あれは本当に偶然だった。
ゼラムの街で、レルムの村から逃がした双子を追う途中、少女がひとり、数人のごろつきに絡まれている場に出くわしてしまった。
長い黒髪と若草色のワンピースの裾が、抵抗する少女の動きに合わせて揺れる。
騒ぎに関わってはいけないと思いつつも、遠巻きに見つつ通り過ぎてゆく通行人の態度や、おびえながらも必死で抵抗していた少女の様子を見かねて、つい止めに入ってしまって。
それが、君との出会いだった。
手を差し伸べたら、きょとんとした顔をして。
それから、すぐに花が咲いたような笑顔を見せた。
そのまま立ち去ろうとした僕を「礼がしたいから」と引き止めて、彼女は荷物のたっぷり詰まった大きな袋を抱えながらも僕を広場まで連れて行った。
「あたし、です。
あなたは?」
と名乗った少女は、にっこりと微笑んで僕に尋ねた。
僕は返事に詰まる。
自分は正体を明かしてはいけない身なのだから。
「な、名乗るほどの者じゃない」
「でも……それだと、恩人さんの名前を知らないことになっちゃいます。
教えてくれないですか……?」
しゅんと俯いたの姿に、胸の奥にちりっと何かが燻ったような感覚を覚えた。
「……イオスだ」
ぽつりと呟いてみせれば、は嬉しそうに笑った。
その笑顔が、強く印象に残った。
* * *
おとずれることはないだろうと思っていた再会は、すぐにやってきた。
それも、どうしようもなく残酷な形で。
「総員、行動開始!」
兵に合図をかければ、レルムの生き残りだという赤毛の若者が飛び出してきた。
その後ろから、さらに人影が複数。
数人の男と共に現れた、小柄な少女は――――
「…………?」
「――イオスさん……!?」
蒼の派閥の制服を身に纏った、だった。
偶然出くわした少女が、よもや自分達の目的である聖女を守る者のひとりであったなんて。
「イオスさん、退いてください!
あたし、あなたとは戦いたくないの……!」
「……っ」
最後の方は、声が潤んでいた。
僕だって、君とは戦いたくなんてない。
だけど……!!
迷いの含まれた刃に、鋭さが生まれるはずはない。
僕達はだんだんと押される形になって行った。
裏口から回ってきたゼルフィルドの援護を受けて撤退する間際、一度だけの方を見た。
……先ほどの笑顔とは対照的な、苦しそうな顔だった。
* * *
聖女一行が、ゼラムを出て湿原へと出かけていった。
ルヴァイド様に命じられていたのは監視だけだったが、これはうまくすれば聖女を捕らえる又とない機会になるはずだ。
前回の屋敷での戦いでは裏口から出て行かれた場合を想定して戦力を二分したが、今度はそんなことをせずにゼルフィルドと共に戦う。
たかだか素人集団。
分はこっちにある。
しかし予想は裏切られた。
奴らは僕達との戦いの中で確実に成長を遂げていて、返り討ちにあってしまった。
僕は人質にとられてしまい、ゼルフィルドが手を出せずにいる。
――だが、今の状況を逆手に取ることはできる。
確かに僕は拘束されて動けないが、同時に連中が僕を押さえる限り、奴らも動けない。
「構うな、ゼルフィルド!
このまま撃て!!」
周りにいた冒険者達が息を呑んだ。
自分も撃たれるのに、何故……とでも考えているのだろう。
だが手段を選んでいる余裕は、僕達にはないのだ。
――その状況を作り出しているのは、他でもないお前たちだ。
「……さぁ、僕ごとこいつらを撃ち殺せ!!」
僕の声に応えて、ゼルフィルドが腕に搭載された銃を向ける。
発砲音が、湿原に響いた。
「やめてえぇぇぇっ!!」
悲鳴が、聞こえた。
……痛みは、いつまでたってもやってこない。
静かに目を開けてみれば、長い黒髪の後ろ姿。
そのすぐ前に、幻獣界の召喚獣。
僕の目の前に立っていたが振り返った。
その瞳から、涙がとめどなく溢れていた。
「……イオスさんの、ばかぁっ!!」
は叫びながら、押さえられて膝立ちになっている僕のすぐ前にしゃがみこみ、僕の胸元に小さな拳をぶつけた。
――――ちっとも力なんて入っていないのに、叩かれた胸は酷く痛んだ。
「殺せ、とか……簡単に、いわないで、よぉ……!
……あたしいやだよ……イオスさんが、死んじゃう、なんてっ」
泣きじゃくりながら嗚咽まじりに紡がれる言葉のひとつひとつが胸に刺さる。
……思えば、きっとこのときから。
僕は君に惹かれていたんだ。
* * *
ゼラムを抜ける際に取り逃がした聖女一行は、ファナンに流れ着いたという情報を得た。
ファナンで大きな権力を持つ金の派閥のせいで、僕たちデグレアの兵士はファナンに出入りできなくなった。
そんな折にルヴァイド様から命を受けて、僕はデグレアの兵だとわからない程度に服装を変え、単身ファナンへと偵察に向かった。
通行証などないので、正門からでは入れない。
遠回りだが砂浜沿いに海側から回りこむ必要があるだろう。
途中、浜辺近くの林ではぐれや野盗に出くわしてしまい、到着に予定よりも時間がかかってしまった。
夕日でオレンジ色に染められた銀沙の浜。
状況が状況でなければ幻想的なその光景を楽しむこともできただろうが、今の僕にはそんな余裕はない。
日が暮れる頃までには街へたどり着かないと。
一心にそれだけを考えて、さくさくと砂を踏みしめて歩いた。
……そこに、人影をひとつ捉える。
浜辺と林の境目の辺りに広がる岩場に腰かけて海を眺める、の姿があった。
膝に頬杖をつくような形で、両手の上に頭を乗せたまま海を眺めている。
黄昏に染まる少女の横顔。
伏し目がちの憂いを含んだその顔から、僕は目が離せなくなってしまっていた。
――それにしても、どうして彼女はこんな所にひとりでいるのだろうか。
ここいらは野盗もはぐれも出るようだし、じきに日が暮れる。
いつかのような目に遭うのでは……という不安が僕の心にじわじわと広がっていった。
知らず知らずのうちに、僕は彼女へと足を向けていた。
少しずつ、少しずつ距離が狭まっていく。
手の届くところまで近づいても、君は僕に気付いてくれない。
「――」
「……っ!?」
少しの悔しさを含めて名を呼ぶと、はびくりと跳ね上がった。
「い、イオ……っ!?」
「しっ……!!」
大声を出されるのはまずい。彼女の仲間が聞きつけるかもしれない。
僕は慌ててを引き寄せ、その口を手で塞いだ。
は最初目を見開いて、驚きの目を僕に向けていた。
そしてだんだんと落ち着きを取り戻したであろう頃に、自らの口を塞いでいる僕の手にためらいがちに手を重ねる。
それを合図に僕が手をそっと離せば、は大きく息をついた。
「ど、どうしてこんなところに……!?」
「それはこっちのセリフだよ。
何で君はこんな場所にひとりでいるんだい? 街からここまでは距離があるのに」
「あ、それは……」
「ここいらは野盗やごろつきもいるみたいだし、はぐれも出る。
女の子がひとりでいるなんて、危ないじゃないか」
彼女のあまりの無防備さに、説教じみたことをつい言ってしまう。
はきょとんとして、それからくすくすと笑い出した。
「……なにがおかしい?」
「あっ、ごめんなさい。
なんだかイオスさん、ネス兄さんみたいだと思って」
「ネス兄さん?」
「ほら、私の仲間の、赤いマントに眼鏡の人。覚えてますよね?」
忘れるものか。
フロト湿原から去っていくとき、紫の髪をした男女と3人がかりで思いっきり睨まれたのだから。
「……そいつ、君の兄弟なのか?」
はふるふると首を振った。
「ネス兄さんは、私の一番上の兄弟子。
おんなじ師範のもとで召喚術の勉強をしてて、小さい頃からほんとのお兄ちゃんみたいに面倒見てくれてたんです」
「もしかして、あの紫髪の二人も?」
「マグナとトリスのこと? そうですよ」
の返事を聞いて、睨まれたことに納得がいった。
『可愛い妹分を泣かせる奴は許さない』ということなのだろう。
思わず、を引き寄せたときのままになっていた手に力がこもる。
ぴくりと腕の中にいるの肩が跳ねた。
「あっ、あの……イオスさん?
そろそろ離してほしいんですけど……」
恐る恐る僕を見上げてくるの顔は、真っ赤に染まっていた。
夕日のせいだけではない。
しかし僕はの願いとは逆に、彼女をぎゅっと抱きしめる。
「い、イオスさんっ!?」
華奢な身体が小さく震えているのが伝わってきた。
だけど、離さない。
離したくない。
――――離してしまえば、このまま君が消えてしまう気がして。
「……もし……」
抱き寄せたの耳元で、小さく囁く。
「もし、僕がこのまま君を連れて行くって言ったら……どうする?」
「え……!?」
驚き、は顔を上げた。
僕は片手を彼女の頬へ触れさせて。
そのまま、薄く開いた唇に口づけた。
たった一瞬、触れただけだったのだけど。
それだけで、は耳まで真っ赤に染めあげて、青い瞳を零れんばかりに見開いていた。
「な……っ」
突然のことに頭がついていかないのだろう。はすっかり動揺している。
狼狽した姿も可愛いなどと心の中だけで呟いて、僕はの耳に唇を寄せる。
「……信じてもらえないかもしれないけど……
僕は、君が好きなんだ。
――ひとりの女の子として」
は何も言わない。
僕を恐る恐る見つめる瞳には、戸惑いの色が浮かんでいる。
まぁ、当然の反応だろう。
僕達は……敵同士なのだから。
「……こんなことを言っても、迷惑だっていうことはわかっているんだ。
だけど、僕は――」
言いかけたところで、が首を振った。
「…………迷惑じゃ、ない…………」
「……え……」
「迷惑なんかじゃない。
あたし……」
の細い腕が、僕の首に回る。
「あたしも、イオスさんが好き……」
潤んだ瞳のは、確かに言った。
僕達は、夕焼けの中で、互いにきつく抱きしめあった。
「……ここを離れたら、また僕達は敵味方に分かれてしまうけど……
僕の、君への想いは変わらないから」
は、小さく頷いた。
照れくさそうな、それでいて寂しそうな笑顔が浮かんでいる。
「僕の想いを……僕を、信じていて。」
選んだのは、険しい茨道。
だけど、後悔なんてしない。
君がくれる想いと、僕のこの想いがある限りは。