第五十三話〜紅蓮〜


 凱風快晴灼熱地獄

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 先ず響いたのは爆音。それに劈かれて、桜咲刹那は耳を塞いでいる。そして、眼を塞ぐのは粉塵。それが、天に届くまでに舞い上がっている。

「!! ネギ先生! アルビレオさん! 高畑先生!!」

 気を確かに持ち、彼女は駆け出して行った。粉塵の中に飛び込み、三者が立っていた位置まで走っていく。
 その位置に辿り着くより先に、桜咲刹那は爪先に感触を感じた。
 僅かに柔らかい肉の感触。それに眼をむけ、彼女は立ち止まる。
 ネギ・スプリングフィールド。あの爆炎で吹き飛ばされたのか、着込んでいたローブをボロボロにし、少年が倒れ臥している。

「ネギ先生!!」
「う……あ……せ、刹那……さん?? 一体……何が……?」

 気を失っていただけのなのか。桜咲刹那が抱き起こすだけで、少年は覚醒した。
 少年が見渡しても、周辺は粉塵とモノの焦げる匂いだけが渦巻いている。桜咲刹那は、そのにおいに若干顔を顰めた。その匂いは、燐。発火燐の匂いだったからだ。
 爆薬が炸裂した時と似た匂いが其処を包んでいる。一体何があったのかなど、二人に考えるような余裕は無かった。
 ただ、何かが降ってきて、それが炸裂した。その程度だ。それしか、二人は確認できなかった。

「あ、アルビレオさんに……タカミチは……?」
「解りません……アルビレオさぁん!! 高畑せんせぇ!!!」

 桜咲刹那の声も粉塵の中へと消えていく。だが、一陣風が吹いて、人影が唐突に粉塵の向こうから現れた。
 鋼化明日菜と、鋼化限死。大剣を持った神楽坂明日菜と、それに付き添うように居る大型の獣。
 その二体だけが、粉塵の向こうから桜咲刹那とネギ・スプリングフィールドを見つめていた。
 見合う二者と二体。傷ついたネギ・スプリングフィールドも、杖を使って立ち上がって、向かい合う。
 だが、攻め込んでくる気配は無い。神楽坂明日菜は大剣を持ったままで。限死は、爪牙を光らさせたままでその場所から動く気配を持たない。

 それに気付かない魔法使いの少年は、その体へ魔力を集中させようとした。
 何時攻め込んできても相対せるように、戦闘態勢を整えたのだ。
 だが、整えた瞬間に。ネギ・スプリングフィールドは、よく知った魔力の波長を感じた。
 どくん。胸のうちが大きく競り上がる。何時か、かの故郷を滅ぼされた悪魔に言われた時に競りあがった気持ちと同じ。それが、少年の胸を穿つ。
 見上げた空の果て。白い月。白い巨岩。無機質で、無慈悲で、無感情に照っている光の下に、赤い星が瞬いている。

 だが少年のその魔力により強化された視線には、確かに、赤い飛空機の姿が映っていたのだ。
 そして、周辺から流れてくる魔力。火が燻り続ける中の魔力。火の中に含まれているその魔力を、確かに、少年は、知って―――
 強い風。それと共に、赤い星は上昇を始めたのを少年は見る。
 強い風。それと共に、二匹の獣が夜の闇に消えていくのを桜咲刹那は見る。
 思い立った想いが止まる事は無い。
 少年は杖に跨り、急速な勢いで上昇し。
 剣士は背中に白い翼を開いて、夜の闇へと飛び込んで行った。

「セツナさん!! ネギ君!!」

 粉塵から姿を見せたアルビレオが叫ぶが早いか。二人の姿は其処には既に無い。
 少年は高みを目指し、その杖で急上昇し。
 剣士は白い羽根を一枚だけ降らせて、夜の闇へと消えて行った。

「アルビレオさんっ……!! ネギ君と刹那君は……っ!?」

 同時に姿を見せたタカミチは天を仰ぐ。赤い空。血の様に赤く染まった空が、天に出来上がっていた。
 そこから感じるのは、魔力の他ならない。タカミチが今まで知った事も無いような魔力。
 そして、アルビレオにとっては、かのサウザンドマスター・ナギと、近衛木乃香を大きく上回る規定外の魔力の大きさに、ただただ息を呑むばかりであった。
 見上げた天。そして、何処までも続く暗い夜。
 天は、生きている炎が食い尽くしたかのように赤く染まり。
 夜は、何処までも何処までも深い闇を落としていた。


 ―――――――――――――――――――――エヴァンジェリン邸


 そうして、私はその空を見上げていた。
 見上げた空は夜だというのに真紅に染まっており、何時か、私と、この地を全て焼き払ったあの炎にも似ている。
 懐かしみながら、不思議と穏やかな心持でそれを見上げられていた。

『エヴァンジェリン様。学園都市上空に強力な魔力波を感知しせり。対応は、如何しましょう』
「手を出さないようにとだけ学園長に報告してくれ。一切合切手を出すなと。あの子達に、任せよう」

 茶々にそれだ告げ、私は窓際に腰掛ける。
 両足を外へ。夢見る少女の様に、私は窓から足を投げ出し、子供のように真紅の空を見上げていた。
 私は知っている。今天に昇っているの魔力を、私は知っている。
 忘れられるわけは無いではないか。
 私がまだ傲慢だった頃。その時、私の威圧感に魔法使いでありながらも相対した者の魔力だ。
 忘れられる、筈も無かった。

「ああ、お帰り」

 真紅に燃えた空を見上げ続けて、私は、彼女の帰還を労った―――

 
 ―――――――――――――――――――――天空


 少年は、月を目指すかのように上昇していた。
 杖に跨り、月の光に照らされながら上昇していく少年。
 彼は、大気に満ちたその魔力の波長を感じ取っていながら、それを否定しながら上昇しているのだ。
 感じられる気配。感じ取れる魔力。
 気配は何処か懐かしく、しかし、その大気に満ち満ちている魔力の量は、少年と、彼の父、サウザンドマスターのソレすら凌駕した魔力。

 しかし、それは魔力と言うよりはオイルタンクのソレに近かった。
 大気に漏れ出した許容範囲を超えた魔力の流出。それが、高度を上げていけばいく程に感じ取れるのだ。
 だが漏れ出しても漏れ出しても魔力量は尽きる事を知らないかのよう。
 寧ろ、迫っていけば迫っていくだけ、大気に満ち満ちている魔力の量がより濃く、より深くなっていっている。少年は、それに吐き気を覚えながらも、尚上昇していった。

 少年は、強くなった。
 五年前から比べて、少年は格段に強くなっただろう。
 だが、それだけだ。強くなっただけ。少年は、この五年を様々な考えに押し潰されながら過ごしてきた。
 鋼性種の大量発生により、ますます行方が解らなくなってしまった父、サウザンドマスターの行方。
 しかし、幼馴染から渡されたマギステル認定書によりなったマギステルの役割。
 それでも、学園で共に過ごしてきた少女達と別れるべきか否か。多くの重みが少年の肩に圧し掛かり、幼馴染の少女が告げたとおり、全てを選ぶ事など出来ず、少年は、今日の今日までなし崩し的にマギステルの役割を、それでも、少年らしく、真っ直ぐにこなしてきた。

 五年前。五体不満足の状態で最後の言葉を投げかけた幼馴染。その最後の姿を、少年は見上げていた。
 世界樹を砕け散らせ、その内より生じた正体不明の物体。
 否、今では生命体か。それにひき潰され、しかし、それに連れ去られていったその姿を。
 だから、少年は捜していたのかもしれない。幼馴染を連れて行ったかの漆黒の結晶体。
 それを追うかのように、マギステルとしての役割を完遂しつつも、幼馴染のその姿を捜した。

 あの時の答え。自分が選ばなければいけない、その道を告げたいと。
 けれど、実際に会ってしまったら何を話せばいいのかも解らずに、少年は幼馴染の赤い魔法使いを、ただただ捜し続けていた。
 そうして、今大気に満ちているその魔力を、少年は知っている。
 かの魔法学校で、まだ二人が幼く、小さかった頃。
 その時に感じ取った、癒しの魔力。それでいて攻撃属性である“炎”の魔力にも精通した、学園内でも一際噂になるような特殊な魔力体質の持ち主であった、彼女。
 この魔力は、彼女のものであった筈だと―――

 厚い雲を抜け、眼窩には光が僅かでしかない世界が広がっている。
 鋼性種により大繁殖した翠。それが、天へ向けて伸びる光の大半を遮ってしまっているのだ。
 だが、そんな明り僅かな夜の中でも、少年は空を360度方向見渡す事が出来た。
 頭上に輝く、異常に巨大な白い丸い巨岩。
 太陽の光を弾き、今日も今日とて、五年前のあの日とて輝き続けていた、白い銀板。
 その光が、少年の周辺を暗がり無く照らしあげていたのだ。

 杖の上に立ち、少年は周囲を見渡してみる。
 上昇中まではあった陰。少年の目には、真紅の飛空機として捉えられた、かの陰。
 それが、上昇しきったその場所では、影も形も気配すらもなかった。
 だが、少年の皮膚からは汗が溢れている。
 二つの気配。少年が知る少女の気配ではない、二つの気配が、少年の体に否応なしの危急を伝えていたのだ。
 先ず感じ取れるのは高熱の気配。
 灼熱地獄とまではいかなくても、皮膚の間近で焔が炊かれているかのような高温を、少年の肌は感じ取っていたのだ。
 だから、汗が流れ続け、しかし、冷や汗とも成って、背中を伝っていっているのだ。
 そして感じるもう一つの気配。それを、少年はこの五年間で厭と言うほどに浴びていた。

 鋼性種の気配である。
 鋼性種の大量出現により、マギステルが誰かを助ける仕事に就く時に、鋼性種絡みの仕事も多かった。
 その時味わった気配と威圧感。それが、少年の心を捕らえ、そして、容赦ない不安感となって押しかかっているのだ。
 少年は思い出している。マギステルとなり、初めて鋼性種絡みの仕事に参加した時の、その圧倒さと威圧感の大きさ。それを思い出し、ますます吐き気を募らせた。
 少年の懐いた全てが砕けたような瞬間とも言えた。幼心に懐いていた“ヒーロー”と呼ばれる存在。
 それを、威圧感だけで覆すような存在。それを、目の当たりにしてしまったのだから。

 その上で無視。鋼性種は、魔法使いすら無視していた。
 それに他の魔法使いは激昂するような真似などしなかった。
 無視してくれたほうが有り難いのだ、まともにやりあって、勝てる筈が無いのを魔法使い達は本心で理解していてしまっていたから。
 少年も同じ。一切動けず、頭に叩き込んできた筈の、体に刻みこんで来た筈の多くのもの。
 ソレを、たった一度の遭遇で全て否定されたに近い。

 見上げているだけで自分と言う矮小さに触れてしまった。
 お前は紛い物だと。お前の持っているものは全て偽りの貰い物だと。
 他者の生んだ物に手を加えてさも自分のモノのように誇っているなど滑稽だと。
 その程度しか思考できないのならいっそ全て辞めてしまえと。そんな事程度でしか自分を語れないと言うのならば、いっそこの世から消えてしまえ。
 そんな、ありもしない声を聞き届け、認めざる得なくなった。

 鋼性種は勿論口など聞かない。
 ただ、少年がそう思ってしまっただけ。そう思わざる得なかっただけ。
 生まれた瞬間から完璧であった鋼性種。第二世代により近い、完成形の一歩手前の存在。
 それに、不完全な第一世代として対面しただけで、己が内の第二世代が訴えるのだ。
 不完全である事の無意味さ。完璧になれ切れない矮小さ。そして、人間であるという事の存在の低さ。

 それを認めてしまいそうになる。
 現に、鋼性種が全世界に出現しだした頃、世界中では自殺や他殺などの事件が多発した。
 あるカルト教団は鋼性種は神の使いだと集団自殺の火種とし。
 ある罪人は、鋼性種に世界を滅ぼされると勘違いして、しかし正しく受け入れて、無関係の人間を殺したりしたものだ。
 だが鋼性種はその自由さえ一時は縛り付けた。今では穏やかなものだが、それはその様な事があったと現行人類のほとんどが認知しており、その様に鋼性種が動く必要から行わないだけに過ぎない。

 人間と鋼性種の圧倒さ。
 全人類はそれを思い知らされ、全ての宗教は消えうせ、殺意の感情も諦観の感情すらも消えうせていった。
 それが鋼性種の何らかの力かどうかは解らないが、それで世界は一挙に平和と言う形になったのだ。
 そんな鋼性種とのあまりに壮絶な遭遇。生物として何よりも高みに位置しているモノとの触れ合い。
 自分と言う、人間と言う存在の矮小さと惨めさと無意味さを思い知らされるモノと、少年は正面切って対面してしまったのだ。

 背中に伝う冷や汗。その大きさが徐々に肥大していく毎に、少年の心拍数は異常なまでに高鳴っていっている。
 とくんとくんと言う鼓動であった少年の胸の音は、既に太鼓の乱打にも近い勢いで叩かれている。
 どどどどと言う胸の音。それが、一瞬だけ少年の耳から掻き消えた。
 風が吹いたのかとも思ったが、風ではない。月の光が直に届くほどの高度では、風など意味を成さない。
 よって、少年は自らの頬を撫でた一陣の何かは、風などではないと認識する。

 息を呑む。少年はゆっくりと、杖の上で踵を返し、背後に立っていたその気配に体を向ける。
 月の下に、影は二つ。一つは、青年の様な体格だが、いまだ少年の趣の残っている魔法使いの少年。
 方や、異様な形状の、赤い飛空機。その二つは、向かい合う様に空に浮かび、しかし、意思の疎通など不可能とも捉えられた。
 無理もなかろう。少年の前に浮んでいる飛空機は機械の塊にしか見えない。
 そんなモノと意思疎通が可能などとは、まともな思考の人間では恐らく思考しまい。
 これと意思疎通を図ろうとするモノがあるとすれば、それは狂人。あるいは、この飛空機から感じられる気配。それを、完璧に熟知している者だけだ。

 ネギ・スプリングフィールドと言う少年はソレを感じている。
 目の前の飛空機。それから感じ取れる気配を、少年は、完全に熟知していたのだ。
 飛空機。その形状は、極めて説明が難しい。
 左右には長いVウィングが伸び、上空から飛空機を見れば進行方向にW型に飛んでいくだろう。
 戦闘機特有のアフターバーナーにも似たエンジン部が、後部には四基取り付けられている。
 本体に搭載されている四基のアフターバーナーの搭載されている場所。そこの中心から半径1メートルほどの距離に、やや厚めのリング状の物体が取り付けられている。
 飛空機からぐるりと伸び、日輪の様に本体一周しているそのリングにも、幾つかの小さめのバーニアが見える。

 驚くべきはその大きさだろう。子供一人がギリギリ乗れるか程度の大きさ。
 恐らく、無人を想定して造られたであろうそのフォルム。
 そして極めつけは、艦首に位置する部位。ネギ・スプリングフィールドと言う少年の方を向いている艦首からは、二本のドリル状の物体が伸びているのだ。
 直角三角錘を四つ束ねたかのような形状のドリル。
 少年の方向から見て、十字に組まれている四つの直角三角錘。そんな形状の、まったく同じ形状の二つのドリルが、ネギ・スプリングフィールドと言う少年に向けられている。

 それは、機械の塊の筈。完全な機械の塊であり、凡そ、始めてみた人間は、これを生物だとは思うまい。
 事実、少年の目の前に浮んでいる飛空機は無機質であり、その気配は機械のそれ、そのものだ。
 だが少年並びに、鋼性種の気配をまともに感じた生物にとっては、コレを即座に生物外であるとは認知しない。
 鋼性種の気配は常に一定しない気配であり、感じるものは感じてこう思うのだ。
 無機質さと有機質さの混合。それが、鋼性種と呼ばれる生命体より感じられる気配の一つである。
 少年の目の前に浮んでいる飛空機。独特の真紅のフォルムに身を包み、戦闘機の様な美しさと危うさと強力さを感じさせる、その気配。
 その気配に混ざり合い、少年は、無機質さと有機質さ、そして、良く知っている幼馴染。彼女の、気配を感じていた。

「…………アーニャ…………?」

 高鳴る胸を押さえ込むように、少年は感情を押し殺した声で声をかける。
 勿論、反応は無い。飛空機に変化は無く、声だけが高度ゆえの風に流されていく。
 だが、その変化は唐突に起こった。飛空機が天を仰いだのだ。
 二本のドリル状の艦首を白い巨岩に向けて構え、丁度少年に腹を見せるかのような体勢となった飛空機。その飛空機は、一瞬で、壮絶な変化を行った―――

 機体後部にあった四基のアフターバーナーの在った位置が稼動、左右に二基ずつとなって、機体半分ほどまで移動する。
 そのアフターバーナーの搭載されていた位置。そこから、伸びた足『らしきもの』。
 大腿程度しか窺えないが、その足は膝下からが完全に鉄で覆われ、否、完全に膝下は機械だった。
 膝から下は辛うじて人のカタチをしている程度の、機械と鉄の塊だった。

 少年に向けられていた腹部の位置が開く。
 其処から現れたのは、未だに肉の薄い少女の胸板。それに違いない。
 鋼鉄の鎧の様なフレームの付属された胸元と、白い柔肌の腹部。
 そして、硬いながらもスカートの様になっている飛空機だった時の一部。

 左右のウイングが背中に当たる位置へ移動。そのウィングの中から現れたのは、紛れも無く少女の腕だ。
 ただ、足同様に肘先からが人間のそれではない。
 鋼鉄で生み出された義手のような、それでも、可憐な少女の様に細い腕。それが構築されている。

 リングが腰位置辺りまで稼動する。この時点で、少年の前に浮んでいた飛空機は、無機質な外見を最早留めていなかった。
 飛空機の中から現れた少女の体。足の膝下は鋼鉄。腕の肘先は鋼鉄。
 左右の腰位置には二基ずつのアフターバーナーと、地面と平行しているかのような厚めの鋼鉄リング。
 胸板は鋼鉄のフレームで押さえつけられ、腹部は真白の柔肌で、スカートの様に広がった機体一部が、ソレを『彼女』として認知させてくれる。

 残ったのは、天を穿つかのように伸ばされている二本のドリル。
 人間的に見るのであれば、それは丁度頭部に位置する部位から天へ向かって伸ばされている。それが、左右に割れた。
 右のドリルはそのままスライドし、右肘と思われる部位と合着。左のドリルもそのままスライドし、左肘と思われる部位と合着する。
 月の弾く銀の光が、煌くように少年の眼には映った。
 それほど彼女の髪の毛は銀色で、まるで、鋼性種を見ているかのようであったからだ。

 足元まで届くかのような銀色の髪。それが伸びている、五年前から何一つ変わらない少女の顔立ち。飛空機の頭頂から、ソレが出現した。
 肩のアーマーが付属。後方のリングが、若干上方へ傾く。
 それで完成なのか、少女が真紅の瞳を開いて、初めて目の前の少年の姿を見た。
 それは、アーニャと言う少女だった。紛れも無く、アーニャと言う五年前、魔法界からも人間界からも失踪。その後、死亡届けまで出たかの少女に、他ならなかった。

「アーニャ……!!」

 その体。どこを見ても、かつてのアーニャと言う赤い魔法使いの様相は無い。
 銀色の髪。真紅の眼。鋼鉄で覆われた体。僅かに見える白い柔肌と、その顔立ち。
 それだけが、かろうじてアーニャと言う魔法使いであった存在を示す証であり、唯一の兆しであった―――
 白い月の下に、二人分の影が完成する。一人は、それなりの身長の少年。だが一人は、一体は、一切歳も成長も重ねていないであろう少女の姿のままであり、目の前の少年以上の重装備を施した存在。

 少年の声は出ない。いや、少年は何処かでこの結果を予測していた筈だ。
 去り際、あの赤い魔法使いの少女が何処へ消えたのか。
 消えた時に感じたあの気配。後に気付く、鋼性種と呼ばれる生命体の気配であった筈だ。
 だから、少年は初めて鋼性種を見た瞬間にこの結果を頭の中に形成した。
 アーニャと言う魔法使いの少女は既に鋼性種に成り、何処か、遠い空を行っているのではないか。
 それを予測したからこそ、少年はマギステルとして世界を廻っていたのではないか。

 少女を見つけ出すために少年は数年をかけたのかもしれない。
 自分の答え。見出せなかった答えを告げる為に、あの時、たった一つしか道は選べないと言った幼馴染に、その決意を告げようとしたのかもしれない。
 全てはかもしれないであり、全ては遅かった。目の前に居る鋼化したかつての幼馴染の姿がソレを語る。
 漸く出会えた、その果て。地平線の果ての果てまで廻りに廻ったその果てに用意されていた結果は、今日、月の下で白日の下に晒された。
 少年の口が小さく、しかし何度も開閉する。鋼性種と鋼化した生き物がどんなものかを、少年は知らないわけではない。
 鋼化した神楽坂明日菜を知っている以上、目の前の少女がどの様な存在となっているかを、少年は容易く想像出来る。

 意思のある様でそうであるのかなど誰にも理解出来ない眼差し。
 生き物として、終ぞその形容を留めていないその体。
 鋼性種へと転醒した存在のその姿。目の前に浮んでいる少女は、まさにそれに他ならなかった。
 如何様な声が通じるだろうか。如何なる問答が、この目の前の鋼の少女に通じるのだろうか。
 少年はそれを必死になって脳内で想定する。そして、辿り着く結論は全てが否。
 目の前の少女は、絶対に言葉と言うものは話せないであろうという結論であった。

 鋼性種は言語体を必要としない。
 正しくは、言語体と呼ばれるものを使用しない。
 それは、単一で完璧である生命体故に、他者とのコミュニケーション機能を必要としない処からこう進化したのだと、機能得限止は文中で語っている。
 ならば、目の前の少女は口を開くまい。寧ろ、目の前に立っている少年を何時敵対として見るのか解ったものでもない。
 鋼性種と化した少女には、最早少年が何者であるのかの概念も恐らくは無いだろう。よって、少年が何を言おうが、少女には通じない。それが、答えだった。
 少年の口が何かを発音しようと口を開くも、直にその口は閉じられるの繰り返しだ。
 少年の頭の中で繰り返される、語りたいと言う衝動と、語っても通じないであろうと言う事実。それが衝突しているのだ。
 風が吹いた。しかし、ただの風で無いと少年は知覚する。耳が、何かの音を捉えていたから―――

『…………今日も天板に映った白い大岩は優雅なものね』

 天の仰いでいる銀髪の幼馴染。合成音声のような、機械の駆動音が混ざったかのような声だった。
 だが、その奥。その深遠から伝わってくるものがある。少年の胸は、それに打たれた。
 彼女の少女の声。かの、魔法使いの幼馴染だった少女の声だった。
 信じられない事に、明らかに鋼性種と化した少女は自ら声を発し、意思を持っているかのように言語を口走ったのだ。

「アーニャ……!? 僕が解るの!? ネギだよ!! ネギ・スプリングフィールド! 一緒に魔法の練習をしたよね!? アーニャ……なんだよね!?」

 仰がれていた顔が、少年の方を向く。そして微笑み。少年が知らないような優雅な笑顔で、彼女は微笑んだ。
 ―――だが、その笑顔を見た瞬間、少年は理解出来なかったが、少年は僅かに不安を感じた。
 感じた不安など一抹で、余り気に留めるほどのものでもないような不安感だ。
 しかし、少年の内の何かが、少年自身に訴えている。不安感と、身に募っていく消失感。
 そう、その笑顔を見ているだけで、身体が泡になっていくかのような、自分と言う存在そのものが消えてしまうのではないかと言うほどの、存在感。
 それが笑顔を頭して伝わってきているのだ。僅かに少年の上方へと移動し、見下ろすように少年を見て笑んでいるかつての赤い魔法使い。その笑顔は―――

 静かに笑っている。紅い、黒目と白目の境が余りにはっきりし無さ過ぎる、見えているのか、見えていないのか判断出来ない余りに深い、夜に覗いた血の滴る井戸じみた双眸が、限界まで細められ、少年を射抜いていた。
 ネギ・スプリングフィールドと言う少年は知らない。
 健在なのはエヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルのみ。
 故に、彼女が今のアーニャと言う名の少女の姿をした鋼性種の笑顔を見れば、恐らくは、ある人物と姿を重ねただろう。
 かつて、突貫魔法少女を名乗っていた少女。
 かつて、皆の為にと心に訴え続けていたのにも拘らず逝ってしまった少女。
 あの、紅い魔法使いの少女と共に居た、あの女性と―――
 自分が消えていくような消失感。もう、手の施しようが無いと思わせるような、狂的なしかし、誰より艶美な笑顔を浮かべる少女を前に、少年は、今一度叫ぶ。

「アーニャ……帰ろう? ウェールズへ。ネカネお姉ちゃん……泣いてたんだ……ずっと……ずっと泣いてたよ……きっと……きっと生きているって知ったら、お姉ちゃん喜ぶよ。だから、アーニャ……」

 言えた言葉はそれだけだった。少年の心から、かの迷いは別の場所へと移ってしまっている。
 今は、死亡したとも思われていた少女。彼女が生きていた事。それを、自分の姉へと伝えてあげたい。
 彼女を惜しむ多くの人々へ、彼女の生を知らせてあげたかった。それが、今の少年の心を占めてしまっていた。
 少女は語らない。再び天を仰ぎ、月の真下へその身を晒し続けている。
 銀の髪が真白の光を弾き、白い珠の肌もまた、銀光に栄えている。
 全身を包む無機質な鋼鉄。その背中に取り付けられた真紅のウィング。それが簾の様に割けたと同時だったか―――

『ネギは、死んだ命を呼び返したいと思ったことはあるかしら』

 少女は、ウィングから炎を翼を左右へ広げ、一瞬で周辺を真紅に染め上げた。

「………………アーニャ?」

 少年が見上げている先。真紅に染まった空の頂点に、赤い翼を生やした魔法使いだった少女が、狂気じみた、かの突貫魔法少女が最も初めに浮かべていた時と同じ、あの、気狂いの様な笑顔を、眼下の少年へと向けていた。
 左右へ広げられた真紅の翼。一体何度あるのだろうか。周辺の雲の殆どは、その翼が広げられたと同時に全て気化してしまっている。
 それ程の高温の翼が、背中のウィングから生え、羽ばたかせるたびに焔の羽根と火の粉を舞い上げ、空は、その度真紅に染まっていっていた。

『フェニックスの片翼が起動するわ。長かった。五年も掛かっちゃった。
 後は、ネギ。貴方の背中の杖を借りるわね。私の魔杖、何処かに行っちゃったの。迷子迷子。悲しいなぁ。折角一緒に居てあげたのにね。
 でもあの杖あんまり好きじゃなかったの。だって、あれ。杖って言うよりホントに銃じゃないの。要らないわよね』

 壊れた人形の様に、アーニャと言う少女は語り続ける。
 その姿を、少年は不安そうに、しかし危険を感じながら見上げ続けている。
 口から吐き出される意味不明の単語。
 フェニックスの片翼。
 父から受け継いだ杖。
 アーニャ自身の魔杖。
 それが何を意味しているのか、少年には判断できなかった。
 ただ、目の前に居る魔法使いだった少女。
 ソレは、既に自分が知っている頃の彼女とは違う。それだけが、少年には理解できた。

「アーニャ……!? 何を、何を言ってるの!? フェニックスの片翼って……一体!?」
『片翼は片翼。損なわれた翼。損なわれた一部の代わりに魂を呼び返す覚醒の大儀礼。
 五年間真理に触れた甲斐があったわ。そうして見つけたのよ。実行できる時期もね。時は、来たわ。
 死ぬ事により育まれる魂のカタチと生きる事の果てに手がかかる魂の淵崖。
 全ての源にして再生の水と灰と成してもなお恵みとなる炎上の火。
 ありえない二つとありえるべき二種の混合。その隘路の果てに至った未知の活路。
 即ち、それは不死鳥飛翔の片翼なの』

 月の旗の下。焔の翼の少女は、火の粉ならぬ日の子を巻き上げてその光の下に立つ。
 眼下の少年と、頭上の少女。魔法使いと、鋼性種。
 最早、相容れぬモノと化した存在が二人、天の高みと天の深みに立っている。
 麻帆良の空は真紅に染まっている。見上げているモノは多く、そして、幾人かはその紅さに心の傷を抉り出されたような気持ちになっていた。
 かつての昔。かの五年前の紅さ。頭上の、天に輝く白い月以外全てを紅く染めている、その光。それは、あの、麻帆良を焼き払ったかの炎と同じであった。

「アーニャ!!」

 少年の叫びは、もう届かない。

『さぁ雷と炎。風と熱の絢爛豪華な大祭害。貴方の風で、灰になるまで切り刻んで見て頂戴』

 少女の手が天に向けて翳される。
 狂笑と焦り。二つの意思は溶け合う事無く、幾年ぶりに、二人の魔法使いに魔法合戦の場に溶け落ちていった―――


 少女の背中に位置していた厚めの鋼鉄の塊であるリング。その外周が、幾つか展開する。
 そこに並ぶのは、幾つもの孔。潜水艦が撃ち出す滞空魚雷の発射孔にも似た、その孔。
 其処が紅く発光すると同時に、紅い無数の閃光の帯が、眼窩に在った少年目掛けて撃ち出されたのだ。
 
 少年は瞬間でそれが何で在るのかを判断した。
 魔法の射手。アーニャと言う少女と、ネギ・スプリングフィールドが最も最初に魔法学校で学んだその魔法。
 初歩中の初歩とされる攻撃魔法の一種であり、基本中の基本と言うだけに、様々な扱い方の出来る応用の効く魔法だ。
 頭上の鋼化アーニャ。彼女は、無詠唱も無詠唱。魔力の充填すら無しに魔力を溜め込み、かの魔法の射手を撃ち出したと言うのだ。
 しかも、その数はかつて少年が限界数であった九本などと言うレベルの問題ではない。

 眼下の少年に向かって突き進む赤い帯。
 天に掛かる扇のように広がる、真紅の光の束。
 一発一発に篭められている魔力は、最早魔法使いが一発の魔法の射手のソレに篭められる魔力量を軽くオーバーしている。
 無理も無い。彼女は鋼化している。鋼性種なのだ。現行の世界で最も第二世代に近い存在。
 故に、第二世代を目指す第零世代は強力を惜しまない。
 そう、鋼性種が魔法を使うとならば、その魔力。自然界から与えられるその力の量は、従来の魔法使いのソレを遥かに凌駕するに決まっている―――

 杖の上に立っていた少年は足から杖へ魔力を一気に流し通す。
 既に足からでも魔力を通す技能を身につけていた少年にとって、撃ち出された魔法ならぬ火砲の射手数十発を回避するのは容易い。
 だが、そのまま回避してしまえばどうなるのかも、少年は知っている。
 高速。瞬動には劣るも、かなりの速度で、少年の杖は空中を駆ける。
 僅かに開いていた火砲と火砲の隙間。そこを潜り抜け、少年は踵を返す。
 回避した事で攻撃対象を失った火砲の射手。それが漸く再建した麻帆良へ落着するのを防ぐ為に。
 少年は、無詠唱で十六本の風の矢を解き放つ。

 それが、火砲と接触したと同時だったか。麻帆良の空を、爆炎が包み込んだ。
 雲を突き抜け、ローブの端々を僅かに焦がした少年が現れる。
 突き抜けた雲も、少年が突き抜けたと同時に既に蒸発。そこにはない。
 少年が見つめる先は真紅。赤く染まっている。それに加えての超高熱。
 少年は見て、そして感じてしまった。撃ち出された火砲の射手に篭められていた熱量の大きさ。
 僅かな衝撃で炸裂し、周辺の火砲まで全て引火して起爆したその破壊力。

 曰く、少年がまだ吸血鬼だった少女から教えを請うた時、吸血鬼の少女は言っていた。
 数多く居る魔法使いでも、特化して破壊力に優れた魔法使いの属性は炎であると。
 炎属性の魔法使いの魔法の破壊力は、同じ魔法であっても、威力は二乗以上違うと。
 だが、今し方撃ち出されて起爆した火砲の射手の破壊力の大きさは二乗と言うレベルの問題ではない。
 最早魔法使いとしては規定外。
 兵器。それも、パトリオット巡航ミサイルのソレの威力。
 魔法というよりは、正に火砲、破壊力だけを特化させた、破壊専用の魔法であった。

 燃える大気。空気中の大気が燃え、プラズマ化している。
 それだけの高温で、瞬時に離脱を選んだ少年の判断は正しい。
 恐らくは、一瞬でも判断が遅れていれば、少年は今頃、目の前のプラズマの様になっている大気の中で炭も残らず燃え尽きている。
 そのプラズマの様な雲の中から、真紅の翼を生やした不死鳥―――否、炎を纏った、かの飛空機が出現して、少年に、体当たりをかます。
 僅かの差。後一瞬遅れていれば、艦首のかつて、突貫楯と呼ばれる武器の一部を担っていた単一性元素肥大式で構築されたドリル状の一方で貫かれていただろう。

 一瞬で飛空機はアーニャと言う少女の姿へと立ち戻る。
 先の変形速度などお構い無しに、しかし、先の変形とまったく同じ変形機構で少女の姿を取り、少年の対物理魔法障壁に突き刺さっていた小突貫楯を、思い切り右手で振り抜く。
 空中へと投げ出される少年だが、彼はかつての彼ではないのもまた事実。
 少年は京都でこうして杖の上から撃墜された事があったが、その時は体勢を立て直せず地上へと落着してしまった。
 アレから数年。少年はしかと握った杖へと魔力を込めなおす。それだけで、杖は再び中空へ浮いた。
 少年は片手でソレに掴まって、自身を叩き飛ばした鋼化した少女を追い抜き、なお空へと昇っていく。
 そうして、杖の動きが止まったと同時。少年は握っていた手を軸として一回転。再び、杖の上にサーファーの様に立つ形となった。

 しかし、その手に残る痺れに少年は顔を顰めている。
 突っ込んできた時の衝撃。そして、吹き飛ばされた時の衝撃。その二つの衝撃が、未だに手に残っているのだ。
 その威力、既に少女が少女ではないと想定させるには十二分なものだった。
 仮にもサウザンドマスターと呼ばれた父譲りの大魔力で展開した風の盾。加えて、中国拳法で習っていた身のこなし。
 如何に空中戦であったとしても、その二つを体得している少年ならば、先の二撃は受け止め、反撃に転じられるのに充分なモノである。
 だが、それがまったく出来なかった。少年は見たのだ、両手に込めた魔力。
 それを以って練り上げられた、堅固な筈の風の盾。それは、不死鳥のように突っ込んできた小突貫楯の先端を中ほどまで食い込ませる程度の堅固さでしかなく、その風の盾ごと吹き飛ばされた時の衝撃。
 その腕力は、もう人間の想像範囲を容易く超えてしまっているということに。

 感知する。考えている暇など少年にはなかった。
 杖の上に立って居るのでは遅いと判断し、少年は杖に跨った。それと、同時だっただろうか。
 十五発の紅い帯。それが、月を目指すように少年の周辺から天へと向かって伸び―――降り注ぐ星のように、少年目掛けて落下してきたのだ。
 見送るより先。少年は奔り出す。杖を限界ギリギリの速度まで上げ、降り注いでいた十五本の火砲を回避しきって見せる。
 その十五本が雲に着弾したと同時だったか。少年の背後は、再び高温で包まれた。
 身を焦がすほどの爆風と、眼を覆おう程の閃光。
 だがそれに気を割いているような余裕など存在していない。奔る。少年は、杖で己が身を奔らせ続ける。

 理由は容易い。下。少年の足元に広がる雲。
 そこを、まるで滞空魚雷のように何かが突き抜け、月へ向かって三秒だけ上昇。その後、少年目掛けて若干の補修を加えながら降り注いでくるのだ。
 それを回避するという行為。それだけの行為だというのに、少年には生きた心地など無かった。
 狂ったように降り注いでくる紅い帯。火砲の射手の破壊力は先の程ではないにしろ、一発一発の破壊力は少年やサウザンドマスターのソレなど軽く越えている。
 直撃弾ならば、恐らく、一発で体の一部分は根こそぎ焼き尽くし、抉り取るだろう一撃。
 少年は、雲の上を猛スピードで駆けながらも、ソレの回避に全力を賭していた。

 だが、それも人間の反射神経には限界がある。
 十七本の火砲が天に伸び、そして落ちる。目指す先には少年。そして、その内の十五本は回避できても、二本は如何なる動きでも回避できないと踏む―――
 杖の上に立ち、眼前から突っ込んでくる二本の火砲に掌を向ける。
 周辺に落着し、少年の周辺雲を片っ端から燃やし、吹き飛ばしていく火砲の嵐。
 少年が目前に翳した二本の掌。両手で“待った”の体勢を作るかのようなその体勢にの正面に展開される薄い薄い雷を帯びた風の盾。それが展開されるが速いか。
 直撃した二本の火砲の射手。それだけで、少年の体は吹き飛ばされた。

 雲を抜ける。体に感じるのは、下から突き上げてくる強風とその両掌を焦がす熱さ。
 杖は彼が呼ぶでもなく少年の元へ戻り、再び魔法使いの少年は空へと昇っていった。
 両手を見る。紅い紅い両手。出血は無いが、黒く焦げる程の火傷の箇所が見当たっている。
 それ程の威力なのかと、少年は心底に身を奮わせた。魔法使いなどと言うレベル。人間の兵器と言うようなレベルではない。
 彼女の撃ち出す火砲は、まさに太陽の欠片そのものだった。
 それだけの威力と熱と炎を含んだ業火。単にソレが高速で飛翔し、少女の魔力で凝縮されているのが飛翔しているだけなのだ。
 言ってしまえば、遠隔操作系の魔法の射手。それが、ほぼオートで実行されているのだ。

 魔力の扱いが上手い上手くないの問題でもない。
 よほど熟練の魔法使いでも、此処まで立て続けに魔法の射手を射出し、相手を狙っていく真似など出来ない。
 現に、かの鋼化アーニャが撃ち出した火砲の射手の数は立て続けに撃ち出されたのを数えても二百本は越えている。
 かつて、一片に百九十九本の魔法の射手を行った少年であったが、その時は卒倒したにも関わらず、紅い鋼性種の撃ち出して来る火砲の射手には衰えなど感じさせない。
 全てが必殺であり、直撃弾で即死するような威力を孕んだ爆撃弾のソレに他ならないほどだ。

 杖の上に立ち、かの鋼化した幼馴染を探す。
 真っ白い月が、いつの間にか真紅に染まっていた。それは、月が染まっているのではない。
 かの鋼化アーニャが言うように、月を映している天板が燃え盛る空を真紅を映し出し、結果、そこに映っている月も紅く照らしているに過ぎないのだ。
 月は銀板。天を映し出す鏡だ。

 ふと、少年の目の前を大気とは違う層が通り抜けたような気がした。
 霧のような靄。あるいは、明らかに大気とは異なると理解出来る気体の対流。
 それが、空中で止まって少女を捜していた少年の外周を包み込んでいく。
 それが何であるのかと気付いた時点で既に遅い。
 周辺の空気が、一瞬だけ、バシュっと猛ったと同時。

 麻帆良の空が、一瞬で真紅に包まれた。

 麻帆良の空に太陽が生まれる。
 まさに、それは太陽としか呼び様の無い火球であった。
 それだけの大きさの爆炎球であり、それでいて、視認できる程の衝撃波を四方八方へ散らすかのような。そんな、爆炎球だった。
 地上から見上げていたアルビレオが目前に魔力で構築された盾を生み出し。
 到来するであろう衝撃波に備えた。ソレの一秒後。地上に、突風ならぬ熱風と豪風が渦巻く。
 地上に居る全ての人間がソレに震えていた。
 特に、五年前を知る人間。それにとって、今麻帆良の上空で繰り広げられている真紅の応酬は思い出したくも無いトラウマであろう。
 地上。ソレの女子寮。そこの一室に、膝を抱え、耳を塞いでいる女性が居る。
 既に成長した女性だと言うのに、彼女は耳を押さえ、外から響く轟音と炎の赤さに目を叛けるように体を折っている。

「……イヤや……!! 来んといてぇな……!! 火っ、火は火はいややぁ……!!」

 青空色の髪の女性は、五年前に見た麻帆良の紅さに。
 再び復活したあの紅さに、ただただ膝を抱える事しか出来なかった。

 空。ブスブスと全身からこげた煙を立ち昇らせながら、少年が落下している。
 少年の意識は完全に消えている。絶命必死の爆炎の中心部。
 少年は、正にそこに存在していたのだ。もし、一切の耐熱耐火状態でないのならば―――恐らくは、高圧と高熱で体は死に切っているだろう。
 落下していく。かつて橋から落ちた吸血鬼の少女を助けた時のように、少年は眼窩目掛けて只管落ちていく。
 今度は助ける側は一人も居ない。本当に、独りきり。

 落下の内で、少年は思考を廻す事が出来た。全身を激痛が苛んでいるが、少年は生きていたのだ。
 ただ、体を動かせるほどに肉体が正常ではない。それゆえに、重力に引かれるがままに落下し続けている。
 少年が頭の中で思う事。それは、かつて一緒に魔法の勉強をした、自分よりも一歳年上のあの少女。あの、紅い魔法使いの少女の姿だった。

 少女は、極めて特殊な魔力大系の持ち主として、魔法学校でも噂の魔法使いだった。
 属性は炎。あらゆる魔法使いでも、特化して攻撃能力の高い魔法使いの属性である。
 女の子でありながらその属性持ちだった彼女は、からかわれる度に、本当に炎の様に激昂していた。それを留めるのは、何時も少年の役目。そうだった筈。

 紅い魔法使いの少女は、少年に続く次席で魔法学校を卒業した。
 ネギ・スプリングフィールドと言う少年と、アーニャと言う少女は、本当の意味でライバル的な立場に居た魔法使いだったのだ。
 いや、少年はきっとこう想っているだろう。彼女と自分では致命的に違う箇所がある。
 同じ魔法使いでも、自分は魔力をオールマイティーに扱えるタイプの魔法使いで、でも回復系には疎かったと。
 比べて少女は違っていた。そして、その思いは少年一人が懐いたものではなかった。
 炎を属性と持っているはずの魔法使いの少女は、他の魔法使いに比べて特化して回復魔法の扱いに長けていたのだ。
 それは、普段『人間ナパーム』と呼ばれてからかわれていた少女からは想像も出来ない姿。優しげな、姿だった。

 少年は知らない。時折、魔法界には特化して特殊な立場の魔力大系を持って生まれる魔法使いの家系がある。
 アーニャと言う魔法使いの少女は、まさにそれであったのだ。
 ネギ・スプリングフィールドの属性は基本として二種。大気系と光系。片や、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルのかつての属性も二種。低温度系と闇系であった。

 ならば、かの紅い魔法使いの少女の属性はなんだったのか。
 簡単だ。彼女が魔法界でも特化して特殊な立場上で生まれた魔法使いと言うのであれば、彼女の扱える魔法属性は通常の魔法使いのそれとは表裏逆。
 対極図に位置する魔力大系。アーニャと言う魔法使いの少女の属性は、火と水だった。
 生き物の肉体構築の殆どは水分。ソレを治療するには、やはり水属性の魔力大系が効率的なのだ。
 かたや、生き物の肉体構築の殆どが水分だと言うのならば、それを効率よく破壊できるのは、やはり炎属性。
 アーニャと言う魔法使いの少女は、相反する筈の属性を同時に行使できると言う異常魔力大系の持ち主だったのだ―――

 彼女は、よく己がその魔力大系を利用しておかしな事をしていた。
 空中で幾つモノ火球を生み出すと言う、綺麗な、花火の様な火の塊を風船のように何個も浮かべていた光景を。少年は、漸く開いた瞼に思い浮かべた。
 杖に魔力が注ぎ込まれる。そうして、再び浮ぶも、少年の息は荒い。無理もなかろう。アレだけの爆炎に巻かれて、正常状態で居られるほうがおかしいのだ。
 だが、幾ら口や鼻から酸素分を補給しようとしても、吸い込む空気に含まれている酸素含有量が驚くほど少ない。
 まるで、無酸素状態。そんな状態に近い意味を、少年は、やっと理解できた。

 彼女が使ったのは魔法。
 鋼性種として使えば、其処まで威力が上がるのかと思わせるほどの威力となっていた“Exhatio≪炎爆≫”と呼ばれる、かつて、エヴァンジェリンが使用した“Niviscasus≪氷爆≫”とは対極に位置する、言わば爆熱と高熱で相手を攻撃する魔法である。
 だがそれでもその魔法であの起爆量は明らかにおかしい。どれだけの魔力量を継ぎ込んだとしても、Exhatio自体の破壊力はここまで強力ではない筈のだ。

 だが、少年は忘れている。彼女の使用属性。彼女は、世にも珍しい炎と水の対極属性を扱う事が出来るという特殊な魔法使いなのだ。
 その彼女がExhatioでアレほどまでの爆発を起こせた意味。少年は、それを失念している。
 彼女は水を扱えるのだ。それがはたして爆発と関係在るのか。
 ある。少年は見ているはずだ。爆発が起こる一瞬前、空気とは僅かに違う大気の流動があったこと。
 そして、かつての昔、少女が、幾つモノ火球を空中へ生んでいた事を。
 大気中に最も多く、否、この宇宙上で一番多く存在している原子体は何か。
 それは、水素。水素は水素ガスを発生させ、常温では無味無臭。
 しかし、それでいて―――非常に燃えやすいという性質を備えている。

 もし、鋼性種と化したアーニャと言う魔法使いの魔力操作力が著しく上昇しているのであれば、それは不可能ではないのだ。
 即ち、大気中に充満している水素をあの時少年の周辺に密集。加えて、空気中の酸素と水素の化合率を僅かに上昇させて、其処へExhatioを唱えたのであれば―――
 空気と攪拌された大量の水素とそれと化合した大量の酸素。
 適度な混合率で保つなど、水を操作に長けている魔法使いの少女なら容易かろう。
 そこへ火種を叩き込めば、水素と酸素は一気に可燃。周辺は、一瞬で炎に包まれると言うわけだ―――

 それは、最早燃料気化爆弾のソレに近かった。
 燃料気化爆弾とは、文字通り、空気中へ可燃性の燃料を散布。
 先の爆炎発生のExhatio同様、適度な化合率になった瞬間に点火。
 空気中の酸素の殆どを焼き尽くし、加えて同時に発生させる高圧力と爆炎で広範囲を破壊すると言う、単独核兵器を除くのであれば、その破壊力はソレに継ぐとまでいわれている殺戮兵器である。

 彼女は、そんなものより遥かにクリーンで簡単な方法で同程度以上の破壊力を生んで見せた。
 大気中の水素操作。加えて酸素との化合。
 それによる、巨大火球の発生。まさに、現行地球上で最も破壊力のある爆弾であろう。彼女は、それを、容易く精製して見せたと言うのだ。
 水素原子なら空中には腐るほどある。雲だ。雲もまた、水蒸気の塊なのだから、そこからいくらでも水素原子を取り出し、空中へ散布するには事欠かない。
 今の鋼化したアーニャにとって、空中とは天然の火薬庫にも等しい。

 だからか。少年が如何にして大量の酸素を供給しようと息を荒げても、酸素はまったく供給されていない。
 それどころか、胸を、肺を強く焼くばかりだ。
 無理もない。アレだけの爆炎球。空中に合った大量の酸素は悉く焼き尽くされ、一部たりとも残っていないに等しいだろう。
 加えて、全身を噛み砕かれたかのような鈍痛が奔った。
 恐らく、急激な気圧の変化。ソレに伴って、肉体の内部へのダメージが深刻なのだろう。先の一撃には、それだけの殺傷能力が秘められていたのだ。

 ガハッ、と血を吐く少年。だが余裕など無い。今攻撃を仕掛けている紅い不死鳥少女には慈悲など無い。
 彼女は、鋼性種であり、人間とは違い領域へ至った第二世代に近しい存在なのだ。
 雲を突き破り、真紅の世界が一瞬で少年の視界を埋め尽くす。
 見上げた先。そこに、小突貫楯を従えた、かの紅い魔法使いが―――
 突き出される一撃。その気になれば、心臓すら貫通するであろうその一突きを、寸でで少年は回避しきる。
 だが、完全ではない。頭目掛けて振り下ろされた一撃は、少年の左頬を削り、空中へ血飛沫を舞い上がらせた。
 一歩、少年は引く。空中戦では目の前の赤い戦闘機が遥かに有利と認知し、己が両手両足、肉体筋肉、その全てへ、魔力を通していく。

「―――Cantus Bellax!!<戦いの歌!!>

 少年の肉体をオーラ状になった魔力が包んでいく。
 五年前以上に完成されたその魔力の対流は、恐らく、かのサウザンドマスター相手にも既に引かぬレベルの者になっているだろう。
 だが、それは対人においてだ。目の前の真紅の戦闘機相手に通じるなど、少年は思っていない。
 思っていないが、それでも、このまま全力でないままで負けるわけにはいかない。その意地が、少年を突き動かした。
 少年の周辺に、一瞬で七つの魔力塊が発生する。
 雷の射手。ソレは、五年の間に更に磨きを上げて習得したかの中国拳法と魔法の混合一体の技だ。
 杖の上。少年は僅かに前傾姿勢となり、目の前の紅い戦闘機と化した少女を見る。
 何一つ変わっていない、あの時のままの姿の少女。遥かに身長差があるというのに、既に存在としては別次元の少女。それを一度だけ悲しげに見つめ、少年の姿が、消えた。

 次の瞬間には、少年は少女の背後に居た。瞬動。地上とは違い、空中で使ったが、そこは五年の研鑽がある。
 かの忍者の少女から学んだ空中での瞬動。それもまた短距離ながらで体得し、こうして披露して見せている。
 少年の目の前には紅い少女。確実に捉えたであろう。少年の瞬動の速度は、既に縮地と呼ばれるモノに近い速度だ。
 よほどの達人でも、それを見極めるのは困難だろう。故に、まるで格闘経験の無い少女には見切れる筈も無いと、少年が崩拳の構えを取ろうとした刹那。

 少年の顎を、何かが打ち抜いた。
 打ち抜いたと言うよりは、当たった瞬間に炸裂したが近い。そんな衝撃である。
 空中でバランスを崩され、完全に意表を突かれた状態で、少年は、辛うじて呼び寄せた杖の上に乗る。
 だが、立って見上げるよりも早く、次の衝撃が来る。しかも、一発二発ではない。何発も、何十発も飛来してくる。
 そして、小さな爆発を伴ったその撃が、両手、肩、両足、大腿、腹部、頬。あらゆる箇所へと届いてくる。
 耐え切れず、少年は杖に乗った状態で上昇を開始する。
 それで漸く撃の乱打は一先ず止んだが、少年が飛んでいた箇所で、居なくなった後も、数発爆発音が小さく鳴っている。
 上昇し、そして雲を突き抜けてところで、その正体が見えた。正確には、見えたというのに関わらず少年には回避する事など出来なかった―――

 両手でガードするも、その多重の炸裂が余裕を赦さない。
 彼を襲う無数の撃。それは、破壊力も速度とイニシアチブを優先した火砲の射手。
 それも、マイクロミサイルのように細かく、しかし、速射性の効く火砲の射手だったのだ。
 それから逃れる為に、少年は乗っている杖の速度を挙げる。
 いかに修行に継ぐ修行を重ねたと入っても、矢継早に撃ち出されて来る火砲の速射相手には内心での呪文詠唱すらままならないのだ。
 魔法使い、魔術師、魔道師の類も――――単純な火力だけならば、最新鋭の火器には敵わない。
 速度を上げ、更に上昇していく。酸素が薄くなれば、火砲の威力も多少は弱まるとでも踏んだのか。
 だが、それは間違えだろう。彼女の火砲の射手は空気中の酸素を燃焼させた炎を飛ばしているわけではない。
 彼女の炎は魔力塊。魔力によって構築された炎なのだ。故に、この炎が絶えるのは彼女の魔力が枯渇した時だけなのだが―――既に鋼性種と化しているアーニャ。彼女の内に在る魔力の絶対量は、従来の魔法使いのそのレベルではない。

 少年はそれを忘れていたのかもしれない。だから、ただただ速度を挙げて、追尾してくる細かな火砲の速射から逃れるように速度を挙げていく。
 だが、少年の背後から無数の真紅の光線が、地上から天を照らすサーチライトの如く踊った。
 思わず振り返るも、振り返った瞬間、髪先を焼かれた。ブスブスと扱げた臭いが、少年の鼻腔を突く。
 これは、熱線だ。赤色熱線。天空目指して上昇していく少年の先の雲を切り裂き、燃やしていく炎のレーザー。
 的確に少年を狙撃してくるソレ相手に、少年は弧を描く軌道で回避行動に勤める。
 直撃すれば、液化のプロセスなど無視して一瞬で蒸発させる程の威力だ。
 回避に次ぐ回避。だが、レーザーの軌道もまた、光速で向かってくるのだ。
 回避に回避を重ねても、その衣服、身体のあちらこちらでは外傷が目立ち始める。

 それでも、少年は遥か高みを目指す。自分はアレの下には立てない。
 下に位置するということは、眼下の麻帆良を下にするという事だ。
 故に、少年は天を目指していく。と、突然に最高速度にも近しい状態で臨んだ正面、その果ての雲の中から、真紅の翼の不死鳥が突っ込んでくるのが見えた―――
 お互いに最高速で突っ込んでいく。杖の上に乗っていた少年は跨って、かつて、鬼の復活にその魔力を利用された己が生徒を助ける時のように杖に最高速度を出せるの魔力を注ぎ、片や、飛空機モードとなって炎を全身に従えて、不死鳥のように突っ込む少女は、世界を真紅に染め上げつつに。

 お互い、最高速度で相手へと向かっていく。
 杖にサーファーのように乗って突っ込む少年と、爆炎を巻き上げて突っ込む突貫飛空機。
 一瞬で、炎の中の紅い魔法使いがその姿へと戻る。そして紡ぎ出されるのは―――あの、懐かしき紅い魔法使いの呪文大系―――

『Ali・lis Ma・lilis Amalilis<アリ・リス マ・リリス アマリリス>
 Dawn, die brennt, Asche wird angesammelt.<燃える暁 灰を積もらせ>
 Ich bin Morgendämmerung. Diese Person ist ein Morgentau.<私は夜明け かの者は朝露>
 Zum Morgen, der zu seinen Sinnen kommt, Es kann überholen.<夢の覚める朝に渡せ>
 Die fuenf Sonne,Wo ich haelt Vertraut werde,<私が懐くは 五つの太陽>
 Sonne Weltall Stern<太陽天球>』

 紅い魔法使いだった少女の掌に、バスケットボール台の大きさのオレンジ色の白光を帯びた火球が形成される。
 しかし、一つではない。五つ。五つの小太陽が、少女を母星として五つの火球は衛星のように少女の外周を回りだす。
 丁度、五亡星の様に配置されて回転する五つの火球。それを身にまとって跳んでくる少女を正面に。
 少年は、杖の上に立つ。両足に込めた魔力で杖と自身を深く深く結びつけ、よほどの衝撃でも離れぬようにと強く、自分を杖と結びつける。

 地上から見れば、二つの影は二つの流星にしか見えない。
 紅い流星と、白いローブによる白い流星。
 二つの星が、真紅に染まった白い月と、真紅に染まった黒い空の果てで、今正に衝突しようとしていた。
 少年の外周へ浮ぶ十六本の光球。無詠唱で生み出せる限界数の光の射手を生み出し、それに応じて、少年は右手を後へと引く。
 お互いに高速。瞬動や縮地程の速度ではないが、長距離航行においては最高速に近い速度だ。それを以って、二人は相手へと突っ込んでいく。

 少女の片腕が伸ばされる。その先端に付属されている小突貫楯。
 それはまるで、目の前の少年の頭を鷲掴みするかのように十字架の様に開く。応じるように、少年の引かれていた片腕が伸びる。
 それに、光の射手は纏わり付く様になっていき―――空の果てで、凄まじい轟音が響き渡った。

 雲が晴れる。少女と少年の周辺にあった雲は、全て二人の激突による余波で散ってしまっていた。
 その内で、少年と少女がぶつかり合っている。だが、突き出した少年の拳は少女まで届いていない。少女の伸ばした細腕の先。そこに付属されている、小突貫楯。
 それによって、少年の打ち込んだ閃華崩拳の全ては、完全に打ち消された。
 だがそれだけではない。少女の生み出した五つの天球。それが、まるで開いた小突貫楯の防御性を高めるかのように、小突貫楯と少年の拳がぶつかり合った場所の周辺に浮んでいる。
 その小球が発する高温。それで、少年の拳の周辺の空間が歪んでいるかのようにも見える。

 少年が手を引くと同時に、少女の盾を引く。引いたと同時に、二人は高みを目指して上昇し始めた。
 だが、ただの上昇ではない。少年は四方八方から追撃を駆ける。しかし、少女はそれを身を反転しながらの二本の小突貫楯だけで捌いていく。
 反射神経。身体能力。全てが魔力で強化され、稀代の魔法使いに迫るそれとなっていながら、少年と少女の間には余りに深い溝が存在していた。

 存在としての違い。人間と鋼性種としての存在の差がここに明確と成る。
 いかに自らを鍛え上げようとも、少年は人間の限界しか目指せない。
 だが、高みを目指して跳んでいく真紅の魔法使いは、既に人間ではない。鋼性種。鋼の性を持つ、鉄壁と現行地球上最高頂点の存在なのだ。
 縮地じみた瞬動で、少年は少女の背後から殴りかかる。だが、それはまるで背後に目が在るかのような少女の払いであっさりと弾かれた。
 その振り抜かれた一撃。完全に読まれた一撃を捌いた撃によって、少年は追撃を終了して落下せざる得なかった。

 そうして、高みを昇っていく真紅の幼馴染から離れる事数十メートルで、少年は漸く落下を留めた。
 そうして見上げる。天上には真紅に染まった白い月と、三千万里まで届くかのような炎の翼を広げた、鋼鉄の真紅の魔法使い。
 まるでカルラ。三毒を滅する、浄化の不死鳥。
 お互いに見上げる立場と見下す立場。
 かつて同格であった筈の存在の差は、すでに埋められないものと成っていた。

『ああ、月の光の降る夜はやっぱり綺麗。光がまるで槍の様。
 だから私も降らせて挙げるわ。貴方の心に刻まれる真紅で辛苦の赤流星』

 確かに、少年は紅い幼馴染の口がそう告げる。そうして掲げられる少女の右腕。
 先端の小突貫楯が再び展開し、その展開された小突貫楯の真上を、生み出された五つの太陽天球が回転する。まるで、何かを高めるサイクルの如く。
 そうして、高速で回転し始める右手の小突貫楯。かつて突貫楯ホライゾンに付属されていたその機能。
 回転し、相手をその硬質さで薙ぎ払うと言う機能。
 それを発動させ、天球は右回転、開かれた盾は左に回転し始め、その開かれていた盾から、何かが天井向けて撃ち出された。
 少年の目には花火のようにも見えたか。花火が天空へ向けて撃ち出され、そうして炸裂するまでの一瞬の静寂。
 だが、炸裂音と同時に、その光景を見ていた全ての魔法使いの目が見開かれる。
 それこそ、最も近い位置に居る魔法使いの少年。地上のアルビレオ、タカミチ。
 そして、遥か彼方。自らの家の二階の窓から夢見るように真紅の空を見つめていたエヴァンジェリンでさえも目を見開き。

「hundert Millarde,Campus stellae<降り注ぐ千億の星>……
 無詠唱でアレが出来る魔法使いが生まれたか……」

 エヴァンジェリンは、天空に広がった、文字通り千億の火砲の射手を見上げていた。
 少年はそれを見上げている。雨。雨のように降り注いでくる千億の魔法の射手。
 文字通り、千億にも匹敵するであろう無量大数の雨。
 視界を埋めるのは全てが先に少年を射抜こうとし凝縮火砲の射手のその威力に匹敵するであろう火砲の雨。
 少年は、それを知らないわけではない。否、今目前で展開されている千億の魔法の射手を降らせる魔法を、殆どの魔法使いは知っている。
 目の前で展開された魔法は禁術などではなく、オーソドックスだがそれ故最も習得の難しいを言われている基本中の基本の最高峰魔法なのだ。

 それがhundert Millarde,Campus stellae。別名降り注ぐ千億の星と呼ばれている、多重魔法の射手を上空から一気に降らせる広範囲殲滅排除魔法。
 最もシンプルな魔法の射手を幾重にも多重化させ、それを一度上空へ射出。
 天空で炸裂させたと同時に、一気に地上へ向けて降らせると言う絨毯爆撃魔法とも恐れられている大魔法級の一つであった。
 少年はそれを一秒見上げて、その杖の上で前傾姿勢になる。体にみなぎらせていた『戦いの歌』それによる身体強化の魔力供給を中断し、両手に己が魔力の限界量を惜しげもなく注ぎ込んでいく。
 降り注いでくる千億にも至らずとも、ソレに匹敵する量数の魔法の射手。
 何の対抗策も行わなければ、眼窩の麻帆良は嘗ての様に炎に包まれる羽目と成る。ソレを、嘗て何一つ出来なかった少年は良しとしない。
 両手に篭められる魔力。最早無詠唱ではまともな撃ち合うになどならないと踏み、少年は、その詠唱を口に出す。

「Ras・tel Ma・scir Magister!!<ラス・テル マ・スキル マギステル!!>
 εκατοντακιζ και κιλιακιζ αστραψατω.《百重千重と重なりて走れよ稲妻》
 ΚΙΛΙΠΛ ΑΣΤΡΑΠΗ!!《千の雷!!》」

 天空へ掲げられる掌。そこから、打ち合うように、壮絶な量の雷が天へ向かっていく。
 千の雷。嘗てサウザンドマスターが用いた、広域殲滅用の電撃系魔法。だが。
 雨のように降り注ぐ真紅の雨と、簾の様に昇っていく閃光の龍。
 それがぶつかり合った時。麻帆良の天空は、轟音と爆風の二つに包まれた。
 少年は掌を天空に向けたまま放電に没頭する。一寸たりとも、その脳内から油断の二文字を消失させた事など無い。
 紅い魔法使いの魔法は全て凶悪強大。油断など使用ものなら、一瞬で灰も残らず煙と化させられる高熱魔法の数々だ。

 爆煙と爆風の行きかう空。少年は絶えず己が魔力を凄まじい勢いで消費させながらもなおも電撃を上空へ向け、撃ち放ち続けている。
 だが、たった一回で千億もの魔法の射手の発動を終えた紅い魔法使いの少女が、何もしないわけであろうか。
 降り注ぐ千億の星を行った少女と、たんに重雷を垂れ流し続けて上空へむけて撃ち放っているだけの少年では余りにも時間差と消費した魔力量が違う、否、魔力量が違うと言うのならば、対峙した時点で、既に魔力量差には絶対的なものが存在している。

 真紅の少女は足元で応酬されている爆炎と爆風に身を揺らせながら、一瞬で変形を完成し、自らもまた、降り注がせた火砲同様に、一気に下へと突っ込みをかける。
 僅かな距離でありながら、その加速から全身から火を立ち上らせて不死鳥のようになる紅い魔法使い。
 彼女は爆炎から姿を現せ、魔法の射手を射出し続けている少年を捉えたと同時に、その身を、再び人間形態に移行する。
 そして思い切り引かれていた右腕が前へ突き出されたと同時に、少年の目の前を十字架が襲った。
 展開されて回転する小突貫楯。小とは言っても、その基礎部が小なだけであり、実際垂直三角錐部は先の突貫楯の頃そのままだ。それが、少年の顔面目掛けて打ち出されたのだ。

 少女の眼を捉えた少年は放電を中断し、その一撃を跳んで避ける。
 避けた先に突き出される左手の小突貫楯。爆炎と爆風。降り注ぐ真紅の雨の中で、少年と少女はなおも打ち合い続ける。
 だが最早魔法の力などでの打ち合いではない。単純な力押し。小突貫楯を振り回す少女と、己が拳と身体でそれを受け流し、打ち出した拳を突貫楯で捌かれる。それの繰り返しだ。
 ソレを繰り返しながら、少年と少女は上昇していく。
 以前、少年は対魔戦闘のエキスパート集団の一人である剣士とその拳を交えた事があった。
 あの時の打ち合いも凄まじかったが、今ほどではない。今の打ち合いは、最早殺し合いだ。相手を殺そうとする殺意がない殺し合いに過ぎない。
 特に少年。少年には、目の前の少女を殺す気など微塵も無い。ただ、少女だけが狂ったようにその突貫楯を振り回している。

 突き出された少年の一撃。
 だが届かない。少女の顔面目掛けて気絶相当の魔力を注ぎ込んで打ち出された拳だったが、それがとどかない。
 理由は容易い。少女の外周を回っていた、かの『太陽天球』それが、撃ち出された拳の目前に現れたのだ。
 ならばと足を振り上げる。だが、それが少女の腰に突き刺さるより先に、再び太陽天球がそれを阻む。
 少女の外周にまわる五つの小太陽。それは、まるで少女をオートで防ぐかのように少年の繰り出す撃を阻んでいた。

 爆炎を抜ける。真紅の空は相変わらずだが、月の光に照らされて最接近でぶつかり合う二人の姿は空によく栄えた。
 他に阻むものは何も無い。杖に乗って相手へ中国拳法を打ち込んでいく少年と、小太陽五つを従えて左の突貫楯を振るっていく真紅の魔法使い。
 一撃が直撃する。それは少年ではなく、少女の方だ。
 接近戦闘用である中国拳法を封じられ、魔法詠唱を行い、詠唱を思うだけすらも出来ない状態では、圧倒的な存在感の差を見せ付けられるアーニャと言う少女が競り勝つは必至なのか。少年は、杖の上から叩き上げられる。

 それを追う真紅の魔法使い。少年とて、ただ単純に叩き上げられたわけではない。
 ぐわんぐわんと痛む頭を何とか振り立たせ、追いかけて突き出され、薙がれていく突貫楯を受け流していく。
 だがそこまで、受け流す事しか、少年には出来ない。
 頭を襲う壮絶な頭痛。先の叩き上げられた硬質による一撃は、脳内を混乱させるには充分すぎるものであった。
 突き出された一閃を回避しきれず、腹部に突貫楯の先端が僅かにめり込む。
 苦悶に歪む少年の顔。だが、。そこに慈悲など無い。突き刺した突貫楯を僅かに引くと、それを十字架状に開いて少年へ押し付け、そして射出。
 少年は開かれた突貫楯に押し付けられて何処までも飛んでいく。否、飛んでいくかのようであったが、少年は飛んではいかなかった。

 突貫楯に押されるように飛ばされていく少年が、凄まじい鋼鉄音と共に短い叫び声をあげた。
 少年の体は、中空に浮いている。杖も無いのに。何故か。理由は簡単だ。
 先に撃ち出された右手の突貫楯。少年は。左の突貫楯と右の突貫楯に挟み撃ちにされたかのように、二つの十字架に挟まれていたのだから。
 目の前に真紅の魔法使いが飛ぶ。相変わらず、狂気じみた優雅な笑顔を浮べ、彼女は少年を見ていた。
 そうして、その手には杖。少年が父親から譲り受けた、父の杖が握られている。
 それを見て、真紅の魔法使いは僅かに表情を緩めた。
 穏やかな笑顔。これでやっとと言う安堵の色が窺えるその顔立ち。少年は、二つの突貫楯に挟まれながらもそれを見送っていた。

『―――準備は完了ね。ネギ。追いかけたくば追ってきなさい。ただし―――燃え尽きなければね』

 少年を挟み込んでいた二つの突貫楯が動く。
 突貫楯は少年をそのままの状態で、月の下へと送るように投げ上げたのだ。
 少女の周辺に浮んでいた五つの太陽天球が一気にその動きを早める。
 天空へ叩き上げられた少年を中心に、五亡星の様に配置される五つの太陽。それが、大きな魔方陣となったと同時か。少女は、その少年と結界より尚上に跳ぶ。
 そうして、頭上で組み合わされる鋼鉄の腕。それが開いた瞬間。文字通り、太陽が完成した。
 巨大な火球。先のExhatioのソレに匹敵するかのような大きさの大火球。それが、両手を組み合わせた少女の頭上に完成し、紅い魔法使いは右手だけを天上の大火球に向ける。
 装着される左右の突貫楯。天上へ向けられていた突貫楯が十字に展開し、そこに、大火球が接続する。
 突貫楯の腕で太陽を持ち上げているかのような体勢。少女は思いっきりその身を翻し―――

『Sonne Herrlichkeit<高貴なる、太陽>』

 五つの小太陽に捉われた少年目掛けて、その大火球を振り下ろした―――

 空気が焼けている。無理も無いだろう。真紅の魔法使いの使用した大火球による圧殺焼殺魔法。
 それは、五つの小太陽によって捉われていた魔法使いの少年の体を余す事無く完全に焼いていた。
 それでも、少年は灰にまではなっていなかった。
 不幸か幸いか。少年のその対魔力が振り下ろされた大魔力の塊であった太陽球の威力を僅かながらに半減させていたのだ。
 だが動かない。少年は動かず、五つの太陽に捉われたまま其処に浮いている。
 気を失っているのか、それとも、本当に焼け死んでしまったのかは解らない。
 ただ、少年は五つの小太陽が作り出す結界に捉われて、宙に浮いたままとなっていた。

 紅い魔法使いの少女が、突貫楯の右一方を手首から肘にかけてまでに接続しなおす。
 そうして露となった鋼鉄の右手で、少年の杖を握り締める。
 その表情に感情は無い。ただ、手にした杖を愛しげに見つめているだけ。
 その杖の持ち主を思っての笑顔ではなく、確実にそれを使ったその先にある事柄へ向けられているその笑顔。
 五つの小太陽が消えて、少年が落ちていく。それにさえも目を配らず、少女は上昇していく。
 赤い空。果てまで紅い空だった。その空の果ての果てに浮かぶ白い巨岩に、少女は己が思いを映す。

 これで、やっと―――と。

第五十二話 / 第五十四話


【書架へ戻る】