籠の鳥事件 (本文サンプル・書き下ろし分・序盤)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 
 
 アグリハ王国専用ジェット機で、雲の上を飛んでいる。
 八草の前には、びっくりするような男前が佇んでいた。
 アッシュブロンドの短髪と、緑の眸をした映画俳優みたいな男。冷たい目元には、とっつきにくい印象がある。八草よりも頭ひとつ背が高く、百八十センチ以上はあるだろう。
「…………」
 八草は、物も言わずに見惚れていた。
 世の中には、こんなにも恵まれた男がいるのかと驚いた。
 この男、本来は空軍少佐らしい。
 身に着けているのは、アグリハ王国の黒い軍服だ。胸元に、徽章や略章、飾緒、勲章を幾つも着けている。その恰好がとても似合っていて、思わず、一緒に記念写真を撮りたいとスマホを取り出しかけた。
 少佐は、黒の軍帽を脇に挟み、直立不動の姿勢をとっている。
 ラサの格好をした八草の元に、わざわざ挨拶に来たらしい。
「それではラサ姫様、ごゆっくり寛ぎ下さい。自分が、あなた様を無事、アグリハ王国へとお連れ致します」
 少佐は、不敬にならない程度に、まっすぐ八草を見つめる。
「…………」
 その視線は、低い声と相まり威圧的で、落ち着かなかった。
 八草はじっと少佐を見つめ返す。
「姫、ご安心を……いくら自分が元戦闘機乗りでも、今回は、揺り篭のようなフライトをお約束致します」
 八草の態度を緊張と受け取ったのか、少佐は、それを解そうと冗談めかす。この男、笑うのが下手だ。
「ありがとう」
「身に余る光栄です」
 男はぎこちなく微笑み敬礼すると、機長室へと戻った。
 八草は返礼も忘れて、少佐を目で追いかけた。
 良い男だ。女性に対する礼儀や言葉遣いは紳士的で、騎士道精神さえ感じる。歩く姿も、軍靴の音も、白手袋に包まれた指先の一つまで洗練されている。
 思わず、短く整えられたアッシュブロンドの襟足を、指で逆撫でしたくなった。さりさりして気持ち良さそうだ。この男は、軍服を着る為に生まれてきたんじゃなかろうかとさえ思う。それほどまでに、一分の隙も見当たらなかった。
「世界が違うな」
 八草は、少佐が視界から完全に消えるまで見送り、ゆったりとした座席に背中を預けた。
 今、八草はラサとして存在している。
 着ている服は王女様らしく、慎ましやかな白いモスリン地のワンピースだ。
 胸の下で切り返した部分を、ベルベットの黒いサッシュリボンで結んでいる。長袖の袖口、襟首、スカートの裾は黒のフランスレースが縁取っていた。手袋も黒のバックスキンで、靴は五センチヒールのパンプスだ。
 ラサの持ち物の中にあった服だが、不幸なことに、八草は全てのドレスやワンピースを身につけることができた。
 ラサも八草も身長が百七十六センチ、体重が数キロ差だった。肩幅などの若干の窮屈を除けば、問題がない。
 女の服を着れた八草もショックだったが、男に問題なく服を着られたラサも悲壮な顔をしていた。
「…………」
 入れ替わり期間は一週間。
 一週間だけ乗り切れば良い。一週間後の十二月三十一日、それは、八草とラサの十八歳の誕生日だ。
 その日、ラサは結婚する。
 アグリハ王国第一王位継承者であるラサは、三十日までに結婚相手を選び、三十一日に式を挙げなければならない。結婚相手も、王国内の格式ある家柄の子息から選ばなくてはならない。ラサは、それをぎりぎりまで粘り、先延ばしにしていた。
 これが、政略結婚だからだ。
 ラサがまだ相手を決めていないのに、王国内では着々と婚礼の準備が進められ、国内もお祭りムードらしい。既に、国賓への招待状も発送され、ラサの婚礼衣装も準備が整っている。婚姻相手だけが、当日発表の状態らしい。
「これは国家の決めたことだから致し方ない。だが兄上がいる」
 ラサは大きな目を潤ませ、八草の手を取った。
「俺? 俺に王様になれとか言うなら無理だからな」
「そのつもりはない、安心するといい」
「じゃ、なんだ? 俺がいて、何か良いことでもあるのか?」
 ラサと八草が双子であることは、祖父であるアグリハ国王とラサしか知らない。八草はその存在を公的に認められておらず、王位継承権もない。八草は、単なる物部八草でしかない。一般人には、きっと、何もできない。
「兄上に頼みがある」
「何を?」
「私とて一度くらい自由を味わいたい」
「…………」
「私は、一度もあの狭い国から出たことがない。外で遊ぶこともなく、決められた日々を城の中だけで過ごしてきた。父や祖父には愛されたが、所詮は籠の鳥だ。……恵まれているのかもしれないが、一度くらい籠の外へ出てみたい。籠の鳥ではあっても、一度くらい飛ぶ真似事をしてみたい」
 ラサは涙ながらに、こう続けた。
「一週間、一週間だけでいい。十八の誕生日には戻ってくる。……こうして、今日、日本へ来るのにも、おじい様に随分と駄々を捏ねた。クリスマスプレゼントの代わりに、やっと出国を認めてもらえた。勿論、兄上に会うことは内緒にしている。だから、私は、すぐに国へ帰らなくてはならない。でも、私は、もっと外を見たい。一週間、せめてその時間があれば……だから、だから私は……」
「一週間だけお前のフリをすればいいのか?」
 八草は、言葉を濁すラサの真意を汲み取った。
「そうだ」
「……ごめんな」
「それは、断るという意味か?」
「違う。……お前には自由がなかった。俺は、自由だった。多分、お前は、冬休みを無駄に過ごす楽しさも知らない。独りでいることの気楽さを知らない。……双子なのに、お前ばっかり窮屈だった。……だから、ごめんな?」
 八草は、この時、本当に申し訳ないと思った。自分は、何も知らずに平々凡々と暮らしてきた。同じ家族なのに、助けてやることも、傍にいてやることもできなかった。
 ならせめて、今、助けたいと思った。
「では、兄上」
「バレても知らねーからな」
 急にお兄ちゃんになった気がした。
 ラサの頭を撫でて、悪戯っぽく微笑む。そうすると、ラサが初めて笑顔を見せてくれた。兄馬鹿かもしれないが、とても可愛い笑顔だった。
 こうして、八草はラサと入れ替わり、アグリハ王国へ向かうことを了承した。
 叔母夫婦には、予備校の冬季合宿に参加すると告げた。泊りがけなので、自宅に不在でも怪しまれない。ラサは、護衛であるブリトヤを伴い、アメリカへ向かった。何かあれば、携帯電話で連絡を取り合う。その他、幾つかの取り決めを交わし、八草はアグリハ王国へ向かう専用ジェット機に乗った。
 お姫様の格好をして。
「俺の女装も……満更でもないな」
「お似合いですわ」
「だろ? 悪くないよな?」
「はい。ラサ様にそっくりです」
「大学受験失敗して行き場なくなったら、俺、コレ系のバイトするわ」
「はい。…………はい?」
「将来の話ですわ」
 不思議な表情のニトラに、にっ、と笑う。
 ラサは、八草の世話係としてニトラを残してくれた。
 ニトラは、ラサと姉妹のように育った。アグリハ王家の忠実なる家臣の娘だ。常にラサの傍に傅く、ラサ唯一のお友達でもある。双子の入れ替わりを考えついたラサに同意し、計画実行の手伝いもした。困り事あればニトラに相談すると良い、とラサに言われた。それほど、信頼を寄せている。
「八草様……」
「何?」
 首にかけていた金の鍵を、指先で弄ぶ。
 お守り代わりにと、気休めに持ってきたものだ。
「ラサ様はもっと偉そうですのよ? さっきの少佐にも、冷たくあしらう程度で充分ですわ。私にも、もう少し尊大なくらいで丁度です」
 人払いをしたこの専用ルームには、八草とニトラしかいない。今の内にラサの人間性を習得する必要がある。
「なんせ、王様と乞食だからなぁ……」
 お姫様の実態なんて、想像もつかない。
「向こうに着くまでに、ラサ様がどういう方で、アグリハ王国がどういう所か、簡単に説明しておきますわね」
「あぁ、国は知ってる。……アグリハ王国、東欧にある小国で公用語は英語。主産業は風光明媚な地所を活かした観光業だが、レアメタルや金などの希少金属出土という好条件もあり、財源は潤沢である。政治は民主主義だが王制でもある。経済は安定している。また、王国軍を有している。王国軍は国際支援の場でも非常に貢献している」
「素晴らしいですわ。何故そんなにご存知ですの? アグリハに興味がおありで?」
「受験で勉強しただけだよ」
「難しいことをお勉強なさるのですねぇ」
「私立竜三館学園と言えば、東京じゃ有名な進学校でしてよ?」
 八草は茶化すように笑った。
 だが、どれほど学校の成績が優秀でも、奨学金をもらえる学力でも、これから向かう先では役に立たないだろう。
 相手は王族、世界が違う。
「聡明でいらっしゃいますのね。では、これから私が説明することも、どうぞお心にお留めおき下さいませ」
「はいはい」
 遠回しな言い回しに苦笑して、八草は頷く。
「まず、ラサ姫様の人となりでございますが、ひと言で申しまして、感傷的で身内贔屓が激しく、お気に入りの者以外とは会話もなさいません」
「人嫌いなのか?」
「はい」
「はっきり言うね。ま、それだけラサと仲が良いってことか。……それで?」
「王国では、城の奥深くにある離宮で過ごされ、滅多に表へ出られることもありません。離宮には、私と数名の侍女が出入りする程度です。また、ラサ様は堅苦しいのがお嫌いで、舞踏会や午餐会に出席なさるのは、重要な行事の時だけです」
「それは助かる。俺、テーブルマナーとか全然知らない」
「お食事も私と二人で摂りますので、ご安心を。……ラサ様は好き嫌いが多いのですけれど、八草様は?」
「何もないかな。ゲテモノ以外はなんでも食う」
「まぁ、ラサ様とは大違い」
「……ところで、ニトラさん」
「どうぞ呼び捨てで。さん付けでは怪しまれます」
「じゃあ、ニトラ。ラサは一週間後に結婚するんだよな?」
「はい」
「相手はもう選んだのか?」
「もう決めておられるそうです。ちなみに、夫候補は、二名いらっしゃいます。一人はラサ姫様のいとこで王弟陛下のご長男、アグリハ王国空軍少佐ヴァラム=プラ=ダー=フェンデトードス様、三十歳。今一人は、クラヴァン公爵家のご次男で、スラ=スラン=ドムライ=クラヴァン様、二七歳です」
「で、そのクソ長い名前の男のどっち?」
「十二月三十日、結婚式前日まで内緒だと」
「随分と勿体ぶるんだな」
「一生に一度のことですもの……それに、ラサ様と結婚した者が王位に就けるのですから、慎重にもなりますわ」
「へぇ、そうなんだ」
「えぇ、そうなんです。……ですから、夫候補のお二人は、ラサ様の気を引こうと必死ですの。ほら、さっき挨拶にいらした方、あの方が夫候補のお一人ですわ」
「さっきの……アッシュブロンドの軍人?」
「はい。空軍少佐のフェンデトードス様です」
「早く言ってくれよ」
 あの男前が……と、八草は妙に納得した。
 あれなら、ラサの夫候補にもなれるのも分かる。同じ男として、あれなら妹の夫になっても良いと思った。第一印象だけだが、第一印象は重要だ。
 直観は、大体いつも、間違いを言わない。
「あいつは、俺とラサの入れ替わりを知ってる?」
「いいえ」
 アグリハ国王へは、亡くなった実母の墓参という名目で来日を望み、日本の外務省へは、お忍びの旅行という名目で入国を希望した。空軍少佐へは、この二つの建前を説明している。本音である、八草のラサの入れ替わりは、説明されていない。
「本当のことを知ってるのは、俺とニトラだけか……」
「はい」
「ブリトヤの不在は、どう説明した?」
「ラサ様の我儘で、原宿でお買い物をさせられています……とそうお伝えしました。……無骨な三十路の殿方には、十七歳の女子の気持ちは分かりませんでしょう?」
「まぁ、そういうもんかな……うん。じゃあ俺は、できるだけ誰とも接点を持たないようにするよ」
「はい。どなた様にも何も声をかけずいるのが宜しいですわ。特に、あの少佐には。……あの方、ラサ様に覚えを目出度くしていただきたくて、今日のフライトを買って出たんですのよ」
「空軍少佐は、ラサとは……良い関係じゃないのか?」
「単なる出世欲ですわ」
「愛はないってことか……」
 不誠実ではないが、誠実でもないということか。
 八草は、強張った表情で微笑む空軍少佐を思い出す。
 あぁいうタイプは厄介だ。真面目で、融通がきかない。それでいて、不器用なりに他人を気遣う面もあるから、部下には慕われる。確固たる信念とかいう面倒臭いものを持っていて、頑固。ガチガチに理論武装して、完膚なきまでに敵を叩き潰す。出来の良い脳味噌だけなら、まだ取り扱いは簡単だ。だが、あの恵まれた体格のお蔭で、余計に自信を持っているだろうから、タチが悪い。味方なら大歓迎だが、敵に回したら厄介だ。
 だが、あぁいう男は、その鉄壁が崩れた時が見モノだ。計画が破綻したり、失敗させられたり、自分がいっぱい食わされた時の反応が、面白い。きっと、面白い。
「八草様?」
「はいはい」
「……ですので、フェンデトードス様は、邪険に扱うか、無視で大丈夫です。ラサ様もそうなさっておいででした。八草様におかれましては、旅行気分でお楽しみくださいませ」
「宜しく頼む、ニトラ」
 八草は手袋を外して、ニトラに手を差し出した。
「まぁ、王家の方と握手だなんて……恐れ多い」
「いいんだよ。俺は王家の人間じゃなくて、単なる日本人の物部八草だ。友達として、宜しくお願いします」
「まぁ、はい、では……こちらこそ宜しくお願い致します」
「ありがとう」
 八草はにこりと笑って、ニトラと握手をした。
「ニトラ、ひとつ気にお願いあるんだけどさ」
「なんでしょう?」
「空港で別れ際に思ったんだけど、俺にも、ラサが履いてたみたいなベタ靴ってない?」
 ニトラが用意した靴は、どれもヒールが高いのに、ラサ自身が履いていた靴は、ぺったんこだった。八草も、ヒールのない靴のほうが歩きやすい。
「それは……あれですわ、ラサ様も身長が一七十六センチございますから、普段は少しでも背を小さく見せたいので、ヒールのある靴は履かないのですわ。そういうのが、乙女心ですわ。公式の場や、人目につく場面では、ヒール付きのパンプスを履きますのよ」
「はー……さすがだな、ニトラ。長年、ラサと一緒にいただけあるな」
「お褒めくださりありがとう存じます。そうですわね、そういう細かい部分も王国に着くまでの間にご説明致しますわね」
 ニトラはにっこりと微笑んだ。







 以下、同人誌のみの公開です。



2014/01/04 籠の鳥事件 (本文サンプル・書き下ろし分・序盤) 公開