人間を愛した竜 (本文サンプル・中盤)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 
 
「あれ、また増えた」 
 指折り数える。
「おかしいなぁ」
 首を傾げて、数え直す。
 やっぱり、増えている。
「まぁいっか」
 殺そう。
 殺せばいい。
 それだけの話だ。
「た、たすけ……っ」
「ダメ。助けたら屍が困る」
 ぐちゃ。男の頭蓋骨を握り潰す。陥没した額の隙間から、でろりと桃色の物体が流れ出る。頭蓋を潰された反動で飛び出た目玉の隙間、鼻腔、耳孔、口腔、脳と繋がっている穴という穴から溢れ出る。
 脳味噌が。
「ぬくい」
 割れた頭蓋を両手で持ち、ベキョベキョと左右に押し開く。熱を発散する脳味噌と血液が、白い蒸気のようにふわふわと湯気を立てる。時折、びくん、びくん、と男の体が、能無し蛙のように跳ねた。
「あ、本当に能無しだ」
 けたけたと無邪気に笑い、屍は、脳味噌が溢れる頭部に顔を近付ける。
「……ん、ぁああ」
 舌を突き出し、べちょりと脳味噌を舐める。口中に引き戻すと、じゅるりと唾液と一緒に嚥下する。
「ぅぇえ」
 やっぱり不味いよ、銀。
 なんでこんなのばっかり食べてるの。
 屍には理解できない。
 でも、殺さないといけないっていうその感覚は分かるよ。
 多分、銀と屍とでは、殺す理由が全く違うけれど、殺す時のこの感覚は病みつきになるね。
「さぁ、次はお前だ」
「…………」
「おぉ、気絶している。……起きろ。今すぐ起きろ。屍が殺してやるんだ。喜びの中で後悔しながら死ね」
 屍の足元に転がる人間は皆、両脚を潰されている。
 逃げられないように、屍が潰した。その痛みで卒倒した者もいれば、同朋が一人ずつ殺されていく様を見ている内に恐怖で気が触れた者もいるし、自分で死を選んだ者もいるし、ただ泣いているだけの者もいる。
 老若男女を問わず二十人以上の人間が、これから屍に殺される。一人一人、四肢を引き千切られ、脳味噌を掻き出され、心臓を抉り出され、腸を引っ張り出され、息絶える。
 彼らは、彼女は、喜ぶべきだ。
 屍の幸せの為に死ぬのだから。
「あぁ、大丈夫、分かってる。素直に喜べないよね、怖いよね。分かってるよ、屍もそれがいやだから、お前達を殺すんだから」
「いやっぁああ!!」
「死にたくないよね」
「来ないで!  来ないでよぉおお!」
「屍も、死なせたくない」
 ばくん。頭だけを竜に変えて、女を丸呑みした。
 大きな顎と鋭い牙で、ぐちゃぐちゃ、ごりごり、噛み砕く。骨も、血も、臓物も、臼歯で磨り潰し、唾液を程よく混ぜて、肉団子になるまで咀嚼する。もっちゃもっちゃ、粘り気が出てきたら舌で丸めて一つにして、べっ……と地面に唾棄する。
「ひぎっ、ぎぎ、ぎゅぎっ」
 狂気じみた声で、嗤う。
 一匹ずつ、丹念に、愛情で以て、殺してあげる。
 痩せた老人は筋張っていて、筋繊維が歯と歯の間にはさがる。肥え地の男は、ぶよぶよした脂肪のせいで上顎がべとつく。女は柔らかく、男は硬い。子供は骨まで軟らかくて、造作ない。
 ばちゃっ、と雨が降った後のような血の池ができる。床の目に添って、赤い川が側溝へと流れた。薄暗い地下室は、埃と黴の臭いよりも、死肉と血脂の臭気が充満していた。死体から上がる湯気と相まって、外気よりも温度が高い。
「今日はお前で最後か」
 屍はたくさん殺して疲れたよ。
「…………」
 男は焦点を結ばないまま、ぶつぶつと祈りの言葉を呟く。
「神官、お前、自分は何も悪いことはしていないと思っているだろう? ……心からそう信じているだろう」
「…………」
 屍の言葉で、僧衣を着た男の祈りが、途切れる。
「それは思い違いだ。お前は、存在するだけで、屍に悪いことをしているんだ」
 悪いことをしたら、死んで謝罪すべきだ。
 尻尾で、神官を殴る。反対の壁際まで吹っ飛んで、神官は壁に頭を強打する。それでもまだ息絶えていない。鼠で遊ぶ猫のように、その体を尻尾で殴り、右へ転がし、左へ転がし、脆い体を後ろ脚で踏みつけ、目玉を抉り出し、性器を潰す。少しずつ死んでいく。殺していく。
「ごめんね、それもこれも屍の為なんだ」
 祈りの途切れた男の首を、尻尾でぶちんと叩き切った。
 ぽぉん、と毬玉のように跳ねて、転がっていく。
 びだん! 尻尾を打ち鳴らす。
 死体が、血の海が、死臭が、そこにいた存在が、消える。
「……屍、そっちはどうだ?」
 男が、地下室へ顔を覗かせた。
 その手には、抜き身の剣が握られている。
「ここには誰もいなかったぞ」
 振り返り、にこにこと微笑む。
「向こうで、他の奴が武器を見つけた。多分、今夜にでも強襲する予定だったんだろう」
「じゃあ、未然に防げたな」
「あぁ」
「今日の仕事は、随分と簡単だったな」
 今日は、夜明け前から働いていた。
 銀色の竜を信奉する教団が、武器を持ち、集結しているという情報を、国軍が手に入れた。首都には、金色の竜を信心する貴族が多い。彼らを襲うことが目的だ。取り急ぎ、すぐに動ける者で、出来るだけ人数が欲しいと通達があった。国軍本体は、貴族の家屋敷や首都近郊の警備に回り、国軍の指揮部隊と雇われの兵隊が、この町外れの教会を取り囲んだ。
「首謀者は?」
「最初の戦闘で殺した」
 男の服には返り血が飛んでいる。
 銀竜教は過激だ。教義の為に人を殺すことを厭わない。手段を選ばない彼らは、国軍を見つけるや否や戦闘をしかけてきた。
「残党は?」
「女子供が保護されている」
「…………」
「屍?」
「ううん、なんでもない」
「戻ろう」
「はぁい」
 男の元へ駆け寄り、ぴたりと寄り添うと、腕を組む。
「人間、お前、軍服も似合うな」
「屍、お前は軍服を着ていてもまるで……」
 まるで、高級将校の愛人が、その将校の軍服を借りて着ているような淫靡な雰囲気があるな……と言いかけて黙った。
 何を着ていてもいやらしいだなんて言ったら、この竜に、ここで押し倒されてしまう。性行為を覚えたての竜は、なんでもかんでも交尾に直結させる困った竜だ。
「でもな、人間、この軍服な……」
「どうした?」
「ズボンが人間仕様だから、ちんちんが窮屈で窮屈で……」
「それはお前が勃起しているからだ。……こんな状況で、一体、何に興奮したんだ?」
 軍服の前が、大きく盛り上がっている。重みに負けて、ズボンがずり下がりそうだ。ベルトが必死に頑張っているが、すっかり先走りが沁みて、服地の色が変わっている。
「この子、本当に自由奔放で……」
 腕を組むついでに、男の太腿に陰茎を擦りつけた。
 普段は、それなりに小さくなっているが、ひと度、勃起が始まると、太腿と同じくらいの長さの性器になる。ぶら下がっているそれは、まるで三本目の足だ。
「後で抜いてやるから、上着で隠しなさい」
「またあれやって」
「どれだ?」
「ちんちんの中に指を挿れるやつ」
「家に帰ったらな」
「その代わり、お前がやりたいって言ってた、腹の中に腕を入れるのと、小便を出すのをやっていいぞ」
「射精せずにイく練習もしなさい」
「じゃあ、あの気持ち良くなるところ、いっぱいぐにぐにして。ほら、お腹の中から外側に向けて、お前がいつもいじめるところ。あそこを腹の上からと、中からとで一緒に押されると、下腹がきゅうきゅうして……」
「お前、あれ好きだな」
「…………」
「屍?」
「人間、ごめん……」
「……?」
「出ちゃった」
 ぼたぼたぼたっ……!
 両脚の間から、小便のような精液が漏れる。軍靴の隙間に溜まって、どぽっ、と雨水の溜まった長靴のように溢れた。
「…………屍」
 男は、額に手を当てて嘆息する。
「ご、っ……ごめんね? ごめんね? きもちいいの思い出したら……お前が、屍を抱く姿を思い出したら、その……勝手に、出ちゃって……ごめ、っ、ごめんね?」
「お前、そんなにゆるかったか?」
「……最近、お前が先っぽのところばっかり弄るから、いつも、おしっこ出るところがお口を開けてるの」
「……知ってる。便所の掃除は私の担当だ」
「頑張って閉じようとするんだけどね、屍にはどうにもできなくて、いつも、開いちゃってるの。ごめんね。あの、あのね、変な癖になっちゃみたいで、おしっこも漏れるの……だから、最近、お洋服も、下履きも、いっつも汚れてるの……」
「……知ってる。洗濯は私の担当だ」
「お尻もね、なんかね、いっつもちょっとだけ開いててね、奥からお前の精液が垂れてくるの。お腹は痛くならないんだけど、ゆるゆるになっちゃったのかなぁ……ごめんね、ごめんね……しかばね、お前のことが欲しいからいっぱいもらってたし、本当は、お前の目を盗んで、後ろの穴を一人で弄ったし、お前が腕を入れたいって言うから、ちょっとだけ自分の手を入れてみたりしたの。だから、拡がっちゃったのかなぁ……」
「……知ってる。こっそり見てたから」
「ごめんね?」
「いや、なんか、俺に責任がありそうだから、謝らなくて大丈夫です」
 前も後ろも、乾く暇もないくらいのべつ幕無しに挿れていた男が悪い。突っ込むのに便利だからと、どんどん拡げていた。
「でもね……、もっとごめんね、って思うのはね、お尻から垂れるお前の精液がね、とっても気持ち良くて、屍……」
「落ち着け、深呼吸をしろ、今は思い出すな」
「だめ、思い出す、もう、……うしろ、きゅうきゅうしてる、なんだかもう、いつでも突っ込める状態で……ふ、ぁ」
「我慢したら新しい体位で気持ち良くしてやるから」
「…………」
 ごくんと喉を鳴らして、屍は耐えた。



 *



 屍はたまに一人で出かける。
 竜の姿で飛びたいらしい。
 機嫌が良い時は、男を背中に乗せて低空飛行してくれるが、大抵の場合は一人で飛ぶ。男の目が届かないほど遥か彼方の上空で、大きな大きな真っ白の竜になって飛ぶ。二度と帰って来ないのではと不安になるくらい、遠くまで行ってしまう。
 ふらりと一人で出かけては、帰って来る。ほんの半刻程のおでかけの時もあれば、半日帰って来ない日もある。
 浮気を心配している訳ではないが、べったり引っついて離れなかった存在が、ある日、突然、腕の中から逃げていくような気がして、心許なかった。
 男の与り知らぬところで屍が何をしているのか。
 それを知らないことが腹立たしくさえあった。
 我ながら、狂気じみた執着だと思ったが、屍が、自分よりも優先させる何かを見つけたことが許容できなかった。
 その日、男はいつものように出かけた屍を追った。
 今日はすぐに帰ると言っていたので、それほど遠出はしないだろう。庭先で白竜になった屍が、バサ、バサッ……と羽根を羽ばたかせ、空気の層を作る。鳥の羽根が幾重にも重なった竜の翼は、柔らかそうに見えて、実は硬い。まるで金剛石だ。羽根と尻尾の一部だけが風を掴む為に、ふわりとしている。
 上昇する竜を地上から見上げ、男はすぐさま馬に跨った。竜が飛んで行った方角へ馬を走らせる。到底、竜の速さには追いつけない。男は、その方角にある幾つかの街に当たりをつけた。
 湯が沸く程の時間で竜が往復する距離も、馬の脚ならば一刻はかかる。馬を幾らか走らせ、首都を離れると、荒涼とした大地の先に草原が広がる。辺りは、すっかり田園風景だ。この先には、地方領主の城がある。
「……?」
 遠くで、竜が啼いていた。
 男は、馬首をその方角へ巡らせ、目を眇めた。
 城から煙が上がっている。
 馬の腹を蹴り、男は城へ急いだ。
 城下へ近付けば近付くほど、キナ臭さが風に乗って男の元まで届く。時折、馬や犬といった家畜が逃げて来た。轟々と炎が燃え盛り、バキバキと音を立てて家屋が崩れ落ちる。城門は閉じられたまま、軍隊に突破された形跡もなく、門番の姿もない。
 男は馬を下りると、解放された門から街へ入った。
 どうしたことか、街中に逃げ惑う人の姿はない。静かなものだ。まるで死者の街だ。竈の火も、干した洗濯物も、温かい料理も、生活していた痕跡はそのまま、人だけが消失している。
 男は、風と炎の方角を見て、遠回りをしながら城へ向かった。
 地方領主の城とは言え、それなりの軍隊を有していたはずだ。兵隊が一人もいないのはおかしい。
「……無理か」
 これ以上は進めない。劫火が城を取り巻き、火の粉を飛ばす。
「…………人間、お前は、っ……何、して…………」
「……屍?」
 煙る炎を背に、屍が立っていた。
 白い体が炎に照らされ、赤く見える。
「どうして、お前がここにいる? 今日はおうちでお掃除をするって言ってなかったか?」
「お前はどうして、そんな物を持っているんだ?」
「…………」
 びだん。尻尾が地面を打つ。
 屍の手の中にあった死体が消える。城の中から引き摺って来た領主の死体。抵抗も空しく、屍に喉元を噛み切られて絶命した。屍の体が赤いのは、この領主の血だ。だが、この領主一人分の血で、炎と見間違えるほどに赤くは染まらない。
「そうやって、この街の人間を殺して、消したのか?」
「人間、お前は何も知らなくていいんだよ」
 穏やかに、可愛らしく、笑いかける。
 こんな些末なことで、お前と屍の大切な時間が奪われてはいけないからね。大丈夫、安心して、何も変わらないから。変わらせないから。奪わせないから。ずっとこのままだから。
 お前だけは生きて、笑っていて。
「屍、それは答えになっていない」
「当面の脅威は去った。明日からはまたいつも通りだ」
 指折り数えて、満足げに頷く。
 明日からはまたいつも通り、ちょっとずつ殺せばいい。
 跡形もなく消し去ればいい。
「屍、会話をしろ」
「これは会話じゃないよ。だって、白は竜だから」
「…………」
「ごめんね? でももう終わったからおうちに帰ろう?」
 真っ白のやわらかい手で、男と手を繋ぐ。
 屍は、こうして手を繋ぐ為に、こうしているのだから。
「屍」
「痛いよ」
 繋いだ手を、強く握られる。男の手の中で、四本の指が折り重なるくらいきつく握られる。
「ここには千人以上の人間がいたはずだ」
「お前以外は人間だと思っていない」
「……こんなことをしたのは、今日だけじゃないな?」
「…………」
「答えろ」
「これは屍の為。だからお前は気にしなくていい。……痛い、人間、手が痛い、放して……ぃたい、痛い、っ……痛い!」
 ぼきん。音を立てて、屍の指が逆方向に曲がる。
「何の為に殺した」
「……だか、っ、ら……屍の為!」
 折れた四本の指が、その先端から体中に痛みが拡散していく。
「答えろ」
「ぃ、たい……いたい!!」
「叫ぶ割に余裕があるな」
「……っ!」
 二の腕と手首を掴まれ、肘を中心にして、雑巾のように搾られる。肘の関節が捻じれて、骨が剥離する。ぶちぶちと腱が切れ、筋肉が伸び切り、だらんと垂れ下がる。
「前脚は二本ある」
「やめ、っ……」
「犬のように這い蹲ってメシを食うお前も、可愛いと思うよ」
「ひっ、……ぎ!」
 反対の腕は、肩から骨を外される。両手がだらりと前へ垂れた。バランスが崩れて、前のめりに膝を着く。
「そう……そうして私を見上げる目がとても可愛い」
 とてもとても可愛い。
 どんな姿になっても可愛い。
 これはそうして愛される生き物なのだから。
 地面に両腕を垂らし、時折、ひくっ、と痙攣のように腕を跳ねさせる。竜の本能なのか、人の形をした腕に真珠色の鱗が浮かぶ。まるで、傷を負った部位を守るように、硬い鱗が蛇のように艶を持ち、幾重にも重なっていく。
「もう一度、尋ねるよ。……何の為に殺した」
「…………」
「答えないなら、次は後ろ脚だ」
「だって、ちがうっ……!」
「それは答えになっていない」
「……ぎゃっ!」
 腹を蹴られる。
 細い体が浮いて、べしゃりと地面に倒れた。
「そういうのは、言い訳と言うんだ。覚えておくといい」
「だって!! 屍は悪くない!」
 男の靴底が、膝裏に乗る。男が力を込めると、細い脚がびくんと跳ね、地面と靴の間で、骨が砕けた。
「このまま、虫みたいに這う一生を送りたいか?」
「……ちがう、だって、ちがう、ちがう……」
「それとも、人形のようになりたいか」
 丸々とした短い手足で床を這う、芋虫のようになりたいか。
 うぞうぞと蠢き、もがき、自分で寝返りも打てないような体になりたいか。
「そうしたら、可愛い服を着せてあげよう。絹や宝石で着飾らせて、毎日、外に連れ出してやろう。俺はそんなお前を見せびらかして自慢できるし、持ち運びに便利だからどこででも犯してやれるし、お前は変わらず俺に愛される」
「……っ」
「そうなったら、お前は二度と自分の手で自慰をすることもできなくなるから、俺の世話になるしかないし、ズボンだって履く必要がなくなるから、毎日ドレスだ。ドレスはいいぞ。手を突っ込めばいつでも触ってやれるし、犯してやれる。ドレスのほうが、お前のその無駄に大きな陰茎も窮屈を感じなくて済むしな」
「……饒舌だな、人間」
「やりたいことは星の数より多いからな」
「とても、楽しそうだ」
「あぁ、とても楽しい」
「…………」
 痛みよりも、恐怖が先立った。
 この男は、こわい。にこにこと優しく微笑みながら、平気で屍を傷つける。善悪の区別もなければ、やって良い事と悪い事の区別もない。
 屍のすることに怒ったこともなく、拒否をしたこともなく、全て笑って許してくれたのに、これだけは許してくれない。
 きちんと男の望む通りに答えなければ、男は、躊躇なく屍の四肢を切り落とすだろう。
「ここは熱いな。早く家へ帰ろう」
 男の額には、汗が滲んでいる。
 竜の炎は、二人の傍近くまで押し迫っていた。
「いやだ、人間、こっちに来るな」
「そんなことを言うな、私でも傷つく」
「く、るな……やだ、来るな、怒るな、やだ……」
「こんな所で漏らすな」
「……はっ、ひゅ……っ……」
 靴底が、陰茎を踏み潰す。もう、ちっとも痛くない。どこもかしこも感覚が麻痺しているのか、神経が千切れてしまったのか、手足の痛みさえ感じられない。
「そんなになってもまだ勃たせるのか」
「ぁ、っ……あぅ」
 だって、もうこれは習性だ。身に沁みつくまで覚えさせられたことだ。小便を漏らしたかと思えば、濡れた布地をべたりと張りつかせ、目の前に立つ最愛の男に陰茎を勃たせる。
「それ、邪魔じゃないか?」
 靴先で持ち上げると、ずっしりと重い。こんなものを股の間にぶら下げていては、さぞかし動きづらいだろう。
「……去勢でも、する……つもりか?」
 屍の口元が半笑いになる。
 この男は、何でもする。手に入れる為なら、なんでもする。
 もしかしたら、屍は少し思い違いをしていたのかもしれない。
 この男は全てを受け入れてくれているが、それだけでは済まないのだ。
「そうだなぁ、お前が浮気をしたら去勢しようか。……あぁ、でもその前に、お前が浮気をして、女と交尾している場面を鑑賞してからにしよう。浮気相手が男なら、お前が犬みたいに種付けされているのを見終わってから、去勢しよう」
 見られるものは全て見てから、切り落とそう。
 何一つ、取り零しのないようにしよう。
 見られる景色や、表情や、仕種や、声を、一つでも多く揃えよう。屍が見せる全てを、把握しよう。
「屍を、何だと思っている」
「三界で一番愛しい存在だと思っている」
「竜を支配するつもりか」
「いいや。お前が俺を支配しているだけだ」
「…………」
「お前の為にこうなっている」
「……人間、お前……」
「いい子だね……、お前はちゃんと分かっているね」
 男は、屍の傍らに跪き、頬を撫でる。
 何一つ、いつもと変わらない優しい微笑で、屍を愛している。
「お前……頭が、おかしいぞ」
「気付くのが遅い」
「そんなに屍が好きか」
「好きだ」
 この男は、屍が大量虐殺をしたから怒っているのではない。
 屍が男に隠し事をしたことを怒っているだけだ。
 男が把握できない内緒事があったのが許せないだけなのだ。
「お前、狭量だな」
「今頃気付いたか」
「屍の体をこんなにして、どうする」
 一人では体を起こすこともできない。
 ちょっと正直に答えなかっただけで、四つん這いで這うこともできなくなってしまった。
「面倒は見てやる。……とりあえず、家へ帰ろうか」
「……ぅ、ぎ、ぃいっ……ぃ!!」
 髪を掴まれ、地面を引きずられる。
 男の暴力が止んだからといって、扱いまでが元通りに戻るわけではない。
「家へ帰って、ゆっくり話をしよう」
「……っ」
 ひゅっと息を呑む。
「どうした、震えているぞ、竜」
「殺した!!」
「あぁ、別に正直に話す必要はないぞ。家に帰ってやることはもう決まっているんだから」
「殺した! 殺した! 最初は、こっそり見つからないようにやった!! 森とか、教会の地下室とか、街に出た時とか、一人でお出かけした時は、村とか、街とか、駐屯地とかでも殺した!!」
「開き直っても遅い」
「やだ、やだ、ぃたい、やだ……っ、おうち帰りたくない!」
 こわい。家に帰ったら、何をされるか分からない。
「ごめんなさいっ……ご、えっ……ぇん、ぁさいぃ、っ……!」
「謝らなくていいよ、叱るつもりはないから」
「も、しっ、しな、っしない、っ……ぜったいに!!」
「別にしてもいいよ。次からは人を殺しているお前を鑑賞させてくれれば」
「もう、しな、ぃ……っ、うそつか、っな、……や、おうち、やだぁ……っ、内緒も、ひ、ぁい、から、だから、っごめっ、ぇ、ぅっ、ぅう、ひ……っく、お、ぇっ、ぁ、ざぃい」
「うん、そういう問題ではないね」
 謝ってるのに、許してくれない。この男は、屍のどんな我儘でも聞き入れてくれたのに、許してくれない。
「ぃた、……っ、ぃ……髪、ひっぱたら、ぃた、ぃ……やだぁ」
 ずるずると獲物のように引きずられる。動かない両腕が、砂に抉られ、無数の擦り傷ができる。あちこちを地面にぶつけて、倒れた材木に脇腹を強打し、髪が引きちぎれるほど強い力で地面を転がされる。
「お前はそんな風に脅えて、泣くんだな」
「ぉ、ぇっ……あ……ざいぃ……っ」
「またひとつ、新しい顔が見れて嬉しいよ」
「やだ、やだぁ……」
「好きなだけ人を殺せばいい。それで、お前が幸せなら幾らでもそうするといい」
「……っひ、く……ぅぇ、えっ、げ……ぇ、ぅ」
 泣き過ぎて、嗚咽で噎せ込む。ぼろぼろ流れる涙も砂埃に汚れ、頬は粉塵にまみれ、煤けている。
「ただ、俺に隠し事をするのがいけないだけだ」
「あ、ぅ、……っ、ぐ、ぅう」
「お前は、どんな顔で隠し事したことを後悔するんだろうな」
「だって、殺さなかったら、死んじゃうんだもん!」
「誰が死ぬんだ?」
「しかばねが……死んじゃうんだもん」
 死なせたくないもん。
 途中でやめたら、死んでしまう。
 殺さなくては死んでしまう。
「殺さないと、死んでしまうのか?」
「しんじゃうの、やだぁ」
 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。長く一緒にいたい。ただそれだけを願うのに……。
「……そうか、死んでしまうのはいやだな」
 屍が死ぬくらいなら、見なかったフリをしなくてはならない。
 それで幸せになれるなら、喜んで協力しよう。
「だから、もぉ……かくさないから、ちゃんと、っ言ってから、殺すからぁ…………こぁいの、やだぁ……もぉ、わるいこと、しないからぁ」
「隠し事が悪い事だと理解できて、ひとつ賢くなれたな」
「ゆるっし……て、くれっ……る、の?」
「理解したことは、体で覚えろ」
 こんなにも愛しているのに、俺の気持ちが分からないんだから、脳味噌で理解したら、体で覚えろ。
「やだよぅ……なに、するの……やだ、しかばね、こわいの、やだぁ……いつもみたいなのじゃなきゃ、や、だ……ぁ」
「脅えなくていいよ。ただ、愛してるだけなんだから」
「し、ぁ……あねっ、ごめんなさい、言ったぁ……っ!」
「さぁ、早く家へ帰ろう」
 まだ見たことのない表情を見せろ。
 男はいつも通り、優しく笑いかけた。
 何よりも愛しい物に向ける愛情で。







 以下、同人誌のみの公開です。



2014/03/09 人間を愛した竜 (本文サンプル・中盤) 公開