隠狐 (本文サンプル・序盤)


※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 25行×28文字の2段組となります。

 
 
「……ンっ、ぅ、……っぐ、ぅう、あっ……っ」
 眉間に皺を寄せ、呻く。
 体は火照り、汗が滴る。どろどろと熱いものが腹の中に拡がる。染み込む。溜まる。残る。支配される。重く粘つき、体中を駆け巡り、粘膜を侵食し、血と混じり、肉を犯し、びったりと隙間なく付着して、ひとつになる。
 それで終わりかと思えば、息つく暇もなく、また、大きな大きな影が動き始める。棘の付いた陰茎で、腹の中を掻き回される。内臓を押し上げられ、直腸を抉られ、削ぎ落され、排泄口は、血みどろのミンチ肉にされる。
 布団の上に、自分の肉片が落ちているなんてことザラだ。ゆるくなった穴から、細かい肉が零れ落ちて、それこそ、ハンバーグのタネみたいになっている。
 肉が裂け、血が流れ、直腸脱になり、ずたずたの穴に成り下がり、見るも無残なそこに、射精される。
 ひぃひぃ啼いた。
 何に啼いているのか分からないまま、声が枯れるまで啼いた。
 体中、鋭利な爪で引っ掻かれた傷だらけで、ケロイドになって残り、その上からまた次の傷が増え、四肢のどこをとって見ても、歴戦の勇者状態だ。
 それでも、不思議なことに、次の朝には、肉片と化したケツはほぼ元通りになっている。どれだけ裂けようと、垂れ流しになろうと、多少の痛みが残る程度だった。
 だからこそ、その行為は、毎日、毎日、三百六十五日、夜、ベッドに入った瞬間から、朝、鶏が鳴く瞬間まで続けられた。一時も休むことなく、射精を終えると同時に二回目が始まり、三回目が始まり……一晩中、続いた。
 その行為が、ベッドの中だけだと思ったら大間違いで、それは、朝昼晩、所構わず、いつでも、どこででも強要された。
 それに抗う術はなく、黒い影が圧し掛かってきたら、諦めてケツを差し出すしかない。
 黒い影は二メートル近くあって、全体的に大きな人の形をしているが、輪郭がぼやけて、はっきりしない。質感はほとんどなく、自分から触ろうにも触れない。
 そのくせ、黒い影のほうから触れられると、妙に感触がリアルに分かる。腰を掴む手は固く、大きく、熱い。腕も足もしっかりしていて、骨も太く、がっちりしていて、鍛えられている。体温は、自分よりもずっと高かった。
 そんなものに犯された。
 幼稚園児の時から。
 それでも、年数が経てば、馴染むしかない。
 痛い痛いと泣いていたのは幼稚園児までで、小学生になると、その痛みから逃避できるようになった。
 幼いながらに、脳味噌と体を切り離して、いつも、窓から見える梅の木を見つめていた。夏も、秋も、冬も、花は咲かないけれど、春先にだけは、少し慰められた。
 小学校高学年になると、痛みが麻痺するようになり、強制的に精通させられた。それどころか、射精した後、小便も漏らした。何が起こったか分からなくて、パニックになって、笑いながら泣いた。
 そうしたら、その黒い影は、小便を漏らすほどに気持ち良かったと勘違いしたようで、その夜から、毎晩、漏らすまでされた。小学校高学年が、毎晩毎晩、小便を漏らすハメになる苦悩をお察しいただきたい。
 苦行だったはずのそれが、中学生になると、ダダハマりした。
 物心着く前から苦しめられてきた行為なのに、ダダハマりした。
 授業中に思い出して、机の下が大変なことになったり、塾に通う道中の電車のホームで慌ててトイレに駆け込んだり、図書室の本棚の死角で抜いたり、校舎裏で下半身丸出しにして犯されたり、兎に角、四六時中、見境なく盛った。
 そうしたら黒い影は調子に乗って、風呂だろうが、学校だろうが、バスの中だろうが、友達と遊んでいる最中だろうが、道端だろうが、ガンガン盛ってきた。必死になって他人の目を誤魔化し、人目のないところを探し、ケツを差し出した。
 早く後ろに欲しくて、早く終わって欲しくて、兎に角、欲しがるがままに与えた。さすがに、電柱にしがみつきながら夜道で犯された時は、中学生ながらに自殺を考えた。
 でも、道端で犯されるのを許容してしまうくらいには、ハマっていた。
 そんな中、初めて彼女ができた。
 いざ、初カノとセックスする時、後ろに刺激がなくて射精できなかった。絶望した。それどころか、萎え始めた。焦った。焦れば焦るほど、萎えた。
 咄嗟に、一番気持ち良いことを思い出して復活しようとした。
 思い出したのが、後ろを犯されているあの感覚だった。
「おっきくなったね……急に」
「……悪い」
「大丈夫だよ?」
「……いや、ほんと、悪い……」
 初カノに驚かれて、苦笑いしながらゴムに射精した。
 初カノとの初えっちを終えたその夜は、黒い影に犯された。
 小学生の頃以来、久しぶりに、赤ん坊みたいに喚きながら、震えて、「ごめんなさい、ごめんなさい、もうやだ、ゆるして、やだ、いたい、ぃたい、っ……おしり、ぃたい、おなか、やぶける、いたい、っ、ぃ、あいぃ」と、臆面もなく泣いた。
 まぁ、許されるわけがなかった。
 翌日、当然のように起き上がれなかった。腰は抜けてしまうし、腹は妊婦のように膨らみ、奥から奥から際限なくどろどろろと精液が溢れて下着や布団を汚し、熱が出た。ベッドで魘されていると、また犯された。ベッドで寝る、即ち、犯しても良い、という解釈をされたらしい。地獄だ。
 結局、起き上がるのに一週間くらいかかり、その一週間の間に、初カノに振られた。初えっちした翌日から一週間も音信不通になれば、そうなっても仕方ないだろう。それどころか、ヤリ逃げした最低男だと噂されて、それから先の中学生活は灰色だった。
 高校生活に期待を寄せた。
 不思議なことに、その黒い影は、高校受験の時期になると空気を読んだのかして、少しだけ行為を控えるようになった。
 そのお蔭で、最後の中学生活を満喫しながら受験勉強ができた。放課後、たまに友達と喋ったり、参考書を片手に頭を悩ませたり、進路で迷ったりした。
 そんな些細な日常が、すっかり忘れ去っていた普通の青春で、涙がじんわり滲むほどに幸せで、結局、最後まで最低男のレッテルは貼られたままだったけど男友達には恵まれて、楽しく卒業式を迎えられた。
 勿論、桜は咲いた。



 ※



 高校一年生。梅の花が咲く季節になると、黒い影は、また、毎晩、乗っかってきた。
 絶望した。
 忘れた頃にやってくる不幸ほど悲しいものではない。
「あー……梅だ」
 二度目の梅が咲いた頃、高校二年生になった。
 部屋の窓から見える梅に、視線だけを流す。
 爽やかな朝は、生まれてこの方、一度も経験したことがない。
 ベッドの上で何度か瞬きして、昨晩からずっと自分を犯している存在を、視界の端に見つける。
「…………」
 ガン! 蹴り落とした。
 最近、この黒い影に触れるようになった。
 だから、蹴ることにした。
 今までは触れなかったけれども、今年、梅の花が咲き始めた頃から、触れるようになった。
 だから、ここぞとばかりに蹴って、蹴って、蹴って、蹴り倒して、蹴り続けて、蹴りまくった。
 それでもこの黒い影はめげないから、神経が太い。
「…………」
 布団をめくれば、ほぼ毎日恒例の夢精だ。
「……病気だ。……俺もだけど、テメェもだ」
 こんなデカい男押し倒して何が楽しいんだ。
 黒い影を蹴りつけ、ベッドを下りる。
 襖を引いて部屋を出ると、廊下にコンがいた。
「……おー、コン、おはよ」
 こん! 
 真っ白のふわふわの犬が、コン、と啼く。
 犬のくせにコンと鳴くから、こいつはコンだ。
 コンは、コンコン、コンコン、と鳴き、黒い影を見ている。
 黒い影は、コンが苦手なようだ。コンが近くにいると、少し距離を取ってこそこそしている。
 一階の風呂場へ向かい、シャワーを浴びている間に、下着とスウェットを洗濯する。
 黒い影は、風呂場の隅でじっとしている。







 以下、同人誌のみの公開です。



2014/03/03 隠狐 (本文サンプル・序盤) 公開