Act2-34


【エヴァ】


「ふむ……どうやら今日はこれまでのようだ。次の夜、私に出会わぬことを祈るがいい」

 混沌を体に戻したネロは、私達に背を向けて去っていく。
 ネロは昨夜の白いレンと同じように体が透けていき、闇に溶けるようにその姿を消した。
 消えいくネロの姿を見て、犬が飛び出そうとして楓に制止されていたが、正直、今の状態でこれ以上あの男と殺り合うということだけは避けたかった。

「ぼーや、今日は体を休めることだけを考えろ。……どうせ、明日もあんな化け物達と渡り合うハメになるんだろうからな」

「……はい、わかりました。……お休みなさい、マスター」

「うおい、アニキ! 前、前!! 柱にぶつかる!!」

 坊やは未だに息を荒げたまま、フラフラしながら寮へと入っていく。
 楓は犬と一緒に綾瀬夕映と宮崎のどかを捜しに出たが、すぐに二人を連れて戻ってきた。
 隠れていた綾瀬夕映と宮崎のどかは、町を覆っていた魔力が消えたことに気付いたらしく、自分達で寮へと戻ってきていた。
 フラフラで歩く坊やの姿を見つけた二人は、すぐに駆け寄って心配そうな顔をしている。
 その光景を一瞥して背を向けて歩き出そうとしたその時、茶々丸の頭の上で大人しくしていたレンが、突然飛び降りて走り始めた。

「あっ……ま、待って」

「うん……? ……おい、茶々丸。レンが咥えている物って、もしかして登校前にお前が志貴に渡した物じゃないか?」

「は、はい。……どうやら、志貴さんは誰かに発信機を奪われてしまったみたいですね」

 レンはネロのいた場所の近くで見つけた発信機を咥えたまま、私達の方に視線を向けて座っている。
 どうやら付いて来い、と私達に言っているようだ。
 その証拠に、私達がレンに近づくと、レンは発信機を咥えたままどこかへ走り始めた。

「……ふん、なるほど。使い魔なら主との繋がりがあるのだから、どこにいるのかわかって当然か」

 茶々丸と共にレンの後を追ったが、相手は猫なので狭いところや道なき道を通っていく。
 あちこち振り回された挙句に到着したのは、学園の教会近くの公園だった。
 そこには、シスター服を着た魔法使いの女三人と――――血溜まりの中で倒れる志貴の姿があった。




〜朧月〜




【志貴】


「……美空ちゃん、でいいのかな? ココネちゃんを連れて、一刻も早く逃げてくれ。アイツは――――俺が食い止める」

 シスター姿の女の子――――美空ちゃんが応急手当をしてくれたとはいえ、まだあちこち痛む体をおして姿を現したワラキアに対峙する。
 狂気の笑みを浮かべたワラキアの目には、もはや何者も映ってはいない。
 あるのは、純然たる殺戮衝動のみだ。

「何をしている! 早く行けっっっ!!」

「っ! ほ、ほらっ……ココネ! 逃げるよ!!」

 俺の一喝に驚いたのか、美空ちゃんはココネちゃんの肩に手を伸ばして逃げようとしていた。
 しかし、彼女の手がココネちゃんの首根っこを掴んだと思った瞬間、その手をするりと避けたココネちゃんが俺に駆け寄ってくる。
 彼女の予想外の行動に思わず振り返ってしまったが、視界の端にそれまで顔を伏せていたワラキアが、顔を上げて笑っている姿が映っていた。
 奴が何をする気なのかわかってしまい、そして奴の思惑通りに動いてしまう自分がいた。


「ネズミよ回せ!!!!!」


 空間の渦と化したワラキアは、俺に向かって駆けてくるココネちゃんへと襲いかかっていく。
 突然のことで反応できなかったのか、ココネちゃんは恐ろしいスピードで迫ってくる黒い渦を前に固まってしまっていた。
 傷を負ったこの状況では、自らを犠牲にしなければ彼女を助け出すことなど不可能。
 全身が悲鳴をあげて、彼女を助けることを拒絶する。

「うご、け――――!!!」

 目の前で傷つきそうになっている子を助けないなんて、それは絶対に正しいことじゃない。
 俺は拒絶しようとする体を無理矢理動かして、動けずにいたココネちゃんを突き飛ばし、迫り来る黒い渦へ自らの身を曝した。


「秒針をサカシマに誕生をサカシマに世界をサカシマに!!! 回せ回せ回せ回せ回せ回せ回せぇぇぇ!!!!!」


「があああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!」

 背中が削られ、全身が削られ、意識が削り取られていく。
 踊り狂う空間の渦は消え、背後からワラキアの狂笑の声が高らかに響き渡っていた。
 美空ちゃんが応急処置してくれた傷口は抉られて更に無惨な傷となり、血は止め処無くこの身を流れていく。
 意識は朦朧とし、気が付けば地面にうつ伏せに倒れ込んでいた。

「シキ……! シキ……!!」

「この……っ! ふざけんなっ!!!」

 どうやら仰向けにしてくれたらしいココネちゃんが、泣きそうな顔で必死に俺の名前を呼んでいた。
 その背後では、十字架を構えた美空ちゃんがワラキアと対峙している。
 ワラキアの狂ったような笑い声が耳を通して頭蓋骨に響き、俺の内にある何かが目を覚ました。
 その笑い声があまりにもうるさくて、朦朧とした頭のままゆらりと上半身を起こし、その耳障りな音の元へと視線を向ける。

「キ――――キキ、キキキキキキキキキ……!! ツマらないツマラナイ、人間ナンテツマラナイ! 自滅シロ自滅シロ、ツマラナイナラ自滅シロ……!!!」


「――――五月蝿い」



 嗚呼――――本当に、五月蝿い。



――――アレヲ早ク黙ラセロ。



 五月蝿い。そんなこと、言われなくてもわかってる。



――――ナラバ、早ク解体シテシマエ。



「――――し、き?」

「……下がってろ。そして、目を閉じていろ」

 目の前の少女の頭をに手を乗せ、外した眼鏡をその小さな手の平に置く。
 血を急激に失ってしまったから、活動できる時間は限られてしまう。
 だが、まだ動くことに支障は無い。
 ならば――――アレを殺すことにも、何ら支障は無い。


「そんなにツマラナイなら――――俺が終わらせてやるよ」


 地面に胸が着くほど体勢を低くして、限界まで引き絞った弓を放つが如く、夜の闇を疾駆する。
 速度は普段の比ではなく、既に俺の体は狂ったように笑いながら隙を曝す標的に音も無く近づいていた。

 無様。そして――――無粋。
 笑うなどという、戦いにおいて余分なことをする標的の愚かさが無様で、無粋だとしか思えない。
 ようやく俺の存在に気付いた標的は、残っていた右手を振るって地面から黒いつむじ風のようなものを起こす。
 それを七つ夜の一振りで殺し、更に加速。



「――――――――殺す」



 擦れ違う刹那、標的の体に走る『線』をなぞり、解体する。
 その数、一秒にして十七閃。
 直後、それまで酷使し続けていた体に限界が来たらしく、着地を失敗して無様に地面を転がる。
 地面に倒れた俺の耳朶に、びしゃり、びしゃりと解体した肉片が血と共に地面に降り注ぐ音が聞こえた。
 血を失ったせいなのか、それともアスファルトが冷たいからなのか、体が急激に冷えていく。


「ヒ――――ヒャハ、ヒヒャハハハハハハハハ……!! 魂魄ノ華 爛ト枯レ 杯ノ蜜ハ腐乱ト成熟ヲ謳イ例外ナク全テニ配給……嗚呼、是即無価値ニ候――――……!!!」


 最後にワラキアの断末魔を聞きながら、俺は意識を失ったのだった……。





□白レンのお部屋■


「――――あら……さっそく退場者が出たみたいね」

 白レンはどこかにある部屋の中で、ふと読んでいた本から顔を上げた。
 悪夢を作り出した張本人である白レンは、作り出した悪夢の力を感じ取ることができる。
 目を閉じて消え逝く退場者がワラキアであるとわかり、蔑むような視線で窓の外に視線を向けた。

「クス……無様な三流役者にはお似合いの最期ね。舞踏会の主催者は私一人で充分、落ちぶれた役者は大人しく去りなさい……ワラキア」

 嘲るように微笑んだ白レンは、テーブルの上に置かれたティーカップを手に取り、優雅な仕草で紅茶を一口飲む。
 そしてちらりと時計に視線を走らせると、テーブルにティーカップを置いて立ち上がった。

「さ……今日はもうそろそろお終いにしましょう」

 読んでいた本にしおりを挟みテーブルの上に置くと、白レンは指をパチンと鳴らした。
 それと同時に、まるで初めから部屋など無かったかのように、テーブルも壁も何もかもが消え去る。

「ふふっ、明日は楽しい夢になりそう……。それでは――――『閉幕』」


 『閉幕』と告げられたと同時に、白レンはその姿を闇へと消していったのだった……。


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