メルギトス率いる軍勢との決戦を控えているはずの現在。
緊張感で張り詰められるはずの気配は、柔らかな陽射しを受けるテラスには存在しなかった。
テラスには人影がふたつ。
一人は長身の青年。もう一人は、彼よりも一回りほど小さい娘。
それぞれ、備えられたテーブルに向かい合うように座って、午後のお茶を楽しんでいる――ように見えるのだが。
「……いい加減にしてくれ」
空になったティーカップを少々乱暴にソーサーに載せる音が響く。青年が呻くように低い声を絞り出し、一見穏やかだった空気は途端に険悪になった。
「なにが?」
娘の方はけろりとした顔で首をかしげる。可愛らしさを感じないでもないその行動は、しかし青年の額に青筋を増やしただけだった。
「“なにが”じゃないだろう!
決戦は近いんだぞ! なのに、こんな時に悠長にお茶なんて飲んでいる場合じゃ……!!」
テーブルにどんと拳を叩きつければ、上に載っているティーセットが軽く浮き上がり、がしゃがしゃと危なげな音を立てて着地する。
「ちょっと、壊さないでよ?
ミモザさんに怒られるの私なんだから。
幸いポットの中身はもうなくなってるからいいけど、もし残ってたら危なかったよ」
自分の前にあるカップとソーサーが無事なのを確認しながら、娘は青年に変わらずのん気な口調で文句を言った。
「!」
なおも怒りを納める様子のない青年に名を呼ばれ、娘――は小さくため息をついて、手の中のティーカップに視線を落とす。
ゆらゆらと揺れる水面に、雲の端が映っていた。
「……時間、ないって思ったから」
ぽつりと呟かれた言葉は、しかしよく通る。
「戦いが終わって何もかも片付いてからだと、こんな風にゆっくりする時間が取れるかどうか、わからないから。
もしかしたらこうやってネスティと一緒にお茶することも出来なくなるかもしれない。
それどころか、もう会えないかもって……」
青年――ネスティは押し黙る。
は、傭兵としてとはいえ、今回の“戦争”の敵対国であるデグレアに属していた。
彼女の上司であるルヴァイドやイオスもそうだが、この戦いが終わってからの身の振り方は決して楽観視できるものではない。
蒼の派閥総帥のエクスや金の派閥議長のファミィの弁護もあるはずだし、一生牢屋暮らしという可能性は低いだろうけれど、袂を別ったとはいえやはり敵対国の生き残りとなれば、少なくともすぐに自由はやってこないはず。
「だから、せめて思い出作り。
幸せだって思える時間もちゃんとあったんだってこと、忘れないようにって」
「…………」
「忙しいのに、無理矢理誘ってごめんね。
でも、私は……」
言いかけた言葉を、はカップの中身をあおることで噤んだ。
「つきあってくれてありがとう。
あと、私片づけておくから」
寂しそうな微笑を浮かべて、は立ち上がる。
ソーサーやポットを盆の上に並べる小さな音以外は、完全な静寂だった。
ネスティは無言で立ち上がり、の隣に立つ。
気配が隣にやって来たことにが隣を見上げれば、ネスティの顔には切なげな表情が浮かんでいる。
躊躇いがちに手が伸びて、ネスティはを抱きしめた。
一瞬驚きを浮かべたものの、は瞳をとじてネスティの背にそっと腕を回した。
「……もし」
の耳元で、ネスティが囁く。
「もし、君が再び自由になる日が遠くても、僕は待ってるから」
はネスティの胸元に顔をうずめ、回した手できゅっと服を握りしめた。
「たとえ何年かかったとしても……それでも僕は、僕の想いは、変わらないから」
ネスティがの両肩に手を添えて促すと、は僅かに身を離す。
僅かに潤んだ瞳と、穏やかに緩められた瞳が交差する。
「ずっと…………君を愛してるから」
ネスティの言葉に、は嬉しそうに笑った。
「そんなこと言って、後悔しても知らないよ。
待ってる間に、“本当にこれでいいのか”とかって葛藤するかもしれないし」
「葛藤なんて、君を好きになったと自覚した頃に嫌と言うほどしたさ。
あの時以上に悩むことなんて、今後そうそうないと思うんだが?」
「……それもそうだね」
お互いに、相手への想いを自覚したのは、まだ敵味方に分かれていた頃。
生真面目なネスティなら、普通よりも余計に悩んでいたことだろうというのが、にも容易に想像できた。
思わずくすくす笑えば、ネスティがちょっとだけ拗ねたような顔をしてそっぽを向く。
そんな様子にさらにこみ上げてくる笑いをかみ殺して、は身を伸ばしてネスティの頬に口付けた。
ネスティが驚いて振り向くと、は柔らかい笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ネスティ」
ネスティもフッと微笑んで、唇を重ねた。
たとえ、どんな結末が訪れようとも。
絶対に希望は捨てない。
想いがあることを、忘れないから。
UP: 05.02.16
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