秋の夜長 -冬木譲の日常-
学校から帰るのはいつも夕方の4時くらい。週に2,3度、僕は一回家に帰って服を着替えてから近所のスーパーへと向かう。夕方のタイムサービス狙いってやつだ。 今日の夕飯は何にしようかとか思いながら、買い物に行くのにももう慣れた。 父や母から離れた生活で、全てを一人でこなす事にもだいぶ慣れたし、掃除洗濯は週末にまとめてする。こっちに特に親しい友人がいるわけでもないので、一人の時間はたっぷりあるから。 行くのはアパートから徒歩10分ほどのところにある激安がうたい文句のスーパー。もうちょっと向こうに高級感漂うスーパーがある。きっと圭はあそこに行くんだろうな。 あ・・・、今日は餃子が安いんだ。1パック89円かぁ。2つ買って1個は冷凍しておこうかな。 餃子は焼くだけでいいから手軽で僕は結構利用する。他にも安かった牛乳とポカリも籠に入っていた。 細切れ肉も安いな。100グラム298円かぁ。でも鳥の方がもうちょっと安いなぁ。どうしようか。こないだは豚肉が安くて炒めて食べたんだった。うーん、そう考えれば久しぶりに牛が食べたいかも。400グラムちょっと入ってるから4等分して冷凍しておけばいいかなぁ。 僕はそう思って思い切って肉を籠に入れた。これで3日分くらいのおかずにはなるだろうか。 「お前野菜も食わねーと、栄養かたよるで」 「・・・え・・・」 って、誰!? いきなり人の籠を覗き込んで声をかけてきた男に、僕は思いっきり絶句して立ち尽くしてしまった。一体、なんだこの男。 「肉とか餃子とか。こないだも豚肉とか買ってたなぁ。魚は嫌いなんか?」 「え、あの・・・?」 僕にはまったく記憶のない全然知らない誰かのはずなのに、あまりに普通にしゃべりかけてくるから、まさか自分が忘れているだけで知り合いだっただろうかと不安になってくる。そうなると、あなたは誰ですかと聞くのが躊躇われる。 「あー俺はお前の隣家に住んでる東城和弘(トウジョウカズヒロ)、26歳。はじめまして」 ・・・はじめまして!?ってはじめましてかよ、こいつ。 「んーだよ、挨拶もなしかよ。つれないね〜」 「僕、あなたが隣に住んでいたのも知りませんでしたから」 東城和弘と名乗ったその男は、目の前にある焼肉用の肉を品定めしながら自分の籠に入れている。一体どれだけの量を買い込む気だ? 「まぁなぁ。俺の生活時間とちょっと違うからなぁ」 ん?今26歳って言ったよね。という事は圭と同い年か。にしてはなんか、イケてないなぁこの人。背は圭と同じくらい・・・180手前ってところだと思うんだけど、でもなんかスマートな感じがしない。男くさい感じ。たぶん、いや絶対に体育会系だな。肌の色も程よく焼けてるし。 「後は野菜だよな」 「・・・」 って何が?全然意味がわかんないんですけど。なんで僕がそんな同意を求められなきゃいけないわけ? 「おい、何突っ立てるんだよ。来いよ」 「ちょっ、あの、あなた一体なんなんですか?どうして僕があなたにそんな事言われないと・・・」 「焼肉」 「・・・は?」 「焼肉、食いたくねえ?」 焼肉・・・それは、食べたい。凄く食べたい。だって、僕だって一応育ち盛りの高校生で、肉は好きだ。焼肉なんてそういえば久しく食べてない。だって、誰かと一緒に食事をするって事が全然ないから。家で一人で焼肉なんてそんな空しいこと出来ないししたくもないじゃん。 だけど―――って、なんで僕はこの人の言いなりに後をついていっているんだろうか。 「会社の忘年会でさぁ、ホットプレート当たったんはええねんけどそんなん一人暮らしで使い道ないっちゅうねんって思っててや、ずーっとほったらかしになってたんよ」 だから? 「だから、家で焼肉食おうや。奢ったるで」 「・・・は?」 何言ってんの? 「ん?」 東城和弘は僕にはわからない論理でしゃべっているとしか思えない。だってね、この東城和弘って人ががホットプレートの使い道を困っているからってどうして僕が一緒に焼肉を食べるって事になるんだよ。 「だから、なんで僕とあなたが一緒に焼肉を食べることになるんですか?」 っていうか、ああ、ピーマン籠に入れちゃったよ。僕、ピーマン嫌いなのに。 「だーって、秋の夜長を一人で過ごすなんて寂しいやん」 「・・・彼女とか、いないんですか?」 「痛いとこつくなー自分」 「もてないんだ」 まー暑苦しそうな感じだもんね。圭とは全然違う。もてないんだろうね。 「ばーか。俺は一途なの。だから遊びとか出来ないだけ」 ・・・なんかそれ、凄いむかつく。いーじゃん遊んだって。遊びだっていいんだよ。一回くらい遊びでだっていいってこっちは思ってたりするんだから。 「好きーって思ったらめっちゃ大事にするし優しいで。浮気もなし」 いや、僕にそんなアピールされても困るし、関係ないし。 「・・・って黙んなよ、照れるやろ。っと、んーこんなもんでええかな。じゃぁ会計してくっか」 「ちょっと待ってよ。僕は一緒に食べるなんて言ってない」 「え?喰わねーの、焼肉。肉だぜ、肉」 う・・・そんな肉のパック見せ付けないでよ。 「じゅーって焼いてな、飯と一緒にかっこむ!絶対うまいで〜〜〜」 ・・・食べたい。こ、この人って隣に住んでるって言ったし、別に変なところに行くわけじゃないし、ただ焼肉食べるだけだしお会計も勝手にしてくれるみたいだし、買い物も一緒にしたんだから変なものないってわかってるし。大丈夫、かな・・・ 「一緒に夕飯食おうぜ」 一緒に、夕飯・・・ 「な?」 「・・・ピーマン、無しならいいよ・・・」 置くが東城和弘の申し出に頷いてしまったのは、別に肉に惹かれたわけじゃない。もちろん焼肉も食べたかったんだけど。 「なんだよピーマン嫌いなんか?」 「嫌い」 一緒に夕飯を食べる。そこに惹かれた。物凄く惹かれた。だって誰かと一緒に夕飯を食べたかったから。親から離れてここまで来てみたら、やっぱり大好きな人は人のもので。寂しさと悔しさにした嫌がらせには、はっきり怒られてきっぱりフラれて。寂しくないなんて、強がりでも言えない今の状況。 「子供やな」 寂しいんだもん。 「うるさい」 危険かもとか、疑う気持ちとか、なんだこいつって思う気持ちよりも、寂しさが増したから。 「仕方ねーな」 そう言うと、東城和也はふわっと笑った。 ・・・っ。久々になんか、人から向けられるこんな笑顔。この人が、圭だったらもっと良かったのにな。圭に、こんな風に笑いかけてもらいたかった。 僕がそう思ってちょっとしんみりしていると、東城和弘はさっさとレジに並んでお会計を済ませた。僕も慌ててとりあえず今買い物籠に入っている分だけ会計を済ませて。 僕は初めて見てしゃべった男と、一緒に家路についた。 アパートに着いて部屋に戻って買ったものを冷蔵庫に仕舞って、僕はラフなイージーパンツにスエットって格好に着替えて隣を訪れた。 「いらっしゃい」 本当に隣に住んでるんだなぁ。 「お邪魔します」 ちょっと緊張して足を踏み入れた部屋は、当然僕の部屋と同じ間取り。でも、なんか、凄い生活感。洗濯物が畳まれずに積まれていて、流しには普段食べているのかインスタント麺の袋やらカップ。パンの袋があって、ちょっと散乱気味。 ――――参考書? 机の上には何冊もの大学受験の参考書やノートがあった。他にも高校の教科書。 「東城さんって受験生?」 おいおい、いったい何浪?って思いで尋ねると、東城和弘は飽きれたような顔になった。 「あのな・・・。そうじゃなくて俺は教えるほう。塾講師なの」 「・・・嘘」 「なんだよその嘘って」 失礼なやつだなと、面白そうに呟いて笑ってる。 「見えない・・・っていうか何その手つき」 その笑顔よりも、僕は思わず野菜を切る東城和弘の手つきにビックリしてしまった。だってそれ、危なっかしすぎるって!! 「何って・・・うおっ」 「危ないっ」 ちょっとそのジャガイモを剥く手つきはやばすぎるよ。しかもジャガイモ勿体無いし。皮剥き終わる頃には2周りは小さくなっちゃうんじゃないの? 「それ僕がやるから、東城さんはそこらへんちょっと片付けてよ」 「・・・出来んのか?」 「ばかにしないでください。東城さんよりずっとうまいから」 それこそ年季が違う。母が出て行ってからは何も出来ない父に代わって僕が家事をしてきたんだ。料理だって洗濯だって、掃除だって。そうだよ。それなのに、自分はいつの間にか女作って再婚しますって。なんなんだよ。 僕はその時のことを思い出してしまって、イライラしながらジャガイモの皮を剥いてスライスして、キャベツをざくざく切っていった。 だってそうだろう。僕はずっと頑張ってきたし、父だって僕に頼ってたくせに、女を連れて来たと思ったら、もうお前はそんな事しなくていいから勉強に専念してくれってなんだよそれ。必死で両立してきて頑張ってた僕の立場が全然ないじゃん! 「おい。怒るなよ」 「えっ!?」 思いっ切り自分の考えに浸りきってて一瞬ここがどこだか忘れていた。かけられた声に驚いて、思わず手を滑らすところだった。 「誘っといて材料切れないっつーのは悪いと思うけど、そんな怖い顔して茄子切るなよ」 「あ・・・、すいません。そんなつもりじゃなくて。その、ほかの事ちょっと考えてて」 「そうなん?」 「はい。東城さんの所為とかじゃないです。ごめんなさい」 っていうか、東城さん顔近すぎなんですけど。そんな覗き込まないでよ。何、なんで一瞬眉が寄ったの? 「ならいいけど」 東城和弘は僕の言葉に納得してくれたのか、僕の頭をぽんぽんってしてから食器棚から皿を取り出した。 え、今の、何? 「皿はこれ。材料は・・・でかい皿あったかなぁ」 「あ、ザルとかでいいですよ。野菜だし」 なんでいきなり頭とか撫でられなきゃいけないの? 「そうか?じゃぁこれ使って。こっちは用意完了だから」 そういわれて奥に目をやると、畳の上に置かれたちゃぶ台は綺麗に片付けられて、上にはホットプレートとお皿が用意されていた。座布団も2枚・・・2枚あったんだ。 「悪ぃんやけど、箸がないから割り箸な」 「はい。えっと、野菜はこれくらいでいいですか?」 僕はそう言って材料を盛ったザルを東城和弘に見せた。キャベツ、じゃがいも、茄子にウィンナー、えのきが盛られている。 「おお十分じゃねーの。じゃぁ食おうぜ!!腹減った〜〜」 東城和弘が僕からザルを受け取ってなんか物凄く嬉しそうに笑った。あ、なんかこの満面の笑みってちょっと大型犬っぽくてかわいいかも。 その大型犬東城和弘がいそいそと座って、僕を手招きながら鉄板に油を引いて野菜を並べだした。僕も向かいに座って、なんだか目の前の懐かしい光景を見つめていた。こんなの、母さんがいたとき以来だ。父と二人になってからは、ホットプレートを出して焼肉を食べるなんてなかったから。 東城和弘は包丁は使えないけど、並べたり焼いたりは手馴れていた。ほどなくして、肉が焼ける良いにおいが漂いだした。 「焼けたぜ。遠慮なく食えよ」 「あ・・・」 東城和弘はそう言うと、勝手に僕のお皿に焼けた肉をほうり投げた。僕は、自分でするとか抗議の声を上げようかと思ったけど、それより先にお腹がきゅーっと鳴ったので、この際遠慮せずに食べることにした。焼肉のたれをつけて肉を口に放り込むと、なんともおいしい味が口いっぱいに広がる。 僕がその一口に幸せを噛み締めていると、東城和弘は焼けた肉やら野菜やらを勝手にまた皿に放り込んでくる。僕はもう全然抗議する気はもなくなって、ひたすらに食べた。 食べて食べて、その合間になんだかくだらない話もたくさんした。 東城和弘は奈良出身らしく大学から大阪に出てきているらしい。しかも出身大学を聞いたら結構レベル高くてビックリした。なんで塾講師になったかと言うと、自分が高校のとき通っていた塾の先生が凄く良い人で、この仕事に憧れたらしい。案外単純。ここ1年彼女はいない。一人暮らしが長い割りに料理が出来ないのは天性の不器用さなんだろうな。それとも今までは女が切れたことがないのだろうか? 趣味はサッカー観戦と車らしい。やっぱ小野だろう〜と言っていたので、小野が好きなんだろうな。 僕は出来ればあまり自分の事を話したくなかったから、色々聞かれる隙を与えないようにと話しかけていると、なんだか東城和弘のことを色々知ってしまった。なんだかなぁ・・・興味ないんだけどな。 けどここは、居心地は悪くなかった。 焼肉をおなか一杯食べて、一緒に後片付けをした後も僕は何故かこの部屋でごろごろしていたから。 いや、違うかな。居心地うんぬんなんて関係ないのかもしれない。僕はただ、東城和弘がスーパーで言ったとおり、秋の夜長を一人寂しく過ごしたくなかっただけ。 それだけ。 そして、初めてこっちで気安くしゃべることの出来る相手が出来たことが、純粋に嬉しかった。 嬉しかったんだ。 だってずっと、寂しかったから。 |