『狼と兎-1-』



こんな間抜けなやつが、よく今まで生き残ってこれたものだ。

と、狼は呆れがすぎてむしろ感心しつつ、目の前にころがる生き物を見下ろした。
ものの見事に気絶している。
こちらがまじまじと目線を、無防備にさらされた腹に注いでも気付くそぶりもない、
小さな茶色いふわふわした毛のかたまり。
まだ親離れしたばかりだろう、耳のかたちや手足にまるみを残した子兎だ。
何故こんな、肉食動物にとっては美味しすぎる状況が目の前に展開しているかというと、だ。
思い出すだけでも馬鹿馬鹿しくなってきて、狼は顔をしかめた。


そもそも、さっきまでは相当空腹が限界に来ていたのだ、自分は。
そう言う時に限って、普段狩りの標的とする大型の獣はおろか、
小動物…それこそ兎のような…すら見つけることができず、
相当に苛立っていた。

なんでもいい、なんでもいいから口に入れたい。

ぎらぎらと目を光らせつつ森を彷徨うこと数日、飢えと疲れの波状攻撃に屈服し、
ついに岩陰に伏せってしまった。
しかし諦めたわけではない、どうどうと流れる水の音を聴きながら内心唸る。
この岩場は滝と川のすぐ近く、待ち伏せをしていれば水を求めて何かしら生き物がやってくるはずである。
ついでとばかりに泡立つ急流にやけっぱち気味に顔をつっこんで、
空きっ腹をがぶ飲みした水でごまかしていると。
ようやく数日ぶりの好機が訪れた。

(…?)
だというのに、最初に覚えたのは違和感だ。
現れたのは鹿だった。大柄な体と立派な枝角から雄と知れるが、
かくかくと震える脚はひどくおぼつかない足取りで川辺へと近付いてくる。
…年寄りか。
思わず舌打ちをしたくなった。あまり好きではないのだ、こういう相手を狩るのは。
理由は単純、かさついていて旨くないから。
だが、自分の空腹具合から言って選り好みしていられる状態ではなかった。
むしろ幸運といえるくらいだ、腹に力の入らないこの状態で若くて元気な鹿が来ても逃げられるだけだろう。
この相手ならし損じることはあるまい、と自分に言い聞かせるようにしながらそろりと腰を上げた。

気配を殺しながら、ゆっくりと風下から近付いていく。
獲物はようやく水辺に到達し震える首を水面に伸ばしたところだ。
その警戒のかけらも感じさせない動きに、なんだかやる気が失せてきて接近する動きが徐々に雑になった。
どうやら目も耳も鈍くなっているらしい、皮膚がたるんでいるのが遠目にもわかる。
獣としてここまで生きれば十分という高齢のようだ。
(…そういえば)
付近には他の鹿の影がない。普通、草食動物が水を飲む場合、
その隙をつかれないよう見張り役が周囲を警戒するものなのだが。
周囲には鹿どころか、獣の影ひとつなかった。
おそらく、年老いてろくに動けなくなった彼は、群れから棄てられたのだろう。
(…くそ…!)
萎えそうな心にひとつ悪態をついて鞭を入れ、一声大きく吠えながら鹿へと飛びかかる。
獲物は驚きに悲鳴をあげるわけでもなく、猛然と脚を動かして逃走しようとするわけでもなく。
たいした抵抗もせず、ひどくあっさりと地面に倒れた。
猛然としなびた喉笛に食らい付くと、諦めたように白くにごった目を伏せる。
見なかったことにするように、思いきりかぶりつき頸動脈を食いちぎったにも関わらず、
じわりとしかにじみ出さない血が、口のなかに苦く残った。


…そんなことがつい先程あり、老いたりとはいえ大型の獲物で腹を満たすことができ、
久々に緊張の糸を緩めたのだ。で、さてねぐらに戻るか、と口元についた血を舌で舐め取りながら方向転換、歩き出そうとしたその瞬間。

「ひ…!」

押し殺した悲鳴とどすんという何かの落下する音。
「む?」
不審に思って振り返ると、この茶色い毛玉がすぐそばにひっくりかえっていたというわけだ。

何とはなしに目の前の腹を鼻先をつついてみた。ふにふにとやわらかく動く、…旨そうだ。小さいが。
しかし、こちらの腹はまがりなりにも満腹だ。
「うぬぬ…」
…ままならぬものだ、と唸る。
先ほどまであれほど追い詰められ、必死に獲物を追っていた自分がなんだか馬鹿のように思えてくる。
そして、どうしたものか、とも思う。
このままほうっておいてもいいのだが、岩場から落ちて思いきり頭をぶつけたらしいこの兎は簡単に目をさましそうになかった。
さきほどの老いた鹿とは違った意味で無防備だ。自分が立ち去ればたちまち他の獣に食われてしまうだろう。
それに、これほど労せずして獲物が手に入ることはめったにあるまい、という考えもある。
先ほどの飢えを鑑みるに、この幸運をそのまま放り捨てるのはなにか惜しい気もした。
しかし、今これを腹に収める気にはならない。
「…ううむ」
どうしろと言うのだ?


余人が見ればおそらく滑稽な光景であったろう。
吹けば飛ぶような小動物を前にえんえん首をひねっていた狼は、
しばらくしてひとつ息をつき。
気絶した兎の首根っこをくわえて、ぷらんとぶら下げた状態で歩きはじめた。


[続く]

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先日の動物萌えが再燃でございますー。
たぶん、大神の影響があるかと…ええと、だってですねー、
ゲーム内でうさぎに餌やったりくわえて運んだりそばで吠えてビクッとされたり逃げられたり…vvv
そんなことし放題なんですもの!ああもう可愛くてちょっかい出したくてもう!!(暴走)
と、そんなことを友達相手に叫んで「書く!」と宣言して書きはじめちゃったですよ。
うーんしかし実際書いたら狩りシーンに重点いきすぎ&ちょい残酷、ですか…?(あれー?)
意外とシリアスになりましたが。次回からだんだんいちゃつき出すかと思います(^^)




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