Act4-30


【千草】


 隠れ家に戻ってくるなり、千草は着ていたスーツを乱暴に脱ぎ捨て床に叩きつける。
 憎しみに満ちた表情を隠しもせずに、普段の露出度の高い着物に着替えながら、目の前にある柱を睨みつけていた。
 ……いや、彼女が睨んでいるのはここではないどこかなのだろう。
 着替え終えた千草は畳に腰を下ろし、尚も苛立たしげな表情を見せている。
 確かなのは、普段冷静なはずの彼女をこうまで憤慨させるほどのことがあった、ということ。

 そろそろ寒くなってきているというのに、冷凍庫から取り出してきたガ●ガリ君を食べながら、月詠はそう思った。


「……あんまり食べ過ぎるとお腹壊しますえ、月詠はん」

「ウチもそろそろ止めようか思ってたところですー」

 ぺたんと畳に腰を下ろしながら、暢気にアイスを齧っている月詠に剣呑な視線を向けて軽く注意しながら、千草は心の中で舌打ちする。
 冷静にならなければいけないというのに、苛立ちに支配され冷静になれないでいる自分。
 すべて――――そう、すべてがあの男、遠野志貴のせいなのだ。

 遠野は偽りの姓。本当の姓は、十年ほど前に滅びたという、混血殺しの退魔一族――――『七夜』。
 つまり、彼は七夜最後の生き残りということなのである。
 混血の宗主たる『遠野』によって滅ぼされた後、当時の遠野家当主であった遠野槙久の気紛れで養子として引き取られた彼は、遠野の体面を繕うために大切な 記憶を失わされて、遠野家長男としての記憶を植え付けられた。

「……酷いもんやな。両親も、何もかも失って人生滅茶苦茶や」

 冷たく、素っ気無い態度で呟く。
 彼女もまた、両親を殺されている。遠野志貴……いや、七夜志貴と同じように。
 けれど遠野志貴は事実を知り、復讐すべき相手の懐の内にいるというのに、復讐もせずに家族として共に過ごしている。
 七夜だというのだから、混血を殺すことなど容易いはずなのに――――何故。何故、遠野家へ復讐しないのか。
 お前の胸にも私と同じ……いや、それ以上の怒りや憎しみが渦巻いていてもおかしくないはずなのに。
 ……そうだ、お前は私と同じように遠野家への復讐心を抱いていなければならない。
 遠野家の者達を殺して、それから――――――――それから……どうするというのか。

 彼に帰るべき場所は無い。七夜の里は、滅びてしまったから。
 彼に迎えてくれる家族は無い。遠野に殺されてしまったから。
 彼が家族として共に過ごしている遠野を殺してしまったら――――何もかも、無くなってしまう。
 遠野を滅ぼしてしまえば、彼には何も残らなくなってしまう。


 ……じゃあ、自分には何が残るのだろうか?


「――――――――――――――――――――」


 ドクン……!
 心臓が一つ、大きく脈打つ。
 ダメだ。そこから先を、考えてはいけない。
 過去の大戦で西洋魔術師に両親を殺されてから、ずっと西洋魔術師を憎み続けてきた。
 西洋魔術師への復讐を、両親の敵を討つことをずっと考えて生きてきた自分が、今更止まるなんてことは出来ない。
 自分がしていることの先……それは――――それだけは、考えてはいけないのだ。

 息を吸い、口から強く、一気に吐き出す。
 それで、胸が締め付けられているかのような息苦しさが幾らか軽くなった。
 いつもの冷静さを取り戻した千草は、眼光鋭く窓の外を睨む。

「……フン……何が『死神』や。利用するだけ利用したって、最後はウチの手で始末したるわ」

「あ、センパイはあきまへんよー。センパイはウチが殺すんやから。ウチとセンパイの殺し合い(ダンス)の邪魔なんてしたら、いくら千草はんでも――――殺 しますえ?」

「センパイ? ……ああ、あの烏族のハーフの小娘か。ウチの目的は別やさかい、アレの相手は月詠はんにお任せしますわ」

 千草の呟きを聞きとがめた月詠が、背筋が凍りつきそうな殺気を纏わせながら冷たい笑みを浮かべて言う。
 月詠の言う『センパイ』という単語に千草は怪訝な表情を浮かべるが、すぐに思い至り、彼女の笑みに応えるように歪んだ笑みを返す。
 彼女にとっての神鳴流の先輩であり、烏族とのハーフの少女――――桜崎刹那。
 何が 戦闘狂 (バトルマニア)の彼女を刺激してしまったのか詳しいことは知らないが、前回の京都での一件で刃を合わせて以来、月詠は刹那のことを気に 入ったらしい。
 気に入られてしまった方にとっては迷惑極まりないだろうが、このかの護衛の戦力を削ぐことはこちらにとって有利に働く。

「ふふ……何か力を持っていたとしても、所詮は一般人に毛が生えた程度や。――――封じる術は幾らでもある」

 千草は口元に薄く妖しい笑みを浮かべながら、瞳に憎しみを滲ませて冷たく呟く。
 遠野志貴に抱いていた恐怖は、いつの間にか憎しみへと変わっていた。
 そして、その憎しみの衝動のままに彼女が選んだ役者(カード)は――――『死神』。


 果たして、『死神』は彼女にどのような結末をもたらすのであろうか……?




〜朧月〜




【カモ】


 志貴の歓迎会の準備のため台所に立って料理をしていたこのかが、包丁を持った手を止め、一つ悩ましげにため息を吐く。
 それに気付いたカモが何かを嗅ぎ取ったのか、ネギの肩の上から飛び降りて俊敏な動きでこのかの肩に移動する。

「どうしたんだい、このか姉さん? 何やら悩んでいるようだが、俺っちに相談すればたちどころに解決しちまうぜ」

「あ、カモ君。うーん……そやな、誰かに相談した方がええのかも知れんな」

 このかは少し考えるような仕草を見せた後、包丁をまな板の上に置き、カモを手の平に乗せて話し始める。
 ……このオコジョに相談する時点で色々と間違っている気がするが、天然ぽやぽやお嬢様の彼女はそんなことは気にしないのだ。

「あんな、さっき保健室に残った時に、のどかのアーティファクトでせっちゃんが志貴さんのことどう思とるか聞いたんよ」

「ああ、なるほどな。そういえば志貴のダンナが、刹那の姉さんの幼馴染かもしれねぇってアニキも言ってたからな。で……刹那の姉さんの反応は?」

「うん、ウチは志貴さんが七夜やいう証拠が無いから余所余所しくしてるんかと思っとったけど――――んふふ、せっちゃんてば、志貴さんが自分のこと覚えて くれてなかったから怒ってたんよー」

 「こういうんをツンデレ言うんやったっけー?」と、嬉しそうに話すこのかの話を聞きながら、カモはタバコに火を点けこのかの手の上にどっかりと腰を下ろ す。
 そして肺いっぱいに吸い込んでから紫煙を燻らせ、今このかの口から聞いた情報を頭の中で整理していく。


――――遠野志貴。
 学園長室での話によると、本当の姓は七夜……つまり、刹那が幼い頃に世話になった一族の血を引いている。
 しかし、彼の一族が滅ぼされた際に遠野家当主の気紛れから養子として引き取られ、その後何らかの事情で七夜だった頃の記憶を失い、今は遠野姓を名乗って いるのだという。
 刹那にとって、七夜を滅ぼした遠野は憎むべき存在であり、その憎むべき遠野姓を名乗る遠野志貴は許せない存在なのだ。
 昨夜遠野志貴に斬りかかったのは、その憎しみ故の衝動だったのだろう。
 幼い頃、忌み嫌われ遠ざけられていた刹那に優しく手を差し伸べてくれた少年と同じ、『志貴』という名を名乗っていることも、刹那の怒りを増幅させたと思 われる。

 そこへ現れた、もう一人の『志貴』。七夜を名乗る、あのキザったらしい殺人鬼だ。
 二人の『志貴』と、刹那の間に何があったのかは知らない。
 刹那にとっての大切な思い出の人物であるはずの七夜志貴が刹那を殺そうとし、刹那にとって憎むべき敵であるはずの遠野姓を名乗る志貴は、七夜志貴の刃か ら刹那を守った。
 以前刹那が話してくれた思い出の中の存在とはまったく違う、冷酷で殺人を嗜好する『七夜志貴』と、刹那の語った人物像そのままの、優しくてお人好しな性 格の『遠野志貴』。
 まるで、二人の中身が入れ替わってしまったかのようである。

「ふーむ……何があったか知らねえが、昨夜の戦い以降、刹那の姉さんの志貴のダンナに対する態度が軟化していく一方なんだよな」

「うん、そうなんやけど……やっぱり志貴さんが記憶を取り戻してくれへんと、せっちゃんも素直になれへんと思うんよ。それで、どうやったら記憶取り戻せる んか考えとったんや」

 のどかのアーティファクトで、刹那の中では既に遠野志貴が本物なのではないかと思い始めているらしく、彼女が今望んでいるのは遠野志貴が失ったという記 憶を取り戻すことだということはわかった。
 咥えタバコのまま、カモは難しい顔で思考を続ける。
 魔法使いはその存在を隠蔽するために、記憶を失う魔法を行使することがある。
 しかし逆に、失われてしまった記憶を復元するという行為はとても難しいことで、更に『遠野志貴』という、後に加えられた記憶も維持しなければならないと もなれば、当然その難度も上がってしまう。
 破壊は容易く、再生は難しい。人の脳という脆いパーツへの作業であるため、最悪の場合、死ぬことも十分にあり得る。
 危険な綱渡りであるその手段の他に、何か方法が無いか考えていたカモの頭に――――その時、雷撃の如き閃きが走った!

「む……むむむむむむ!? こりゃもしかすると、もしかするかもしれねぇな……。……なあ、このか姉さん。刹那の姉さんは、幼い頃の七夜志貴の姿は覚えているんだよな?」

「え? 多分、覚えとる思うけど……」

「ふっふっふ……志貴のダンナの記憶の復元が難しいのなら、逆に刹那の姉さんの方を変えちまえばいいんだよ、このか姉さん! 方法はこうだ。まず――――――――――――」



 しばらくの後、警備員室の台所から二つの怪しげな笑い声が聞こえたとか聞こえなかったとか。
 何にせよ、遠野志貴にも何かの魔の手が伸び始めようとしていた……。




【遠野家】


「お帰りなさいませ、秋葉様」

「ただいま、翡翠。で……家の外壁が紅いことと、琥珀がいないことは何か関係あるのかしら」

 親族会議であの脂肪分の塊……久我峰に精神的なストレスを背負わされて帰ってきた秋葉を待っていたのは、夕陽以上に真っ赤な鮮血で彩られた屋敷の外壁 と、いつもと変わらぬ鉄面皮で門の前に佇む翡翠の姿だった。
 普段秋葉を出迎えるのは琥珀なのだが、琥珀が何かの事情で出られない場合は翡翠が出迎えることになっている。
 ……まあ、屋敷の状況を考えれば、琥珀が今どうなっているか大体予想がつくのではあるが。

「さあ。お気になさらずとも、姉さんでしたら直に戻ってくるでしょう」

 翡翠は秋葉の問いを軽く受け流すと、荷物を受け取り先に立って歩き出す。
 最近半ばギャグキャラと化してきている彼女に注意すべきか否か少し悩みながら、秋葉はその後ろについて屋敷へと入る。
 ちなみに琥珀について心配するつもりは一切無い。
 どうせすぐに復活するのだから心配するだけ無駄というものだ。
 ……決して、第四回のキャラクター人気投票で下克上された恨みではない。ないったらない。
 屋敷に入って秋葉の部屋へ着くと、ふと翡翠が何かを思い出したように口を開いた。

「秋葉様。先程、瀬尾様より電話がありましたが」

「瀬尾から? ……で、用件は何だったの?」

「まだ帰ってきていないので伝言を承る旨伝えたのですが、後ほど連絡するのでいい、と」

「ふぅん、そう……。数日前からどこかに出かけているという話だったけれど……」

 そのどこかに出かけているはずの晶から遠野家に電話があったことは不思議だったが、特に気に留めずに机へと向かう。
 晶のことも気にはなるが、今の彼女にとっての最優先事項は兄である遠野志貴のことだった。
 昨夜感じた、『共融』による遠野志貴との繋がりの中に突然割り込んできた存在。
 志貴と秋葉を繋ぐそのラインに割り込めるのは、たった一人――――遠野シキを除いて他にいない。


 遠野家長男という自分のあるべき場所を奪われたシキは、遠野志貴に対して憎しみを抱いている。
 志貴の身を案じ、すぐにでも麻帆良へ向かいたいという思いに駆られたが、遠野家当主としての立場が彼女を押し留めていた……。





□今日のNG■



『ああ、兄さん……! 秋葉は兄さんのことが心配で心配で仕方が無かったんです……!』

『秋葉……遠野家当主であるお前がこんな真似をしたら……!』

『……遠野家当主としてでなく、一人の女性として、兄さんのことが心配だったんです……! だから……!!』



「……いいわ。今日の私、ノってるわ……! さぁて、ここからの展開は……」

 机に向かって怪しい笑みを浮かべながら、いそいそとノートに何かを書き込んでいく女が一人。名を、遠野秋葉という。
 そして、その背後に忍び寄る……いや、這い寄る音が一つ。名を、琥珀……だったモノ(仮)という。

「いや、でもここは……。そうね……ここは『せっかくだから俺はこの紅い秋葉を選ぶぜ!』にしておいた方がいいのかしら……」



「あ゛〜ぎぃ〜はぁ゛〜さぁ゛〜まぁ゛〜……」



「――――――――っっっ?! こっ、琥珀?!!」

 いきなり背後から聞こえた、地獄の底から聞こえるような怨嗟の声に驚いた秋葉の体が、椅子から軽く飛び上がる。
 ノリにノってたせいか、秋葉は琥珀が声をかけるまで気付けなかったのだ。
 見れば、琥珀はまるでボロ雑巾のようにズタボロになっており、翡翠の凄まじさが感じられる。
 バレットで散々いたぶられた挙句、ハートブレイクショットで動きを止められた後に、ガゼルパンチからデンプシーロールに繋げられ、チョッピングライトで マットに叩きつけられた上に、止めとばかりにしこたま料理器具でボッコボコにしたような有り様だったのだ。

 ただし、料理器具といっても、包丁等の刃物による刺し傷は一切見当たらない。
 まさに『刃物に頼るメイドはただのメイドだ! 刃物に頼らないメイドはよく訓練されたメイドだ!』と言わんばかりの、激しい殴打痕であった。……つーか、琥珀の背中にそう書かれた紙が張ってある。
 もはや、月姫のサブヒロインとは思えないような悲惨過ぎる琥珀の有様は、一般人からすればかなりホラーというか、即気絶モノなのだが、そこは遠野家当 主。これくらいのモノで驚いたり、取り乱したりはしないのだ。

「琥珀、すぐに夕ご飯の支度をお願い。翡翠が作る前にお願いね」

「……あのぅ、少しは労りというものをですね?」

「あなたも翡翠の作った『コロシテクレ』って呻き声上げる夕ご飯……食べたいのかしら?」

「……いえっさー、了解いたしました。地獄に落ちろ、雇い主ー(マスター)」


――――……遠野家に、本日二度目の叫び声が響いたのは言うまでもない。



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