Act2-19


【千草】


「あー……昨夜は酷い目に遭うたわ。しっかし、七夜の生き残りがおるとはな……」

 昨夜、殺人鬼たる七夜志貴の前に敗北した千草は、ネギ達が七夜と戦っている隙に何とか逃げ出したのである。
 その後、千草は町中のビジネスホテルに部屋を取って、一夜を明かしたのだった。
 朝方から先程まで変装して麻帆良の町を歩いていたのだが、男達が次々に声をかけてくるため、喫茶店に寄って一息ついていた。

「まったく、何が混血専門の暗殺者や。アレは……確実にこちら側にいてもおかしないわ」

 昨夜の七夜志貴の戦いぶりを思い出し、関西呪術協会の『七夜』に対する認識が甘過ぎることを愚痴る。
 頼んだコーヒーを一口飲んで窓の外に目を移すと、修学旅行の際に見かけたショートカットの少女――――和泉亜子の姿が見えた。
 亜子が走っていく姿を、頬杖をつきながら興味無さ気に窓ガラス越しに眺めていると、人込みの中で突然彼女が突然立ち止まった。
 その向かい側には、同じように立ち止まっている男の姿がある。
 男の手元で光る物…恐らくナイフが亜子の腹部に突き付けられていて、彼女は恐怖に体を震わせながら顔を青褪めさせている。

「運の悪い嬢ちゃんやなぁ……。ま、ウチには関係あらへんし……」

 関係ない亜子を見捨てることにした千草だったが、亜子のいる方向から視線は動いていない。
 しばらく無言で何か考えた後、テーブルに置かれたシートを手に取り、コーヒーカップに入った残りを飲み干す。

「……あの娘には恨みあらへんし……しゃーない、助けたろか」

 会計を終えて店を出ると、背中にナイフらしき物を突き付けられた亜子が、男と共に路地裏へ向かうところだった。
 千草が助けてやろうと思って歩き始めたその時、黒縁眼鏡をしたごく普通の男が、彼女と男のすぐ横を通り過ぎる。
 その瞬間、亜子にナイフを突き付けていた男が、苦悶の声をあげながらナイフを取り落とし、仰向けに地面に倒れていった。
 地面にナイフが落ちた金属音と、人が倒れたということで、周りの人々が騒ぎ出す。

「――――何や、あの男……。あまりに自然過ぎて、ウチでも一瞬わからんかったわ……」

 黒縁眼鏡をした男は、既に人込みに紛れて去った後だったが、千草は男の去った方向に鋭い視線を向ける。

「擦れ違い様に腹部に掌底喰らわしたトコしか見えへんかったけど……並の人間が出来る技やない、な……」

 男の去った方向に品定めするような視線を向けながら、何かを思いついたのか懐から人型をした紙を取り出す。
 何事か呟いてその紙を放つと、風に乗るかのように紙は空高く飛んでいく。
 千草はそれを見届けると、唇の端に笑みを浮かべながら人込みの中に姿を消したのだった……。




〜朧月〜




【亜子】


「あかんー、待ち合わせに遅れてまう」

 和泉亜子は運動系の部活に所属していて仲のいい、佐々木まき絵、明石裕奈らとの待ち合わせ場所に急いでいた。
 町は帰宅する人々でごった返していて、ゆっくり歩いていたのでは遅れてしまう。
 故に焦って走り出したのだが、それでその男の目に付いてしまうとは思いもしなかった。

(ドンッ!)

「あっ! す、すみませ……?」

「喋るな」

 人の波に流されないように小走りで急いでいると、一人の男にぶつかってしまった。
 咄嗟にぶつかったことを謝ろうとした亜子だったが、それを遮るように腹部に黒い布で包まれた何かが突き付けられる。
 何かと思って突き付けられた物を見ていると、男が黒い布を少しずらしてギラリと光る刃先を見せられた。

「……っ! だ、誰か――――ひっ!!」

「喋るなと言ったはずだ。次に喋ったら刺す」

 何が起きたのかわからず、亜子はしばらく呆けていた。
 すぐにこのままでは危険だと気付き助けを求めようとしたが、男の淡々とした冷たい言葉に口を噤んでしまう。
 本気だということを示しているのか、ナイフの刃先が服を小さく切り裂いた。
 殺されるかもしれないという恐怖から、亜子は体を震わせながら男に対して何度も頷く。

「後ろを向け。後ろを向いたら、そのまま近くの路地裏まで歩け」

 亜子は男の言われるままに後ろを向き、近くに見える路地裏に向けて歩き出した。
 周りの人達は誰一人として気付いてくれず、亜子の隣を通り過ぎていってしまう。

(ウチ……このまま殺されてしまうんかな……)

 背中に冷たいナイフの切っ先を感じながら、理不尽な運命に涙を零す。
 震える足取りで一歩、また一歩と、ナイフよりも冷たい路地裏の闇へと近づいていく。
 麻帆良祭で出会ったナギに、心の中で助けてと叫びながら――――。

「ごふ……っ?!! な、に……?!」

「へ……? な、何? 何やの!?」

 急に後ろから刃物を突き付けていた男の声が聞こえて振り向くと、ナイフを落として仰向けに倒れていく男の姿が見えた。
 気付けば、すぐ隣に今時珍しい黒縁眼鏡をした黒髪の男性の姿。
 優しげな顔だちをしたその男性は、視線だけで亜子の無事を確認すると小さく笑みを浮かべたが、周囲が騒がしくなってきたことに気付くと、すぐに何でもなかったかのように歩み去っていった。
 ナイフの男は気絶しているのか、道路に大の字で倒れたまま動かない。
 そして、ようやく気付いてくれた人達が、亜子とナイフの男の周りに集まってくる。

「あ……」

 次から次へと周りに人だかりが出来る中で、一人だけ背を向けて去っていく黒縁眼鏡の男性の姿。
 亜子はまるで自らの網膜に焼き付けるように、黒のジーンズに茶色のパーカーを着た、黒縁眼鏡の男性の後ろ姿を視線で追い続けていた。


――――翌日、『逃亡中の連続殺人犯逮捕』という見出しと共に、テレビのブラウン管に亜子の見たナイフの男の顔があったという。





□今日の裏話■


「ん……あれは……?」

 俺は橙子さんに魔眼殺しを強化してもらい、随分とすっきりとした視界を堪能しながら、エヴァちゃんの家へと向かっていた。
 その帰り道の途中、帰宅する人々の群れの中で、奇妙な男女の姿を見かけた。
 ちょっと薄い色をしたショートカットの女の子と、その向かいで妙な動きをしている男だ。

「――――……ナイフ、か……。まったく……」

 視線を下げていくと、擦れ違う人込みの中でキラリと輝く物が見えた。
 それは少女の腹部へと向けられており、少女は見ていて可哀想なくらいに震えている。
 何か指示でもされたのか、少女は青ざめた表情でゆっくりと振り向くと、男と共に路地裏へと歩き始めた。
 俺は人込みに気配を溶け込ませてさり気無く近づいていき、擦れ違い様に男の鳩尾へと掌底を放つ。

「ごふ……っ?!! な、に……?!」

「へ……? な、何? 何やの!?」

 鳩尾を打たれ前屈みになった一瞬を狙って首筋に手刀を放ち、ナイフを持っていた男を気絶させる。
 仰向けに倒れていった男の手からナイフが落ち、地面で金属質な音が辺りに響いた。
 途端に倒れた男へと視線が集中し、次いで金属音の正体である転がったナイフを見てざわざわとしたどよめきが広がっていく。
 何も悪い事をした訳ではないが、警察が来て何か聞かれても困る。

 女の子に怪我が無いか確認したかったが、こうなっては仕方が無い。
 薄い色のショートカットの娘を見ると、俺を見て驚いたような顔をしていたが、別段怪我をしている様子は無い。
 大丈夫そうだと判断して女の子に小さく笑って見せると、俺はすぐにその場を離れたのだった……。


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