってしまっている。
 その沈黙に耐えかねたのか、綾乃は少し何かを耐えているように目をきつめながら、雅人を見上げて。
「あっ・・・・・あのね―――雅人さんが結婚断ったのって・・・・・・・その、杉崎君のお姉さんに興味がなかったから?」
「はい?」
 綾乃の口から滑り出したその言葉は、雅人には意外な言葉で。
 けれど、自分に向けられる真っ直ぐなその瞳に、揺れる思いを感じて、雅人は納得して僅かに口元が緩んでしまう。
 ―――いいのだろうか?
 もう少し、踏み出しても。まだ、わからないけれど、でも今は言わずにはいれない。
「愛してます」
「え!?」
 突然の言いに、綾乃が吃驚して真っ赤になる。
「そう言いましたよね?私は綾乃を愛してるのに、どうして他の人との結婚話を考慮しなくてはいけないのですか?まったく、考える余地などない話ですよ」
「・・・・・・・」
 まっすぐに言い放つ雅人の言葉が、綾乃には凄くうれしい。ちょっと期待していた、待ち望んでいたままの言葉―――――けれど、ふと、綾乃は気付いてしまった。
 何故、考えなかったのだろう?浮かれてしまっていたのかもしれない。
「でも・・・・・・・・・」
 ―――僕は男で。
 何も持っていない。
 そんな思いが綾乃の顔に出たのか、雅人は微かの首を横に振って否定の言葉を口にする。
「いいんですよ。今は、知っていてくれるだけでいいんです」
「―――雅人さん」
「押し付けるつもりもありません。そう、言いましたよね?」
「はい」
 よく、わからないけれど、きっと男同士の恋なんて、世間では認められるはずも無いことは、綾乃でもわかっていて。
 そんな自分で、いいはずがないと思う。雅人の横に立つ者が。
 まったく考えもしなかった。けれど、今、フッと落ちてきたその思いを、今すぐ払拭することは、綾乃には少し出来そうもない。
「とりあえず、信じてもらうために、毎日言い続けるのは約束ですから、守りますけど」
「え・・・・?」
「愛してます」
「雅人さんっ」
 笑って言う雅人に、綾乃は耳まで顔を赤らめて、困った顔をする。
「だって、ほら、今12時を回ったんですよ?だから今日の1回目」
「1回目?」
「ええ。1日1回とは言いませんでしたからね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それ、何回言うつもりなんですか?」
「それは分かりませんよ。その時次第です」
 にっこり笑う笑顔が、とてつもなくうれしそうで。
 ―――信じている。
 綾乃は、雅人の思いをちゃんと今は信じている。その真剣さも、伝わるから、本当はその思いを綾乃はちゃんと伝えるつもりだったのに。

 言えなくなった。

 好きだけど、

 信じてるけど、

 信じていないふりをしてる方がいいんじゃないだろうか?

 それは、卑怯な逃げ道だけれど・・・

「雅人さんは、その、なんで僕を?」
 ―――何も持ってない、きっと役にもたたない自分を。

「さぁ、なんででしょうか・・・・」
 少し遠い目をして、雅人は腕を伸ばして綾乃を抱き寄せた。腕の中にすっぽりと包んで、抱き締める。
 さっきは雅人にとって、遠いと思えた距離が、綾乃のおかげで少し近づいて、その温もりを身体に感じられることが、何よりも雅人はうれしいと感じる。
「雅人さんっ」
 綾乃は恥ずかしがって身じろぎをして、逃げようとするけれど、しっかりと抱き締めてしまっているから、それは叶わない。
「最初はただ、守ってあげたいと思ったんです。あんまりにも寂しそうな瞳をしていて、見ているこっちが辛くなるくらいでしたからね。そうして、どうしたらいいのか、何をしてあげればいいのか考えて、ずっとずっと綾乃のことを考えているうちに、いつの間にか、綾乃のことばかり考えている自分がいました」
 響く声が、切なくて甘くて。
「綾乃が泣いてると、私も悲しくてつらい思いに縛られて。綾乃が笑ってると、それだけで私も幸せな気持になれている、そんな自分を発見した時には―――新鮮でした」
「・・・・・・・・新鮮?」
「ええ。そんな風に他人に心奪われることなどないと思っていましたからね。生まれて始めての体験でした。私は、よく人から冷たいとか、非常だとか言われて来ましたし。今までは、上に立つ者にはそれも褒め言葉だ、くらいにしか思えていませんでしたけど」
 近づいてくる人は、家絡み、利害絡み、玉の輿目当ての者から、お金やスキャンダル狙いなど、様々と色んなものがあったけれど、その中に純粋なものなど一つもなかった。
 雅人自身も、利用できるものはなんでも利用してきたし、利用していらなくなったら、何の迷いもなく捨ててきた。
 今から思えば、なんて汚いと思える。以前はそれが当然だったのに。
「雅人さんは、冷たくも、非情でもないよ」
「・・っ」
 綾乃が、意を決したように腕を背中に回して、雅人のシャツをしっかりと掴んで抱きついてくる。
「すっごく優しい。誰よりも、優しいよっ―――誰も僕に優しくなんてしてくれなかったのに、雅人さんは、ずっとずっと優しかった」
 雅人の胸に顔を伏せている所為で、綾乃の顔を雅人が見る事は叶わなかったけれど、髪の間から見える耳は真っ赤になっていて。
 そんな精一杯の言葉が、また雅人の心を震わせる。
 ―――綾乃は・・・・・・・・どうして私を好きになってくれたんですか?
 喉まででかかったそんな言葉を、雅人は必死の思いで飲み込んだ。
 今はまだ、逃げ道を作っていてあげたいから。きっと、綾乃には必要だから。
 好き、と言ってくれた言葉はどんな極上のチョコレートよりも甘く切なく溶けて、どんな高価なワインよりも雅人の心を酔わしてくれたけれど。出来ることならもう1度、その言葉を聞きたいとは思うけれど。
「綾乃・・・顔を上げてください」
 今は、何も強いたくは無い。
「・・・・・な、に?」
 密かに上げられた顔を強引に捉えて、その唇をふさぐ。
「んっ」
 本当はこんなことも卑怯だと思う。
 きっと綾乃は分かっていない。
 雛鳥が親鳥を好きなように、好きなのか。抱き合いたいと、狂おしいまで愛しあいたいと想う好きなのか、綾乃は区別がついていないから。
 きっと、好きと言った言葉も、どっちの好きかもわかっていないから。
 「はぁ・・・・・っ、んん・・・・・」
 綾乃の背中が微かに震えて、なんとか答えようとしてくるかわいらしい仕草に、雅人は内心嬉しくて愛しさがこみ上げて来て。
 息苦しさに眉根を寄せる綾乃に、雅人はさらに深い口付けをして、その中をしっかり味わってから離す。
「はぁ・・・・」
 唇が離れた途端、綾乃はくたりとその身体を雅人に預ける。微かに肩で息をする仕草がまた、なんとも雅人の庇護欲と―――加虐心を煽る。
 いっそ全てを奪って、さらけ出させて、自分の前にさらさして、泣かせて、快楽に溺れさせて、自分なしでは生きていけないようにしてしまいたいという衝動に駆られる。
 手離したくないから。
 その自由も何もかも全て奪い去って、縛り付けてしまいたくなる。
 何もわかっていないなら、その隙に付け込んで、刷り込んでしまいたい。

 そんなこと、本当は出来ないけれど。

 綾乃の笑顔がなにより愛しいから。

 ずっと、ずっと笑っていて欲しいと思うから。


 けれど、自分は本当に綾乃を手放せるのだろうかと、雅人は思う。

 いつか、自分の手がいらなくなって、雅人とは関係のない人生を綾乃が選んだときに、笑って送り出してやれることなんて、実際自分に出来るのだろうかと雅人は自嘲気味に笑う。

「雅人さん?」
 雅人が笑った気配に、綾乃は顔をあげて、何?と首をかしげる。
「なんでもありませんよ」
 綾乃に向ける雅人の笑顔に、狂気じみたモノも、自嘲めいたモノも一切影を潜めて、いつもどおりの優しい甘い笑顔を向けて。
 けれど理性では抑えきれない感情が、確実にそこにあって。雅人はそれを誤魔化すために、もう1度その唇に深いキスを落とした。










 その日から、3日日後のこと。
 いつも通りの定例会議の日。雅人は直人に連絡して、会議の始める1時間前に呼び出しておいた。
 ホテルの1室。
 カーテン越しに階下を見下ろしていた雅人の背後で静かに扉が開いて、直人が入ってきた。
「悪ぃ、待たせた?」
「いえ、大丈夫ですよ」
 こんな風にこっそりと呼び出すなんて、よほどのことかと直人は口調とは裏腹に緊張した心持でやってきたのだが、逆光でその雅人の顔色を窺うことは出来なかった。
「で、なに?」
 疲れたーと、直人は窓際の方のベッドに腰をかけて、足を伸ばす。
「いえ、たいした事ではないのですが・・・・杉崎君の件は解決しました」
「円満?」
「ええ。朝比奈君、樋口会長共に話も聞きいて、その話をもとに調査もしましたが、大筋間違いないようです。結局頭取も理恵さんも関係なく、私たちは彼個人の浅知恵に振り回されただけの様です」
 雅人は、苦笑を浮かべる。
「なるほど」
 直人も口の端をにやりと持ち上げた。もし上まで関わっているなら話はややこしい事だが、そうでないのなら大きな問題には発展しない。
「ただ、綾乃には全部ばれてしまいまして、結局傷つける事にはなりました。それは悔やみきれませんが・・・・それで、なんだか精神的に強くなってくれた様で、まぁ結果的には良かったのかもしれません」
「そうなんだ?」
「ええ」
 薫の話からもそれは間違いないようで、雅人はその事が1番安堵した。
 少しづつ自分の知らないところで成長していくのは、うれしいようで寂しい気分だと、薫から話を聞いたときに雅人は思ったのだが。
「で?話ってなに?まさか、そんな報告じゃないだろ?」
 そんな事なら、いちいち呼び出すはずもないことも直人はわかっているから、先を促す。
「ええ――――実は、綾乃に好きだと言われて、愛していると答えました」
「えっ!!まじ!?」
 あんまり淡々と雅人が言うので、一瞬言葉の意味がわからなくなるところだったと、直人は思った。いや、もしかして何か聞き間違えたのではないかとすら思えるくらいだが、雅人の笑顔はその直人の思いを否定していた。
「良かったじゃん!」
 あんなにも切なく本気で思っていたのだから、その思いが叶って良かったじゃないかと、直人は思わず腰を浮かせて喜んだが。
 雅人は、曖昧に笑顔を浮かべて、曖昧に頷く。
「何?なんか問題あんの?」
「問題・・・というわけでもありませんが。そう、すんなりともね」
「ふ・・・ん」
「男同士で、私に立場がある事に変わりはありませんから。もちろん、そんなもの、私は捨ててもいいかとも思ってるんですが。綾乃に色んな事を背負わせて、押し付ける気もありません。ただ・・・・なんだか、綾乃を手離せそうな気がしないんです」
 これが困ったことなんですと、眉を寄せて苦しそうに吐かれる言葉に、直人は首を傾げる。手離すの意味がわからなかったのだ。
「綾乃が、私とではない道を選んだとき、ちゃんとその手を離してあげられないかもしれません。たとえ無理矢理にでも、傷つけてでも、縛り付けてでも、側に置いておこうとしてしまいそうなんです。大切すぎて、愛しすぎて、冷静ではいられないかもしれません。だから―――もし、そんな時は、直人。あなたに私を止めて欲しいんです」
 淡々と、感情を押し殺して言う声からは、何の感情も読み取れない。
 直人からの場所では逆光で、表情も見えない。
「ああ、いいぜ」
 それでも、雅人の覚悟と思いはわかるから、直人は軽く笑って、言い放ってやった。
「もしそうなったら、俺が兄貴の事殴ってでも止めてやる」
 厄介だなぁ、なんて思いながら。
「ありがとう」


 ――――ま、厄介でない恋なんてのは、ないけどな。

 そして、そんな日は来なければいいと思うし、きっとこないに違いないと直人は自分に言い聞かせながら。











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アトガキ
とりあえず、「他人と僕とただ一人の貴方」はここで終了です。まだまだ乗り越えなきゃいけない壁はあるので、きっと2人はがんばると思います。
なんだか、登場人物が多すぎて、使いきれなかったところがダメでしたね・・・・もっと、学園物!ってしたかったんですけど。
初Hまで行きたかったのに・・・・いけなかったし。とても中途半端で、お叱りを受けそうですねT_T
いつもなんですが、最後の終わり方って凄く悩む・・・しかも、今回直人が締めてるし(苦笑)