天国の廃墟01 『二人だけの』 (書き下ろし分サンプル)


※サンプルにつき、冒頭部分のみの公開です。
※ネット上で見やすいように装丁を改変しています。
※実際の冊子の装丁は、A5サイズ本 / 24行×27文字の2段組となります。

 
  
 序



 カエレスが皇国の首都ティアにやって来て、少し経った頃だ。ビスとアンの三人で仕事をしていると、ふいに、アンがこう尋ねてきた。

「お前さ、それ、無意識?」
 アンは、なんだか不可解な表情になっている。
「あー、それ、俺も思ってた」
 横合いから、ビスも口を挟んだ。
「何の事だ?」
 曖昧な質問に、カエレスは質問で返した。
 この二人は、よく主語や目的語を省いて話をする。ビスとアンはツーカーなので、それでも問題ないのだろうが、カエレスはまだ少し、慣れずにいた。
 だが、その内、慣れるだろう。二人は、カエレスによく話しかけ、よく気にかけ、よくしてくれている。
 すぐに、親しめる。
「だからさ、ヴィダフトゥラ公の呼び方を分けてるのは、無意識かって訊いてんの」
「不思議だよなぁ。あんなけ大好きなのに、ちゃんと様付けで呼んでさ」
「無意識じゃなくて、公私で区別してんのか?」
「お前の好きなようにしろよ? 気ぃ遣うな」
「あぁ……」
 カエレスはそれでやっと、質問の意図を理解した。
 二人は、カエレスが、ヴィダフトゥラ公の呼び名を分けて使っているのが、どうにも気になったらしい。
 カエレスは、ヴィダフトゥラ公のことを、人前では、カエレス様ないしはヴィダフトゥラ公、と呼んでいる。
「戸籍上は父親だろ? そんな格式ばらなくてもさぁ」
「……一歩引いておいたほうが、角が立たない」
 奴隷ごときが、ヴィダフトゥラ公を呼び捨てるなどは、言語道断。
 奴隷に、名前を呼び捨てにさせたとあっては、ヴィダフトゥラ公自身の権威にも関わる。公の場で上下関係を蔑ろにしてしまえば、ヴィダフトゥラ公はその程度の人間なのだと、不特定多数に侮られる。
 余計な問題は、作らないほうがいい。
「名前ぐらい好きなように呼べよ」
「誰の目も気にしなくていいぞ」
 それくらいしか、今のカエレスにはないのだから。
 せめて名前くらいは、好きなように呼べばいい。
「大丈夫だ、ありがとう」
 そう、大丈夫。
 これは二人で決めたこと。
 だから、これまで通り、やっていける。
 ずっと前に交わした、二人だけの内緒の約束。
 それがあるから、大丈夫。
 
 
 ※
 
 
 内緒の約束をしたのは、今から何年も前。
 まだ、あの人が生きていた頃。
 
 ヴィダフトゥラ公カエレス=カヴァルディーシ=ヴィタは、最近、気になることがあった。
 ヴィダフトゥラ公の可愛い可愛いカエレスが、最近、随分と素っ気無いのだ。
「素っ気無いというか、いっそ無愛想というか微笑みが足りないというかカエレスが足りないというかいちゃらぶが少ないというか、まぁ要するに総じてそんなツンツンしたカエレスも最高に可愛いんだけれども、ちくしょう可愛い!!!」
「え、ちょ、わ……カエレス様、何ですかっ!?」
 背後から抱き締められた。
 突然のことに、カエレスは声を上げる。
 ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。懐に抱きすくめられる。肩口に埋められた頬が、くすぐったい。
「二人の時はこんなに可愛いのに、なんでそれをいつもしてくれないのか、私にはとてもとても理解しがたい」
「ひっ、……ぁ」
 がり。首筋に歯を立てられる。
「こんなに可愛いのに」
「か、カエレス、さまっ……!」
「その、カエレス様って言うのが頂けない、とてもじゃないが頂けない」
「……か、噛みながら、喋るのは……」
「だめ?」
「だめ、です……」
「意地悪だなぁ」
「ふ、わっ!」
 ひょいと肩に担がれる。
「暴れるともっと意地悪するよ?」
「か、カエレス様……急にどうしたんですか?」
「男は溜まる生き物なんだよ」
「……は?」
 ぽんぽんと尻を叩かれて、ソファに連れて行かれた。あぁ、痩せて薄いなぁ、とそんな感想を漏らされる。
 向き合う形で、膝の上に座らされる。鼻先のひっつくくらいの距離だ。腰を強く抱かれて、逃げられない。
「さて、聞かせてもらおうか」
「何をですか?」
 カエレスは、できるだけ冷静を保った。
 微笑みさえ浮べないようにして、口を真一文字にする。ヴィダフトゥラ公の暴挙を叱るような表情だ。
 ちょっとでも甘い顔をすると、この人はいっつもデレデレ。人前であろうと、どこであろうと、辺り憚らず、カエレスを甘やかす。
 そう、これはカエレスを甘やかす為にしてくれること。
 この人が考えてくれるのは、いつもカエレスを甘やかすこと。愛してくれること。
 体全部で、心全部で、大好きを伝えてくれる。
 でも、それではいけない。
「最近、どうして、様なんてつけて呼ぶのかな?」
「公私の区別は必要ですので」
「今までだって、人前では様をつけて呼んでいたじゃないか」
「常に習慣づける必要がありますので。これからは二人の時もそう呼ばせて頂きます」
 甘えてはいけない。
 この人を愛しているからこそ、自分は、一歩も、二歩も、引かなくてはいけない。
 カエレスは身分が低い。
 そのカエレスを傍に置いているだけで、ヴィダフトゥラ公に悪い噂が立つこともある。その上、公私に渡り呼び捨てにしているとあれば、ヴィダフトゥラ公の権威に関わる。
「誰かに、何か言われたかな?」
「……いいえ」
「嘘ばっかり。お前はすぐに顔に出るからな」
「うぅ」
 むに。頬っぺたをつままれる。
 ヴィダフトゥラ公は、カエレスのことなら何でもお見通しだ。
「悲しいことや辛いことがあると、お前は、すぐに笑わなくなる」
「そんなことはありません」
「そうかそうか。なら、カエレスがそう言うならきっとそうなんだろう。……でも、嘘吐きには?」
「……はりせんぼん」
「悪い子は、どの子かなぁ?」
「ひゃっ、わ、やっ、……カエレスっ、さまっ、……!」
 脇腹を擽られた。
 身を捩って、抵抗する。
「ほら、捕まえた」
「……カエレスさま、くるしいです」
 強く羽交い絞めにされる。
 もつれあって、ソファに倒れこむ。上にのしかかられて、両腕を一纏めにされた。
「いい眺めだ」
 男の下で拘束されているカエレス。
 逃げようともがくその腰のひねりが、なんとも言えず艶かしい。ちらりと覗く臍が、可愛い。
「やっ、そこ……ゆび、だめですっ」
「小さい穴だなぁ」
 臍の中に親指を入れて、拡げる。
「なか、さわったら……おなか、いたく、なる……」
 おなかがきゅうきゅうして、切なくなる。
 小さな子供の頃のように、ヴィダフトゥラ公に下の世話をされるのは、さすがにこの年になると情けない。
「捕虜を拷問虐待している気分だ」
「おしっこ、したくなります……」
「しちゃうといいよ?」
「…………」
 駄目だ、この男、本気だ。
 このままだと流される。
 カエレスは慌てて気を引き締めた。
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 以下、同人誌のみの公開です。



2010/11/18 天国の廃墟01 『二人だけの』 (書き下ろし分サンプル) 公開