前へ進め01 下 (本文サンプル・サイト再録+加筆・中盤)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 

 インとツラヨリは、サキスイの跡を追って研究棟へ入った。サキスイが地下へ降りたところまでは見届けたが、それ以上は人目につくので、深追いは避けた。
 研究棟内部で、物陰に隠れて様子を伺っていると、地階で大きな物音がした。数分後には、血相を変えたヒンメルライヒが走ってきた。
「俺、あんなに焦ってるヒンメルライヒ、初めて見た」
 柱の影に大きな図体を隠したインが、珍しそうに呟く。
(いつも無表情ですからね……)
 ツラヨリはぺしゃんと床に座り込み、紙に走り書きする。幼稚園児のお絵かきのようだ。
「何かあったみたいだな」
(騒がしくなってきましたね)
 静かな研究棟内部が、俄かに騒然とし出す。
「もうちょっと様子見るか?」
(はい)
 それから十分ほどそうしてその場で待機していた。
 痺れを切らしたツラヨリが、地階まで行くと言い出して、インが止めに入ったところで、ヒンメルライヒとサキスイが姿を現した。
 何故か、サキスイがお姫様だっこをされていた。顔を真っ赤にして、涙目になって、いやがっているのに、自分からは離れられないような、そんな表情。口だけは達者で、サキスイが何かひと言でも文句を言うと、ヒンメルライヒが口を塞いでいた。
 二人は、インとツラヨリの目の前を通り過ぎて、研究棟を後にした。
「サキスイって、あんな可愛い顔できるんだな」
(なんですか、あの暴力男がいいんですか?)
「やきもち?」
(はいはい)
「でも、ツラヨリも俺にいたずらされてる時、あんな風に可愛い顔してるよ? ちょっと眉が八の字になっててね、目尻が下がって、真っ黒のおめめが潤んでて、頬っぺたも耳も首も真っ赤で、小さくなってぷるぷる震えてんの」
(そんなことは知りません)
「なんかさぁ、すごく悪いことしてる気分になってさぁ、たまんないよね」
(変態)
「うん」
(僕のことではなく、他のことを考えて下さい)
「やっぱりあいつらそういう仲だったのかなぁ?」
(破廉恥です)
「ツラヨリさん、破廉恥って漢字で書けるのね、すごいね」
(それより、下で何があったか確認を)
「俺からヒンメルライヒに聞いておくよ。見つかる前に、戻ろう」
(承諾しかねる)
「アジクートに何かあったなら、多分、俺にも呼び出しがかかるはずだから、話は俺が聞いてくる。今は言う事聞いて?」
(承諾しかねる)
「さっきのサキスイと同じことされたい?」
(承知)
 ツラヨリは無駄な徒労に歯噛みしたが、見つかってしまっては元も子もないのでインの言葉に従った。
 帰りの道すがら、例に漏れずお姫様だっこをされかけたので断固辞退した。インがどうしてもと譲らないので、おんぶにしてもらった。本当は、自分で歩いて部屋まで戻るのは辛かっていたので、有難かった。でも、それを素直に感謝できない。
 インに甘え倒しの自分に幻滅する。行き場のない恥ずかしさが、自分への怒りとなり、溢れ出てくる。
 持て余した気持ちをどうしていいか分からず、思わずインの首を絞めたくなったが、頬に触れる赤毛が気持ち良かったので、それに頬ずりして終わってしまった。
 インの背中に全体重を預けると、インが嬉しそうにはにかんだのが分かった。
 大きな背中に揺られて、来た道を戻る。視界の端で揺れる赤毛を指先に絡めて遊び、ぼんやりと夜のカンパニーを眺める。
 小さく呼吸をして、肩の力を抜く。
 このまま、泥のように眠りたい。
 洗いざらいぶちまけて、何も知らない頃に戻りたくなる。何も考えずに全てをインに任せたら、きっと楽になるんだろう。ツラヨリが喋りたくないことを何も尋ねないインなら、痛い思いも怖い思いも悲しい思いも辛い思いもしなくて済む。
「……イ、ン」
 しわがれた声で、名前を呼んだ。
「んー?」
(何も、したくない)
 背中に指で文字を書く。
「うん、全部俺がしてあげるからね」
(普通の生活、したい)
「駆け落ちする?」
(うん)
「じゃあ、どこに行こうか? 知らないところがいい? 俺の故郷にでも行ってみる? 知ってる人は誰もいないし、一面見渡す限り草原でさ、空気がきれいで、動物もいっぱいいて、事件なんて滅多に起きないし、でも、都会じゃないからちょっと不便だけど、馬で遠駆けすると気持ち良いよ」
(行く)
「ね、ツラヨリ……」
「?」
「俺は、お前のことだけ考えてるよ。お前が何を考えていても構わない。勿論、俺のことを考えて、なんて言わない。お前からすれば俺は頼りないかもしれないし、傍にいれば鬱陶しいだけかもしれない。それでも俺は、お前の為に存在したいよ」
「…………」
 唐突な告白に、ツラヨリは戸惑う。
 インは、まるでツラヨリが考えていることを見透かした上で、こうして全てを包み込むような接し方をしてくる。
 優しく、寛容に、全てを断罪して、現実逃避せず向き合え、都合の良い時だけ俺を頼るなと、そう言っているように聞こえる。そんな弱さではこれから先、生きていけない。そう言われている気がする。
 それは多分、自分自身もそう思っているからだ。それでも、甘えるのを止められない。一度、この甘さを知ってしまったら、抜け出せるものではない。
 甘やかしたインが悪い。
 僕は悪くない。
 苛々する。
 恐らく、苛々したツラヨリが、今ここで急にインを殴ったとしても、インは笑顔で許すだろう。そして、「気が済んだ? また苛々させた? ごめんな?」と申し訳ない顔をして謝るのだ。
 ツラヨリは、インのそういう情けない顔が一番嫌いだ。
 なのに、インにそういう表情をさせているのはツラヨリで、インはツラヨリのそんな感情の機微を知ってか知らずか、いつも笑っている。それがまたツラヨリを苛立たせる。
「ツラヨリ、俺はさ……できたらお前の絶対者になりたい。専従護衛官じゃなくて、絶対者。それくらいお前のこと大事だと思ってる。俺は、その……過去に何人も電算機を亡くしてるから、あんまり実績は評価されてないんだけど……」
「さ、ぃす、……が……」
「ん? あぁ、そう……サキスイが前に言ってただろ? 俺は電算機殺しだ。でも、それは本当に守ってやりたくて、大切にしてやりたくて、でも、俺はどうにもそのやり方をいつも間違えるみたいで……」
 インが苦笑する。困った笑い方。悲しい笑い方。ツラヨリが慰めるのは筋違いだろうけれど、大丈夫だよ、と慰めたくなる。
 ごめんなさい、と謝りたくなる。
「だから、ツラヨリ……お前が、もし、お前が抱えているものを俺に分けてくれるなら、俺は喜んでそれを背負いたい。……いや、背負いたいって言うのはおこがましいかな? そうだな、なんか色々と抱えて重たそうなお前ごと抱き上げてやりたいよ」
「…………ぼく、は……」
 そう声を発したものの、それ以上の言葉に詰まる。
 裏切る相手に、中途半端な優しさや、場を繕うような言葉は失礼だ。ツラヨリはインを騙して、利用して、捨てる。
 この胸を締めつける感情は、罪悪感だ。
「お前は、お前で考えたように進んでくれ。俺はお前の傍にいたいだけ。俺が今までやってきたこと、殺した電算機のこと、それを知った上で許してくれるなら、傍にいさせて」
「…………」
 許すも何もない。むしろ、謝罪して赦しを請わなければならないのはツラヨリのほうだ。
 裏切っているのはツラヨリなのだから。
 インは、そのツラヨリの為に、何一つ疑わず、尽くしてくれるのだから。犬のように、ただひたすら忠実に。
「俺はお前のこと、死んでも愛してる」
「…………」
 重いセリフだ。そう思うのに、「そんなのは困ります」という拒否の言葉を伝えられなかった。それどころか、出会う場所さえ違っていれば、もっと他の言葉で応じられたかもしれないとさえ考えた。
 そこまで僕のことを思ってくれてありがとうございます。僕もあなたと一緒にいたいです。好き嫌いの問題ではなく、人間的にあなたの優しさに救われています、ありがとう。
 時間と、場所と、場合と、過去と運命と目的が、今、ツラヨリの抱くものと違うものだったなら、素直にそうして伝える勇気があったかもしれない。
「ツラヨリ……俺のことは、騙そうと裏切ろうと見捨てようと無視しようと何をしても何もしなくても構わない。ただ、カンパニーを敵に回すな。カンパニーに一度でも入ったら、次は、頭の潰れた死体でしか外に出られない」
「…………」
 インの言いたいことがツラヨリは漸く理解できた。
「これ以上、カンパニーに疑われるようなことはするな」
「…………」
「お前が殺される」
 殺される。だから、頼むから大人しくしてくれ。
 俺だけは騙してもいいから、嘘はつかないでくれ。
 死んで欲しくないから。
「…………」
 ふと、ツラヨリは、誰かが言っていた言葉を思い出した。
 多分、サキスイが言っていた言葉だ。
 死んだらおしまい。
 死にたくはない。ただ、そう思ってもがけばもがくほど死に直面する。
 ツラヨリのこれまでの人生はそういう人生だった。その人生に希望を見出すのは、早い時点で諦めた。諦め切れないけれど、諦めた。諦めたのに、諦め切れないまま、生きている。
 死にたくないから。








 以下、同人誌のみの公開です。



2012/03/24 前へ進め01 下 (本文サンプル・サイト再録+加筆・中盤) 公開