「けーいっ」
 俺は学校から帰るなり圭に抱きついてしまった。
 落ち込んで落ち込んで、すっごいへこんだ気分になって、玄関で靴を脱ぎ散らかして駆け上がって、ダイニングにいた圭の背中を見つけて飛びついた。
「ナ、ナツ様っ」
 ちょっと慌てた声が聞こえてたけど、そんなん全然気にせーへん。ううんちゃうな、気にしてる余裕がなかったんやけど。
「あらあら、ナツはいつまでたっても甘えたさんねぇー」
「っ!!――――かあ・・さんっ」
 ビックリして慌てて振り返った。心臓が口から飛び出すかと思たわ。
 まさかまさか、ほかに誰かいるなんて想像もしてへんかった。振り返って見ると、なんと優雅に紅茶を飲んでいる母さんが座ってる!!
 俺の背中を嫌ぁ〜な汗がドォーッと流れ出す。
「い、い、いつからそこに?」
「さっきからずーっといましたよ」
 俺は固まってしまって、いまだ圭に抱きついたまま。
 やばい?これってマジやばい???
 その腕をそっと圭にはずされて、ロボットみたいにぎこちなく動く身体を無理やり椅子に座らされた。よりにもよって母さんの前でこんなことするなんて、きっと圭はめっちゃ怒ってるに違いないから、俺は怖くて圭の顔なんて見れない。
「ひ、ひさしぶりやな」
「そうやねぇ」
 母さんはにっこり笑った。――――怖い〜〜。
 いや、誤解を避けるために言うておくけど、べつに母さんはそんなスパルタでも勉強勉強いうようなタイプでもないんやけど、まして子供虐待なんてそんなんちゃうで。そんんじゃなくって、なんか怖いねん。昔から母さんには秘密事とか出来へんっていうか、すぐバレてしまうし、なんでもお見通しやねん。
 そういう怖さ。
 それに男の道っていうか、筋を通さない事とかにはめっちゃ怒る。喧嘩してもちゃんと理由があって納得できれば怒られヘンかったけど、そうじゃなくてん時はすっごい怖かった。
 昔小学生の時のことやけど、近所で"びわ"がなってて、すっげーうまそうで、俺は思わず盗ってしもた。そしたら、それが見つかってしもて、めちゃめちゃ慌ててしもた俺はポキって枝を折ってしもうてん。そん時はめっちゃ怒られた。
 でも、そん時の言葉がな、"びわを取るなら取るでもうちょっと上手にやりなさい。出来ないならしない。見つかったら逃げないで謝って怒られて来なさい。枝を折るなんて、木が可哀想でしょう!!"だった。
 子供心に、絶対論点がズレてるって思ったもんな。
「で、何しに来たん?」
「ナツ様っ」
「いえね、あなたの顔を見に」
「俺ぇ?」
「そうよ。でも安心したわ」
 母さんはそういうと、まじまじと俺の顔を見つめて、にっこりと笑った。
 うーん、どうもようわからへん。いきなり来るってことは、きっと何かあってたぶん間違いなく、俺は怒られるんやと思ってたんやけど。
「中間テストの結果見た?」
「ええ」
「それでも安心なん?」
 いや、別にそんな赤点とかちゃうけど、ほんまに中の中。兄ちゃんみたいな出来とは程遠いねん。
「勉強が中の中なのはずーっと同じでしょう。急に上がったらカンニングでもしたのかと心配にもなるけど」
 ――――・・・あのな。
「さて、ではもう行くわね」
「え、夕飯一緒に食べていかへんの?」
 飲み終えた紅茶カップを置いて、母さんが立ち上がってしまったので俺はびっくりした。てっきり今日はゆっくりしていくんだろうと思っていたのに。
 俺は母さんにはビビってるとこもあるけど、基本的にめっちゃ好きやねん。
「明日東京支社で朝一に会議なのよ。だから明日までに向こうへ帰っておきたいの。ごめんね?」
「そうなんや?ううん、別に全然ええけど」
 なんかちょっと母さんが切なそうな顔するから、俺は慌てて首を振った。そんなつもりやなかったのに、母さんに気ーつかわせてしもたみたいで。申し訳なかったからそう言うたのに。
 母さんはちょっとじとって半眼になって俺を見てきて。
「そうよね、ナツは圭さえいればいいんよね」
 そういうとさっさと廊下を歩いて行ってしまう。
「えっ――――いや、何言うてんねん」
 ちょっと前に父さんは会社を東京へ進出させて母さんもそれについていって、今はほとんどを東京で過ごしている。あっちが佐々木家本家みたいなんになっている。俺は関西が良くて、無理して残ってるんや。
 その東京進出が順調で、忙しい忙しいってこないだ言うてたから、こっちも気−使ってんのに。なんやねん、その態度!!
 それでも俺は圭に背中を押されて、ちゃんと玄関までは見送りに出た。外にはいつの間に呼んだのかタクシーが待機していた。
「わざわざありがとうございました」
 ――――え?
 圭が小さな声で母さんに告げる言葉が耳に入ってきた。わざわざって、どういう意味やろ?
「いいのよ。私も久々に二人の顔が見れて嬉しかったわ。――――じゃぁね、ナツ」
「おう」
 俺はちょっと照れて言うと、母さんはうれしそうな笑顔を浮かべて手を振って。タクシーに乗り込んで行ってしまった。
 ・・・・・ちょっと寂しい。
「寂しいですか?」
 過ぎ去ったタクシーの方へ少し視線を向けていると、圭がきいてきた。
「別にっ。俺には圭がおればそれでええもん――――なぁ、今日のおやつはなんなん?」
 ちょっと子供扱いされたみたいで、むむむ。
「高田屋の桃ゼリーですよ」
「まじで!?」
 高田屋の桃ゼリーは果実丸ごと入っててまじうまいねん。俺はスキップでもしそうないきおいで廊下を歩いていった。
 そんな態度が、子供っぽいんかなー・・・・?










 夕飯も終えてお腹いっぱいで、俺は部屋でごろごろしながら最近ハマってるRPGゲームをやっていた。
 明日あさって休みの花の金曜日の夜。俺はうれしくなってくる。本当ならツタヤによってDVDでも借りこようって思っててんけど、すっかり忘れて帰ってきてしもたから。
 だからゲーム。
 10時前になったころ、扉がノックされた。
「圭」
「ゲームですか?」
 圭は、最近俺がハマってるグリコのカフェ・オレをコップに注いで持ってきてくれたらしい。たぶん、それは俺の部屋へやってくる口実だろうけど。
「うん。――――さんきゅ」
「さて、話してもらいましょうか?」
「え?」
「帰ってきていきなり抱きついてきた理由です。今日も何かあったんでしょう?」
 圭の視線を受け止めて、俺はちょっと視線を泳がせてしまう。
 画鋲の一件から、俺の身体を傷つけるような嫌がらせはなくなったけれど、違う嫌がらせはまだ続いていた。
 まず、机の中に置きっぱなしにしていた辞書が裏庭の池に浮かんでいた。その次が体操服が切り刻まれて、その次が机の中が絵の具で汚されていたり…などなど。
 大きな害はないものの、俺の精神はちょっと参ってきていた。
 俺も俺で、自分の中で整理できへんくて、ついつい圭に愚痴ってしまう――――っていっても、愚痴らんでも口を割らされてしまうんやけどな。
「ナツさま?」
 勢いがそがれた俺がちょっと逡巡していると、圭はちょっと怖い顔で見つめてきた。うう・・・
「今日はな、上履きが下駄箱にアロンアルファでくっつけられてた」
「はぁ!?それで、ナツ様どうしたんです?まさか1日裸足ですか!?」
「いや、無理やり剥がしたから大丈夫」
「そうですか」
 圭はホッとしたような顔になる。11月になってようやく寒くなってきたとはいえ、冬間近。廊下はさすがに冷たくて、靴下1枚で過ごすのはちょっと無理。
「でもな、裏がやっぱぼろになってしもてんやん。新しいの、買ってもええ?」
「もちろんですっ。明日早速買って来ますね」
「うん、さんきゅ」
 俺はそういうと、ちょっと圭に手を伸ばす。すると、圭はぎゅーって俺のこと抱きしめてくれて、ついばむいような軽いキスを俺の顔中に降らせてきた。
「けーい」
 ちょっとやりすぎやって。
「心配なんですよ。――――本当に、なんとかしないといけませんね」
「え?」
 どういう意味?
「いえ、なんでもありませんよ」
 圭はなんでもないと笑顔で首を振ると、さらに俺の口にしっかりとキスをしてきた。
 あぁ〜〜俺カフェ・オレまだ一口しか飲んでないのに。風呂にもまだ入ってないんやけどなぁー
 そんな俺の抗議を知ってかしらずか、口に出る前にしっかりと圭に塞がれてしもて、そのままゆっくり押し倒されてしまった。
 そのまま圭の腕の中に包まれる。密かに抵抗もしてみると、圭が怒ったように俺のみみたぶに歯をたててきた。
 それで、俺は抵抗をやめてしまう。もとより抵抗なんてする気ないんやけど。
 今は、この腕の中が1番安心できる場所だから。
 今は、ちょっとここに閉じ込められていたいから。
 









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