前へ進め01 上 (本文サンプル・書き下ろし分・中盤)※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。 ※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。 情報課電算機部門の職場は、本社屋の地階に存在する。長い廊下を最奥まで進み、地階へ続く階段を下りて、情報課電算機部門の扉を潜る。元々はワインと食品のセラーとして使用され、次に宝物庫が増築され、次第に機密文書の保管庫へと移り変わり、最終的には、革命期に地下シェルターとなった。 地下シェルターと言っても大貴族の避難場所であるから、内装は地上となんら遜色ない。暖炉のあるリヴィング、絨毯が敷かれた床に、カウチ、ビューロブックケース、サイドボードなどの誂え家具で揃えられている。その、のんびりと寛ぐ為の空間が、デスクワークをこなす場所として利用されていた。 電算機は、全てを頭の中で処理してしまうのでペンも紙も必要ない。 報告書が必要な時にだけ、この部屋にあるウォルナット材のロールトップデスクを使う。 何百年もかけて増改築を繰り返した結果、この部屋を基点に幾つもの部屋が繋がり、元保管庫が情報課電算機部門総括部長室となり、元宝物庫が彼の為の仮眠室とシャワーブースとなり、セラーが作戦会議室となった。有事の際に備えて、シェルター部分はそのままにされている。 現在、壁面の一方にドライエリアが設置され、少し目線を上げれば、陽光のあたる中庭を望むことができる。閉塞感も圧迫感もない。庭園の垣根がドライエリアを覆い隠し、外部からは見えないので安全性も増す。職場環境は充実しているが、電算機部門の社員は出払っているのが常なので、この職場を好む人間は一人として存在しなかった。 その地下施設の主であるヒンメルライヒの総括部長室に、サキスイがいた。ツラヨリを部屋に送り届けた後、本社に逆戻りしてヒンメルライヒを待っていた。普段はヒンメルライヒが座る総括部長席に腰かけ、机に脚を上げる。上司を待つ格好にしては上出来だ。 「遅い」 漸く戻ってきたヒンメルライヒに、サキスイは舌を打った。 「お前が随分とゆっくりしてきたようなので、先に雑務を済ませてきた。コンノウは無事に送り届けたか?」 「うるさい、俺は待った」 「そうだな、悪かった」 約束の時間に遅れたのはサキスイだが、ヒンメルライヒは些細なことで咎めはしない。ヒンメルライヒはサキスイの行動に対して、一切合切が肯定的だ。サキスイが何をしようと大抵のことは許す。これもまた放し飼いだ。 「…………」 サキスイはわざとらしく不機嫌になった。大柄な体躯のヒンメルライヒに合わせて誂えられた椅子の中で、サキスイの体は泳いで華奢に映るとも知らずに、無理にふんぞり返る。 サキスイは、机の前に直立するヒンメルライヒが部下で、サキスイが上司という立ち位置が好きなのだ。常に自分が優位に立っていないと無性に苛立たしい。そう、どちらかと言うと、サキスイはヒンメルライヒのことが大嫌いだった。 「では報告を」 「昨日、カンパニーにてハレとの接見後、インに説明等を受け、十一時には就寝。夕食は摂れなかった模様」 サキスイは、カンパニーに来てからのツラヨリの行動を報告した。 ツラヨリは本人の預かり知らぬところで、監視されている。カンパニーにとって有益な人物であるか判断されているのだ。 「食事を摂れなかった、で間違いはないのか?」 「脳味噌ぐちゃぐちゃの死体を見て、メシを食える奴のほうが少ない。こっちは麻痺してるが、あっちはそうそう見慣れてるもんじゃない」 「カウンセリングの必要性は?」 「さぁ?」 ヒンメルライヒの言葉に、サキスイはにたりと口元を歪めた。何か知っているけれど、教えてやろうかどうしようか、そんな悪戯を思いついた子供の顔だ。 「報告は包み隠さず行え」 「就寝後、午前五時四十七分まで変化なし。直後、一度目の悲鳴。以後、七時十三分に再度の悲鳴。断続的にそれを確認、ここでインが対処した模様。以降、シャワー音で内部状況は確認できず。七時二十八分、コンノウ、イン、両名の会話を確認。八時からの予定に遅刻」 「インからは報告を受けていないが」 「言うわけないだろ? あれは、インだぞ」 「インには再三、言って聞かせたんだがな……」 「言って聞いてりゃ、五台も電算機を殺してねぇよ。あいつは、電算機の為にしか生きていけない。コンノウの為になら何も知らないフリをする」 「あいつは、他は優秀だが、それだけが欠点だ。……続きを」 「十二時までに午前の課題を終了。体力面に問題はないが、注意力散漫の傾向にあり。軍隊経験も見受けられない。それどころか、アレは一度もケンカしたことがないな。皮膚が柔らかい上に、鍛えた形跡が全くない」 「どこにでもいる子供と同じということか」 「あぁ。……そう、昼食は食ってた。管理部の連中に絡まられてけどな」 「うちに苦情がきた。全治二週間の火傷だそうだ」 「怒るか?」 「いいや、褒めてやる。電算機部門は身内を傷つけられて黙っている集団ではない」 「……よく言う」 サキスイは笑い飛ばした。 サキスイは知っている。この男は、最終的に自分が可愛い男だ。いざとなったら絶対に仲間を見捨て、自分一人だけで生き残る。そうして今日まで生きてきた男だ。 ヒンメルライヒは、サキスイの言わんとすることに気付いていながらも、何も言い返さない。それがまたサキスイを苛立たせると分かっていながら、気付かないをフリをする。 「午後十三時から、トレダムの与えた課題をこなす。結果がそれだ」 面白くない。そんな顔をして、サキスイは机の上に書類の束を投げた。ツラヨリが頭を悩ませていたあの課題だ。 「……解なしか?」 ツラヨリの答案用紙に視線を流して、眉間に皺を寄せた。 「そう。あいつ、解けなかったんだよ。だから解なしと書いた。それも五時間もかけて」 「これでは、役に立つかどうかも分からんな」 「使い物になるようしてやるが、役に立つかどうかは知るか」 必死になって頭を抱えていたツラヨリ。時間が経てば経つほど焦りが見えて、表情は凍りつき、自分の不出来に絶望していた。 それを見ているだけで、サキスイは腹を抱えて転げ回りたくなった。指を差して笑いたかった。その問題は一生、答えなんか出ねぇんだよ、と言ってやりたかった。あれは、問題文を無限ループするように仕組んである。一生、答えなんか出ない。 「あいつは、俺達を裏切るぞ」 「根拠は?」 「嘘つきだから」 「明確に説明しろ」 「見てれば分かる。……あぁそうそう、夕食後は部屋に戻って、盛りのついた赤犬に押し倒されて、契約書に署名捺印して、デリラと意味不明な会話をして部屋に戻った」 「コンノウが嘘つきであることと、デリラとの意味不明な会話は関連するのか?」 「デリラとの会話に違和感があったのは事実だ」 「留意しよう。では、所感を」 「メンタルは弱いが、使えばそれなりだが、使えるようになるまで時間はかかる、だ」 「お前がそこまで褒めるなら、かなりの優秀だということだな」 「別に……」 俺が一番優秀だもん。そう言わんばかりに、机の上で脚を組み換える。 「では明日以降も継続して観察を続けろ」 「言われなくてもやってる」 ガン、と机を蹴って、席を立つ。 「行儀が悪い」 「うるさい。俺は機嫌が悪いんだ。イエローダイヤ捜索以外に、ガキの監視を押し付けられて、この上なく忙しいんだよ。……あぁ、そうだ。あいつ、イエローダイヤの話題にはえらく食いついてな」 トレダムとの会話中、ツラヨリが異様にイエローダイヤに興味を示していた。 「イエローダイヤか……コンノウの身辺調査では関連性はゼロだったが」 「あいつのあの表情は異常だった。それだけは確かだ」 さぁ鬱陶しい男の顔を見て報告するのはこれで終わりだ。サキスイはヒンメルライヒの脇を通り抜け、戸口へ急いだ。この男緒同じ空間にいるのは、息が詰まる。 「キワラ、お前は大丈夫か?」 「名前で呼ぶな。それと何が大丈夫か、だ?」 「……勤務体制に無理はないかと訊いている」 「この顔が、無理なくお仕事している方の顔に見えるか?」 少し背伸びして、青白い顔でヒンメルライヒに詰め寄る。鼻先が触れ合う寸前の距離で、瞳を閉じる。キスをねだるような仕種ではあるが、サキスイは絶対に自分からヒンメルライヒに触れようとしなかった。 「キワラ……」 「触るな」 ヒンメルライヒがその頬に手を伸ばした瞬間、一歩、後ろに退いた。生きている間は、絶対にお前に触らせたりしない。だって俺はお前の存在自体が大嫌いだから。 あぁ、考えただけでも苛々する。サキスイは自分の胸元を、右手で強く鷲掴んだ。 「私の何がそんなに気に入らない?」 「うるさい、黙れ。俺に触るな、触りたいなら、俺が死んでから下げ渡してやる」 それまでは、指を咥えて一生俺を欲しがり続けろ。 以下、同人誌のみの公開です。 2011/12/28 前へ進め01 上 (本文サンプル・書き下ろし分・中盤) 公開 |