前へ進め01 下 (本文サンプル・サイト再録+加筆・前半)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 

 悪夢がやってきた。どうしてだろう? あぁ、そうか、一人だからだ。インがいないからだ。インがいたなら、冷たい水のシャワーを頭から浴びせかけてくれる。それがないのだから、自分は今、一人だ。なら、これが本来であって、いつも通り。元に戻ったのだ。
 眠れば襲ってくる悪夢。イエローダイヤ。両親を殺した殺人鬼。その脳味噌を食べたカニバリズムの変態。イエローダイヤの指輪を三つも嵌めた悪魔。それを見て、腰を抜かして笑ってる数年前の自分。
「……さて、あそこでなら生きていける。何も苦しむ必要はない。何にも煩わされることもない。何を感じることもなく生きていける。愛されなくても愛さなくても愛はなくても生きていける。さぁ、戻るぞ。我は世界の掟。誰をも信じるな、信じさせるな、それが誠実さだ。何も持たずに行け。そして、前へ進め」
 夢の中で、イエローダイヤはいつもこの言葉をはっきりと唱える。
 忘れようにも忘れられない。ツラヨリ自身も電算機だからだ。電算機は記憶力がありすぎて、物事を忘れることができない。
 吐き気がする。あんな醜悪な化け物と同等に成り下がってしまった自分自身に。
 けれども、ツラヨリにはなすべきことがある。だからこそ、両親が死んだ後、生まれ育ったエストレリットズィーアから逃げた。
 ツラヨリは、生まれた時から自分が電算機だと知っていた。
 ツラヨリの両親は、エストレリットズィーアで電算機の研究をしている人間だった。幸いなことに両親は優しく、ツラヨリは電算機ではなく、単なる人間の子供として二人に育てられた。
 だが、両親は死んだ。イエローダイヤに殺された。
 それと前後するように、エストレリットズィーアで内乱が発生した。ツラヨリはそれに介入してきた真照国国軍によって保護され、難民認定を受けて、この真照国にやってきた。
 イエローダイヤを殺す為に。
 その為だけに生きている。イエローダイヤの為に生きているなんて、まるで恋でもしてるみたいだ。そんなのは死んでもごめんだけれども、考えるのはイエローダイヤのことだけなのだ。
 また吐き気がしてきた。
 デリラからもらったハッカ飴が食べたい。丸くて薄い、手の平に乗るサイズの、白と金色の飾りつけの、真照国軍と同じカラーリングの缶に入ったハッカ飴。
 がりがりとハッカ飴を噛み砕きたい。なのに、手元に飴缶がない。あれは、どこに落しただろう。部屋にあるだろうか。そうだ、部屋に戻れる日は来るのだろうか。
 不安だ。不安で仕方ない。ハッカ飴が食べたい。食べたい。食べたい一心で心が乱れる。我慢できずに、喉を掻き毟る。爪が、皮膚を破る。ぷつりと血が滲む。息苦しい。なんだ、これ。落ち着かない。気持ちがざらつく。
 目の前に、イエローダイヤが、いる……?
「……っ、ぅ、ぁ」
「牢屋でオナってんじゃねーぞ、このクソガキ」
「ぅ、ぁっ!?」
 ばしゃん! 冷たさよりも自分を襲った水音でツラヨリは両目を見開いた。飛び跳ねるように石床から体を起こすと、全身が濡れていた。びちゃびちゃで、周囲に水溜りができている。
「なっ、なに……っ、人殺しが……!」
「誰が人殺しだ」
「痛い!」
 太腿を蹴られる。
「さすがは電算機、これから自分が拷問されるっていうのに昼寝か? 危機管理能力の欠如が凄まじいな。鈍感で気楽で馬鹿だとこんな場所でも寝れるんだな。羨ましい限りだ」
 サキスイは、手に持っていた防火用水の水桶をツラヨリの足元に放り投げる。今しがた、ツラヨリに向けて水を浴びせかけたので、桶の中は空っぽだ。
「サキスイ、さん……?」
「あぁ」
「どうしてここに……今、拷問するって、僕にするんですか?」
「気が向いたら」
 サキスイはツラヨリの足元に膝を着いた。
「何を……」
「黙ってろ」
 サキスイは、二本しか指のない左手でツラヨリの着ているスーツの襟元を寛げた。ツラヨリの顎を持ち上げ、何かを確認するように左右に動かし、首筋に顔を近づける。
「……っ」
 吐息が喉元を擽り、ツラヨリはそれに息を呑む。
「反応してんじゃねーぞ、淫乱」
 襟ぐりを引っ張って、鎖骨に視線を落とす。
「してません。あなたこそ、ちゃんとした拷問の意味を知っていますか? この色情狂」
「誰が色情狂だ?」
「あなたですよ」
「男にフェラされてイってる淫乱よりマシだ」
 拘束したツラヨリの右腕を持ち上げ、袖を捲り上げる。関節や二の腕を舐めるように観察し、左腕も同じようにした。
「二の腕フェチですか? それとも脇ですか?」
「てめぇの脇で勃つかボケ」
「ちょ、どこ、触ってるんですか!?」
 ツラヨリは声を荒げた。
 サキスイの手は、躊躇なく下半身のベルトを外す。シャツもたくし上げられて、生身の肌が外気に触れた。
 ツラヨリの腹筋に鼻先を近づけ、丹念に触ったり、観察したり、表へ裏へ、上へ下へと舐めるように探る。
「こそばいですよ! なんなんですかあなたは……!」
 両足をばたつかせて、サキスイの腹を蹴った。
「行儀が悪い」
 サキスイは、ツラヨリの両脚の間に割って入り、捻じ伏せる。
「ズボン脱がさないで下さい!」
「うるさい、本気で犯すぞ」
 強引にツラヨリのズボンを引き摺り下ろすと、剥き出しの足を持ち上げた。そこにも顔を近づける。
「このっ……」
 脚を広げられて、股関節にサキスイの顔がある。この羞恥は、なまじ血を流して痛めつけられるだけの拷問より心が痛い。内腿に力を入れて抵抗するが、サキスイは細くて薄い体つきの割に、力が強い。びくともしない。
「……ひっ」
 ふ、とサキスイの唇が腿の付け根をかすめた。薄くて、濡れた唇の感触がする。
「動くなっつってんだろうが、ちんこ噛み切るぞボケ」
「ゃ、やめ……」
 なめくじがのたくるように、べろりと舌が這う。故意だ。
 濡れた感触に、ぞわりと肌が泡立つ。ちらりと視線を落とすと、サキスイの赤い舌が視界を占有した。薄暗く、灰色をした牢屋で、それだけが赤い。
 ツラヨリに見せつけるように、薄い唇が大きく開かれた。透明の唾液が糸を引く。いやらしい唇が、かぷ、と太腿を甘噛みする。ちゅ、と音を立てて吸いつき、肌を湿らせ、食べやすくするように皮膚をふやかす。
「食べ、られぅ」
「ぁー……ん」
 泣きが入ったツラヨリをいじめるように、わざと大きな口を開けて噛んだ。がぶ、もぐもぐ、むぐむぐ、あむあむ。残飯を貪る犬みたいな格好で人間の皮膚をかじる。
「ひゃ、ゃ、ぁあ……ゃだ、たぇ、ないで、くださぃい」
「ぁう」
「そこ、たべるとこ、ちがう、だめ……」 
「……ふ、は」
「なに、が……もく、て、なっ、ですかぁ……」
「うっせぇよ」
 ツラヨリの体の隅々まで、舌と視線を巡らせる。長い時間をかけて満足したのか、漸くツラヨリを自由にした。
「……こ、今度はなんですか?」
 自由にされたと思ったら、今度は左の腕を取られる。
「動くな」
「や、めっ……それ、注射!」
 ツラヨリは大きく目を見開いた。
 サキスイが、スーツの隠しから、小さなケースに入った注射器を取り出した。
「よく見ろ、中身入ってねぇだろうが、ビビるなチキン」
「く、空気を血管に注射したら死にます!」
「その前に、お前が暴れたら針が体の中で折れるな」
 にたぁ、と笑う。
「お、鬼っ……!」
「俺が鬼なら、今頃、骨まで食ってる」
「ぃ、っ……!?」
 つぷ。針先が腕の血管に差し込まれる。ツラヨリは反射的に目を閉じて、ぎゅっと手の平を握った。
「力、入れるな」
「無理です」
 針の感触に、ツラヨリの全身が総毛立つ。病院で打たれる注射とは訳が違う。相手は医者でも看護師でもない、単なる人でなしだ。
「……終わった」
「何がですか!? 人生ですか!?」
「採血くらいで人生が終わるかボケ」  
 ぺちん。注射針を抜いたツラヨリの腕を軽く叩く。
「採、血……?」
「手間かけさせんな」
 ツラヨリの血液が入った注射器を元のケースにしまう。 
「…………あれ?」
 腕の関節部分に、少しだけ注射針の痕が残っていた。サキスイの注射の腕前が良かったのか、自分の血管が採血しやすかったのか、ちょっとの出血もしていないし、痛みも伴わなかった。本当に、ただ採血されただけらしい。
「下半身丸出しでぼやけた顔してんじゃねーぞ、スラムの男娼街に放置さたいのか。あ?」
 サキスイは立ち上がり、ツラヨリの肩を蹴って床に転がした。
「ぎゃ、虐待だっ!」
 ごろんと床に転がされたツラヨリは、腹筋を使って体勢を立て直す。剥きだしの両脚を手前に引っ込めて体育座りをすると、体を小さくまとめて、防御態勢をとった。
「虐待だ? 拷問よりマシだろうが……」
「拷問も虐待もされたこともないくせに、よく言えますね!」
「拷問ならされたことある」
「……え?」
 サキスイの何気ない一言に、ツラヨリは真顔になる」。
「痛いからな、あれ……お前にしてやるつもりはねぇよ、感謝しろ」
「わぷっ」
 ズボンを顔面に投げつけられた。
「このまま、ここで大人しくしてろ」
「ちょっ、待って……ぽんぽん話を転換しないで下さい! ついていけませんよ!」
「ついてこい。電算機だろうが」
「そういう問題じゃありません! なんなんですか一体! 第一、僕はトレダムさんを殺していない! なのにどうして服を脱がされて、血を抜かれて、しかも牢屋に入ってるんですか!?」
「正直に真実を話せば、ここから出してやる」
「…………」
 ツラヨリは一瞬、押し黙る。
「トレダムと何を話した?」
「……他愛もないことです。イエローダイヤ捕獲作戦中に起こした僕の勝手な行動について、トレダムさんは僕を叱った。僕はそれに対して弁明した。結果、感情の行き違いで言い争いになった、それだけです」
「C種に頭蓋骨を割らせても、同じ答えか?」
「なら、殺して確認すればいい」
「殺さない。そういう命令だ」
「命令じゃなければ殺すということですか?」
「殺さない」
「どうして?」
「殺して欲しいのか?」
「殺して欲しいけど、死にたくはない」
「俺と真逆だな……殺されたくないけれど、死にたい」
 サキスイは苦笑する。
「サキスイさん、お願いします。早くここから出して下さい」
 ここは怖い。悪夢がやってくる。
「出して、インの所へ帰して下さい、か?」
「……っ」
「インはお前のことを心配してた。お前の赤犬は、とんだ馬鹿だな」
「その台詞、僕が言う分には問題ないですが、あなたが言うとイラっとします」
「一丁前に飼い主気取ってんじゃねぇぞ」
「そんなつもりはありません」
「少なくとも、お前より俺のほうがインのことを知ってる」
「……電算機殺し、そのことですか?」
 サキスイは、インのことをそう呼ぶ。
「お前も、あいつに愛されすぎて殺されるなよ?」
「…………」
 サキスイの話はあちこちに飛び火して、要領を得ない。話についていくことができないから、理解することもできない。サキスイの頭の回路は、ちょっとおかしい。
「コンノ、ハッカ飴はどうやって手に入れた?」
「……ハッカ飴?」
 また話の内容が変わった。ツラヨリは鸚鵡返しに聞き返す。
「白と金の飴缶に入った、ハッカ飴だ」
「デリラさんに……もらいました」
「いつから食ってた?」
「……デリラさんに飴をもらってから」
「それはいつからだ?」
「ここにきて、すぐです。社長室で契約書にサインして、それから……」
「一日の摂取量は?」
「摂取量? 随分と難しい尋ね方をしますね」
「いいから答えろ、どれくらい食った?」
「初めは、一粒、二粒程度です。多い時に五、六粒で……ここ最近は、数えてさえいません」
「何時間おきだ?」
「そんなの不規則ですよ。……でも、昨日は確か、一缶全部、食べました」
 そう答えた自分の言葉に驚いた。ハッカ飴を一缶も食べていると気付いていなかった。定期的にデリラがハッカ飴をくれるから、ハッカ飴が切れることはなくて、どの程度、食べているのかその明確な量を把握していなかった。
「専従護衛官の怠慢だな」
 サキスイは忌々しげに唾を吐き捨てた。
「サキスイさん、どこに行くんですか?」
 背を向けるサキスイに、ツラヨリは縋るような声を出す。
「また来てやるよ」
 サキスイは笑いかけると、牢屋を後にした。
 扉が締められ、鍵をかけられる。足音が遠ざかり、また無音と暗闇が襲ってくる。
「……っくしゅ」
 ツラヨリは小さくくしゃみをした。濡れた体が冷えている。着替えが欲しい。温かい毛布が欲しい。誰かに傍にいて欲しい。どうして血を抜かれ、ハッカ飴のことを尋ねられたんだろう。
「……疲れた」
 ぼんやりと妙な疲労感で欠伸が出た。








 以下、同人誌のみの公開です。



2012/03/24 前へ進め01 下 (本文サンプル・サイト再録+加筆・前半) 公開