ここより向こうへ連れていけ (小説本文サンプル・中盤)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 
 
 ヤオは、アパートに一人で暮らしている。
 ジェン以外の人間が、別名義で借りているアパートだ。騒がず、迷惑をかけず、賃料さえ払えば文句は言われない。管理会社さえ間に入っていないような古アパートだ。
 仕事明けの翌日も、ヤオはいつも通りに起床して、屋台で朝粥を食べながら新聞を読む。部屋へ戻れば、ラジオを流しながら日課の拳銃の手入れをする。それが終了すればソファへ寝転がり、昼まで読書だ。
早早(ザオザオ)〜、ヤオくーん、おじさんが遊びに来たよー」
 玄関扉を激しく叩く音と共に、能天気な男の声が響く。
「…………」
 ヤオは一瞬だけ眉間に皺を寄せて、クッションの下に隠してある拳銃をズボンの間に挟んだ。
「ヤオくーん」
「…………」
 肩で溜め息をついて、玄関へ立つ。
 右手を拳銃のグリップにかけたまま、二重の玄関扉を開けると、そこにはサングラスをかけた男が立っていた。
 仲介屋だ。
 本名は知らない。ジェンとヤオに仕事を廻してくれる男で、仲介屋と呼んでいる。見るからに胡散臭い風体で、堅気ではない。ゆるいオールバックとパナマ帽、まるで戦前のような出で立ちだ。キャバレーで客引きをしているようなガラものの派手な服を着て、年中サンダル履きで、セカンドバックと複数の携帯電話を使いこなす。
 年の頃はジェンと同じくらいなので、三十代後半だろう。十八歳のヤオには、どちらにせよオッサンの部類だった。それも、ジェンとは違って騒がしく、べたべたと馴れ馴れしい類のオッサンだ。相手にするのも疲れる。
「わぉ、インテリ! 下放されちゃうぞ!?」
 ずかずかと部屋へ入るなり、仲介屋は、ヤオがソファに放置していた本を手に取った。
 にやにやと薄笑いを浮かべて、本を読むヤオを茶化す。彼の周囲にはすすんで本を読むような人間は存在しないらしく、物珍しいらしい。その上、単独行動が多いあのジェンが連れているガキということで、良い意味で言えば、目をかけてくれていた。悪い意味で言えば、からかう為に絡んでくるんじゃないかと思うほど、馴れ馴れしい。
 気にかけてもらっていると言えば聞こえは良いが、仕事明けの午前中に、様子見と称してひょいと現れてはひとしきりぐちゃぐちゃと一人で喋り、成功報酬を置いて去って行く。台風のような男だ。
 ヤオはこの距離感のない男が、どうにも苦手だった。
「おじさん、馬鹿だから分かんないけどさぁ、本とか読んで楽しい?」
「アンタ、インテリだろ?」
 少し目線を上げて、仲介屋を見た。
 仲介屋はいつもふざけているけれど、とても賢い。ずる賢いだけかもしれないが、要領が良くて、機転がきいて、回転が速い。多分、それなりの大学を出て、それなりの結果を出してきたタイプだ。
 ジェンとは違う。ジェンは、咄嗟の判断が早くて、その判断に間違いがない。本能で生き抜いてきたように思える。仲介屋とは違うタイプの頭の良さだ。
「ヤオ君、あのね……」
「なんだ?」
「そうやってじっと男の人の目を見つめるもんじゃありません」
「……?」
 またソレだ。
 ジェンとこの仕事を始めて以来、出会った大人のほぼ全員に言われる。ヤオには相変わらずそれの意図するところが掴めない。ただ、皆、いつも、大人のほうから眼を逸らす。
「真っ直ぐ見つめられたら、責められてる気持ちになっちゃうんだよねー」
「責めてない」
「大人は悪いこといっぱいしてるからねー、被害妄想だよ」
「人殺しなら俺もしてる」
「世の中にはもっと悪いことがいっぱいあるんだよ」
「…………」
「だからぁ、そうやって見透かすようにじっと見ないの」
 仲介屋は少し苦笑して、ヤオの頭を撫でた。
 仲介屋のこういうところも苦手だ。ヤオを子供扱いして、親でもしなかったような方法で、ヤオが驚くことをする。
 頭を撫でられるなんて、十八歳の男子がされても嬉しくないのに……。
「ヤオ君は本ばっかり読んでないで、たまにはそういった心の機微を学んだほうがいいかもね」
「俺、高校一年でリタイア。人殺し稼業も、馬鹿だと早死にするんだよ」
 本でも読んで、勉強して、知識がないと死んじまう。
 心の機微や情操教育云々を言う前に、学校卒業程度の知識は身に付けておきたい。何が自分を救うか分からないのだから、助けになる可能性のあることは全て学んでおくべきだ。
「本ばっかり読んでも無駄だったりするよー」
 大人の余裕を見せつけるように、仲介屋が笑った。
「…………」
 その真意を推し量ろうと、ヤオはじっと仲介屋を見据える。
「君、そういうところの学習機能って大丈夫? さっき僕、男の人にそんな目をしちゃいけないって教えたでしょ?」
「…………」
「あらまぁ、ほんと分かってないんだ」
 冷めた表情のヤオに、仲介屋が腕を伸ばした。
「……!」
 次の瞬間、ヤオは、ソファに押し倒されていた。関節技を決められ、ソファにうつ伏せになったまま身動きが取れない。
「頭でっかちじゃ死んじゃうよ? 殺し屋さんなら、もうちょっと危機管理意識を持って、勘を働かせて生きたほうがいいよね。ヤオ君はそっちの感覚を磨くほうが先じゃないかな? ほら、おにいさんが押し倒しちゃうよぉお?」
「もう押し倒されてる」
「あらほんと、まぁ細っこい体だこと」
 ヤオの背に圧し掛かり、片腕で封じ込めてしまう。
「離せ」
「…………わぁ、本当に分かってないんだ」
 仲介屋の手が、ヤオの背骨を辿り、腰の窪みを押し、銃を挟んだままのズボンにかかる。
「銃が欲しいのか?」
「まさか。おじさんの商売道具は携帯電話ですよ?」
「なら、何だ?」
 訳が分からない。
 中途半端な拘束で、ゆるゆるとシャツの上から肌をなぞられる。そのくせ、拘束された腕はびくともせず、クッションに埋もれた顔は息ができない。背筋を使って仰け反れば、首の付け根を押さえ込まれる。撫でるような仕種に、こいつは何がしたいんだと眉間に皺を寄せると、項に熱い感触があった。
「……っ」
「おや、体が跳ねた。ヤオ君は首の後ろが弱いのかな?」
「仲介屋」
「はいはーい」
「何がしたいんだ?」
「ここまでやって分からないの?」
「殺したいのか?」
「どうしてそういう考えになるの?」
「他に思いつかない」
「……あぁ、まぁ、そうだよね……十八歳成人男子は、自分が同性にそういう対象に見られてるなんて、露ほども思わないよね……」
「俺は報復の対象にでもされているのか?」
「いいえぇ、違いますよ」
「なら、なんだ?」
「こうやって押し倒されたくなかったら、大人の男の人をじっと見つめちゃいけません、って教訓を教えてあげてるんです」
「押し倒されたくなかったら、自分を鍛えればいいだけの話だ。ところで、仲介屋……」
「何かな?」
「そろそろ俺を離さないと、お前の頭に穴が空くぞ」
「はい?」
「うちのヤオに何をしてる」
 ジェンが、仲介屋の背後に立っていた。
 生きていることがさして面白くもなさそうな、いつも通りの無表情で、仲介屋の後頭部に銃口を突きつけながら。







 以下、同人誌のみの公開です。



2013/02/26 ここより向こうへ連れていけ (小説本文サンプル・中盤) 公開