第二十七話〜返踵〜
現実と言うものはがむしゃらに残酷なのではない。がむしゃらに正しいのだ。
ソレを受け入れて生きていけるか否か。それが重要だ。
機能得限止の話をしよう。
機能得限止と言う男の話を。
Aクラス副担任教師であるこの男は、他者へ介入せず、介入させない性格の持ち主だった。
だが、決して口でそれを言う事はない。彼の男は決して口でソレを告げた事はない。
人間でありながら、男は言葉と言うものには拘らなかった。
何故、そんなものに縛られなければいけないのか。それが機能得限止の正体であるとも言えた。
彼は人間嫌い、と言うわけではない。
基本的に機能得限止に好き嫌いはない。
在るか無いかの違い。それが機能得限止の判断基準だ。
価値が在るのか無いのか。意味が在るのか無いのか。存在しているのか、いないのか。
その程度の考えでしかない。それが機能得限止の思考回路の全てを占めていた。
これでよくも教師と言う役柄が勤まると思う人間も多い。
実際、彼は教師としては限りなく有能であり、しかし、それ以外には無介入であった。
機能得限止がこの学園の教師になった時期を知る人間は何故か居ない。学園長でさえもだ。
誰一人、機能得限止と言う男が麻帆良学園中等部の生物学教師になったタイミングを知らないのだ。
年齢さえも知らない。だが聴けば多くの人間は答えるだろう。初めて機能得限止にあった時の事を。
多くの教員。
タカミチ・T・高畑。
源しずな。
瀬流彦教諭。
新田教諭。
学園の中等部に勤務している教員に聞けば、挨拶をされた事は覚えているという。
ただ、それが何時なのかを覚えていないのだ。
ただ、一つ言えるのが。機能得限止と言う男は、推定でも数年前からは、此処に居た。と言う事だ。
機能得限止は教師としてどうなのか。
多くの教員に聞いても、それに明確に答えられる人間は少ない。
広域指導員ですら、機能得限止と言う教師の動向を知る人間は少ない。
噂は多くある。
一説では十数年間サバンナで生活していただとか。
そんな噂は幾らでも立つ。だが噂であり、事実であるとは確認されないので直ぐに忘れられる。
従って別に謎が多い、と言うわけではない。
単純に機能得限止は他者と介入する機会が驚くほど少ないだけだ。
否。それは本人がそう仕組んでいるのかもしれない。
機能得限止自身が、他の誰とであっても介入しない、出来ないように仕組みで動いているのかもしれないが―――
それはないだろう。
さっき言ったとおり、機能得限止に好き嫌いはない。
在るか無いか。それにか機能得限止が持ちうる他者への感慨は無い。
それ以外にはまるで興味など無い。人間すら、人間としては見ていない。
それは誰であっても変わりが無かった。そう、仮令それが、如何なる学園・学校でも発生し得る、いじめ、と言う問題でも、機能得限止にはそれこそ蚊の屍骸ほどの興味も懐いてはいなかった。
相談を受けた事が無いわけではない。
少ないが、機能得限止に相談を尋ねた人間は居た。その相談を受けたとき、機能得限止は一通りその話を聞く。
黙って。何一つ、一言さえも口には吐かず、淡々と聞いていく。
そうして話が終わって、彼の第一声が何であるのかなど、最早言う事も無いだろう。
その言葉に生徒がどう思うかなど機能得限止は考えない。
だが、それは生物的な機能得限止としてだ。
人間的な機能得限止は必ずサポートを入れる。曲がりなりにも教師だと機能得限止は自らを言う。
だから生徒の、どうでもいい事に介入するのだ。
本来はいじめなど蚊ほども鼻にかけない。
そう、どちらにしても、機能得限止にとっては他人の苦悩など自分の苦悩ではないからどうでも良く、自分が全力で生きられるのか。
今日生きていられるのか。明日死ぬのでないのか。明日死なないためにも、今日を如何に生き延びるのか。
それにしか興味が無い。典型的な人でなしであり、純粋な生命体であった。
他人の気持ちが解らないのではない。
他人の気持ちなど、更に他人である機能得限止にとっては無意味な、意味の無い、どうでも良いものにすぎない。
誰であってもそうだ。
いじめがあったからどうだというのだ。自分で何とかすればいい。自分で全て考えて、自分でどうにかすればいい。
歯牙にもかけないならそれでいい。そうすればいい。
殴られたのなら殴り返せばいい。
結果、どちらがどうなろうが機能得限止には関係ない。誰がなんと言っても、それは無責任な他者の発言だ。
虐めてくる奴なんてみんな殺せば言いと言う人間が居る。
なるほど、消去法だろう。
だが実際自分ならそうするのか。
他者には如何様にも言える。だが、虐められていた奴が殺しをすれば、それは気が晴れるだけで、結局は人殺しだ。世間一般では、虐めより最低の悪と断定される。
理由などどうでも良い。殺したら悪なのだ。
人間が無抵抗人間を殺したら、殺した側の人間は多くの人間から疎まれる悪に成るのだ。
人殺しと言うレッテル。それが容赦なく張られる。
誰からも認められる殺しなど、この世には無い。殺せば人間的に法に裁かれ、人目を気にし、結局は誰かから疎まれる。そんなものだ。
結局どうにかできるのは自分だけだ。
他者の発言は常にいい加減だ。
ならば聴く必要など無い。いっそ聴かない方が良い。
自分で考え、自分でどうにかする。それが一番。
殺したければ殺せばいい。お前の未来が潰れるだけで。お前の関係者の未来も潰れるだけだ。
許すならば許せばいい。それはお前の未来を生かし、関係者の未来も救うだろう。
人間として生きていることを忘れるな。
どれだけの人間でも、人間であることには代わりが無い。
人間とは、常に認められず生きていく生物である、と。
極論から言えば、自分で考えろ。自分には一ミリも関係ない。機能得限止は、常にそう言う。
ただ最後にこう付け加える。
機能得限止に相談した人間は、誰一人その言葉に頷いた人間は居ない。
人間は人間として生きていく。
それが当然だろう。人間として生きているから意味があるのだろう。
だが、機能得限止は違う。真っ向から否定する。
機能得限止は最後に何時もこう付け加えて、相談した人間に投げ渡す。
―――それが嫌なら、人間などやめてしまえ。
それが、機能得限止と言う名の男の全て。
彼は、人間と言う生き物を、人間としてみていなかった。
それが、機能得限止と言う男の全貌でもあった―――
「んぁ?」
エヴァンジェリンは覚醒した。
フリルが満載した良家の少女が着るような寝巻き姿で覚醒し、窓の外を見る。
朝靄が見えた。
続いて時計。時刻は四時半を指している。
それを見て、エヴァンジェリンはもう一度眠りたい衝動に駆られた。
覚醒したのは夜と昼の狭間だからだろう。
夕暮れ時。エヴァンジェリンは自らの内側から力が溢れてくる感触に少なからず良い感覚を覚える。
だが、朝時はソレの逆。徐々に力が失われていく感覚を覚えるのだ。
それは真逆であり、しかし、とてもよく似ている。
似ていたからこそ目覚めてしまったのだろう。
吸血鬼ととしての力が溢れる感覚。人間としての力が溢れてくる感覚。
注がれる力はまったく違うが、器に水が注がれる事に違いは無いだろう。心地よい湯水か。心地悪い汚泥かの違いだ。
そのまま眠ってしまう事も出来たが、エヴァンジェリンはあえてソレをしなかった。
今もう一度眠りに付けば、登校時間に起きられる自信は無い。
絡繰茶々丸が起こしてくれはするだろうが、それでも、確実に寝起きで行動は鈍る。
ならばいっそのこと、とエヴァンジェリンは汗だくになったパジャマを脱ぎつつ階段を下っていった。
ただでさえこの時期は熱帯夜になりやすい。今日も寝苦しく、彼女は布団などかけず、パジャマ姿でベッドの上に横たわっていただけのようなものだ。
それでもパジャマが汗で濡れてしまっている。
特に背中。そのままで眠っても、快眠など得られそうに無い。
エヴァンジェリンが起き上がり活動を開始した理由は、そんな理由でもあった。
汗だくになった上着のパジャマを引きずりつつ、寝ぼけた眼を摩りつつ、エヴァンジェリンは洗面所へと向かう。
幾ら吸血鬼でも、日中、それも満月も近くないこの時期ではあらゆる面が人間と同じだ。
眠気は容赦なく襲いかかってくる。それを払拭するには、やはり顔を冷水で打ち据えるのが一番なのだ。
パジャマの上も下も洗濯機へと放り込み、エヴァンジェリンは下着姿のままで洗面所のコックを捻る。
溢れる冷水は出した瞬間は妙に生ぬるい。
何度か彼女が味わった生ぬるさ。両手に当たる生ぬるさは、そう。引き裂いてきた悪魔や魔物からあふれ出た血にも似ている。
やがて水が冷水に変わり、ソレを顔面へと打ち据える。
脳内が覚醒。指先の動きが先ず機敏となる。
まるで小学生の目覚めでもあった。規律正しく、朝顔を洗い、歯も磨く。
自称悪の魔法使いを名乗り、高名な魔法使いとしての立場はその姿には無い。
それは、この場に誰も居ないからこそ出来る態度だ。
一人でも居れば違う態度を取るだろう。
彼女は自身をよりよく見せたがる存在だ。
特別視、とでも言うのか。彼女は誰より、そう見られることを好む。
人間を下賎と見下すその態度。傲慢ながらも筋の通った態度でもある。
顔を洗い、台を使って天井から下げられていた着替えに手をかける。
昨夜絡繰茶々丸が洗っておいてくれたであろう事をエヴァンジェリンは知っている。
品良く汚れ一つ目立たぬように洗われ、柔らかくかけられたアイロンによってふくよかにも感じられる手触りを心地よく思いつつ、エヴァンジェリンは袖を通していく。
「マスター。お早う御座います。お早いですね」
「ああ。お早う茶々丸。何、妙に目覚めが悪かったのでな。偶には早起きも良い……っと、どうした。茶々丸、これは」
エヴァンジェリンはテーブルの上を見て目を丸くする。
品良く片付けられた、普段は人形やその修繕道具で着飾っていたあのテーブルの上が片付けられ。今朝は、朝食と思われる豪勢な食事が着飾っている。
「マスターが起きられたようでしたので一足早く朝食の準備をしておきました。
テーブルの上は…一先ず朝食が食べられるようにはしておきましたので。後に戻しておきます」
エヴァンジェリンが視線をややずらすと、なるほど、昨夜までテーブルの上を飾っていた人形や修繕道具が部屋のあちこちに並べてある。
無造作ではなく、規律良く。絡繰茶々丸らしく、きちんとした出で立ちで並び置かれていた。
「いや、すまないな。どれ、どうにも朝はばたつく事が多い。今日は少し落ち着いて朝食でも食べていくか」
「はい。朝食は一日の体調を管理する極めて重要な食事です。どうぞご遠慮なく」
フォークを持ち、フレンチに纏められた食事の一つを口に運ぶ。
運んだところで気付いた。不可解な事。エヴァンジェリンはそれに気付く。
別に不味いわけではない。特別美味い、と言う事でもない。妙な違和感。エヴァンジェリンはソレを感じていた。
「茶々丸」
「はい、マスター」
「何か入れたのか? 味が…いや、不味いわけではない。正直格段に美味い、と言う事でもないがその、今までとはな。若干違う気がする。何か使ったのか?」
「はい。隠し味を少々」
「隠し味?」
エヴァンジェリンは首を傾げるも、それ以後は深く問い詰めずに食事の手を進めた。
そうして進めれば進めるほどに気付く。
今までとは違う味。不思議な違和感を覚えさせるも、妙に胸にはしっくりと来る味わい。
彼女は胸のうちでソレが何で在るのかを認識した。
肉体の活性化を促すようなもの。それが体の中から沸き立っていくが感じられる。何を入れたのかは判断できないが、少なくとも身体に悪いものではないと確信できる。
肉体の活性化に始まり、脳内の靄も晴れるかのような感覚。それが体の中に深く、入り込んでくる。
「マスター。如何でしょう?」
「ん? あ、いや。美味いよ」
正直にそう告げた。
妙な違和感の正体がわからないまま、エヴァンジェリンは食事の手を止めずに進めていく。
絡繰茶々丸は静かに、その背後で微笑みながら立っていた。
「本日の授業は生物学の授業との関係性は低い。従って、ノートに取るなどの行為は個々の判断に任せる。
質問などは何時もの授業どおりに受付、こちらも時に質問はする。
要するに何時もの授業と同じだ。
たださほど重要ではないと言うのが何時もとの違いだ。
従って、ノートに取るなどのメモ、書き取り等は生徒のお前らに任せる。では授業開始」
出席をいつも通りに取った機能得限止はそう言い放った。
珍しい事であると同時に、生徒らは機能得先生らしいとも思う。
授業は何時もどおりであり、しかし、生物との関係性は低い。だが、決して無関係ではない。それが答えだった。
Aクラス内部にざわめきは発生しない。
最早慣れたものだ。一年に一,二回この様な事がある事を、彼女らは知っているからだ。
伊達に三年間機能得限止の生物学の授業を受けてきたわけではない。そのあたりの事実など先刻承知だ。
黒板に白炭が奔る。書かれた言葉は二種。人間と獣。それだけだった。
「出席番号二十六番。お前に問う。
人間とは何だ。何処から何処までが人間以上であり。何処から何処までが人間以下だ」
出席番号二十六番。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは思わず笑い出したくなる衝動に抗った。
質問が余りにもアレだった為だ。
いかれている、ではない。
人間とは何か。それは人間と言われる全ての生物に対しては究極のテーマだ。これほど答えが賛否両論、千差万別、十人十色に分かれる問いを口に出来るものだ。
エヴァンジェリンはそう感じて、口端だけで笑みを作り立ち上がる。
「その質問は滑稽だ。
人間とは何か、だと? そんなものは誰にも解らん。究極的に言えば生物だ。何も変わらん。
その他の、人間以外の生物と何ら代わりの無い生物だろう?」
「それは究極的だ。穿ち過ぎている。
問いとしては"人間"と言う一枠内に該当する存在の定義を問うている。
二十六番。お前は人間とは何かを答え応ずる事が出来るや否や。
人間と言う生物は、何で在るかを答え応ずる事は可か不可か」
それは誰にも答える事は出来ないだろう。
人間に人間は何かと問われ、エヴァンジェリンが応じたように人間は生物だというのであれば、人間以外の生物も生物である以上。人間としなければいけない。
機能得限止の質問はある意味で究極のテーマでもあった。
人間とは何かと言う、人間の存在意義そのものを問う究極の質問。
誰であっても正しく答える事は出来ない。
全ての答えに矛盾があり、全ての答えは矛盾する。機能得限止の問いはそう言うものであった。
「―――恐らくは無理だな。そのテーマは私たちにはまだ早すぎる。
ある意味では答えが無いのが答えだ。
人間とそれ以外の、あるいはそれ以上のラインを引くタイミングを定義付けるのはとても困難だ。それこそ個々の判断。個別によって答えの変わる質問だ。故に、その質問は滑稽だろう」
「よろしい。着席。
出席番号二十六番の告げたとおりだ。今の質問は滑稽だ。
人間とは何かと言う質問は多くの人間によって返答が変化し、正しい答えと言うものの存在しないものでもある。それに先ず謝罪をしよう。
ただ、人間だけを言うのであれば人類とは哺乳類(綱)・霊長類(目)・真猿類(類人猿亜目)・ヒト類(上科)・ヒト科の総称だ。
時代的には化石人類・生人類を指す。
また、現生人類は地理的変異によって幾つかの人種に分ける。
ヒトが通常の猿人類と違うのはその脳の重さにあるといわれている。
人類と言うものを定義しろ、と言うのなら学者的に見ればこれが普通の見解だ。
では次の質問に行くか。出席番号二十二番に問う。
人間と獣の違いを一つ例としてあげよ。一つだけでいい。
解らなければそのまま。答えられるのであれば起立せよ」
「ひゃ、ひゃぁい!?」
驚いた様子で思わず出席番号二十二番・鳴滝風香は立ち上がってしまった。
他の教師から見れば、明らかに質問の趣旨を聞いていない態度であろうが、機能得限止には関係ない。
咎めるわけでもなく、まったく同じ質問を立ち上がった鳴滝風香へと問いかける。
「人間と獣の違いとは何処か。それを問う。
人間と獣では何処が根本的に違うのか。それを礼として一例該当するものを挙げよ」
思わず唸る鳴滝風香であったが、何かに気付いたかのように顔が明るくなる。
別段機能得限止はそれに気を止めるような態度は示さず、応答を待つのみだ。
「え、えっと! 笑ったり泣いたりする事かなっ??」
「良い例だ。着席。出席番号二十二番の言う一例はある意味では正しい。
涙を流す生物は人間だけ、と言うわけではない。他の生物でも涙を流す生物は居る。
だが感情までは露にしない。人間と獣の決定的な違いの一つ。それは感情を露にするか否かと言う点だ。
人間と言う生物はその肉体の脆弱さゆえに関係性と言う名のネットワークを広大化させる事により、進化してきた。
関係性の広大化とは感情の進化だ。感情を進化させる事により高度なやり取りを可能とした。
それが人間の特徴の一例だろう。
ある意味では言葉もそうか。
言葉は人間だけが持つものだ。それは関係性の複雑化に必要だったからだ。より良く意思疎通が容易であるよう。人間は言葉も進化させた。
だが獣にはソレらが無い。それは何故か。
獣にはその必要性が無いからだ。獣が優先するのは常に己。自らを第一とし、己自身を全てとする。
己だけであり、己がすべてと言うのが人間以外の全ての生物の根本的な生存への欲求。
これを己はあらゆる生命体がもつ、正確には人間以外の生命体が持つ純粋欲求。
種の繁栄の為の性欲よりも。
体力の回復の為の睡眠欲よりも。
生存する為の食欲と。
この三つの欲求に同一に並ぶ第四の欲求。
即ち、生きようとする思い。生きるという願い故の欲求。即ち、生存欲であると。
人間外の生命体の多くはこの生存欲を第一条件とし、その他の三大欲求を満たしていく。
だが、人間はこの生存欲が極めて希薄だ。それは何故か。
出席番号二十番に問う。何故に人間は生存欲が低いのか。
強い人間も居るだろう。だが最近は違う。自殺を選ぶ人間さえも居る。ちなみに、獣と人間の最大の違いを挙げるというのであれば、それは自らを殺す能力を持つか否かだ。
獣は自ら自らを殺すような真似は絶対にしない。
それは生存欲に従い、生き残る事に特化した存在であるからだ。
だが人間は自殺を行使し、科学力は遂には人間を殺す能力にまで至ってしまった。
それは何故か。解るのならば起立して返答。解らないのであれば着席したままで五秒暗黙」
三秒。出席番号二十番、長瀬楓は思考した後に立ち上がった。
そうして二秒思考する。規定の五秒は経ったが、機能得限止はあえて無言。
長瀬楓が起立した時点で五秒着席、と言う則は絶えたわけでもあるからだ。
「―――むむっ…難解でござるな…」
「だが起立した。何かあるのだろう。返答せよ。何でもいい。お前が思う事が答えだ」
「では……それは、便利だから…であるような気がするでござるよ」
「ある意味で正しい。着席。
出席番号二十番の言うとおり、人間は利便化した世界しか知らないが故に余裕が発生する。
肉食の獣の様に餌を狩る必要は無い。
草食の獣の様に餌を求めて移動する必要も無い。
家もある。眠る時、敵に怯える必要は無い。
衣服も在る。身を守る術は何処にでも用意されている。
それが余裕を呼ぶ。ある意味で人間最大の持ち物であり、人間最悪の持ち物。それが余裕だ。
余裕とは何か。
時間的な余裕。
ココロの余裕。
肉体的な余裕。
しかし、余裕とは結局、何かをするべき時間に他ならない。
何かをしなければいけない時間。
人間は退屈を嫌う。その退屈は余裕から来る。
余裕と言う名の時間が発生して退屈は生まれる。
退屈を埋めるには、何かをしなければならない。
では、その何かとは何か。それは個々によって異なる。
だが長き時代において発生した余裕は人間にか学力を齎した。
他の生物は一切持たないもの。
人間のみが唯一持つ、知識。
それは余裕により育まれ、そこから発生した科学力は人間にとって大変便利なものとなり、使い方を謝った人間の手により遂にはヒトを殺す人間の一機能にもなってしまった。
それが人間の生存欲を奪った。
便利と言う名の技術の進化。それが人間から生存欲を奪い、生かされているという自覚を奪い、自分たちは生きていると言う齟齬を生んだ。
それが人間と獣の決定的な違いでも在る。人間も生物であることには変わりないと言うのにな。
忘れてはいけない事は何か。それは生かされているという事だ。
利便化する世の中でそれを認識するのは難しい。だが実際獣同様、我々に余裕などは無い。明日死ぬかもしれない、と言う危険が付いて回るのは獣も我々も同じと言う事だ。
一ヶ月アフリカのサバンナ暮らしでもやってみろ。無理だがな。
一日でもいいぞ。普通に死ねる。人間と言う生物が如何に脆弱かを再認識させられるぞ」
その言葉に、神楽坂明日菜は不思議な違和感を感じた。
その違和感が何であるのかなどは判断が付かない。ただ違和感を感じただけだ。
それが神楽坂明日菜は妙に気になった。
教壇に立つ男の表情に一切の変化は無い。相変わらず石膏のような無機質な顔立ち。
神楽坂明日菜は、その表情に見覚えを覚えた。
否、見覚えを覚えた、と言う程度のレベルではない。これは毎日感じられるものではないのかとも結論付けた。
機能得限止の無機質さは自然界の獣のそれに近い。
生き残る事に特化した思考は人間的ではない。
余裕の無い考え方。隙の発生し難い考え方であるともいえよう。
人間的とは到底思えないような考え方は、まるで、自分たちをこちら側から、そちら側へと招きいれようとしているようにも思える。
神楽坂明日菜を初め、Aクラスの数人は日常世界とは逆の魔法世界と言うものに足を踏み入れている。
それは充分に非現実的な、まさにファンタジーとも言うべき世界だ。
だが、機能得限止の話はそれとも真逆。
日常世界とも。魔法世界とも真逆に位置するであろう世界を語る。
即ち、自然世界。
どの世界より現実的であろう、どの世界よりも生物的であろう世界をAクラスへ晒す。
そうして、どこか、そちら側へ引きずり込もうとする節も見当たる。
邪悪、と言うものは感じない。
そも機能得限止に善悪判断基準はない。
善悪をつけるのは彼にとって自分ではなく他者だ。それすら本来はどうでもいい。
彼の存在理由は前にも告げたとおり、たった一つ。全力で生きることだ。
神楽坂明日菜は、その全力である事をこちら側に強要するかのように感じていた。
勿論、それは実感ではないし、直感ですらない。
ただ、生物的に。
そのように。そうなるようにするように。機能得限止は、そのように話している気がしたのだ。
そうしてその根底に感じているものを、神楽坂明日菜は知らない。自覚していない。
どこかで感じている懐かしさ。
自然界と言う世界への帰還。
それはどの生物にも根底に刻まれている事なのかもしれない。
全ての生物は自然界から発生し、今のこの時まで至った。
人間も。獣も。その根底は、きっと、同じなのだろう。
神楽坂明日菜は質問の為に手を上げようとした。感じた違和感を問うためだ。
授業に関係あることであれば、機能得限止は返答する。
だが、ソレより前に、機能得限止は神楽坂明日菜ではない人物――人物と言うには御幣の在る存在を示した。
出席番号十番、絡繰茶々丸。Aクラスで、ある意味、一番生命体ではない存在。
「出席番号十番。質問か」
「はい。時に質問なのですが。機能得先生はアフリカのサバンナで一ヶ月過ごした事が在るのでしょうか?
先ほどの発言。それはまるで知っているかのような節が窺えました」
「言ったところで信じるものかな。尤も信じようが信じまいが関係ない、か。個々に任せよう。
一応事実だけ言うのであれば、そうだ。
一ヶ月―――正確には覚えていない。初めの一週間程度で先ず時間の経過と言うものを忘却するからな。
何しろ時間経過を数えているような余裕が無い。
何かを考えていたら死ぬような状況だ。
何時死ぬのかも解らないような状況に立たされると思考能力が先ず鈍くなり、その後に直感的な判断力が鋭敏化する。人間的なものが全て失われていくような感覚だ。
丁度良い。
人間的なもののあり方を少し説明してやろう。
人間の肉体能力は無意識に閉ざされているというのは知っているか。
緊急の時以外では、人間は本来の能力の十分の一程度しか引き出せない。
肉体的なものだけではない。精神的にも。知識的にもだ。
人間は無意識下、本能的なレベルで自己の限界を理解している。
だが自覚が無い。自覚が無い為引き出せない、と言うのが答えだ。
では自覚すれば力が限界以上引き出せるのかといえば、ソレは否だ。
『人間はその人間が知りうる事以上は得られない』
学習していない事を理解できないのとは違うぞ。
そもそれを知らない。
幼稚園児が数学と言うものがある事を知らないように。
女にあって男にないものを男が知らないように。その逆であるように。
人間は自分の真の力の果てなど理解できていない。そも知らない。知らないものは引き出せない。それがあるとも気付いていないからな。
同時に、それがどんなものであるのかも理解出来ていない。故に引き出せないのだ。
では引き出す為には如何様にするべきなのか。
知らないと自覚してしまっている以上どうしようもない。誰も教える事の出来ない唯一無二の事柄だ。自分の事は誰より自分が自覚しているとは言うがな。その自分ですら知らない事は覚醒の仕様が無い。
では如何様にするのか。それが問題だ。
先ず考えなければいけないのは、何故知らないか、だ。
それは人間の感性の問題だ。
知らないという知識だ。知れば理解できる。
しかし、その理解させてくれるものが存在しない。故に知らない。それがあるとも解らない。
今もそうだ。こうして喋ったところでお前たちは自分の内の真の力になど気付けない。
なぜならあるかどうかも知らないし、解らないからな。
だから引き出せない。ではそれを引き出す術とは何か。極論から言えば、人間では無理だ。
知らないというのは人間的なものそのものも。人間性に他ならない。
人間では、否、知識を持っている知的高度生命体ではその領域に到達する事は出来ない。
それを知らないからな。知らないものは解らない。そう言うことだ。
ではどうすればいいか。わかる人間は居るか。居ないだろうな。
最早この先の領域は、人間では到達できないからな。だが方法だけ教えてやろう。方法は自分で考えろ。ただ、その方法だけは教える。
答えは一つ―――人間など、やめてしまえ」
その言葉に、神楽坂明日菜の脳内の記憶はフラッシュバックした。
遡る。遡っていく記憶。幼い頃の記憶。
謎の多い神楽坂明日菜の過去。時折こうしてフラッシュバックする瞬間は幾重もあった。
だが、この時神楽坂明日菜が思い出した記憶は今までのものとは違った。
思い出すたびに写るナギ・スプリングフィールドは居ない。
ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグも居ない。
タカミチ・T・高畑も居ない。
幼い頃には違いない。しかし―――その記憶に写ったのは機能得限止であった。
「またか。神楽坂」
「……あいつ等が悪いんだもん。ガキのくせにギャーギャー騒いで。
先生だって鬱陶しいって思っているんでしょ? 知ってるわよ。
高畑先生が居ない時に無理矢理押し付けられているって。関わらなきゃいいじゃない」
「個人としては是非そうしたい。
お前の面倒を見る気など一ミリもない。出て行ったら即忘れてやる程度の存在だお前は。
鬱陶しいと思っているのも当たりだ。甚だ迷惑だ。
高畑の頼みを聞いてやる必要など皆無だ。
だが虐めとなればそうもいかん。仮にも教師をやっている身だ。お前の相談を聞く真似事だけでもしておかんと仕事が無くなる。
人間として生きていくには金が必要だからな。金を得るには仕事が居る。
己の仕事は己が今までやってきた事が活かせる仕事だったから請け負ったのだが、こんな面倒ごとが付属するまでは読めていなかった。
だが仕方あるまい。で、誰からやられた。ちなみに言っておくが、己は解決せんぞ。
高畑に頼むなり、自分で何とかするなりしろ。己が聞いておくのは個人的に聞いておかなければ体が良くないからだ」
相変わらずの物で満ち満ちた生物準備室。
その椅子に座った小柄な神楽坂明日菜と、背中を向けたままの機能得限止がいる。
二人は此処に到って、一度も顔を会わせては居ない。
お互いにバツが合わないのだろう。
無愛想な神楽坂明日菜。
無干渉な機能得限止。
まった同じような、しかし、まったく以ってこれから関係性が芽生えるような間柄ではない両者の相性は最悪といえた。
誰が見てもそうだろう。
此処に神楽坂明日菜を導いた担任教師ですら二人の相性の悪さを見抜いていた。それほど、両者の関係は最悪であるといえた。
互いに背中を向け合ったままで既に三十分。
間もなく昼の休みも終了するだろう。
そうなれば神楽坂明日菜は大して好きでもないあのクラスに戻らなければいけない。
それは機能得限止からすると有り難い事この上なかった。
正直に機能得限止は神楽坂明日菜の存在を怪訝にしか扱っていない。
タカミチ・T・高畑も何故ここまで相性の悪い二人を引き合わせなどしたのだろう。
それは両者共に解っていなかった。ただ単純に、神楽坂明日菜の担任教師は、もし神楽坂明日菜と言う少女に何かあれば、機能得限止に託すように、とだけ告げていたのだ。
それが理解出来る人間は誰も居なかった。タカミチ・T・高畑だけが理解出来るだろう。
神楽坂明日菜の体のあちこちには汚れが目立つ。
それは擦り傷や、物を投げつけられて出来た打撲の傷跡には間違えない。
誰がやったのかといえば、神楽坂明日菜はクラスメイトの数人、あるいは他のクラスの人間から虐めを受けていた。
彼女の両目は色が異なる。ヘテロクロミアである彼女を、子供は理解出来ない。
子供と言うのはそれだけで他者を拒絶する要因とする。
子供は、自分と違うもの。親から教えられていないものは徹底的に興味を示し、それが解らない時は、徹底的に爪弾きを喰らわせる。
神楽坂明日菜が受けていたのはそういった虐めであった。
侮蔑。嘲笑。中傷。暴力。
か弱い子供のものではあるが、子供の心を抉るなら充分だ。
子供の心は小さい。ソレを傷つけろと言うのなら、同年代の人間でも充分可能だ。
勿論、そんな虐めを良く思わない友人も居る。友人も居たか。今は居ない。今日だけ居ないのだ。
彼女の友人は良家の令嬢であった。時折、家族の事情で学校を休む事があった。神楽坂明日菜が虐めを受けるときは何時もそんな時だ。
頼れる人間が居ないときだけ、一人と言う弱みを見せているときだけヒトはヒトを傷つける。
コレは最早ヒトの根底にセットされた侮蔑感情の根源でもあるだろう。神楽坂明日菜を虐めていた子供らも、偶然それが発露したに過ぎない。
「で、どうしたい」
互いが沈黙状態になった時、機能得限止から声をかける事が殆どであった。
神楽坂明日菜からは絶対に声を上げない。意固地なのだ。勝気なまでのその性格が、彼女に自ら自らの弱みを語ることを許さない。
それは、友人の令嬢が戻ってきてからだの傷を訪ねられても、精々走って転んだ程度の言い訳で済ましてしまう程の負けず嫌いからだったのだろう。
彼女は基本的に誰かに頼る、と言う真似はしない。
だからと言って、一人で何とかするような真似もしない。
内に溜め込み、結局、それを憎まれ口にして吐き出す毎日が続いていた。よって、機能得限止のこの発言は余り意味を持たない。
「どうもしない。今度なんか言ってきたら言い負かしてやるし、叩いたら叩き返すだけよ」
「ああ。そうしろ。餓鬼の頃だけだな。そんな風に短絡的に行動できるのは。大人になれば何れ気付くか。
よく聞くが、虐め如きで殺人を犯す奴の気が知れん。自分の未来を挽肉にするような行為だと気付けない。
短絡的な低脳の行動だ。
だが子供のうちはまだいいがな。いや、最近はそれでも自分の未来をミキサーへ放り込む真似をする餓鬼すらいるか。
殺すほど嫌ならそも生まれてこなければいいのだ。何もかも自分の責任だと気付けもしない。
知っているか? 虐めとはな。多くは虐めてくる側に問題があるのではなく、虐められる側に問題がある。
お前も同じだ。その目の所為だ。悪いのはお前だ。そうしてそれを増徴しているのもお前。同情すら出来ん。
どいつもこいつも虐めてくる側が悪いと決め付ける。もっと客観的な視点を持てと言うのだ。客観的に見れば、確実に双方に、しかも虐められている側に問題がある事の方が多い。
ちなみに原因は教えん。よく考えておけ」
「冗談じゃないわ。やってくる方にだって問題あるじゃないのよ。
何でもかんでも私の所為にしないで。私は自分を守る為にやってるだけだもん」
「自分を守りたいのならそう言う危険を作らない事の方が重要だ。
危険は一度発生すれば何時如何なる角度でどのような方向性で襲いかかってくるのかまるで判断できん。
短絡的な殺人に任せる低脳も居れば、無責任な発言に流されるのも居る。
敵と言うものは判断できないものを言う。
敵とは害をなす存在。それは他者にも限らない。
自己と言う存在を傷つける対抗存在。それが敵だ。
そうとも、そう考えるのなら敵などこの地球上、何処にでも居る。
この部屋にも居る。外にも。教室にも。お前自身の中にもだ。
ヒトの世界は敵に満ち満ちている。それは何時牙をむいてくるのか解らない。
虐めと言う前座すらなく、突然牙をむいてお前の心の臓を抉り出せる機会を窺っている。虐めてくる奴は、まだありがたいと思え。
結局は一番自分を寄りよく守れる手段は敵を作らない事だ。
何時如何なるときでも敵が襲いかかってくるのかも解らない状況で自分を守りきりたいと言うのなら、せめて自分の周辺程度は敵を作らないようにしておけ。
お前の周辺は敵だらけになりつつある。結果、お前の友人も巻き添えを食うぞ。嵐に嵐を溶け込ませているようなものだ。
そんな事にも気付けんほどの低脳なら、先ずそもそも死んでしまえ。
何もかも嫌なら死んでやめてしまえ。
触れたくもないものに触れるのが嫌なら生きていても仕方ない。世の中はそれほど甘くない。やりたくない事を避け、やりたい事だけやるという思考を持つのは人間だけだ。
ソレが嫌なら、そも死んでしまえ。生きている価値も無い。
それでも嫌なら、敵を作らないようにはしておけ。
それすら、その領域ですら嫌なら――――」
そも―――人間など、やめてしまえ。
神楽坂明日菜は、遠く近い記憶を思い出す。
神楽坂明日菜の記憶は曖昧であり、時に鮮明なほど、しかし、時には曖昧にしか思い出すことが出来ないものであった。
それ故、遠く近い。
だがしかし、事の時だけは明確に思い出すことの出来た、幼い頃。
今のように社交的ではなく、殻に篭っていた頃。子供の我儘を貫こうとしていた頃の、記憶。
「人間を人間至らしめているのは。
例えば、己を己として至らしめているもの。お前らをお前らとして至らしめているもの。それらは何か。
お前らがお前らである事は、お前らの裡側に答えが眠っている。
ソレは即ち。
精神。
人格。
記憶。
感情。
それらがお前らをお前らとして至らしめている要因だ。
以上の四つが、個人を個人として立証し、個々を個々として確立させる。
誰一人同じ精神を持つものは無く。誰一人同じ人格を持つものも無い。
まったく同じ記憶を持つ事は無く。まったく無いタイミングで感情を露にする事も無い。
以上の四つは"唯一つ"であり、その個人を立証するものだ。
いわば、以上の四つが立証されていれば個人は個人として。
存在は存在として。
生命体は生命体として。
何より人間は人間として確立できる、と言う事だ。
だが―――それらが無いとなるというのはどういうことなのか。
即ち、人間であるのかどうかもわからない。それ以前に、万物全てが知らないと同意義になる、だ。
人間を人間至らしめているのは、以上に挙げた精神。人格。記憶。感情で成立すると言っても過言ではないだろう。
これらを総じて人間性と言うのであれば、これらの放棄は人間の放棄。人間などやめてしまえ、と言う事だ。
獣にはこれらが無い。いや、あるかどうかも解らない。実際獣になってみないことにはな。
だが獣になる方法は無い。如何に文明が発達し、獣の鳴き声からその獣の感情が解るとしても。如何に動物、獣の心が読めると言う人間が居たとしても。所詮それらは"人間的に解読した獣の人間性への当て嵌め"に他ならない。
獣そのものの感情ではなく、獣そのものではない。
人間とは常にそうだ。
人間は常に人間にわかりやすく物事を受け入れる。人間性に合わせた感性でしか物事は測れない。
人間だからな。人間とは人間的な事以上の事も以下の事も思考出来ない。
言っただろう。知らないと同意義であると。
獣は人間ではない。よって知らない。獣の何たるかが解らず、知らない。
獣にはそれらが無い。あるかもしれんが、人間的な人間性を持ってはいない以上、獣は人間が理解出来る範疇を知らない。
知らないとはどういう事だと思う。知らないとは、理解する必要が無い。即ち、受け入れてやる必要など無いと言う事だ。
本能的に理解している事以外にはな。勿論現実的にはそうはいかない。
獣であっても、物理的な問題は無視できない。
だが獣は何故アレほど速く走れる。何故あれほど生肉などを食べても体調を壊さない。何故アレほどの腕力を振るう事が出来る。
それは他ならない、獣は、自分の肉体の限界を知らないからだ。
限界と言う人間の定義を知らない獣は、肉体が壊れない限界までの力を本能的に引き出す事が常に出来る。
人間は違う。人間は知っているから引き出せない。自分の身体に走る痛みが何であるか知っているからこそ、肉体の限界ぎりぎりの力も引き出せない。
引き出せても、それは限界以上であり、肉体は破損する。人間と獣の差は驚くほど深く、広い。
獣には人間的な悩みが無い。
知らないからな。知らないだけでいい。知らなければ受け入れてやる必要も無い。
人間などやめてしまえ。つまりはそう言うことだ。
限界以上の力が欲しければ、人間をやめてしまえ。人間と言う枠など、超えてしまえ。
人間のカタチでそれに依存する必要性など皆無だ。
人間以上を目指すのであれば、そもまず、人間のカタチをして、人間の思考をする時点で間違えだ。
人間として全てを理解しようとするから、限界と言うものを知ってしまう。
そうだ。誰でもそうだ。人間の定義する神でも、その人間の思考限界に至ってしまう。
神とは何かと問う。それは万能の存在だと言う。では万能とは何だと問う。それは全知全能だと言う。では全知とは何処から何処までであり、全能とは何処から何処までを指すのかと問えば―――
答えは結局、その問いかけられた人間の限界を露呈する。
その人間が応じられる範囲が、その人間の限界であり、その人間にとっての全知全能の限界だ。
だが獣にはソレが無い。獣にその質問は無意味だが、獣と言う存在には、神の定義も限界も無い。知らないからな。
だからこそ、獣の神は壮絶だ。
最早我々の範疇には納まらない。我々人間性を持った存在では、最早対応する事は不可能な存在だ。限界を知らないからな。そも存在と言うものの定義が違う。
よって獣には、人間は敵わない。
今の世の中は、兎に角世知辛い。
病。貶。不幸。悲―――他にも。他にも。人間的な視界で見るというならば人間が不快かつ不幸に思う事象など腐るほどある。
だが、それは人間的に見れば、だ。そんなもので絶望したり、何かを嫌っている暇があったら生きることを優先しろと言うのだ。
獣には無いぞ。
獣は先ず、不幸と言うものを知らない。理解しない。
理解しないから、不幸が当てはまらない。だから不快も無い。
不快と言うものを知らない。だから不快が当てはまらない。
全ては人間の定義だ。そんなものを省いてしまえば、人間が如何に脆弱であるのかを嫌になるほど再認識させられる。
そんなのが嫌なら人間などやめてしまえばいい。
時折、人間が嫌いだと言う奴が居る。そう言う奴に限って"人間のカタチに依存している"
滑稽だと思わんか。人間が嫌いだというのに人間のカタチをしているなど。
そう言う奴は結局自分の考えを正当化したいだけだ。
人間のカタチをして、人間の考え方で人間が嫌いだと言う。それが先ず間違えと言う事だ。
そんなに人間が嫌いなら、先ず人間のカタチをやめるか、人間の考え方などやめてしまえ。
尤も―――そうなれば人間が嫌い、と言う考えさえも無いだろうがな。
要するにそう言うことを言う連中は、単に自分は人間が嫌いだということを主張したいだけだ。
嫌いなら主張もしなければ良いのにな。
そも人間が嫌いなら自分も嫌いの筈だろう。その癖に自分は信じるとかを言う。
自分が好きで、人間が嫌いなど問題外だ。
どれだけ人間が嫌いだといっても"人間が嫌い"と言う思考回路を懐いて行動している人間性がある時点で。本人も、本人が嫌悪する人間そのものだ。
そんなに嫌なら人間などやめてしまえばいい。
人間的な考えをやめてしまえばいい。人間と言う存在を否定してしまえば良い。
己と言う人格を捨て。
己と言う精神を捨て。
感情を切り捨て。
記憶を。思い出を。過去の全てを。
何もかもかなぐり捨てて、完全に人間を放棄してしまえばよいのだ。
そうすれば生きていくだけのものになれる。自分を生かすだけのモノになれる。
自分の為だけに生きる、そう生きても問題のない存在になれる。
ソレさえ出来ない奴に、人間を、生物をやっている資格など皆無だ。
まぁ、お前達がソレ理解する必要は無い。その方法は個人で何とかして見つけろ。
将来生物学者になって遺伝子をいじくる方法を見つけるも良い。
両手両足、両目両耳そぎ落として、全ての五感を自ら封じるもいい。だが何時かは解る日が来る、と言う事だけを覚えておけ。」
「…………それは、何故そう言えるのですか?」
普段ならば機能得限止は聞き流すだろう。彼は挙手の人間の質問しか許さず、それ以外の発言は全て耳には取り入れない。だが、その言葉に機能得限止は僅かながらに反応した。
視線が向けられる先には、Aクラスでも一際大人びた少女一人。出席番号二十一番、那波千鶴。
「何故、か。その問いは滑稽だ。簡単だろう。考えるまでも無い」
機能得限止は相変わらず。不変の顔立ちに不変の出で立ちで、言い放つ。
「お前らはコレを知った。知った以上否定できない。何、己もお前らも」
所詮は、同じ、人間だ――――
だから理解出来る日が来ると、機能得限止はそう告げた。