人間を愛した竜 (本文サンプル・序盤02)※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。 ※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。 翌朝から仕事に出た。最初の内こそ、屍も大人しくしていたが、男に誂えてもらった服を着て仕事に出る頃にはすっかり慣れ、自由の権化と化していた。組合との契約が満了になる十日目。その日も、日の出前に仕事へ向かった。 騎士団の独断によって割り振られた仕事は、不当なものだった。それが分かっていても、雇われの身である傭兵達は、指示通りに動くしかない。男と屍は、他の数名と共に与えられた持ち場へと移動していた。盗賊団と鉢合わせれば逃げ場がない。 「眠い」 「そうか」 「眠い」 「そうだな」 「眠い」 「それで?」 「人間、大変だ。屍はとっても眠い!」 「安心しろ、私も眠い」 男と屍のやり取りに、くすくすと尼僧が笑い声を上げた。 衛生兵代わりに国教会から派遣されてきた尼僧だ。屍と男の後ろを歩いていて、ずっと会話を聞いていたようだ。 彼女は、奉仕の精神により自主的に参加している純然たる竜と神の為の尼だが、余りにも、二人の会話が微笑ましく、笑わずにはいられなかったらしい。 「面白いか、女」 「えぇ、とっても」 黒のケープを纏った尼僧は頷いた。 共に行動している他の傭兵達も、「あぁもうなんだこの困った奴は……」という表情で竜を眺めていた。 「屍の会話はそんなに面白いか」 むぅ、と屍は唇を尖らせる。 「あぁ、ごめんなさい。怒らないでくださいな。あなたってば朝から喋っているが、人間、眠い、だけなんですもの」 尼僧は、目尻に溜まった笑い涙を拭う。 「ふん」 「どうか拗ねずに。眠気覚ましにこちらを差し上げますから」 尼僧は、屍の手の平に、小指くらいの細い棒を乗せた。 半透明の乳白色をしていて、屍の手と同化してしまいそうだ。 唐紙に包まれているそれに、屍は鼻先を近づける。 「はーってなる」 爽やかな香りが、鼻腔を突く。男と尼僧にそう報告して、屍はそれをぱくんと口に放り込んだ。 「……外側の紙は取ってから食べなさい」 「ぇぅ」 男は、屍の口に手を突っ込んで引っ張り出すと、唐紙を剥がしてから、もう一度、屍の口に放り込んだ。 「…………」 もごもご。 細い棒の先が、屍の頬っぺたを横に突いている。 「変な顔してても可愛いな」 男は、我が竜の可愛さに盲目だ。 「……女」 屍は、さも威厳ありという表情で尼僧を呼ぶ。 「はい」 「はーってなる」 真っ白の眼が潤んでいた。それでも絶えずもぐもぐしているのだから、余程、食い意地が張っている。 尼僧は、周囲の傭兵にもハッカ飴を配ると、彼女もまた口に含んだ。団欒とした雰囲気は場にそぐわないが、これからを考えると、ある程度の緊張を緩和することは必要だ。 「仲良きことは宜しきこと哉」 屍は、自分を取り巻いていた剣呑な雰囲気を一掃することが出来て、気分が良い。 傭兵達は、屍を、頭の足りない綺麗なだけの存在と判断していた。屍自身、そう扱われても一向に問題なく、男の付属品と見做されても、戦力外だと思われても、頭数に入れてもらえなくても、それさえも納得済みでにこにこしていた。 多分、この中で誰よりも強いのに……。 「人間」 がりがりとハッカ飴を噛み砕き、たんたんと足を踏む。 人前で尻尾を出せない時は、足を踏み鳴らすことにした。 「どうした?」 男は、尼僧からもらった飴を口に放り込む。 「んー……」 男の襟元を引っ張り、口付けた。 粉々の欠片と爽やかな辛味が、唾液と一緒になって男の舌に届く。てっきり、ハッカ味がお気に召さないのかと思いきや、屍は、男の口内に舌を突っ込み、男のハッカ飴を強奪した。 「……しか、ば……ん、んぅ?」 「んー……ちゅ」 満足いくまで男の口を吸ってから、唇を離す。 「どうした、腹が空いたか?」 「人間、この飴を食うな。眠ぅくなるぞ」 男の耳朶に唇を這わせ、ひっそりと耳打ちする。 「それは困るな」 「左右の雑木林には、賊が控えておる。小者だが数が多い」 「多いのは面倒だな」 「竜が喰うてやろうか?」 「いいや」 「バリバリと跡形もなく上手に食ろうてやるぞ。屍は、銀のように食べ零したりしないし、金のように偏食家でもない」 「……屍、眠ったふりをしたことはあるか?」 屍の唇を八重歯で甘噛みして、男は命令する。 「屍にできぬことはない」 竜にできぬことはない。 敵の存在を見通すことも、ハッカ飴が眠り薬だということも、この後、何がどうなるかも、竜は全てをお見通し。 男の言葉に従い、屍は、「あぁ眠い眠い」と目を擦った。 * 飴を口に含んで少しすると、ぱたり、ぱたり……一人、二人と順々に深い眠気に襲われ、道端で膝を着く。 屍と男も、眠ったフリをした。 頃合を見計らったように、賊の集団が茂みから出てきた。 「殺さないで頂戴。傭兵なんだから、こっちに寝返らせるのよ」 尼僧の声がかすかに聞こえる。 男達は担ぎ上げられ、馬車の荷台に乗せられた。 幾らか馬車に揺られて到着した先は、賊の本拠地だと噂されている古めかしい城砦だ。警備は強固で、入れ替わり立ち代わり、城砦の中を武装兵が闊歩している。 体躯のしっかりした男は、二人がかりで運ばれ、牢屋に放り込まれた。そこへ行き着くまでにも、同じような牢獄が幾つもあり、過去に行方不明になった兵隊や、傭兵達が閉じ込められていた。 屍だけは別に連れて行かれた。それだけが気がかりだが、屍のことだ、いざとなれば竜になって全て破壊すればいい。 「よぉ、色男。目が醒めたか?」 見張り番が、牢の中を覗き込む。少し、言葉に訛があった。この国で生まれ育った人間ではないようで、口調や顔つきが、若干、異なっていた。この城砦には、そういう輩が多い。 「やぁ、こんにちは」 男は丸腰だ。ブーツの中に隠したナイフ以外、全て、運搬されている間に奪われてしまった。 「アンタの装備なら全部頂戴したぞ。最近の傭兵は、イイもん持ってんなぁ」 「……君達は、私をどうするのかな?」 「どうもしねぇよ。傭兵なんてモンは金で動く野郎共、さっさと殺しちまうに限る。俺ぁ反対なんだよ、頭数を傭兵でそろえるなんて無茶はよぉ」 「そうか、寝返ろうと思ったのに残念だ」 「そうやってすぐに寝返る奴が一番信用ならねぇんだよ」 「全く以てその通りだな」 「女に騙された間抜けな色男。死ぬまで精々後悔しろ。おっと、その前に情報を頂戴してからになるが……」 何が嬉しいのか、見張り番はニヤニヤと口元を歪める。 「…………」 男は、わざわざ脅えてやるほどの奉仕精神を持ち合わせておらず、無視を決め込み、屍の笑顔を思い出すことにした。 「ビビって声も出ねぇか? ああっ!? テメェはなんかムカつくから、テメェが死ぬ時は俺が殺し……げギャっ!!」 「殺してげギャ? 新しい言葉だな」 見張り番をからかおうとして、男はやめた。 見張り番は、後頭部を男に向けている。けれども、胴体の表側は、男のほうを向いていた。顔面が真後ろを向くという物理的に有り得ない方向に曲がり方をして、軟体動物のように首がグネグネしている。脊椎が抜けたように力なく崩れ、心臓あたりに、ぽっかりと大穴が空いて、向こう側が見えた。その割に出血量は少なく、鉄格子と石畳の隙間にゆっくりと血が流れる。 「人間、助けにきた」 白い竜が、見張り番の血に濡れていた。 白い手に、ひくひくと蠢く桃色の臓器を握っている。 「会いたかったよ」 「遅くなってごめんね」 ぷちゅりとそれを握り潰す。 白い頬に肉片が飛び散る。 真っ白の竜が、真っ赤だ。 びだんっ。尻尾で床を打ち鳴らすと、鉄格子は溶解した鉄になった。 * 屍の所有物に酷いことをしたら、お前達は二度と転生できないよ。もし、そんなことをしたら、存在も思考も意識も消えてなくなったほうが幸せだと思うような方法で消してやる。 何度も何度も、何百も、何千も、何億も、殺してやる。 屍はとても我儘なんだ。屍の幸せを邪魔するなら、みぃんな、食ってやる。ばりばり、ばりばり頭から食らってやる。魂魄も、意識も、ぜぇんぶ食らってやる。 食らい尽くして、殺してやる。 「牢屋と言うのかアレは、アレは好かん。天井は低いし、狭いし、寒いし、暗いし、汚いし、湿気てるし、なんか腐ってるし、屍の好きな男がいないし、ちゅっちゅできないし、気持ち良いこともできないし、アレはいかん。お前らは、自分が人にされて嫌なことは人にするなという言葉を知らんのか」 ぐちぐちねちねちねばねば。石畳に敷かれた絨毯の上に胡坐を掻き、屍はきゃんきゃん文句を垂れる。 「一国の重責を担う人間どもが雁首揃えよって何ぞ企んでいるかと思いきや……あぁもう、牢屋は好かん。おい、そこのハゲ」 屍の文句の多さに辟易する男に凭れかかり、屍は、禿面の親父を指差した。 「なんじゃとっ!」 禿頭は、大声で怒鳴る。賊の首魁だけあって、威勢が良い。 「うるさい。負けたんだから、大人しく屍の言う事を聞け」 べちん、と傍に転がっていた死体を禿頭に投げつける。 「屍、暴力ではなく言葉で解決しなさい」 「でもな、人間。竜は知っているぞ、人の世は焼肉定食だ」 「弱肉強食だ」 「どっちでも一緒だ。屍が法律だ」 「……うん、そうだな」 あれだけの力を見せつけられた後では、頷くしかない。 ひと言で言う。怖かった。竜は、男を牢獄から助け出すや否や、そこいらにいる敵を手当たり次第、右へ左へばったばったと薙ぎ倒し、襲い来る賊どもを端から端へと斬って捨て、逃げ惑う輩を引っ掴まえてはいじめ抜き、敵首魁の集まる場所まで案内せよ脅して命じ、見事、竜一匹で現場の制圧を完了した。 男は、黙ってその後ろをついて歩くしかなかった。 屍は、逃げ出す者を嬲り殺しはしなかったが、歯向かう者には容赦なかった。血みどろで恐ろしかった。綺麗過ぎて、気迫に呑まれた。ドキドキした。この生き物を従えている事実に高揚した。心臓が高鳴った。これが恋だと、男は再確認した。 どれだけ血に染まっても、屍が足をひとつ踏み鳴らせば、服は元通りになり、血の穢れも、何も無くなる。 「服くらい、いつでも買ってやる」 「お前に買ってもらった服を汚したのでは忍びない」 尻尾で石畳みを叩く。 ばこん! と石くれが砂のように粉々になる。 「ひっ」 それに脅えるのは、賊の首魁とその腹心達だ。 屍の姿を見て、神の降臨か、竜の化身か、はたまた地獄の使者かと目を白黒させ、次の瞬間には、自分は些末な人間の一人に過ぎないと悟り、大人しくなった。竜の逆鱗に触れてはならないと、本能が察知したのだろう。 自分達のことを革命軍と呼ぶ彼らは、竜を恐れる割に図太い神経を持っていた。屍のその力か、もしくは竜によるなんらかの加護や啓示を得られれば……と、そんな打算が見え隠れしていた。その証拠に、革命軍は屍の足元に跪き、頭を垂れている。 彼らは革命軍。本来なら、この国を守るべき国家の重鎮達が、盗賊となり、自分達の国を襲っていた。 「……えぇと、右からこの国の王弟、王弟に協力している隣国の使者と兵隊長、その後ろが、この国の将軍で革命軍団長で、最後に右大臣。……合ってる? 人間」 「合っている」 一人一人、指を差して確認する屍に、男は頷く。 「揃いも揃ってこんなにいるなら、さっさと国盗りなり内乱なり革命なり好きにすればいぃのに……なぁ、人間?」 「そ、それはつまり、我々がこの戦に勝てるというお告げでございますか!」 「うるさい、王弟。屍はこの男と話してるんだ、黙れ。大体、こんな所でちまちまけちけち賊の名を語って、しみったれた活動をしているからダメなんだ。協力してくれる人だっているし、お隣の国の人も助けてくれるって言ってるんだから、いつまで経ってもびくびくしたまま、攻め入らないでいて何になる。そんなことをしているから、傭兵や軍隊が送り込まれてくるんだ。さっさとやるならやる、やらないならやらないでやめる」 「あ、あの……」 一人が手を上げた。 「はい、なんだ軍団長」 「右大臣殿は、二重間諜を尋問した後、王国軍の動きを知ってからの行動を……と考えておられます」 「二重間諜って?」 「こちらの味方をするつもりで振る舞い、実は我々の行動を密かに調べあげ、国家に報告する者です。捕縛したそやつを尋問すれば、何らかの敵状も把握できるかと」 「んー、……そうなんだ。じゃあ、連れてきて」 「では、その間諜を」 軍団長が、部下に命令する。 少しして、兵に引き連れられた尼僧が現れた。 ハッカ飴の尼僧だ。顔は青褪め、手には縄がうたれているが、手荒な真似はされなかったようで、服にもどこにも穢れはない。 「間者?」 屍は尼僧を指し示す。 「間者」 皆が頷く。 尼僧は歯を食い縛り、気丈に振る舞っているが、屍の前に跪かされると、小さく震え始めた。 「ナイフ」 屍は、男の眼前に手を出した。 男の装備しているナイフを出せということらしい。 「手を切るなよ」 屍の背凭れと化していた男は、ナイフをブーツから抜き取る。 「手を切ると痛いから、代わりに切って」 「仰せのままに」 男は立ち上がり、尼僧を縛る縄を切り落とした。 王弟達は、何故、間者を自由にするのかと眉を顰めるが、竜に対してあからさまな非難の目を向けることも出来ず、その代わりとばかりに人間の男を怨めしそうに見つめた。 「なぁ、女」 屍は、項垂れる尼僧に笑いかけた。 「…………」 どんな笑顔も、男に向ける時以上に可愛らしいものはないが、他者に愛想を振り向くことが、男としては、釈然としなかった。誰にも微笑みかけず、自分にだけ笑えばいいのに……。 「拗ねるな、人間。後で気持ち良いことしてやる」 男が機嫌を損ねる前に、屍が唇を寄せる。気持ち良いことをしてやればそれで機嫌が直ると思っているあたり、まだまだだ。 「さぁ、女、目覚ましのお礼だ」 尼僧の顔についた泥を、白い手で拭ってやる。 「眠り薬の礼が命では、少々お釣りも出ませんわ」 「いいよ。女、人はそんなものだから」 「しかし、その者からは敵方の情報を聞き出さねば……!」 軍団長が、勝手をする屍に異を唱える。 「煩い。屍が良いと言ったら良い。烏が白いと言えば白い。猫が桃色だと言えば桃色。馬がぶーと鳴くならぶーだ」 「我儘を言うな。彼らも困っている」 この竜をなんとかしてくれ……という大勢の視線に耐え切れず、男が、竜の首根っこを引っ掴んだ。 「じゃあ、屍が悪いのか?」 「悪いとかそういうことではない」 「竜は決めたことは必ずする!」 「それでは罷り通らぬこともある」 「罷り通す! 女、命令だ、喋れ!」 「……国軍は現在、り……え? なに……いや、声が、勝手に……騎士公は間もなく王都に集結致します。嘘、いや……国王は、革命軍の企てと断定し、左大臣が……いや、いやぁ……」 尼僧は、いや、いや、と首を横にする。望むと望まざるとに関わらず、心が裏切り、ありとあらゆる事柄をぶちまける。 「そう、それでいい。屍は滅ぶ国のことよりも、屍が幸せになって、生きているほうが嬉しい」 「これでおしまいです! 包み隠さず申しました! これが私の知っていること全てです! だからもう許して!」 尼僧は、その場に蹲り、啜り泣いている。 「……だそうだ。お前達、これでこのハッカ女を殺す運命は必要なくなったな?」 さぁ首を縦にしろ。さすらば、屍の願う通りの行く末になる。 屍の言葉に、革命軍の面々は首を縦にする。 恐ろしいことを平然としてのける竜に逆らう気はない。そんなことをしたら、この尼僧と同じように、自分の考えを強制的に喋らされてしまう。それぞれの思惑が、露見してしまう。 「竜様……我々はその尼僧の命を救います」 「うん。えらいえらい」 「代わりと言ってはなんですが……」 「屍にお願いでもあるのか?」 「はい」 「言ってみろ」 「是非とも、我が革命軍にご協力を……」 「しないと言ったら?」 「そこの男を殺します」 「…………人間、お前、何してる?」 「捕まってる」 軍団長の部下が、男の首に剣を押し当てていた。 男は諸手を挙げて、降参している。 「このドジっ子め」 「ごめんな?」 「可愛いから許す。人間、待っていろ、屍がすぐに助けてあげる。……そういうわけだ、右大臣、男を放せ」 「我々とて、相応の覚悟の下、この革命を起こしております」 「竜と取引するつもりか」 「お願い申し上げております」 「竜が従わなければ、その男を殺すのか」 「はい」 「相分かった」 屍は悠然とした笑みを湛え、右大臣の元へ歩み寄る。 「我々に協力して……」 「では、殺そう」 屍の白い手が、竜の前脚に変わる。 その前脚が、何のためらいもなく、右大臣の顔面を握り潰す。 「ひっ……!」 びちゃ、と飛び散る脳漿に、王弟が悲鳴を上げた。 「屍の男を殺すと言うならば、お前達を殺そう」 ずる……びだん! 長い尻尾が、石畳の上で跳ね、伸びる。男に剣を突きつけていた兵を、串刺しにする。ぶん! と尻尾を振り回すと、その死体が、遠心力で壁に投げつけられる。死体はぺしゃんこになり、肉塊が飛び散った。 「殺してやる。その男に傷をつけるなら、全員、殺してやる」 事切れた右大臣の体を、二つに引き裂く。 ぼとぼとと零れ落ちる臓物を手の平で捏ね回し、腰を抜かした隣国の使者に擦りつける。 「お前も竜に逆らうか? 竜と取引をするか? 竜に命令をするか? 竜を従えるなどという愚かしい真似事をするか? いいぞ、やってみろ、全員こうだ」 グばァア……と、大きく口を開く。 竜の口だ。顎から下だけを竜に変えて、使者の腕を噛み千切る。骨ごと噛み砕き、ぐちゃぐちゃバキバキぼりぼりと咀嚼し、地面に吐き捨てる。真っ白な鱗が浮いた体で四つん這いになり、縦向きの瞳孔が、獲物を探してぎょろりと彷徨う。 「殺してみろ、お前ら全員、食らってやる。言っておくが、白は、銀よりも、金よりも、優しくない。だから、下へ降りちゃだめって言われてるんだ。なんでか分かるか? お前らが嫌いだからだ。大嫌いだからだ。食うのもいやなくらい嫌いだ。白が好きなのはこの男だけ。お前達にまで甘い顔をしてやると思うな、図に乗るな、ふざけるな、調子に乗るな」 「……化け物」 「あぁそう、化け物だ。……いいか? 化け物というのはな、慈悲を持ち合わせていない」 後悔しながら絶えろ。 「屍、やめなさい」 「人間、大丈夫、すぐ終わるからね」 ぎゃっぎゃ、ぎゃ、ぎゃぎゃっ。 歯の隙間にはさがったすじ肉を、爪で引っ張り出し、笑う。 こいつらの存在を消滅させて、三界のどの世界にも生まれ変われないようにしてやるから、ちょっとだけ待っててね。永遠に苦しめて、発狂するような罰を与えるから待っていてね。 「屍、私は生きている。それ以上は……」 「竜というものがどういう生き物か、今一度教えてやるだけだ。こういう驕った人間がいるから、屍は人間が嫌い、だいきらい」 ぐるぐると喉を鳴らす。 さぁ、どれから甚振ってやろう。 「屍の男を殺そうとしたんだ。それくらいの覚悟はできているはずだ。どれがどの死体か分からなくなるまで磨り潰してやる」 「屍、そんなに怒るな」 「お前がおるから、この世界にも多少優しくしてやったが、この世界がお前を奪うと言うたから、屍も奪うことにしただけだ」 思うたことを思うたが侭にできぬで何が竜か。 屍は世界の法則ぞ。 癇癪を起こした竜は、白い竜巻を起こす。尻尾を大きく打ちつける度に、石が飛び、地響きが起こり、岩盤が崩れ、風で紡がれた細く白い線が絡み合い、天井へと昇り、石壁も。天井も、何もかもを引っぺがす。いつもなら大人しく男の話を聞く竜が、癇癪を起こした子供のように、暴虐を振りかざした。 「屍!」 「うるさい!」 世界の法律は聞く耳を持たない。 頑丈な石の梁にしがみついても、爪先は中空に浮かび、ごうごうと唸る風は、身体中の骨を折りそうなほど強烈な痛みを叩きつけてくる。恐怖に負けたのか、尼僧が泣きながら笑っていた。その目から零れ落ちる涙は、風の流れに沿ってそこら中へ散らばる前に、霧散する。壁や床にへばりついて震える人間も、王弟も、兵隊も、死を覚悟した。 「気持ち良いことしてやるから!」 男が叫んだ途端、ぴた、と暴風が止んだ。 「……気持ち良いこと?」 「そう、気持ち良いこと」 「……きもちいいこと…………」 「してあげるから、やめなさい」 「うん」 こくんと頷き、最後に一度だけ、だんっ! と強く床に叩きつけると、壊滅状態だった城砦が、全くの元通りになった。 「貴様ら、この男に感謝しろ」 竜の言葉に、こくこくと全員が頷く。 「人が死ぬのは少ないほうが良い。悲しいからな。善処せよ」 眼を細めて笑いかける。 右大臣の死体にも、にこにこと笑いかけている。生き返らせることもできるけれど、生き返らせてやらない。だってお前は、屍の大事な男を人質にとったのだから。死んだ後も尚、苦しみ続けろ。気が触れる寸前の苦しみと、痛みと、絶望の中で、終わることなく竜に逆らったことを悔い続けろ。悔いた後に、改める必要はない。お前は決して救いを得られないのだから。 「……あぁ、疲れた」 竜はふあぁぁと大きな欠伸をした。 「おいで」 屍を抱き上げて、腕の中で独占する。 「人間、ここはもうすぐ戦争になる。よそへ行こう」 「どこが良い?」 「どこでも良い」 「屍」 「なんだ?」 「お前は世界の法律か?」 「そうだ」 「なら、お前の法は私だ。覚えておけ」 「相分かった」 竜は絶世の笑みを湛え、それはそれは幸せそうに頷いた。 男から与えられるものは全て、竜の絶対である。 以下、同人誌のみの公開です。 2014/03/09 人間を愛した竜 (本文サンプル・序盤02) 公開 |