昼下がりののどかな時間。
なにげない日常の中で、ふと気になったこと。
Tapestry if...
Eyesight
「……よし、じゃあ今日はここまでにしようか」
「はーい。おつかれさま〜」
ネスティの言葉を聞いて、はその場でぐっと両腕を伸ばした。
ファナンのモーリン宅の一室にて、もはや日常となっている光景。
ギブソン・ミモザ邸にいた頃から続いている、ネスティの召喚術教室。
実践も行なうが、その大半が机上での講義だった。
ネスティ曰く、「基礎的な知識があれば、いくらでも応用することが出来る。逆に実践重視にして感覚で召喚術を覚えてしまうと、中身がなくなり長続きしなくなる」とのこと。
「それにしてもこんな短時間でこれだけの知識を吸収するとはな……正直驚きだよ」
「そうなの? 大した事してないつもりなんだけど」
謙遜しているわけでもなく、素でそう答えるあたりがらしい。
ネスティはきょとんと首を傾げるの様子に苦笑した。
「いや、これだけの期間でここまで出来るというのは、それだけ高い集中力があるということだ。そんな者は数えるくらいしかいないさ。
マグナとトリスも、君ほどとは言わないがせめてもう少し集中してくれると助かるんだがな……」
そう言いながらため息をつくネスティを見て、は思わず笑みを零す。
……と。
ふとそこで、はネスティの顔から視線を動かさずに、じっと見つめた。
さすがに視線を感じたネスティが訝しそうにを見る。
「……?
僕の顔に何かついてでもいるのか?」
「ん?
あぁ、そーいうわけじゃないんだけど……」
言いながらも、視線はネスティの顔に向けられたままだ。
「ネスティってさ、ずーっと眼鏡かけたままじゃん?
外したとこってあんまり見ないなと思って。
やっぱ、外すと何も見えない?」
「まぁ……な。
ぼやけて何が何だかわからなくなるから、はずしたままでは日常を過ごすこともままならないな。
しかし何で急にそんなことを気にしたりしたんだ?」
問われて、は「う〜ん……」などと小首をかしげて視線を上に向け、それからにぱっと笑う。
「目に付いたから何となく。」
「おい。」
いざ蓋を開けてみればそんなオチだったとは。
これにはさすがにネスティもツッコミを入れる。
「あははは、じょーだんだよ」
「いや、目が本気だったぞ明らかに……」
つくづく彼女の思考は読めない。
ネスティは肩を落としてため息をついた。
「ねぇねぇ」
「……今度は何だ?」
どっと疲れたらしく投げやりなネスティの反応を気にもせず、は極上と言ってもいいほどの笑顔を浮かべた。
「その眼鏡、貸して!」
「……は?」
また何を言い出すんだこいつは。
ネスティは思わず脱力した返事になる。
しかしはそれに構うことなくニコニコと笑顔を絶やさない。
「ていうか、
貸せ。」
「いやちょっと待て意図が読めないんだが。」
なんだか脅しが入り始めている。
ネスティは、笑顔で手のひらを上にして右手を突き出すを片手で制した。
「だから、どうしてそうなるんだ。
それも思いつきか?」
「思いつきといえば思いつきなんだけど……
ネスティの視界ってのがどんなのかって興味がわいた」
「視界……?
ということはつまり、この眼鏡を君がかけてみたいということなのか?」
「そうそう!」
ネスティがかけている眼鏡に手を添えると、はこくこくと頷いた。
「……君はバカか?」
ため息と共に吐き出された声は、もはやお決まりのもの。
「僕は視力が弱くてこれをかけているんだぞ?
それを君がかけたらどうなるか位わかるだろうに」
「わかるけどさぁ、気になるじゃん。
いいでしょー? 壊したりしないからさぁ」
「当たり前だ! 人から借りた物を壊す方がどうかしてる!」
そのまましばらく言い合いは続いた。
やがてネスティのほうが、深い深いため息をついて、眼鏡に手をかけた。
「後悔しても知らないぞ。
少しだけだからな」
「いいの!?
やった、ネスティありがとうー!」
いやっほう、などと今にもネスティに飛びつかんばかりに喜ぶ。
ネスティはそんな様子に半ば呆れながらも、わずかに頬を緩ませた。
かちゃ……という小さな音をたてながら、ネスティは眼鏡を外す。
眼鏡がなくなると、顔立ちの印象も変わる。
眼鏡のないネスティの顔は、普段よりも若干柔らかく感じる。
「リィンバウムにもコンタクトとかあればいいのになぁ」
「こんたくと?」
「コンタクトレンズっていって、目に直接貼り付けるレンズがあるの。それで眼鏡の代わりに視力の矯正するんだってさ」
「……直接……?」
の言葉を聞き、ネスティの顔が僅かに引きつった。
「だいじょぶだよ。ガラスで出来てるわけじゃないんだもん。
ちゃんと目に入れても平気な素材使ってるさ。
もっとすごいのだと、暗視機能つけたサイバーアイ――機械仕掛けの義眼の一種ね――入れちゃう人もいるけどね。
まぁ、手術代が高いから、そんなにたくさんいるわけじゃないけど」
あははと手をぱたぱたさせる。
ネスティは異世界の技術はよくわからないと改めて思ったとかなんとか。
は一度折りたたまれた眼鏡をネスティから受け取り、壊さないようにとそっと開いた。
しげしげとそれを見つめて、それからゆっくりとかけてみる。
眼鏡が定位置におさまった。
「ぅわ……!」
慣れない光景に、の口から思わず言葉が零れる。
モノが小さい。
端が歪む。
これで本当にネスティは普通に見えているのかと、思わず疑ってしまう。
は僅かに眼鏡をずり下ろし、すぐ隣に座るネスティの顔を見上げた。
「なんか、すごいねこれ」
「あまり続けると目によくないぞ」
「うん、そうかも……」
苦笑しながらは眼鏡を外し、渡されたときと同じように折りたたむ。
ふとそこで、の手が止まる。
そのままこちらへ差し出すのかと思っていたネスティは、その気配のないに首をかしげた。
「?
眼鏡、返してくれないか?」
「もうちょっと待ってー」
は机の上にネスティの眼鏡を置き、立ち上がる。
それからずい、とネスティの顔に向かって顔を近づけた。
「な……!?」
上から見下ろされる形で見つめられ、ネスティは思わず驚きの声を上げる。
しかしは全く気に留めずにじーっとネスティの顔を見続ける。
――顔、近すぎる……ッツ!――
吐息のかかりそうなほどに接近されて、ネスティの顔は自然と熱が集まる。
普段はさほど気にすることはないが、こんな時ばかりはさすがに“異性”を意識せざるを得なくなる。
ドギマギしながらの視線に耐えるネスティとは裏腹に、は左右から覗き込んでみたり正面からじっと見てみたりと、至極マイペースだ。
「な、なぁ……君はさっきから何をしているんだ?」
「えー?
いやさぁ……相変わらずきれいだなーって思って♪」
恐る恐る尋ねてみれば、返ってきた言葉はこれである。
ネスティはもう呆れるしかなかった。
「あのな、。
前にも言ったが、男が綺麗だと言われたところで、嬉しくも何ともないんだが」
「えーでも、綺麗なもんは綺麗なんだからいいじゃない。
綺麗じゃないよか綺麗な方が絶対いいって!」
ぐっと拳を握り締めて力説する。
ネスティは確実に脱力のピークに達している。
「いいなー。
ほんと、うらやましい位きれいだよ〜。
顔の造りそのものも綺麗で、おまけに肌も綺麗って、絶対反則だって」
「…………」
もはや何も言うまい。
気のすむまで騒がせてればそのうち静かになるだろう。
などと思い諦めようとしたネスティだったが、そうもいかなくなってしまった。
「な……!?」
がネスティの頬を軽く指の先で撫でた。
突然の感触に、ネスティは顔を真っ赤にして身体を反らし、から離れる。
「き、君はいきなり何をするんだッツ!?」
「いや、触ってみたくて。」
「だからといって本当に触るやつがあるか!!」
「ごめんごめん。くすぐったかった?」
「そっ、そういう問題じゃないッツ!!」
ネスティの狼狽振りがおかしいのか、はクスクス笑っている。
どうして彼女はいつもいつもこうなのか。
自覚がないだけに恐ろしい。
このときばかりはネスティも本気で頭を抱えたくなった。
と。
はふとその顔からしゅんと明るさをなくす。
ネスティがそれに気づき、声をかけようとすると。
「……でも、ちょっと荒れてきちゃってるね。
ここんとこ、生活安定してないから?」
「え……」
の口から出てきたのは、自分を気遣う言葉。
ネスティは面食らったような顔になる。
「あんまり無理しないようにしてね。
ネスティ、デリケートだからすぐに身体にくるし」
「あぁ……わかってるよ。
ありがとう」
優しさを感じるの言葉に、ネスティは微笑んだ。
しかしそんな穏やかな空気も、他ならぬ自身に粉砕されてしまう。
「……ネスティってさ、眼鏡かけてないときに笑うと、なんかいい感じ!」
「……は??」
今度は何だとでも言わんばかりの顔で、ネスティはを訝しそうに見つめる。
「普段のネスティの笑った顔も好きだけど、眼鏡ないといつも以上にあったかい感じの笑顔になるの。
なんかすごく好きだなぁ、その顔」
「な…………ッツ!?」
僅かながらも距離をとって余裕が出ていたのだが、今のの言葉によって、それもどこかへ消え去ってしまった。
二人きりの部屋の中で。
こんな間近で。
満面の笑顔で、まるで告白じみた物言いをされては、動揺しない方がおかしい。
ネスティはばくばくと早鐘を打つ心臓の音と、もはや耳まで赤くなっているであろう自分の顔の熱を、頭の中のどこか冷静な一角で自覚していた。
――落ち着け!
相手はだぞ!?
そんなつもりで言っているわけないに決まってる……ッツ!!――
必死でそう自分に言い聞かせるネスティ。
今まで過ごした時間の中で、の天然ぶりと鈍感さは嫌と言うほどに理解している。
中途半端に期待なんて抱いては、あとで泣きを見るのは自分自身だ。
――…………期待?
一体何を期待しているっていうんだ……!――
ネスティは己の中に僅かに感じたものの正体に気づかなかった。
否、気づかないように無意識にそう言い聞かせているだけなのかもしれない。
「……ネスティ、どーかした?」
俯いて黙りこくってしまったネスティの顔を、が覗き込む。
「え!?
あ…………な、何でもない!」
「ほんとに? 顔赤いよ?
熱があるとか……?」
がそう言いながら手を当てようと額に手を伸ばすと、ネスティはぶんぶんとかぶりを振った。
「いい! 違う!!
そんなんじゃないから!
僕は大丈夫だから……!!」
「……本当に?
嘘、ついてない?」
「嘘じゃない。本当に熱なんてないから。
君に心配かけるようなことじゃないよ」
「なら……いいけど」
は未だ疑わしそうに眉根を寄せながら立ち上がる。
ネスティは内心でほっと息をついた。
「何にしても体調よくないなら、あんまり無理はしないで今日はさっさと寝ちゃいなよ。
ちゃんとあったかくしてね」
「わかってる。大丈夫だ」
どこかぶすっとしているネスティの態度には疑問が残っているようだが、は手早く自分のノートやら教材にしている本やらをまとめた。
それから机の上に置きっぱなしにしていた眼鏡をとり、ネスティに差し出す。
「はい、これ。
どうもありがとう」
「あぁ……」
手渡された眼鏡を開き、元どおりにかける。
鮮明になった視界には、不安の混じったの顔が映る。
「……心配、しなくていい。
本当に、僕は大丈夫だから」
「……うん。
それじゃ、私もう行くよ。
わがまま聞いてくれてありがとう」
はそう言って微笑み、扉の向こうへと消えていった。
誰もいなくなった部屋の中で、ネスティは深い深いため息をついた。
――なんかすごく好きだなぁ――
不意にの言葉が脳裏に蘇る。
その言葉に、嬉しさを感じたのは事実だ。
それだけのはずだ。
なのに、それ以上の何かを期待している自分が、心の片隅にいるような気がしてならない。
「まさか、な…………」
呟きに応えるものは、ない。
ネスティは、心の奥底でちりちりと燻る感情の正体に、気づいているのだろうか。
それを知るのは、まだまだ先のことになりそうであった。