前へ進め01 上 (本文サンプル・サイト再録+書き足し分・前半)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 

 ツラヨリがインに案内された社員寮というのは、カンパニーの敷地内にある建造物を社員寮として流用したものだった。初めから社員寮として造られたものではなく、元はディーハオーグ家が貴族であった頃に、使用人用の寝泊りに造られたようで、生活に必要最低限の物しかない、簡素な建物だ。
 社員寮は三つ存在し、その中で一番小さなものを情報課電算機部門が占有していると、インが説明した。他の二つは、ここからかなり離れた場所に存在しているらしく、何故、離れているのかとツラヨリが尋ねると、「んー……まぁ、棲み分け」とインは答えた。もう少し詳しく尋ねたかったが、その前に部屋に着いてしまったので、訊きそびれた。
「基本、電算機は絶対者が見つかるまで専従護衛官と同室で過ごす。これは常日頃から電算機の身の安全を確保する為だが、……まぁ、社内にいる内は結構安全だと思っていいよ。でも、油断はするなよ。後、勝手な行動もな。どこへ行くにしろ、俺と一緒に行動するんだ。いいな?」
 インは煩いくらいに何度も同じことを繰り返した。
 ツラヨリの単独行動を禁止する。昼間のようにいつ殺されるやも分からないのだから、それが重要なことだというのはツラヨリも理解していた。他のことは結構どうでもいいような性格に見えるが、その一点に関してだけは、インはとても神経質だった。
「鋭意努力します」
 四六時中、赤の他人に監視束縛されては落ち着かない。プライバシーの侵害も甚だしく、心身ともに疲れる。だが、それがこの会社の方針とあるならば仕方ない。社内にいる間は安全だと言っているのだから、なんとかすれば一人の時間を作り出すことも出来るだろう。
「ま、お前が嫌がっても俺がべったり張り付いてるからな」
 片目を瞑って投げキスをしてくる。
「僕のベッドはどちらですか?」
 ツラヨリはそれを完全に無視して、部屋を見回した。
「……ベッドはお好きなほうを使えばいいですよーだ……お前のお荷物は後で学園から送られて来るらしいから、今日のところは俺ので我慢しろよ……って感じですよーだ。バス、トイレはあっちで、洗濯は個人で一階奥のランドリールームを使用すること、みたいなー……。あ、冷蔵庫の類はないから、本社の食堂に行けって感じー。他に何か質問あるかしらー?」
 インが、不貞腐れながら部屋の間取りや日常生活の基本を教える。
 狭い室内の両端に、ベッドと簡易机が置いてあるだけで他に家具はない。作り付けのクローゼットの片方に少しだけ荷物が置いてあったが、それはインの私物のようだ。
「学園の寮を引き払って、僕はここで生活をしなければならないようですが、もう既に正式な社員になっているのですか? ……まだ契約書にサインもしていないのに?」
 ツラヨリは、片側のベッドに腰かけた。
 インは、スーツの上着を脱いで、ネクタイを解いているところだった。もう不貞腐れていないようで、普通にツラヨリの言葉に受け答えしてくる。
「いや、今はとりあえず電算機見習いとしてお預かりの身分ってことで、今日中にこの書類を呼んで、明日、契約書にサインする。契約内容に不満があるなら、その時点で折衝すればいい。その後、体力、頭脳テストを含めた試験を受ける。あぁ、それはもう最終確認だから気楽にすればいいって話だ。……だけど、多分お前はもうその制服を着ることも学園に戻る事もないな」
 インは、ツラヨリの学生服を指差した。
「つまり、電算機としてこの会社に入社してしまったら、もう学園には二度と戻れないと言うことですね?」
「そういうこと。ツラヨリは物分かりがいいね」
「嘆くことでもありませんから」
「物分かりの良過ぎる子供は、見ていて可哀想になるからやめときなよー」
「……?」
「学校に戻れなくて、ちょっとはさびしいだろ?」
「そうですね、……寂しい、ですね……」
 少しだけ、本音を吐露した。
 内乱という名の戦争で、大勢の友人や知人を失った。丁度、両親もその頃に亡くなった。難民認定を受けて、漸くこの国に入ることができた。孤独ではあったけれど、また学校にも通えるようになった。
 ツラヨリは、昼間、ユーリに投げかけられた言葉を思い出す。あの一言は、思いの外にツラヨリの心に突き刺さった。取り戻したはずの日常が、まさかこんな形で終わるとは思いたくなかった。
「卒業までは皆と一緒だと思っていましたから……まさか、今日、終わるとは……思ってませんでした」
「昼間のことは気にするな」
「ありがとうございます。でも、もう会えないわけではないですから……いずれ、話ができる日がくると思います」
「そうだといいな」
 インは苦笑する。その表情は、もう話をする機会は永遠に来ないよ、と如実に語っていた。インは多分、嘘のつけない正直な性格だ。

「電算機だからと言って、二度とここから外に出られないわけじゃないでしょう?」
「基本的に、電算機は仕事以外で社外に出ることが許可されない。それは休暇中にも適用され、電算機はこの広大なカンパニーの中で全てを賄わなければならない」
「閉じ込められるということですか?」
「年がら年中ってわけじゃないけどな。安全性の面でそういう措置がとられてる。その為の専従護衛官が俺だ。ちょっとだけ我慢しろよ」
「ちょっとだけ、ですか?」
「一人前になったら、ちょっとは規則もゆるむってやつですよ」
「寮よりひどい規則だ」
「電算機は希少種だ。俺達、専従護衛官や絶対者がいくらお前の傍にいても、外に出れば国軍や他国の処分対象になる。……あぁ、そういう詳しい話は、明日、トレダムにでも聞けよ。俺から説明して間違ってたら、余計な先入観を与えるからな」
「トレダムさんというのは、教育係をして下さる人ですね」
「あぁ、面倒見いいし、指導力に長けた奴だから、やりやすいと思うぜ。一緒にいるアズィ、アジクートはちょっと生活だらしねぇけど、まぁ、悪い奴じゃない」
「生活がだらしない、ですか……」
「賭け事が好きなんだよ。後、酒癖と女癖がちょっとな……。ツラヨリ、アジクートに誘われても飲む買う打つはするなよ。それだけは気をつけろ」
「しませんよ。どれもやったことありませんから」
「……どれも?」
「どれも」
「ふぅん。どれもやったことないのか……そおっかぁ」
「そう、で、す、……う、あ……だから、あぁあ、そうだ! サキスイさんは……」
 顔を赤くして、話題を変えた。これ見よがしに蹴られた太腿をさすって、話題をこちらに変えろと指図する。青痣になって腫れているのが、学生服の上からでも分かった。
「あぁ、アイツはなぁ……」
「ニタニタしないで下さい。それで、あの人も、僕の教育係ですよね……」
「一つ教えといてやるよ。カンパニーにはな、二通りの人間がいる。一つは、お前のように能力を買われて高給で雇われている人間。もう一つは、能力はあるが本来ならこの会社にはいられないような人間」
「どういうことですか?」
「サキスイは一年前まで、スラムの違法賭博場で賭け試合をしていた」
「賭け試合?」
「簡単に言うと、死ぬまで相手を殺しあう勝負だ。スラムは無国籍地帯だから、色んなチーム、宗教団体、民族コミュニティが存在する。中には、世間様に大手を振って歩けない奴なんかも潜ってる。そういうのは、知ってるか?」
「スラムに行ってはいけません、と先生に言われました」
「その通り。……で、サキスイは元軍人で、そこで違法賭博に出ていた。そこが国軍に摘発されて逮捕されるって時に、カンパニーに口利きしてもらって逮捕されずに済んだ。その代わり、カンパニーで働いてる、ってとこだな」
「いきなりキレたりしませんよね?」
「蹴ってくるけど、殺しはしないよ」
「……蹴ってくるんですか」
「ま、安心しろよ。お前を殺しちゃうと今度はサキスイが会社に始末されるから、そんな滅多なことは起こらないよ。それに、俺がお前の専従護衛官。俺の仕事はお前の傍にいてお前を守ることなんだから、大丈夫」
「…………」
「今日みたいに必死になって、いつでも、震えてるツラヨリを守ってあげるよ?」
 インはにっこりと笑うと、ツラヨリの頭を撫でた。
 今日一日で、何度、インに頭を撫でられただろう。子供扱いされてツラヨリは不服だが、インの自然な動作には、どうにも文句を言いそびれてしまう。多分、基本的にインは優しい。ツラヨリの周囲には、こういうタイプがいなかった。少し大人で、かといって親ほど歳が離れておらず、距離が近くて、余裕のある人間。
「どうした?」
「兄さんがいればこんな感じかな、と思いました」
「兄さんか……うん、まぁいいよな、お兄ちゃん、って美少年に呼んでもらうのも……こう、背徳的で淫靡な感じがして……」
「あの……?」
「いやいや、なんでもないよ?」
「そうですか? では、つかぬことをお伺いしますが……」
「畏まってなんだい、我が愛しの弟君」
「この会社では、当たり前のように人を殺したり殺されたりが行われているようですが、この会社は、合法的な殺人が許されているのですか?」
「表向き、カンパニーは情報を扱うだけの会社だ。でも、情報課電算機部門が関連する犯罪行為は、皆、目を瞑ってくれる」
「皆?」
「利害関係の一致する国家、軍隊、団体、企業、個人、資産家、政治家。同時に、目を瞑っていなければ、不利益な情報を流されて困る全ての組織。それには、新政府国軍も含まれている。要はどっちもどっち、目を瞑るしかない状況だ。……まぁ、明るみに出る前にカンパニー自体が揉み消すことが大半だから、騒ぎになる可能性は低いな」
「そんなものですか……」
「そんなもん。だから、お前も今までカンパニーの悪い噂とか聞いたことないだろ?」
「はい。カンパニーというのは、元貴族ディーハオーグ家の出資で成立した、情報を扱う優良企業、ただし新政府との折り合いが悪い、その程度の噂しか知りません」
「ま、どこで聞いても、大体そんな程度の噂しか流れてないよ」

「ところで、インさん。最後にもう一つ質問があるんですが……」
「インって呼んで?」
「…………はぁ、慣れたら、そう呼ばせて頂きます」
「名前で呼んでくれなかったら、質問にはもう答えてあげない」
「どうしてですか?」
「……どうしてだろ? 意地悪したいから?」
「意地悪な人には、親しくなんて呼んであげません」
「それもそうか。……で、最後の質問って?」
「今日、さりげなく僕にキスしましたね、あれはなんですか?」
「あぁ、あれか! 良かった! 完全にスルーされたのかと思ってた!」
 インは、たった今、思い出したかのように大きく頷くと、ツラヨリの顔を覗き込み、もう一度、ちゅ、と唇を合わせた。
「……ぅ?」
「こういうこと」
「…………」
 ツラヨリは真顔でインを見上げる。何をどうすればこうなるのか理解できず、ひたすら真顔で、インを見た。そしたら、もう一度キスされた。
「ツラヨリさん?」
 二度もキスしたのに相手にしてもらえなくて、インは少し悲しい。
 ツラヨリは気が強そうだから、てっきり平手の一発か二発、もしくは敬語でガンガン責め立てられるかと思ったのに、ただ真っ黒の両目でインをじぃっと見て、その真意を推し量っている。感情論で物事を考えるのは苦手なのか、ツラヨリの眉根には皺が寄っていた。
「色気ないガキ。あぁ、でも、その学生服姿が今日で見納めってのは、ちょっと惜しいかな?」
 インは、ツラヨリの学生服の詰襟に指を引っ掛けた。ぷつん、と鉤留めを外して、襟元を寛げさせる。
「なぁ、折角だから、その制服、ぐしゃぐしゃに汚してみない?」
「……お断り、します」
 言葉の意味は分からないが、断るべきだと判断した。
「つれないなぁ……」
 インが残念そうに呟くと、ツラヨリを押し倒した。固いベッドが二人分の体重に負けて、ぎし、と軋む。
「インさん……言葉と、行動が真逆です」
 覆い被さってくるインの髪が、ツラヨリの頬を撫でる。赤くて、くすぐったい。
「気のせいだよ」
「明らかに気のせいではありません」
「そういう情緒のない子のお口は、どうするといいか知ってる?」
「……?」
「塞いじゃうのがいいんだよ」
「んン……っ!」
 インに、今日、四度目のキスをされる。
 過去三回とは異なり、軽く触れる感じではない。重く、しっかりと唇を重ね合わせ、八重歯で下唇を甘噛みされる。
「ゃ…めっ」
 両手で力いっぱい押し返すが、インはびくともしない。それどころか、ツラヨリがやめろと唇を開いたのを機に、口中に舌を差し込んでくる。
「んぁ、む……」
 自分以外の感覚器が、自分の口の中で蠢いている。ぞわぞわと体中に鳥肌が立ち、必死に押し返した。押し返すと、舌が絡まる。それが余計に気持ち悪くて、今度は身動きが取れなくなった。
「何も知らないって……ほんっと真っ白で怖いなぁ」
「……っ、ふ、ぁは……っ」
 息継ぎもできず、薄い胸をせわしなく上下させる。インの舌はツラヨリの頬の内側を撫で、歯先をなぞり、奥で縮こまっているツラヨリの舌を引き寄せる。口中に溜まった二人分の唾液がツラヨリの喉奥に溜まり、ひちゃひちゃと音を立てる。それが恥ずかしくて、こくりと喉を動かした。
「……ん、ぅぐ」
 ぬるい、他人の味のする唾液が流れ込んでくる。あぁ、そうだ、これは自分のじゃなくて、他人の唾液だ……。
「美味そうに飲んで、えっろいガキ」
 インに笑われる。
「……のん、じゃ……った」
「うん?」
「しらない、ひとの、はじめて……ごくん、した……」
「……うわ、もう……俺のこと殺す気?」
「ふぁ……」
 漸く唇を開放されて、呼吸しようと息を吐くと、甘ったるい声が出た。
「天然でえろいってほんと怖い……まっさらってなんでこんな殺し文句言えるの?」
 インのほうが真っ赤になっている。
「……?」
「な、ツラヨリ……まずはキスだけいっぱいして、練習しような?」
「れんしゅう……」
「そう、そんで、キスが上手になったら、次は指だけ舐めさせるから、上手におしゃぶりできるようになるんだよ? そしたら俺のを咥えさせてあげるから。……まずはその小さいお口で上手に出来るようになろっか?」
「な……ん、で?」
「なんで、ってそりゃ、……なんでだろうな?」
 インは、面白そうに首を傾げて笑う。
「これも、でんさんきの、べんきょう?」
「そう、お勉強」
「……おいしい、おべんきょう」
 初めて飲んだ知らない人の唾液は、おいしい。
「なぁ、知ってるか?専従護衛官から、電算機の絶対者になる奴ってすっごく多いんだよ? だから、いつか、きっと……俺のことを選らんでな?」
 聞いてる? インは、この上なく優しい声でそう願った。 
 ツラヨリはそれどころではなく、自分がされたことの意味を理解するのに必死なようだ。顔を真っ赤にして、口端から零した唾液を拭うのも忘れている。そのくせ、これ以上、何もされないようにと学生服の前を両手で握り締めている。
「やばい、この子ちょう可愛い」
 インは、我慢しきれなくなって、ツラヨリの額にキスを落とした。うっすらと汗ばんで張り付いた黒髪の隙間から、涙で潤んだ黒目がちな瞳目が合う。
「ほら、今日はもう寝ちゃいな」
「…………」
 色んなことがありすぎて、脳味噌は考えることを放棄したらしい。
 ツラヨリは、友人に投げかけられた言葉も、脳味噌が散らばった運転手のことも忘れて、気付いたら眠ることができていた。







 以下、同人誌のみの公開です。



2012/12/28 前へ進め01 上 (本文サンプル・書き足し+サイト再録分・前半) 公開