「こんなとこでサボってんの?」
その声のほうを見上げると、堤防に倉橋が両手を腰に当てて立っていた。
逆光になったその姿を、谷口は、修学旅行で見た東大寺の仁王像みたいだと思った。
「…サボってません」
「なんでもいいから、早く戻ってこいよ。あいつら、『キャプテンは』、『谷口はどこいったんだ』ってうるさいから」
倉橋がそう急かしても、谷口はただほほえむだけだった。
まだ腰を上げない谷口を見て、倉橋は堤防の坂をすべりおりた。そして腕をつかんで立ち上がらせようとした。
「サボってないって」
「なら、なにしてんのさ」
「考えごと」
倉橋は、呆れた顔をして言った。
「へーえ。キャプテンともなるといろいろ考えることも多くて、大変なんすねえ」
「そうだよ、大変なんだよ。お前みたいなのをしつけなきゃなんないんだから」
倉橋の嫌味を、谷口はしれっと返した。
「悪かったね。できの悪い部員で」
「あ、自覚してるんだ」
谷口は倉橋の顔を見て、笑った。
倉橋は黙って頭をかき、谷口の左隣に腰をおろした。

「それじゃあ今まで、俺をどう矯正させようかって考えてたんだ?」
「別に…。違うことだよ」
「なんだ」
倉橋は谷口とは逆の方向に顔を向けて、ふっと吐き捨てるように言った。
「じゃあ、なにを考えてた?」
「サッカー部だったころのこと」
倉橋は、谷口からそのころのことを聞くのは初めてだった。
「確か、予選のレギュラーに抜擢されてたんだったよな」
「よく知ってるな」
「そりゃあ、あの3年の今野さんだっけ、あの人のしごきなんか、学校中の注目だったし」
「へえ、そうだったの」
「お前は自覚しなさすぎだね」
倉橋は、谷口の頭をポンとたたいた。
「お前は、自分しか見えてないときがあるよな」
「……」
そうなのだろうか。谷口は、自分では、つい人に気をつかってしまう性分だと思っていたのだが。
しかし、それは的を射ている気もする。
どんなに周りから応援されようとも期待されようとも、結局は自分の気持ちにうそを突き通すことはできなかった。なによりも自分の気持ちを選んでしまったのだから。

自分の言葉にまた軽く返してくるものと思っていた倉橋は、黙り込む谷口に少しあわてた。
「まあ、それが悪いとは思わないよ、俺は」
先輩や後輩をはじめ、まわりの人間がどんなに谷口を愛しているのか、きっと谷口自身はわかっていない。倉橋がなぜ野球部に戻ったのか、その本当の理由も。
応援されている、期待されている、そんな自覚はあっても、今は自分のことで精一杯なのだろう。
むしろ、谷口のそんなところが倉橋は好きだった。
ただ、少しは気づいて振り向いてほしくもあったが。



「しかし、ほんとに早く戻れよ。まるで親鳥がいなくなったヒナみたいに、ピーピーうるさいんだから、みんな」
「俺がいないときは、お前がまとめてくれなきゃ」
「うちの野球部は、お前がキャプテンでなきゃなりたたないんだよ。それくらいは自覚してもらわないと」
手術が失敗して、たとえボールが投げられなくなったとしても、キャプテンは谷口しかいない。
そうナインは言い切った。
そのことを谷口に言葉として伝えることはなかった。もし投げられない指になっていたなら、谷口はきっと、キャプテンを降りると自ら申し出ていたに違いない。
しかし、そのときはやはり、ナインはあの言葉どおり、谷口をキャプテンに据えていたのだろう。

「お前もそう思う?」
「え?」
「お前も、俺がキャプテンじゃなきゃって思うのかって。お前の目から見て、キャプテンとしての俺は、どうなんだろう」
「どうって…なんで」
いまさら何を言うんだ、と倉橋は思った。
「お前もキャプテンだったんだろ。教えてほしいんだ。俺は、いいキャプテンなんだろうか。うちのチームにとって」
「お前、キャプテンやるのが嫌なのか?」
「そうじゃない」
谷口は苦笑した。
「今日みたいな会議とか、そりゃ好きじゃないけど」


さっきよりも、川面をわたる風は強くなっている。日暮れが近いらしい。野球をしていた子供たちも、いつのまにか家に帰ってしまっていた。
谷口は、足もとの草をぷちっとむしって、風に飛ばした。
「たとえばさ、チームがより強くなるためなら、キャプテンを変わったっていいと思うんだ。2年生でもいいし…お前でもいい」
谷口の話を聞いていて、倉橋はなんだか腹が立ってきた。なんでこんなにわかってないんだ、と。
倉橋は谷口の前に向き直ると、両肩をつかんでゆさぶった。
「じゃあ教えてやるよ。俺に言わせればお前のキャプテンぶりは甘すぎると思うね。俺だったら、もっと違うやり方でチームを作る」
谷口は、倉橋から視線をはずしもせずにじっとその言葉を聞いていた。
「だけどな、この野球部はお前と、お前のやり方を選んだんだ。お前じゃなきゃだめなんだよ。お前が降りたりしたら、野球部は鳥のヒナの騒ぎどころじゃない。バラバラになっちまう」
谷口は、少しうつむいた。
倉橋ははっとして、両手に込めていた力をゆるめた。
「少しは自覚しろ」
「……」
「だから、お前はお前のやり方でやっていくんだ。俺はそれをフォローする」
谷口は黙ったままだ。自分だけが熱くなっているようで、倉橋は少し気まずくなった。
「なんとか言ったらどうなんだよ。ちゃんと答えてやったんだから」
「…わかったよ」
「それだけか?」
谷口は、うつむいていた顔を上げ、パッと笑顔を見せた。
「ありがとう」
「べ、別に礼を言ってほしかったわけじゃない」
倉橋は、あわてて両手を谷口の肩からはずした。



「倉橋、お前は俺の後輩に似てる。イガラシっていう…」
「イガラシ?」
「うん。俺のふたつ下で、今も墨谷二中でピッチャーやってるんだ」
「そういや、墨二と対戦したとき、ちっこいのがいたなあ。セカンドだったけど。あれか」
「たぶん、次のキャプテンになると思う。けっこう厳しいチーム作りしていくと思うんだけど、お前もそんな感じだな」
「でも、あのとき俺はお前に負けたんだぜ」
あっ、という表情をして谷口は口をつぐんだ。しかし、すぐにどこかを見すえた強い視線を取りもどした。
「イガラシは、俺のときも、その次の年も達成できなかった、正真正銘の日本一を実現してくれるんじゃないかと思ってる。俺とはまったく違うやり方でね」
「だから、お前は自分のやり方が間違いだと思ってるのか?」
「わからない。でも俺は、今みたいな…そうだな、ヒナが親鳥を待ってるようなチームじゃ全然だめだと思うんだ。強くなるためには自分が今、何をすべきなのか、それぞれが考えられるチームにしなきゃいけないと思う」
「そのとおりだな」
倉橋はふかくうなずいた。
倉橋に同意されて、谷口は自分がとうとうと語ってしまったことが、少し照れくさかった。
しかも、思うだけで具体的な方法は見つけられていないのだから。
「それをどう育てていくのか、模索してるとこなんだけどね。…俺が言うのもおこがましいけど」
「照れんなよ。それがお前に求められてることなんだろ。今までくじ引きで選んでたキャプテンなのに、ナイン自らがお前を選んだってことは」
「求められてる?」
「ああ。チームを育てるってことをだよ。お前にはそれができると判断されたってことだ。俺にはそれには根気が足りないね。なんたって、一度は野球部に愛想をつかした人間だから」
谷口は、視線を川面に向けたままでいた。
「求められたなら、結果をださなきゃな。チームのためにも、自分のためにも」
それは谷口の決意のこもった言葉だった。
倉橋は、たいしたキャプテンだ、と思った。




今日のキャプテン会議では、もちろん周りは2年生ばかりだった。当然、すぐに3年生になる。
谷口は、他のキャプテンたちとも少し話しをした。みんな頭の中には、部活動のほかに、受験や就職、そんな将来のことも平行して存在しているようだった。
ひとつしか違わないのに、2年生はやけに大人に見えた。
それに比べれば、谷口にはまだ時間がある。大好きな野球にかけられる時間がある。自分はラッキーだと思った。

キャプテンは、ただ野球をやっていればそれでいいというものではなく、めんどうと思う会議への出席はもちろん、顧問と部の連絡、備品管理、経理といった雑用をもこなさなければならない。
そういう仕事は正直、得意ではない。マネージャーがいるなら任せていた仕事だ。
しかしそんなめんどうをひっくるめても、野球ができる幸せにはかえられないと谷口は思っている。
再起不能を告げられ、サッカーに転向し、また野球に帰ってきた。そんな紆余曲折は、自分にとって決してまわり道ではなかったのだ。本当に大切にしたいものを見つけさせてくれた貴重な経験なんだ、と谷口は思った。

指も完治した。野球部は少ないながらもチームとしての体をなした。倉橋という補佐役も得られた。そして、今、自分には求められている役目がある。
(チームのため、自分のために結果を出すんだ)
今日倉橋と話したことで、これから始まる新しいチームづくりに、谷口は不安もあるがそれ以上にワクワクしてきていた。





「さあ、もういいかげん戻ろうぜ」
倉橋は立ち上がり、ユニフォームについた草を手で払った。うながされるように、谷口も腰をあげ、おもいきり伸びをした。
「ああ、いいロードワークだった」
谷口のその言葉に、倉橋は返す。
「キャプテン、そのわりには汗もかいてないんだけど?って突っ込まれるぜ。中山さんあたりに」
「そのへんはうまく合わせといてよ、名参謀」
谷口はいたずらっぽい笑顔で、倉橋の大きな背中をたたいた。
「頼りにしてるんだから、これからも」
「へえ、光栄だね」
倉橋は、谷口の顔をまじまじと見た。
谷口は黙って笑った。その笑顔から、倉橋は目をそらした。
「せめてランニングで帰ろうぜ。ほんとにサボってたと思われる」
「うん」
うながす倉橋の言葉のあと、ふたりは走り出した。


谷口の頭の中は野球のことでいっぱいだった。他のものがなにも入り込めないくらいに。
しかし、走っている今だけは、頭を空っぽにしていられた。
日暮れの近い堤防の道。風が冷たくなっている。
ひとりで走るのもふたりで走るのも、やっぱり気持ちいい、と谷口は思った。

ロードワーク  2
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