同じようで、どこか違う世界。
さ迷いこんだ者が、思うことは。
ETERNAL WIND
Distortion
ショウが『こちらの』リィンバウムへやって来てはや三日。
帰る方法を探すべく、朝から晩までギブソン・ミモザ邸の書庫に入り浸り、本と向かい合っていた。
食事時にふらりと現れて準備や後片付けの手伝いをし、またふらりと戻っていく。
それだけを繰り返していた。
おかげで、ショウの顔色はすっかり悪くなってしまっている。
先日の、気晴らし(と状況打開)目的のピクニックに行く前のネスティよりもさらに酷い。
みんなそれを気にしてショウに休むように言うのだが、全てやんわりと断られてしまっていた。
「なぁショウ、やっぱり少し休んだ方がいいんじゃないか?」
ある日、マグナが読み終わった後の本を片付けてやりながらショウに言った。
ショウは本から目を離すことなく返事をする。
「そうはいかないよ。オレは一刻も早く、『向こう』に帰らないと」
「けど……」
言葉が途切れ、ショウはマグナの方を見る。
心配そうに眉根を寄せるマグナに、微笑みかけた。
「オレは本来ここにいるべき存在じゃないんだ。
ここにいることで、こっちの世界の運命を歪めてしまう可能性があるから」
たとえ、あの“時空の狭間”の“番人”に『務め』を与えられた身であっても。
異次元の住人が存在することで、この時空に与える影響は少なくないだろう。
「……それに……」
ショウはマグナからふっと視線を外した。
その眼は、どこか遠くを見つめている。
「あっちには、守らなくちゃいけないものが、あるからな…………」
マグナに話す、というよりもむしろ独り言のように呟いたショウの瞳には、何が映っているのだろうか。
その言葉について尋ねようとマグナが口を開こうとしたとき。
「本、片付けてくれてありがとうな。オレの事は気にしなくていいから、自分の事やって来なよ」
そう言って、また本へと視線を落とす。
ひとりにしてくれと。
暗にそう言われたのだと、マグナは書庫から出て行った。
* * *
「……なるほどな」
応接室で、その場にいたメンバーに書庫でのやり取りを説明すると、ネスティがぽつりと呟いた。
「ショウが一生懸命になる理由はわかったけど……でもこのままってのは良くないだろ?
俺たちも何か協力できないかな」
「でもショウ、前にあたしとかネスが『調べるの手伝おうか?』って言ったら、『オレのことで君らの手を煩わすわけにはいかないからいい』って断ってたわよ。
休むように言っても聞いてくれないし……」
「そっか……じゃあ他に何かないかな……」
トリスの言葉に、マグナが両腕を組み首を捻る。
「何か、この間のピクニックみたいに気晴らしになるものがあればいいかもしれないですね」
「かと言ってまた遠出するわけにもいかないんじゃない?
それに、仮に誘ってもショウがあそこから動いてくれるとは限らないわよ」
アメルの発言は、ミニスが否定した。
それもそうだと、頭を余計に悩ませるだけだった。
ショウは、こちらに来て以来、周りの者との関わりを極力持とうとしないようにさえ見える。
先程本人がマグナに言ったように、この世界と深く関わるのが良くないとでも思っているのだろう。
しかし、マグナ達からしてみれば、ショウはもう『仲間』なのだ。
自分のことだからと関わらせない様にするのは水臭い。
とは言え、そんな状態を打開する方法が容易に思いつくかと言えばそうでもなく。
鬱々とした空気だけが溜まっていく。
「とにかく、本人があの調子では僕らもどうすることも出来まい。
もうしばらく様子を見るしかないんじゃないか?」
突き放している感がなくもないが、一理あるネスティの一言で、ショウをどうこうするという話は落ち着いた。
「……ところでさ、ショウの言ってた『守りたいもの』って何なのかな?」
ふいに思い出し、マグナがぽつりともらした。
「『守りたいもの』?」
オウム返しに聞き返す誰かの言葉に、マグナが頷く。
「うん。
何かこう、どっか遠くの方を見ながら、『守りたいものが向こうにある』って言ってたんだよ。
あれ、どういう意味なのかなと思っ……て……?」
そこまで言って、一部の眼の色が変わったのに気がつき、マグナは固まった。
「それって、きっともしかしなくても恋人か何かのことよ!
時空を越えて離れ離れになった恋人達……!! ステキだわ……!」
瞳に炎でも宿したかのごとく拳を握り締める妹に、マグナはどう反応すればいいのか悩んでしまう。
「ショウの恋人かぁ……どんな人なのかしら?」
「気配りこまやかですからね、ショウさん。きっと恋人さんも素敵な方なんじゃないでしょうか?」
困ったことにミニスやアメルまで、トリスの話にノってしまった。
そのまま女三人できゃあきゃあと、いると決まったわけでもない『ショウの恋人』についての談義が始まった。
話の内容としては、本人や恋人よりもむしろ『離れ離れになった恋人達』というシチュエーションの方で盛り上がっているようだが。
それを一歩引いたところで呆れたように眺めるネスティとバルレル。
マグナは『余計なことを言ってしまった』と力いっぱい後悔して、肩を落としている。
はと言えば、そんな様子をよそに、物思いにふけっていた。
(守りたいもの、か……
私は今はマグナさんの護衛獣だからここにいるけど。
サイジェントのみんな、今ごろどうしてるかなぁ…………)
もし自分が『護衛獣』として呼ばれたのでなかったなら、すぐにでもサイジェントに帰っていただろう。
力を合わせて苦楽をともにした仲間のいる、自分の本来あるべきだった場所。
全く考えないわけではない。時々、とても気になる。
ハヤトやナツミは元気にしてるかとか。
トウヤは問題を起こしていないかとか。
他のみんなはどうしてるかとか。
しかし、事故とは言えマグナによって呼ばれ、居るようになったこの場所も、今では同じくらい大切に思える。
こっちが落ち着いたら、様子を見に行くのでもいいかもしれない。
むしろ、そう考え始める自分がいることに気付いていた。
けれどそれは、あくまで『行こうと思えばいける場所』に、帰る所があるからそう思えるのだ。
ショウは違う。
彼が帰る場所は、『この』リィンバウムのどこにも存在しないのだ。
彼は、自分たち以上に『異邦人』なのだ。
一刻も早く帰る方法を見つけようとする彼の気持ちは、わからないわけではない。
しかし今の彼は明らかに無理をしている。
――そのうち、話をしてみた方がいいのかもしれない――
彼ほど深刻でないにしろ、気持ちを汲み取れる状況にあるのは、他でもない自分なのだから。
* * *
深夜。
屋敷内のほとんどの人間が寝静まる中、少し長く起きてしまっていたも、眠ろうと自室に戻っていると。
――まだ、起きてる……?――
書庫の扉の隙間から、僅かに明かりが漏れていた。
そっとしておこうかとも思ったけれど、一度目に付いてしまったからにはどうしても気になってしまう。
軽く2、3度ノックをしても返事がない。
しょうがないので、は構わず扉を開けて中に入る。
「…………あれ?」
そこには、誰も居なかった。
本棚から取り出され、備えてある机に何冊も積みあげられた本がそのままになっている。ショウはいつも本は元の位置に片付けるので、席を外しているだけなのだろう。
元来油を燃料に火を灯して明かりを得る仕組みの筈のランプの中には、油が一滴も入っていない。代わりに、山吹色の地に紅い色で文字が書かれた1枚の紙きれ――符が、炎を発した状態で中に押し込まれている。
初めてこれを見たときに不思議に思って尋ねたら、『自分が勝手にしていることで油を使うのは勿体無いから』と笑っていた。
が久しく見ることのなかった日本語で走り書かれたメモのインクの痕跡がまだ新しく、書いた当人はここを出てまだ時間が経っていないのだという事がわかる。
こんな時間に行く場所なんて、限られている。
は踵を返して、書庫を後にした。
* * *
の予想通りの場所に、ショウは居た。
テラスの手すりに両肘をつく形でもたれかかりながら月を見上げるショウの後ろ姿は、ある種の儚ささえ感じる。
が声をかけようとそっと近づくと、ぽつりとショウの口から零れた声が聞こえた。
「………………………………」
。
誰かの名前だろうか。
呟かれた声に含まれた温かさと切なさは、普段自分たちと接しているときからは考えられないものだった。
――もしかしなくても恋人か何かのことよ!――
昼間のトリスの声が脳裏によみがえった。
ああそうか。
マグナの言っていた、守りたいもの。
トリスが、恋人だと言っていた存在。
それが、その『』という人物なのだ。
は、そう理解した。
「――ショウさん」
一呼吸おいてから話し掛けると、ショウは一瞬びくりと肩をすくめ、それから振り返った。
「あぁ、か……
なに? どうかした?」
「それ、こっちのセリフですよ。
こんな時間まで書庫の明かりがついてて、開けてみたらいないし。
ここで何してたんですか?」
お説教のような物言いに、ショウはばつの悪そうな顔をした。
「はは、たいしたことじゃないんだ。
煮詰まったから、風に当たろうと思って」
そう言って笑うショウの顔は、この3日間ですっかりやつれてしまっている。
躍起になっているのだろうというのがありありと窺えた。
「あんまり無理しないでください。
もとの世界に戻る方法を探し出せても、倒れたら意味ないですよ」
「ありがとう、善処するよ。でも、早く探さないといけないから」
どこかで他者を拒絶しているようなショウは、見ていてとても痛々しい。
は、知らず知らずのうちに眉根を寄せていた。
「どうして、そんなに焦ってるんですか?」
言われて、ショウは目を僅かに見開く。
「焦ってなんて……」
「じゅうぶん、焦ってますよ。焦ってるようにしか見えないです」
否定の中にもどこか弁解じみたショウの言葉をぴしゃりと遮る。
「みんな心配してるんですよ。それに、力になれないかって言ってます。
……私たち、信用ないんですか?」
「――違う!」
ショウが、声を荒げた。
その剣幕に、も思わず気圧される。
「――――――あ……ごめん。
でも、信用してないとか、そんなんじゃないんだ。
オレは、一刻も早く帰らないといけない。だから……」
「だったら、なおさらトリスさんたちにも手伝ってもらえばいいじゃないですか。
『こっちの』リィンバウムに……私たちに、関わらない方がいいってことなんですか?」
の瞳は真剣そのもの。
見据えられ、ショウは言葉に詰まる。
暫しの沈黙の後、ショウは大きく息をついた。
「……昼、マグナにした話、聞いたのか?」
ショウの問いに、は頷くことで答えた。
「マグナに言ったのは嘘じゃない。
オレはこの次元には本来存在し得ない存在であって、そのオレがいることが、どんな風に影響を及ぼすかわからない」
こぼしたという、『守りたいもの』には触れようとしない。
も、それについて聞いたりはしないようにした。
「けど……
それはあくまで、建前でしかないのかもな」
「え?」
ショウの口から出た言葉に、は首をかしげた。
の方を見ないで、ショウは言葉を繋げる。
「――正直、辛いのかもしれない。
みんなと……マグナたちと顔を合わせてるのが」
「…………」
「どうしても、比べちゃうんだ。心のどっかで。
マグナが頭かいてたりすると、『あぁ、こういうしぐさは変わらないな』とか。
ネスティが最初の頃に見せてた顔見て、『あっちのネスティはもう少し表情柔らかいよな』とか。
おんなじとか、違うなとか。
そんなことばっかり、つい考えちゃって。
同じなのは当たり前なのにな。
ここは、可能性によって分岐されて、違うところがあるだけで、どっちも同じ『リィンバウム』なんだから。
比べたりする必要なんてないし、しちゃいけないんだってこともわかってるのに。
でも、やっぱり違いとか、同じだなって思うところを探しちゃうんだ」
そして、探して、見つけて。
それを見る自分の、向こうの世界への未練とか、執着に気付く。
その繰り返し。
「ダメだな、オレ。女々しいって言うか、なんていうか。
は、向こうにはいないから……つい、愚痴っちゃうのかな、そーいうの。
ごめん。気分、悪くしちゃうよな」
頭を下げられ、はわたわたと慌てる。
「そんな、気にしないでください。
むしろ、言ってくれた方がいいです。
もう私たちは仲間なんですから、もっと遠慮しないでどんどん言ってくださいよ。
それに、比べちゃうのはしょうがないです。誰だってきっと同じです。
私もきっとそうしちゃいますよ」
まくし立てるに、ショウはあっけにとられたような顔をした。
「だから、ええと……
焦る必要なんてないです!
ゆっくりやったほうが、かえっていい結果出るものなんですよっ!
それから、いろんなこと抱え込まないで、今みたいに辛いことは言っちゃってください! ためこむのは良くないですから!!」
そう言って、はぐっと胸の前で両の手で握りこぶしを作る。
「……ふっ……
あははははっ!!」
「…………ショウさん?」
僅かに肩を震わせたと思ったら、次の瞬間聞こえてきたのは明るい笑い声。
が、不安そうにショウの顔を覗き込んだ。
「あぁ…………ごめんごめん。
そうだな。
オレ、かなり切羽詰ってたみたいだ。まわりのこと、何も見えなくなってた。
ありがとう、。なんか、吹っ切れた気がするよ」
そう言いながら、の頭に手を乗せ、くしゃくしゃっと撫でた。
髪が乱れ、そのことを抗議しようとが顔を上げ――息を呑む。
今まで見たことないくらい良い顔で微笑むショウは、月明かりに照らされて、どこか幻想的だった。
「ん、どうかしたか?」
「あ、いえ……」
思わず俯くにショウは首をかしげた。
「さぁ、もう戻ろう? こんなとこにずっといると、風邪引くよ」
「じゃあショウさんも、もう休んでくださいよ?
ちゃんと寝て、休憩とって、あとちゃんと食べて。まずはそのやつれた顔を元に戻さないとですねっ」
「う、痛いところつくなぁ……」
ばつの悪そうな顔をするショウは、それでもどこか穏やかで。
話をすることが出来てよかったと、は心から思った。
その奥底で燻る感情には、まだ、気付かない。