Act4-22


【刹那】


 ネギ先生とアスナさんが学園長室へ向かった後、保健室には再び沈黙が落ちた。
 和泉さんと遠野志貴は眠ったままで、お嬢様とのどかさんは遠野志貴のベッドの周りに置かれていた椅子に座っている。
 私はベッドを挟んだ反対側に立ったまま、遠野志貴の寝顔を見て、考えていた。

――――先程の3−A教室での、さよさんを模ったタタリとの戦い。
 視認できず、気配もわからないはずの彼女を、遠野志貴は明確にその位置を『視て』、動いていた。
 まるで壁や天井を足場のように使った動きと、短刀の一撃をもってタタリを消滅させた『力』も気になる。
 さよさんを視れたことについては、龍宮と同じ魔眼ということも考えたが、遠野志貴の『眼』は蒼く輝いていたから、龍宮とは明らかに異なるものだ。
 まあ……彼が七夜だと考えれば、その蒼く輝く『眼』も、壁や天井を足場に使った動きも説明はつく。
 しかし、仮にそうだったとしても、死徒二十七祖の一角であるというタタリが短刀の一突きで簡単に消滅するとは思えない。
 そういえば高音さんが去り際に、遠野志貴の眼鏡が魔眼の力を封じる『魔眼殺し』であることを耳打ちしてくれたが、もしそれがタタリを一撃で死に至らしめた『力』だとすれば、それは危険極まりないものだ。
 先祖還りを起こす遠野家の血を考えれば、いつその『力』をお嬢様達に向けるかもわからない。

 ……けれど。
 彼が本当に、本物の志貴ちゃんだとしたら?
 それを考えると、遠野志貴へと向ける刃を躊躇ってしまう。
 とりあえず今のところは無害なので、監視だけに留めておくとする。
 だが、もし何か不穏な動きを見せたら、その時は――――

「あ……あのー……刹那、さん」

「……あ、はい。何でしょうか、のどか、さ――――」

 小さな声で躊躇うようなのどかさんの声に気付き、思考を止めて顔を上げ――――固まる。
 のどかさんはアーティファクトの本を広げて、すまなそうな顔でこちらを見ていた。
 そして、その隣には凄くいい笑顔のお嬢様。
 お嬢様は戸惑うのどかさんへと何か耳打ちし、私に嬉しそうな笑顔を向けてきた。

 ……ええ、その笑顔はとても素敵です、お嬢様。
 でも、私にとってはその……嫌な予感しかしないのですが……。

「え……えと……刹那さんは、そのー……志貴さんのことを、どう思ってますか?」

 志貴さ……遠野志貴のこと?
 恐らくはお嬢様から聞くように言われたのだと思うが、私が遠野志貴をどう思っているかなど……。

 ふと、思考する。
 遠野志貴は、志貴ちゃんによく似ていて、時折見せる七夜めいた姿は志貴ちゃんそのものにしか見えない。
 自分の中でも、彼が志貴ちゃんであると信じたいと思っている部分は大きい。
 けれど、『遠野』姓を名乗る彼に七夜であった頃の記憶は無く、私のことも覚え――――……。

 ……。
 カット。
 やめろ止まれ考えるな!

「『私のことも覚えてくれていない』、か……。せっちゃん、志貴さんが七夜やいう証拠が無いから距離置いてるのかと思てたけど、ホンマは志貴さんが自分のこと覚えててくれへんかったことを怒ってたからなんやなー」

 のどかさんのアーティファクトを覗き込みながら、何やら頬を赤らめながら笑みを浮かべたお嬢様がこちらを見てくる。
 マズイ。
 何がマズイって、お嬢様にそれを見られてしまったということで、いや自分でも何がどうしてマズイのかもわからなかったが、とにかくこの状況はマズイ。何とか誤魔化せるような言い訳は……って、これもまた見られてしまってる!

「あゎおおおお嬢様! ち、ちが……その、とにかくそうじゃないんです!!」

「せやったら、志貴さんが記憶を思い出してくれる方法考えないとアカンな。うーん……そや! トンカチで頭叩いてみよ!」

 私の言葉を聞いているのか聞いていないのか、お嬢様はどこからかトンカチを取り出し、遠野志貴の寝ているベッドへと近づく。
 どうやら、遠野志貴が無くしたという記憶を戻すために、ショック療法を行うつもりらしい。
 冗談だと思って苦笑するが、お嬢様の顔は真剣で、寝ている遠野志貴の頭の横で何度か深呼吸を繰り返していた。
 そして――――お嬢様がトンカチを大きく振りかぶったところで、ようやく本気で振り下ろそうとしていることに気付き、慌ててのどかさんと一緒に止める。

「あはは、冗談やて、せっちゃん」

「あの……お嬢様。無理に記憶を戻そうとすると、脳に負荷がかかって障害が起こる可能性があります。ですから、その……」

「うん、わかっとるて。……志貴さんの記憶、早く戻るとええな、せっちゃん」

 お嬢様の気遣いに感謝しながら、小さく頷く。
 ホッと軽く胸を撫で下ろし、眠っている遠野志貴に目を向ける。

 私との記憶を持ち、冷たい雰囲気を纏いながら殺気を撒き散らす志貴ちゃんと、七夜であった頃の記憶全てを失っているが、幼い頃の志貴ちゃんを思わせる、穏やかで優しい性格の遠野志貴。
 私との記憶を持っているのだから、前者が本物なのかもしれない。
 けれど、私の中では目の前で寝ている後者――――遠野志貴を信じたいという気持ちの方が強かった。
 ただ単に、私に対して退魔衝動を抱いていない遠野志貴が、本物であって欲しいという願望なのかもしれない。
 どちらにせよ、失った、あるいは封印された記憶を取り戻すことは難しいから、すぐに結果が出るということは無いだろう。
 ネギ先生が戻ってきたら、何か方法が無いか聞いて――――

「うー……何やろ、ちょっと体がダルイ気がする……」

 隣のベッドからもぞもぞする音が聞こえた後、眠っていた和泉さんが寝惚け眼で顔を見せた。
 意識はほぼ起きているようだが、体がユラユラと横に揺れている。
 シオンさんの操るエーテライトとかいう擬似神経による麻酔の効果で眠っていたので、もしかすると和泉さんの体にまだ少し麻酔の影響が残っているのかもしれない。

「あ、もう起きたん? ネギ君が部活の方には体調崩したから休むて連絡しとく言うてたし、もうちょっと休んでてもええよ? 志貴さんもまだ寝とるし、亜子もまだ眠そうや」

「んー……せやったら、もう少し休もかな。何や体がフラフラするわ……」

 和泉さんはお嬢様に勧められるがまま頷くと、フラフラと体を左右に揺らしながら隣のベッドへと戻っていく。
 そして十分も経たぬうちに、隣から和泉さんの静かな寝息が聞こえてきた。
 先程までの話を聞かれていた様子も無く、気配を殺して和泉さんが眠ったことを確認し、小さく胸を撫で下ろす。


 ……まあ。
 和泉さんが眠ったことを確認して戻った後、すぐに見たお嬢様のいい笑顔に、胸を撫で下ろすには早過ぎたのだと気付く訳だが。




〜朧月〜




【エヴァ】


「マスター、お昼はいかがいたしましょう?」

「……………」

「……マスター?」

「ん、ああ……何でもいい」

 今私は茶々丸の腕に乗って、結界の消えた学園から家へと向かっていた。
 タタリを倒した後に屋上で軽く寝ようと思ったのだが、どうにも眠気が消え去ってしまったらしい。
 襲ってきたタタリに興を削がれたというのもあるが――――どちらかといえば、その後のアトラスの話が気になったというのが大きい。
 アトラスの話とはつまり、志貴のことである。




「――――志貴を従者にしたとして……その後はどうするつもりなのですか、闇の福音」

 タタリの残滓を倒した後、アトラスは私の方を見据えながら問いかけてきた。
 志貴を従者にしてから、か……。
 特に考えてはいなかったが、真祖の姫君を殺したという志貴の力は、それだけで価値を持つ。
 とりあえず、いつかあるサウザンドマスターとの戦いに切り札として使うために、私の元で鍛え上げてやるつもりだ。
 そのまま告げてやると、アトラスは少し顔を顰めた後に、またあの同情するかのような視線を私に向けてくる。
 ……その目は、気に入らない。

「何が言いたい、アトラス。言いたいことがあるならハッキリと言え」

「あなたは志貴の力について、詳しくは知らないと言っていましたが……本当はそれが何なのかわかっているのではないですか?」

 アトラスの言葉に、頬が一瞬、ピクリと反応する。
 確かに、アトラスの言うとおり、私は志貴の『眼』についておおよその見当はついていた。
 が、それが何なのかは志貴自身の口から聞かせてもらうのであり、その時には既に志貴は私の下にいることとなっている。
 他の者から聞くつもりは毛頭無い。

「フン……さっきも言ったが、志貴の力についてはおおよそでしかわかっていない。……が、それが何なのか聞くのは志貴自身の口からだ。それ以外認めるつもりは無い。……で、それがどうかしたか、アトラス?」

「そうですか……では質問を変えましょう。もしあなたの予想が当たっていたとして、それでもあなたは……志貴を従者として戦わせるのですか?」

 心臓が一度、ドクン、と大きく鼓動する。
 くそ、またか……。
 志貴の力について話していると、焦燥にも似た何かを感じるのだ。
 それを振り払うように、私は余裕を装いながら口を開く。

「……何度も言っているが、見当がついているとは言っても、その『眼』については、上級悪魔を消滅させ得るということと、機械やナイフを奇麗に切り落とすこと、そして真祖の姫を一度殺したということくらいしかわかっていない。それ以上のことは調べていないから、そこから何かを判断することは不可能だ」

 事実、私は志貴の力に関して一切調べていない。
 別荘の蔵書に行けば何かしらの資料はあるだろうが、私は志貴の口から直に聞くので調べるつもりは無い。
 志貴自身も詳しくわからないというのなら、調べるしかないだろうが。
 まあ、戦わせるかどうかはわからないが、現時点で言えるのは志貴を従者にするということだけは確かだということだけである。
 一般人とさして変わらぬ身で、これまで修羅場を潜り抜けてきた志貴は、私にとってはそれだけでも十分に興味深い存在だ。
 思っているままに答えたが、アトラスは私の返答に満足していないのか、少し考える仕草を見せた後、ゆっくりと口を開く。

「それではもう少し限定しましょうか。……もしその力が、志貴の命を大きく削るものだとしたら――――っ?!」

「貴様、私の話を聞いていたか……? 私は、志貴の口から直に聞く、と言ったんだ。貴様が話せとは一言も言ってない」

 低い声で殺気を滲ませながら、鋭い眼光でアトラスを睨む。
 アトラスは私の殺気に中てられ一瞬怯んだものの、すぐに冷静な顔に戻り、黙ったままこちらを見ている。
 ……また、あの同情するかのような視線。
 まるで私の知らない『私』を知っている、とでもいうようなその目は気に喰わない。
 何となく視線を合わせるのが嫌で目を逸らしそうになったその時、ふらりとタカミチが姿を現した。
 どうやら、姿を消したアトラスを捜していたらしい。
 アトラスはタカミチに少し待つように頼み、しばらく何かを躊躇っていたが、やがて一つため息を吐いてから口を開く。


「気付かないのか、それとも気付きたくないのかは知りませんが――――あなたは、志貴に惹かれています」


「――――は?」


 何を言われたのかわからず、私はマヌケな声を出して固まってしまう。
 一瞬のことだと思ったのだが、気付けばアトラスとタカミチの姿は既に無くなっていた。
 その後、アトラスの言った言葉が気になってしまい、昼寝する気にもなれず、私は茶々丸と共に学園を後にしたのだった。




「ふん……私が志貴に惹かれている、だと? 志貴が私の下に跪く、ならわかるんだがな……」

 去り際のアトラスの言葉を思い出し、呟く。
 家に戻ってから、私はソファーに踏ん反り返りながら、頭の中で志貴の『力』について考えていた。
 アトラスの言った、『命を削る』という言葉。
 その言葉が意味することなど、少し考えればすぐにわかる。
 いや、そもそも普通の人間が真祖の姫君すら殺し得るほどの力を行使するのに、何の負荷も無いと考えること自体がおかしいか。
 その負荷こそが、アトラスが志貴を戦わせることを躊躇っている理由なのだろう。

――――『代償能力』。
 何らかの代償を被る代わりに『力』を行使する能力のことで、そういったものは大抵、強力なモノであることが多い。
 悪魔の契約に代表されるように、行使する『力』が強力であればあるほど、その代償とするものは大きくなっていく。
 それが真祖の姫君を殺し得るほどの『力』ともなれば、どれほどのものを代償とするかなど、知れている。
 少し考えた後、私はソファーから立ち上がりずかずかと地下室へ向かう。

「……茶々丸、別荘の方へ行くぞ」

「ハイ、マスター」

『ケケ、ドーシタゴ主人。志貴ノ姿ガ見エネーガ、ドッカデ落ッコトシテキタカ?』

 棚の上から見下ろしながら楽しげに話しかけてくるチャチャゼロを無言で一瞥し、そのまま地下室へと向かう。
 置いていこうかと思っていたが、どうやら茶々丸が連れてきたらしく、チャチャゼロが後ろで何やら喚いている。
 喧しいチャチャゼロもそうだが、自分自身に対しても呆れ返り、ため息が漏れ出た。


「まったく……。アトラスの言うとおり、私は少し甘くなっているのかも知れんな……」





□今日のNG■


――――さて、ここに刀と眼鏡とネコがある。
 (略)。
 決して、『年増』とだけは言ってはいけないよ――――


 学園がタタリの魔力に包まれた直後、刀子は神多羅木と共に学園内を見て回っていた。
 何度か他の魔法先生への連絡を試みたが、いずれも失敗に終わっている。
 携帯のディスプレイにも『圏外』の文字が出ており、一切の連絡手段が封じられていた。

「相手は何者かわかりません。気を引き締めていきましょう」

「ああ……む?」

 二年生の教室の並ぶ廊下を歩いていると、神多羅木が何かに気付いたらしく、サングラスの中の瞳を細めながら前方を見据える。
 その視線の先を見て――――刀子は一瞬我が目を疑った。
 そこにあった何かは、背を向けていたが、ぬいぐるみめいた小さな体をしていて、その頭の上にはネコミミが見える。


「………………猫?」


「うにゃ? ………………知得留?」


 背を向けていた猫らしきものも、振り向いて刀子を見るなり何故か固まっていた。

「……葛葉、知り合いか?」

「知り合いな訳ないでしょう……。そもそも私はチエルなどという変な名前ではなく、葛葉刀子というちゃんとした名前があります」

「なうー、あちしもそこな年増とは知り合いではないにゃー。ネコミミつけても手遅れっぽいので、もうどーしよーもねーほど救いようが無いのです、まる。まあ、猫にもできることとできないことはあるということで。主にさっちんとかさっちんとかさっちんとか」



 ビシリ、と。
 ネコめいたナマモノの一言に、空気が固まった。



「とし……とし、ま? 救いようが無い……ですって……? あは……あはは、あははははははっはははは!!!」

「お、おい、葛葉! 落ち着け!!」

「にゃにゃにゃ、知得留もよく黒鍵とか持ち出すけど、眼鏡で年増だと刃物を持ち出したくなるお年頃なのかしら? セーラー服に機関銃、ネコにビーム、年増に刃物。……うむ、見事に締まりが悪いにゃー」

 突然笑い出した刀子に慌てる神多羅木。
 眼に狂気めいた輝きが宿り、刀は既に刀身を露にしている。
 ネコアルクの更に火に油を注ぐような発言によって、もはや爆発も時間の問題だ。


「――――コロス!!!」


 ……爆発は案外早かった。
 閃く白刃。
 激しながらも、刃は冷静そのものである。
 鞘から抜き放たれた神速の刃は、ネコめいたナマモノをざっくざくに切り刻む!

「トーコあまーい」

 ……切り刻む!!

「トーコはっずれー」

 ……切り刻んでくれ!!!

「トーコへったくそー」


「クケェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!」


 攻撃がどうにも当たらず、奇声を上げながら刀をぶん回す刀子。
 刀子の剣の腕が悪いのではない。
 相手が悪いのだ。
 何と言うか、色々と不条理なもので出来上がっているので、殺したくても殺せないというか。
 ……頑張れ葛葉刀子! 作者的にあの黒ストは素晴らしかった!


――――嵐のような斬撃の後、二年生の廊下とか教室とか色々損壊して大変なことになっていたのは言うまでもなかろう。


□更にNG■


「あはは、冗談やて、せっちゃん」

 寝ている遠野志貴の頭目がけてトンカチを振り下ろそうとしたお嬢様は、私とのどかさんに止められて苦笑しながらトンカチを仕舞う。
 学園長やネギ先生達は障壁があるから大丈夫だが、遠野志貴はそんなものは持っていない。
 ……止めるのが遅かったら、潰れたトマトみたいな頭の死体が一つ出来上がっていたかもしれない。
 ホッと息を吐いたところへ――――


「で、でも『上手くいけば記憶戻るし、失敗してもウチの治癒魔法の練習になるから、どっちにしてもお得や』って――――」


 のどかさんの一言で、ぴしり、と保健室の空気が固まる。
 固まった空気の中、お嬢様がいい笑顔でのどかさんに近づく。
 後ろ手に隠し持ったトンカチなんて、私は見てない見テナイミエテナイ。

「……のどか、のどか。ネギ君戻ってきたみたいやえー」

「え? あ、ね、ネギせん……(ガスッ!!!)」

 のどかさんがお嬢様から保健室の扉へと目を向けた一瞬の隙を狙って、トンカチでのどかさんの頭を思い切りブッ叩いて気絶させたところなんて、私は見てない。
 そして、片手で首根っこを掴んでずるずると床を引きずり、保健室のベッドに放り投げるところなんて全然見てなかった。
 エエ、マッタク見テマセントモー。

「あはは、のどかも眠ってしもたみたいやな」

「え、ええ……そ……そうですね! のどかさんも眠ってしまいましたね、お嬢様!!」

 半ばやけくそ気味の笑顔で、お嬢様に同意する。
 ……その後のお嬢様との会話を、私は覚えていない。
 覚えているとすれば、背中を流れる冷や汗くらいのものだった……。


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