「ねえネスティ。
明日あいてる?」
「は?」
いつもの通り、召喚術の勉強を終え、片付けをしていたときに、が不意に切り出した言葉に、ネスティは思わず不審そうに眉根を寄せた。
「だからー。
明日、あいてる?」
「どうしたんだ急に」
なおも同じ言葉を繰り返すは、自分の質問への返事が返ってこないことに機嫌を損ねたらしく、あからさまに表情を渋くする。
「お、おい……」
「もう一度だけ言います。
ハイかイイエで答えなさい。ていうか答えろ。」
仏の顔も三度、と言うが、は意外と気が短かったらしい。
ゆらりと立ち上がり、殺気に似た気配さえ漂わせ、最後は命令口調になっている。
「ネスティは、明日、あいてる?」
「……………………ハイ……」
一語一語、区切るようにしながら尋ねる。
さすがのネスティも気迫に押されたか、小さな声で返事をした。
「ほんと?」
はぱっと表情を明るくした。
先程までの殺気はもはやカケラも見当たらない。
「じゃあさ。
明日一日、私に付き合わない?」
「え……?」
穏やかな笑顔でそんなことを言われ、(先程までとのギャップに対しても含めて)ネスティは驚いてを見た。
「ほら、ここんところ戦闘続きだったから、明日は休養日、ってことになったでしょ?」
「そう……だったか?」
「朝に話してたじゃん。
聞いてなかった?」
言われて、朝の記憶を思い返したが、心当たりがない。
「いや……知らないな」
「考え事でもしてたのかな?
まぁとにかく、そうなったわけよ」
でね、と。
は話を続けた。
「せっかく時間出来たから、ちょっと遠出しようかなと思ってるんだ」
「遠出って……!」
最近はなりをひそめているが、それでも“黒の旅団”に追われているのは確かなのに、その上で遠くへ独りで行くなんて、自殺行為もいいとこだ。
そんなネスティの思考を読んだかのように、はにっこり笑った。
「だからさ、一緒に行かない?
ネスティも、たまには気晴らししないと」
その笑顔と、言葉に。
自分への気遣いを感じ、ネスティは心の端が温かくなるのを感じた。
「…………しょうがないな」
素直になれない自分が、ちょっとだけ恨めしかった。
* * *
翌日。
は街を出てすぐに、8本足の馬の姿をした“悪魔”を呼び出した。
「これに……乗っていくのか?」
「そうだよー。
ほら、乗って乗って」
「いや、乗ってと言われても……」
は既に、近くにあった岩を踏み台にして馬の背に跨っている。
普通なら鞍が置かれる位置よりもやや前の方に寄っているのだから、後ろに乗れということなのだろうが。
なかなか乗ろうとしないネスティに、は首をかしげた。
「後ろよりも前がいい?
でも、コイツ私じゃないと動かせないよ?」
「あぁ、いや……いいんだ」
戸惑いながら、ネスティは岩から馬の背の、の後ろに跨る。
ネスティが乗ったのを、後ろを見て確認してから、が言った。
「じゃ、行こうか。
しっかりつかまってて」
「あ、あぁ。
でもどこに……」
馬の背には鞍も何も乗っていない。
たてがみも、ネスティの座る位置からでは遠い。
尋ねたネスティの言葉は、おもむろにに両腕を捕られることで中断させられた。
「どこって、なにが?
これでいいでしょ?」
「お、おい!?」
は掴んだネスティの両腕を、ためらいなく自分の身体に回させる。
後ろから抱きしめる形になり、ネスティは慌てたが、は全く気にする気配がない。
ほっそりとした身体だとか、柔らかいさらさらのセピアの髪だとか。
そういったモノをじかに感じ、自然とネスティの顔には熱が集まる。
「行くよー」
同乗者の心理などお構いなしのの一言で、馬は駆け出した。
「……ッッ!?」
その馬は、加速度が半端ではなかった。
迅い。
並みの馬とは比較にもならない。
振り落とされないように、と。
意図せず、ネスティはに回す腕に力を込めていた。
* * *
着いた先は、森だった。
そこは穏やかに流れる川の岸辺で、木々が生い茂り、鳥の歌声と川のせせらぎだけが聞こえる。
柔らかな日差しを浴びる若草が、風になびいていた。
「はい、着いたよー。
……大丈夫?」
「ぅわ……!?」
いつの間にやら、ネスティはを後ろから抱きしめるような形で、彼女にがっちりとしがみ付いていた。
声をかけられてそれに気づき、顔を真っ赤に染め上げて慌ててネスティはパッとから手を離した。
「す、すまない……」
「なんで? しっかりつかまってて、って言ったの私なのに」
ネスティが申し訳なさそうに謝ると、は首をかしげた。
柔らかい笑顔を向けられると、何も言えなくなる。
口ごもるネスティにかまわず、はひらりと馬から飛び降りる。
そしてネスティに手を差し出した。
「いるなら、手貸すよ」
「いや、大丈夫だ」
やんわりと断り、ネスティも馬の背から降りた。
紅のマントが翻る。
ネスティが降りたのを確認して、は馬を送還する。
そのまま、近くの木陰に腰を下ろし、その隣をぽむぽむ叩いてみせた。
「ほら、こっちこっち」
言われるままに、ネスティはおずおずと腰を下ろす。
枝葉によって遮られやわらかになった日差しが降り注ぐ。
そよ風が、わずかに髪を揺らす。
ただそこに座っているだけで、穏やかな気持ちになっていくのがわかった。
「たまにはさ、こうやって1日じゅうなーんにもしないで、ただのんびりしてる日があってもいいと思わない?」
「……そうだな」
にっこり笑って自分を見上げてくるに、素直に頷いた。
そのまま幹に背を預けて目を閉じ、風を感じていると、ふいにネスティの肩に重みが乗った。
見ると、が自分にもたれかかっている。
「お、おい……?」
「ちょっと寝る。肩貸して」
簡潔にそれだけ言って、それっきりからは返事が返ってこなかった。
「……まったく……」
強引で、こちらのことなどお構いなしで。
でも、自分が心のどこかで望んでいることを見透かして、与えてくれる。
呆れたような言葉が自然と口をついたが、ネスティの表情は対照的に穏やかなものだった。
ネスティも、身を寄せ合うような形での方へと頭を寄せ、瞳を閉じた。
僕が望むもの。
穏やかな時間。
静かな場所。
そして――――――傍らに、君。