Act4-20


【のどか】


 ネギ先生が隣の教室から3−A教室へと向かってしばらくすると、3−A教室から感じていた魔力が消え、更に周りを覆っていた魔力も消えたことに気付く。
 魔力が消えたということは、恐らく白いレンさんの言っていた七つ全てが解決したということだろう。
 一緒に待っていたアスナさんもそれに気付いたらしく、顔を見合わせてから教室の扉へと駆け寄る。
 アスナさんが扉を思い切り叩こうとしていたのを必死に止めて、私が軽く扉をノックしながら二人で中へと呼びかけてみた。

「ネギ、皆、大丈夫なのー?!」

「ネギせんせー、大丈夫ですかー?」

『あ……アスナさん、のどかさん、今開けますからちょっと待っててください!』

 教室の中からネギ先生の声が聞こえ、ガシャン、ガシャンという音がしばらく続いた後、扉が開かれネギ先生が顔を見せる。
 中には亜子さんとネギ先生、このかさん、そして刹那さんに肩を借りながら立つ志貴さんの姿があった。
 特に外傷が見えないことから考えれば大丈夫そうに思えたのだけれど、志貴さんが一歩進むごとに苦痛に顔を歪ませているのを見る限り、どうやら痛みは筋肉か何かからのものらしい。
 そんな志貴さんとは対照的に、このかさんは志貴さんに肩を貸す刹那さんを見ながら嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「なあ、ネギ先生。志貴さん、少し保健室に寝かせた方がええんとちゃうかな?」

「うん。ウチもそうした方がええと思う」

「……そうですね。亜子さん達の言うとおり、保健室へ向か――――」


「志貴、どうかしたのですか?!」


 亜子さんの提案で保健室へ向かおうとしたところへ、突然凛とした聞き覚えのある声が響いた。
 振り向けば、驚いたような表情を浮かべたシオンさんの姿があり、その後ろには高音さんと愛衣さん、高畑先生の姿も見える。
 シオンさんは刹那さんに肩を借りて立っている志貴さんを見て顔を顰めると、一つ大きなため息を吐いてからツカツカと志貴さんへ詰め寄るように近づいていく。

「……志貴、何度も言っていますが、あなたは無理ができるような体ではない! あなたが無理に戦う必要は無いのですから、私達に任せて大人しくしていて欲しい!!」

「いや、無理に戦ったりはしてないよ。ほら、俺の力が必要になることだって「ありません!」――――あう……」

 怒ったような心配しているような複雑な表情のシオンさんに、志貴さんは辛そうな顔に苦笑を浮かべて反論する。
 しかし、その反論は志貴さんが言い終えるのを待たずにシオンさんに即切り返されてしまい、志貴さんは視線を彷徨わせながら沈黙するしかなかった。
 学園長室でのシオンさんは感情を殺して淡々と話しているように見えたけれど、今のシオンさんは無茶をする志貴さんに対して感情を殺すことなく、素のシオンさんを曝け出しているように見える。
 感情的になっている事に気付いたらしいシオンさんは、一つ咳払いをしてから元の冷静な口調に戻り話す。

「ゴホン……まったく、彼女――――桜咲刹那と言いましたか。彼女の補助無しに歩けないほどの無理をしていると言うのに、何が『無理に戦ったりはしてないよ』ですか」

「あー……確かに、刹那ちゃんの肩を借りなきゃここまで来れなかっただろうな」

「……刹那、志貴の脚に応急処置を施すので、そこの壁を背にした状態で志貴を座らせて欲しい」

 のほほんとした志貴さんの返答に頭を押さえながらため息を一つ吐いたシオンさんは、腕に着けていた金色のブレスレットから何か糸のようなモノを引き出しながら、刹那さんに志貴さんを動かすよう頼む。
 シオンさんの言葉に従って、まるで抱きつくように志貴さんの背中に手を回して体を支える刹那さん。
 刹那さんは時折脚の痛みに顔を顰める志貴さんの表情を気にしながら、廊下の壁を背もたれにしてゆっくりと優しく座らせていく。
 何だか志貴さんと刹那さんが抱き合っているように見えてきて、見ている私の方が恥ずかしくなってきてしまい、思わず頬を赤らめてしまったが、当の本人達は特に気にしていないようだった。
 ふと周りを見ると、やっぱりアスナさんやこのかさん達も少し頬を赤らめながら刹那さん達から視線を逸らしていた。
 しかしシオンさんは違ったらしく、ようやく腰を下ろせてホッと安堵の息を吐いた志貴さんをジトリとした目で睨み、無表情に軽く手を上げたかと思った次の瞬間、その手を振り下ろしてペチン、と志貴さんの脚を叩く。

「〜〜〜〜〜ぉ、ぉ、ぉ……っっっ!!! っ、くぁ……し、シオン……っ!?」

「単なる触診というヤツです」

 志貴さんは軽く叩かれただけで痛みに悶絶し、口をパクパクとさせるだけでまともに喋ることもできないらしい。
 歯を食い縛って痛みに耐えながら、一つ大きく深呼吸した後、志貴さんは半ば涙目になった顔でシオンさんを睨んだけれど、しれっとした顔で言い返されて口を噤む。
 どうやら、これ以上言ってもやぶ蛇になりそうだと判断して黙ることにしたらしい。

「……しかしまあ、よくここまでそんな激痛を伴わずに歩いてこれましたね」

「あー……そういえばそうだ。ハハ、刹那ちゃんのお陰かもしれないな」

 志貴さんは近くに立っていた刹那さんに優しく笑いかけたが、刹那さんは志貴さんと目が合った瞬間、即顔を背けてしまう。
 そんな刹那さんにジト目を向けながら、志貴さんのズボンの裾を膝まで捲り上げたところでピタリ、と腕が止まり――――シオンさんはその端正な顔を顰める。
 少し見えた志貴さんのふくらはぎは、どう動けばこんな状態になるのか、元の肌色が思い出せないくらい真っ青に染まってしまっていた。
 とても痛そうで、見ているだけでこちらも痛くなってきそうなので、思わず顔を背けてしまう。
 不機嫌そうな顔をしながらも、シオンさんはブレスレットから取り出した糸らしきものを使って、志貴さんの太腿の辺りへ手早く治療を施していったのでした……。




〜朧月〜




【アスナ】


「とりあえず、応急処置は施しておきました。多少歩くのに違和感は感じるでしょうが、明日の朝までには治まっているでしょう」

「よ……っと。うん、ありがとう、シオン」

「……言っても無駄だとは思いますが、一応忠告しておきます。今夜は出歩かずに休んでいてください」

 十分とかけずにシオンの治療は終わり、志貴さんがゆっくりと立ち上がる。
 立ち上がって脚の感触を確かめた後、シオンの忠告に苦笑を浮かべながら礼を言う。
 そして――――

「刹那ちゃんも、ありがとう。刹那ちゃんが肩を貸してくれなかったら、あの教室でずっと転がってなきゃならなかっただろうからね」

 志貴さんは優しい笑顔を浮かべながら、刹那さんに頭を下げて礼を言う。
 礼を言われることを予想していなかったのか、刹那さんは頭を下げた志貴さんをしばらく呆けたように見つめたまま固まっていた。
 私の隣でこのかが小さくため息を吐いた後、ひょこひょこと近づき、刹那さんを軽く突っつく。
 刹那さんは突付かれてこのかに視線を向けてから、このかの指差した先にいる志貴さんを見て、戸惑うような顔を見せる。

「あ……た、ただ単にあなたがあのままでは、お嬢様やネギ先生達に迷惑をかけてしまうからああした訳であって……特に礼を言われるほどのことをしたつもりはありません」

「うん、でも刹那ちゃんに助けられたのは事実だから。――――ありがとう、助かったよ」

 尚も礼を言う志貴さんに、刹那さんは戸惑った顔のまま視線を彷徨わせた後、何も言わずにそっぽを向いてしまった。
 私は刹那さんの隣で悪戯めいた笑みを浮かべるこのかと顔を見合わせ、小さく笑い合う。
 そこへ、後ろから控えめに肩を突付かれて、後ろへ振り返る。

「な、なあ、アスナ。そこの人って……? 志貴さんの治療してたみたいやけど……」

「へ? あ……あー、あの人は、そのー……」

 それまで突然現れたシオンに訳がわからず固まっていた和泉さんが、私の背後から困惑した顔でシオンの方を見ていた。
 確かに、シオンみたいな変わった服装の人がこの学園にいたら不思議に思うか。
 とはいえ、和泉さんは魔法に関わっている人間じゃないから、シオンのことを『錬金術師だ』なんて説明する訳にもいかない。
 そもそも、その服装からして何をしている人だと説明すればいいのかもわからない。
 私がどう言えばいいのかわからず答えあぐねていると、いつの間にか隣に来ていた志貴さんが苦笑しながら小声で私に耳打ちしてきた。

「(ここはシオンに任せて。彼女、屁理屈こねさせたら天下一品だから)」

 見れば、戸惑う和泉さんへシオンが近づいていく姿があった。
 志貴さんが私に耳打ちした瞬間、足を止めたシオンが一瞬目だけこちらへ向けてキッと睨む。
 まるで志貴さんが耳打ちしてきた内容が聞こえていたかのようなタイミングに驚くが、シオンはすぐにいつもの冷静な表情に戻り和泉さんに向かって歩いていく。
 シオンは和泉さんの前で立ち止まると、被っていた帽子を胸に当てて一礼し、自分から自己紹介を始めた。

「失礼。私はシオン・エルトナム・ソカリスと言います。医療関係の技術を専攻していて、こちらの大学部の医療学部に用事があったのですが、知り合いの志貴も丁度こちらの大学部の下見へ行くと言うので、共にこの町に来ました」

「医療に関係している人やったんですか。あ……ウチ、和泉亜子言います」

「ええ、あなたには今回の件について事情を説明しようと思ったのですが……応急処置をしたとは言え、志貴の体は疲弊しているので、少し保健室で休ませたい。あなたへの説明は、その道中にするということでよろしいでしょうか?」

 確かに、さっきまでの志貴さんの状態を考えれば、保健室で休ませた方がいいだろう。
 反対する意見は無く、学園長先生に呼ばれたと言う高畑先生とだけ別れ、皆で保健室へと向かった。
 その道中で、シオンは和泉さんと並んで話しながら色々と説明していく。
 このか達と話しながらだったのでよく聞こえなかったが、冷静な口調で丁寧に事情を説明するシオンに、和泉さんは徐々に警戒を解いていっているように見えた。



「はー……せやったんですか。ウチもテレビでは見たことあるけど、ホンマにおったなんてなー……」

 保健室に到着し、志貴さんをベッドに寝かせた後、シオンと話していた和泉さんの呟きが聞こえた。
 和泉さんは何やら驚いたように呟きながら、志貴さんの方へと視線を向けている。
 ……はて、何故そこで志貴さんに視線を向けるのだろうか?
 私と同じく疑問に思ったらしく、その和泉さんの視線に訝しげな顔をした志貴さんは、和泉さんに説明していたシオンを手招きする。
 気になったので、志貴さんに呼ばれたシオンの後について行く。
 ふと背中に気配を感じて後ろを振り向けば、私と同じように続くネギやこのか達の姿。
 高音さんと愛衣ちゃんもいたが、高音さんは腕組みをして堂々とした態度で立っている。

「あ、いえ……その、シオンさんがどんな風に説明してくれたのか気になって……」

「ウチも気になるー」

「……ってことで、話してくれるわよね、シオン?」

「ええまあ、別に話しても構いませんが……」

 ベッドに横になった志貴さんの横に立って何か話していたらしいシオンは、こちらを一瞥して言葉を止めると、私達の後ろへと視線を向ける。
 その視線を辿って私達の後ろへ目をやると、高音さんの背後に不思議そうな顔をしてついてきていた和泉さんの姿があった。
 軽くため息を吐いたシオンはツカツカと和泉さんへ近づくと、さり気無く腕に着けた金色のブレスレットに手を伸ばし――――

「亜子、どうやらあなたも少し疲れているらしい。あなたもここで少し眠っておくといいでしょう」

「え、あ……? あー……そ、そうみたい、や……」

 シオンが近づくと同時に、和泉さんの体がフラリと揺れ、保健室の壁に寄りかかる。
 そのまま床に崩れ落ちた和泉さんは、壁に寄りかかったまま目を閉じて寝息を立て始めてしまった。
 眠り込んでしまったらしい和泉さんを、シオンが背中に背負ってベッドへと運び、寝かせる。
 和泉さんが突然眠ってしまったのは、恐らく――――シオンのあのブレスレットから出した何かによるものだと思う。
 シオンが和泉さんに近づいた瞬間、ブレスレットから何かを引き出し、手首のスナップを使った最小限の動きで、その何かを和泉さんへ向けて投げたのが見えたのだから間違いは無い。
 私の警戒する視線に気付いたのか、シオンはブレスレットから何か……糸らしきものを引き出し、平然とした顔で説明を始めた。

「これはエーテライト……正式にはエーテル・ライトというもので、第五架空元素エーテルを編んで作られたミクロン単位のモノフィラメントです。本来は医療用に開発された擬似神経で、亜子はこのエーテライトの持つ麻酔効果で眠っているだけなので心配は要りません。しばらくすれば起きるでしょう」

 ……………。
 えっと……えーてる?
 もの……ものふぃらめんと?
 とにかく、和泉さんが寝ているだけで無事なことはわかった。

「あなたに詳細を理解できるとは思ってませんから、要点だけわかれば十分です」

「……アンタねぇ……。……まったく、何だかいいんちょと話してるみたいだわ」

 サルだの何だの言わないだけで、私を馬鹿にしてるって点では同じなのよね。
 とは言っても、シオンはいいんちょとは違ってどこまでも冷静だから、いいんちょ以上にタチが悪い。
 シオンは私の言葉に目を丸くさせて少し驚いたような顔をした後、一瞬少し寂しそうな笑みを浮かべた気がした。
 それも一瞬のことで、シオンはすぐにいつもの冷静な顔に戻って口を開く。


「さて、和泉亜子――――彼女にこの事態をどう説明したかを聞きたいのでしたね」





□今日の裏話■


「刹那ちゃんも、ありがとう。刹那ちゃんが肩を貸してくれなかったら、あの教室でずっと転がってなきゃならなかっただろうからね」

「あ……た、ただ単にあなたがあのままでは、お嬢様やネギ先生達に迷惑をかけてしまうからああした訳であって……特に礼を言われるほどのことをしたつもりはありません」

 治療を終えた遠野志貴が、私に頭を下げて礼を言う。
 突然のことに固まった私は、目の前にあるふわふわとした柔らかそうな黒髪を見たまま固まっていた。
 3−A教室に現れたタタリとの戦いは、霊体を視れない私ではどうにもならなかっただろう。
 何かしらの手段はあったかもしれないが、最悪の場合、誰かを犠牲にしたり、私の……白い翼を晒さなければならない状況になっていたかもしれない。
 だから、遠野志貴がタタリを倒してくれたことは感謝している。
 それに比べたら、肩を貸したことぐらい、礼を言われるほどでもない。
 礼を言わなければならないのは、寧ろこちらの方だ。
 なのに、私は素直に『ありがとう』とも言えず、お嬢様やネギ先生を理由に冷たく突き放す。

「うん、でも刹那ちゃんに助けられたのは事実だから。――――ありがとう、助かったよ」

 突き放されても気にしていないのか、遠野志貴は優しい声で尚も礼を言ってきた。


――――ああ。昔っから、そうだったっけ。


 誰かが困っているのを見れば、それが当然と言うように手を貸して。
 傷ついても、大したことないよって笑って見せた。
 なのに、自分が誰かに助けられたら、それがどんなに小さなことでも『ありがとう』って感謝する。

 昔と、変わらない。
 何ら変わっていない。


 ……でも。
 名前が、チガウ。
 遠野姓は、憎むべきモノ。
 七夜が滅んだと聞かされたあの日、私はそう心に刻み込んだ。
 だから、私は否定する。


 遠野志貴は、志貴ちゃんじゃないと、否定……する。


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