【ネギ】


「ただいま戻りましたー。あ……志貴さんと亜子さん、もう起きてたんですね」

「あ、ネギ先生、ウチの荷物持ってきてくれたんか。ありがとうな」

　学園長への報告を終えた後、亜子さんがマネージャーをしている男子中等部のサッカー部へ行って、亜子さんの荷物を預かり保健室へと戻ってくると、志貴さんと亜子さんは既に起きていた。
　何故かココネさんもいて、無言のまま志貴さんに肩車されている。
　持ってきた荷物を亜子さんに渡すと、亜子さんは荷物を肩に担いで志貴さんへと駆け寄っていく。
　二人……いや、三人でどこかへ行くように見えたので刹那さん達に話を聞くと、亜子さんが志貴さんにこの町の案内を頼まれたらしい。

――――昨日の夕方、帰りの電車の中で亜子さんが話してくれた、人込みの中で男に後ろからナイフを突き付けられたという話。
　亜子さんをその暴漢から助けてくれた人というのが、志貴さんだったのである。
　今回のことも含めて是非ともお礼をしたいと言う亜子さんに、志貴さんがこの町の案内を頼んだ……ということらしい。

「（私はお嬢様の護衛と、遠野志貴の監視のためについて行きますが……ネギ先生はどうしますか？）」

「（あ、じゃあ僕も一緒に行きますよ。このかさんが商店街の方へ買い物に行くって言ってましたし……）」

　亜子さんに聞こえないように刹那さんと小声で話し、僕も志貴さん達と共に行くことにした。
　あまり志貴さんを警戒する気は無いけれど、恐らく魔眼と思われるあの蒼い瞳は気になる。
　確かに背筋を凍りつかせるほどの恐怖を感じたあの『眼』は危険かもしれないが、僕はあの『眼』を見た瞬間から、恐怖とは別の何かが引っかかっていた。
　その『何か』が何なのかもわからず、困っているのだが。

「ん……じゃあ、先に皆でお昼を食べに行こうか。亜子ちゃん、近くでいいお店はある？」

「近くのお店やと、えっと……ふぇ？」

「……」

　黒いコートを着たスミレ色の髪の女の子が、いつの間にか亜子さんの隣に立って、服の裾を引っ張っていた。
　僕が突然姿を現した女の子に戸惑っていると、アスナさんがこの子が人型になったレンさんなのだと耳打ちして教えてくれる。
　人型になったレンさんは初めて見たが、少し耳が尖って見えること以外は普通の女の子に見えなくもない……かな？
　レンさんが猫の姿から女の子になったことは、志貴さんにとっても想定外だったのか、志貴さんは少し慌てていた。

「あー、この子はレンって言って、えぇっと……そう、俺の妹なんだ」

「はあ……何だか外国人の女の子みたいですけど、血の繋がってない妹さんか何かですか？」

「そうそう！ 俺の異母兄妹で、今年の夏休みに俺の家を頼って日本へ来たんだ。それで俺の大学の下見ついでに観光旅行でも、と言う話になって……」

　志貴さんは冷や汗をかきながらも、何とか誤魔化し切れたらしく、ホッと安堵の息を吐いていた。
　魔法についてバレたりしないかと冷や冷やしながら聞いていた僕らも、志貴さんとほぼ同時に安堵の息を吐く。
　周りが慌てている中で、レンさんは先程と変わらずジッと亜子さんの顔を見上げていた。

「えっと……レンちゃん、どこか行きたい所あるん？」

「ああ、ケーキを食べたいんだってさ。亜子ちゃん、近くでケーキの食べられるお店ってあるかな？」

　志貴さんの言葉に、またも僕の心臓が跳ね上がる。
　念話で意思を伝えられることに慣れてしまっているのか、レンさんが何も言っていないのに、志貴さんが答えてしまった。
　シオンさんの説明で退魔士――――というか、霊能力者という設定になっているとは言え、あまりにも魔法に近いようなことは秘密にしないと、どこから魔法についてバレてしまうかわからない。
　僕の危惧どおり、亜子さんは不思議そうな顔で志貴さんとレンさんを交互に見ながら問いかける。

「ありますけど……あの、今……レンちゃん喋ってはりました？」

「えっ？！ あ、いやその……レンは失声症みたいなモノにかかっていて、ほとんど喋れないんだ。でも結構表情豊かで、言いたいことは大体わかるんだよ。はははははははは」


　苦しい言い訳だったが、亜子さんはそれで何とか納得してくれたらしく、皆で学園の玄関へと向かう。
　その後も、僕は志貴さんの一言一言で、亜子さんに魔法がバレたりしないか冷や冷やさせられるのだった……。




〜朧月〜




【アスナ】


「はぁぁぁ〜……レンちゃん、かわええ〜……」

　私の左隣の席に座るこのかは、頬杖を突きながら目の前の光景に魅入られていた。
　その目の前にある光景というのが、先程から三皿目に突入したケーキを、一生懸命口に運んでいるレンちゃんなのである。
　ケーキをフォークで一口サイズに切ってその小さな口へと運び、もきゅもきゅと可愛らしく咀嚼する姿はとても微笑ましくて、このかならずとも、魅入られてしまうのは仕方の無い話だと思う。
　志貴さんを挟んで反対側に座っているココネちゃんは、レンちゃんに対抗するかの如くはむはむとパフェを食べている。
　そしてその二人に挟まれた志貴さんは――――時折ホッペに付いたクリームを拭ってあげたりしながら、優しい笑みを浮かべて二人を見守っていた。


　学園から出た後、私達は学園から程近い場所にある喫茶店へと来ていた。
　和泉さんが何度か来たことのあるお店で、スウィーツの味は個人的に上位に食い込むほどなのだとか。
　お店はレンガ造りの外観をしていて、普段特に気にも止めずに通り過ぎてしまいそうなほど周りの風景に溶け込んでいた。
　店内にはクラシックが流れていて、レトロな雰囲気を漂わせている。
　私達はその喫茶店でお昼を食べてから、志貴さんの町の案内に同行する……予定だったのだが、レンちゃんもココネちゃんもこのお店のスウィーツをいたく気に入ったらしく、こうしてこの喫茶店に長居しているのであった。

「どうぞ」

　その光景を眺めながら、食後にコーヒーやらお茶やらを飲みつつ談笑していると、テーブルにすっと一皿のケーキが差し出される。
　見れば、いつの間に姿を現したのか、人の良さそうな笑みを浮かべたこの喫茶店のマスターが立っていた。
　マスターは男性とも女性ともつかない中性的な美形の顔で、更に礼儀正しい性格ということで、恋人の一人や二人いそうなところなのだが、和泉さんから聞いた話ではそういった浮いた話は聞かないのだとか。
　レンちゃんはしばらくじっとマスターの顔を見つめていたが、やがてマスターに向けて小さく頭を下げて、目の前に差し出されたケーキに手を伸ばし、パクパクと食べ始めた。

「あの……俺、追加のケーキ、頼んでませんけど……？」

「いえ、この子達の食べっぷりが気に入ったもので、サービスですよ。さ、皆さんもどうぞ」

　マスターはカウンターへと戻っていき、ケーキやらパフェやらを次々に置いていく。
　私達の目の前は、瞬く間に様々なスウィーツに彩られてしまっていた。
　クリーム、チョコレート、ティラミス、抹茶、マロン、チーズ、レアチーズ等々、ケーキだけをとってもその種類の豊富さは半端ではなく、パフェもまたチョコやら抹茶やらがずらりと並んでいる。
　目の前の光景に、これまであまり表情を見せていなかったレンちゃんは、紅い瞳を歓喜に輝かせていた。

「量はあるので心配せずに食べてくださって結構ですよ、お嬢さん方」

「なあ、マスター、前来た時もウチにお土産にケーキくれたけど……このお店、こんなんで採算成り立ってるん？」

「このお店は単なる趣味でやっているようなもので、本業ではありません。ですので、儲けはあまり考えていませんよ。そんなことよりも、そちらのお嬢さんのように幸せそうに食べていただけることの方が私にとっては重要ですから」

　和泉さんは私達も思っていた質問をするが、マスターはそう言ってどんどんスウィーツを並べていく。
　本業が何なのか気になったが、答えてもらえそうにもないので、気にせず目の前に置かれたティラミスの皿を手に取る。
　ふと右隣に座っているネギに目をやると、ネギはマスターに訝しげな視線を向けていた。
　私の視線に気付くと、ネギはケーキに手を伸ばしながら私の耳元に口を寄せてくる。

「（多分、魔法使いの人だと思います。こんなに近くにいるなんて、僕も知りませんでした）」

　ちらりとマスターへ視線を向けると、マスターは私を見てニコリと笑って見せる。
　なるほど、本業というのは魔法使いのことなのか。
　しかしまぁ……こんな大盤振る舞いして趣味で済ますなんて、魔法使いってのも儲かるものなのかしらー、なんて思いながらティラミスを一切れ口に運ぶ。
　甘さと苦さが程よく口の中に広がり、ティラミスはすぐに私の別腹へと収まったのだった。
　……まあ、体重計が激しく気になるところではあるが。



「ねえ、ネギ。さっきの喫茶店のマスターみたいに、魔法使いって町のあちこちにいるもんなの？」

「え……さっきのマスターさん、魔法使いだったんですか？」

　喫茶店を出てひとまず商店街へ向かいながら、私は小声でネギにさっきのことを聞いてみた。
　ネギの隣を歩いていたのどかちゃんにも聞こえたらしく、少し驚いたような表情で私を見てくる。
　大麻帆良祭の超さんの事件の時に、結構な数の魔法使いの姿があったのを覚えているが、わかっているのは学園にいる魔法先生や魔法生徒達のみであって、町中にいる魔法使いもいたのかまではわからない。
　ネギは首を傾げながらしばらく考え込んだ後、私の顔を見上げて口を開いた。

「うーん……どうなんでしょう？ 学園長なら知ってるかもしれませんけど……カモ君、何か知ってる？」

「んにゃ、俺っちも詳しくは知らねぇなあ……。まあ、この町のでかさからすりゃ、何人かいてもおかしくはねぇけどな」


「そこの三人ー、どうかしたんー？」


　皆から少し遅れて歩いている私とネギに気付いた和泉さんが、足を止めて振り返り、声をかけてきた。
　前を行く志貴さんは、ココネちゃんを肩車して、片手でレンちゃんの手を握りながら、和泉さんやこのかと談笑している。
　……何というか、子供から好かれる大変なパパさん状態に見えた。
　そういえば、志貴さんはココネちゃんやらエヴァちゃんやらレンちゃんやらと、やたらと（容姿が）幼い子達から好かれている気がする。
　面倒見がいいのか、それとも人が好いのか、志貴さんは苦笑しながらも二人のお子様達の面倒を見て――――……あ、シャークティ先生。

「まったく……姿が見えなくなったと思ったら、何をしているんですか！ 教会に戻りますよ！」

「……ばいばい」

　腰に手を当てて怒るシャークティ先生に首根っこ掴まれて、ココネちゃんは連れて行かれてしまった。
　シャークティ先生に引きずられながら無表情で手を振るココネちゃんに、志貴さんは苦笑しながら手を振り返す。

「志貴さんて、ええお父さんになりそうやなー」

「そうね。何か子煩悩になりそうな気がする」

「あ、ウチもそう思うわ。志貴さんって、レンちゃんやココネちゃんには甘かったしなー」

　このかの言葉に、皆揃って賛同する。
　和泉さんの言うとおり、志貴さんは喫茶店でレンちゃんにせがまれるがままケーキを頼んだり、ココネちゃんの口の周りのクリームを拭ってあげたりしていた。
　娘に盲目な父親みたいというか何と言うか。
　スウィーツを一生懸命食べる二人を見守る姿は、優しそうなお父さんそのものだった。
　……財布の中身を見て、しばし固まっていたけれど。

「ん……そうかな？ ハハ、自分ではダメな父親になりそうな気がしてるんだけどね」

　そう言って、志貴さんは苦笑する。
――――けれど。ほんの一瞬だけ、その笑みが寂しそうに見えた気がした。


☆


□今日の裏話■


「ごちそうさまでしたー！」


　喫茶店から去っていくネギ達の姿を見送り、喫茶店のマスターは店の中へと戻る。
　せめても、ということでネギ達が台所まで運んだ食器を洗い、テーブルを拭いて陽の当たる席に腰を下ろす。
　用意しておいたティーカップに紅茶を淹れ、しばし店内に流れる音楽に耳を傾ける。

「ふむ……何とも興味深い人が訪れたようですねぇ。特別な力は特別な力を引き寄せるといいますが……ネギ君がそういった人を引き寄せるのか、それとも彼がネギ君達を引き寄せたのか……」

　紅茶を啜るマスターの体を包み込むように激しい風が逆巻き、それが治まると――――

「二十七祖十三位、タタリ。存在するとされている死徒という話でしたが……なるほど、不定形な存在とはまた厄介ですね。……聖堂教会の騎士団が放置する訳です」

　そこには、クウネル・サンダースこと、アルビレオ・イマの姿があった。
　タタリの固有結界の魔力に包まれた麻帆良の町に、彼が姿を現している。
　それはつまり――――


（ちりん）


「……おや、君は先程の……。何か忘れ物でも？」

「……………」

　突然聞こえた鈴の音に、ふと視線を向けると、そこには黒猫の姿をしたレンが鎮座していた。
　レンは無言のまましばらくアルビレオの顔を見つめた後、ちょこんと頭を下げる。
　そして開いていた窓――――恐らくここから入ってきたのだろう――――へと飛び移り、外へと出て行った。
　しばらく開かれたままの窓を見つめた後、アルビレオは残っていた紅茶を飲み干してから立ち上がり開いていた窓を閉め、使ったティーカップ等を洗ってから、店の戸締りを始める。

「さて……私の名前は今回の舞台の配役には無いようですし、今しばらくは身を潜めておくとしましょうか。でもまあ……」

　レンが出て行った窓に目を向けながら小さく微笑むと、


「『お願い』をされては仕方ありません。――――手に負えないようでしたら、ささやかながら手を差し伸べてあげましょうか」


　優しくそう呟いて喫茶店から姿を消したのだった。