松雪


…しまった…

もう何度目か分からないため息と共に、俺はまた同じ思考を頭の中で呟いた。
その度に酔った頭が割れるように痛むが、今はそんなことを気にしている余裕は無い。
俺は痛む頭を押さえつけるように、ぼりぼりと後頭部を掻きむしる。

…なんで、こうなっちまったんだ…

また、大きなため息を吐く。
元はといえば、麻帆良のじじいが無理矢理酒を勧めてきたのが原因だ。
久しぶりに顔を会わせたからといっても、さすがにあの酒の量はちょっとやり過ぎじゃねえか?
…まあ、全部飲んだ俺もどうかと、今更ながらに思うが…これは大人の付き合いということで、不可抗力だ、うん。

でだ。
一番の問題は、こいつが酒を飲んだということだと思うんだ、俺は。
年齢的には何ら問題ない(むしろ、この中で最年長だ)が…どーみても小学生にしか見えないこいつに酒を勧めるじじいもじじいだし、
喜んで受けるこいつもこいつだ。しかも、べろんべろんに酔っ払いやがって。酒弱いんだったら、飲むなっつーの。
うん、そうだ。悪いのは酒を勧めたじじいと、受けたこいつだ。俺は悪くない。悪いとしても酒の所為だ。俺の所為じゃない…はず。
俺は自分の正当性を確認すると、あらためてこいつ…エヴァンジェリンへと向き直った。

「うぅ…、ぐすっ…、ひっく…」

向き直って最初に見えたのは、涙に濡れた藍色の瞳。
聞こえてくるのは、堪えきれずに漏れる泣き声。

…どう考えても、悪いのは俺だよな…

確認した正当性なんて、最初からあるわけもなく。
震える小さい身体を、両腕で抱きしめて泣いているエヴァンジェリンを見て、俺の心に後悔と罪悪感が重く圧し掛かる。
一応、自己弁護しとくと、エヴァンジェリンの方から誘ってきたんだぜ…って、誰に弁護してるのか知らんけど、これは本当だ。
幻術を使って、等身を大きくして迫ってきたのが事の始まりだった。


『なんだ貴様、私のこの姿を見て興奮しないとは…男として間違ってるぞ?』
 いや、お前の本当の姿知ってると、興奮するとかしないとか以前に、犯罪の影が頭よぎるし。
男としてではなく、人として間違ってると思うのだが。
『失礼なヤツだな…まあ、自信の無いヤツほど言い訳めいたことを口にするもんだがな』
 ム…、こう見えても俺、脱いだら凄いんだぜ。
『ハ、どーだか…それとも貴様、そっちの気でもあるのか?』
 なんつーこと言うんだ、このガキは。俺は女が大好きですぅ。
それも、お前みたいな幻術使わないと人前に出れないちんちくりんじゃなくて、
ボン、キュ、ボンとした本物の大人の女が大好きなんですぅ。
『な、き、貴様…人が気にしてることを…』
 はいはい、おままごとはこのくらいにして、お子様はさっさと寝なさい。お前、明日から学校だろ。小学校だっけ?
『中等部だ! 間違えるな!』
 同じよーなもんだ。所詮、ガキはガキだ。
『ムキー! 貴様、絶対私にメロメロにしてやるー!』
 大丈夫か? 飲みすぎて脳でもやられたか?
『ちがーう! …ははぁ、わかったぞ』

ん?
『貴様…、実は勃たないな?』
 それは断じて違う!
『ムキになるところが、ますます怪しいぞ』
 男の大事な部分を否定されたら、誰だってムキになるわ!
『ふん、どーだか。あ、もしかしてお前、童貞か? 初めてだと勃たないことが多いしな。なるほど、それなら納得だ』
 勝手に納得すんな、オイ!
『なんなら、私が筆下ろしさせてやろうか? 手取り足取り、お姉さんが優しくオ・シ・エ・テ・やるぞ』
 見た目ガキ、実年齢ババアが何を言うか!
『甲斐性なしに言われたくはない!」
 カッチーン! あーそーですか、そー言いますか。ハイハイ、分かりましたよ!
『ん…、て、コラ何するんだ!』
 何って、ナニするに決まってるだろ!
『そんなオヤジギャグ言うヤツにババアとは言われたくない! って、コラ、脱がすな! じじいが見てるぞ!』
 先に迫ってきたのはそっちだろう? 今更、何言ってやがる。
麻帆良のじじいはもう酔いつぶれて寝てるし、べつに恥ずかしがることもないだろ。
『は、恥ずかしいとかじゃなくてだな…ちょ、ちょっと待て! 冗談だ、冗談…って、そんなとこ触るなぁ!』
 んじゃ、舐める。
『舐めるなぁ! って、あ、ちょっと、オイ、え、あ、あぁぁぁぁぁ!』

…と、まあ、売り言葉に買い言葉ってヤツで結局…致してしまいました。
それだけなら一夜限りの過ちということで、お互いに忘れるって事もできたかもしれないが…
俺はちらりと下を見る。
乱れたエヴァンジェリンの服から覗く白い肌と、ソファーのシーツの白が、そこに存在する紅い雫の痕をより鮮明に浮かび上がらせる。
行為の直後に幻術は解けて、その姿は十歳のそれに戻っているため、それが痛々しさをさらに増幅させていた。

…まさか、処女だったとは…

行為の後で血に気付いた時は、一瞬、タマシイ抜けかけたぞ、マジで。慌てて謝ったけど、もう後の祭り。
もう、ボロボロ泣き出して、今に至るというわけだ。
確かに行為の最中、ちょっとキツイなとか思ったけどさ。思い返してみると、確かに膜の抵抗らしきものもあった気がする。
けど、頭にきていた俺はまったく気にしないで腰振りまくってたし。
まったく声を出さないのは、怒ってるからだと思ってたけど…痛みでそれどころじゃなかったんだろうなぁ…初めてなのに、悪いことしちまったなぁ…
俺はもう一度ため息を吐く。
さすがに、酒の所為にはできねーよなぁ…男として。こういうときは、もう誠心誠意、謝るしかないな…許してくれるとは思わんけど。

 …あー、そのー、エヴァンジェリンさん?
「うっく…、スン…、うぅ…」
 あのー、そろそろ泣き止んでくれると、俺としても嬉しかったりするのですが…
「ひっく…うく…ぐすっ…」
 えーと…ごめんなさい。
「……さん」
 ん?
「…絶対、許さん」

やっと、口きいてくれたと思ったら、それかよ…いや、まあ、予想通りだったんだが。
しっかし、どーしたもんか、これ。
この調子だと、しばらく許してくれそうにないな…最悪、一生許してもらえない気がする。まあ、なんとか泣き止んでくれたから、一歩前進と言うところか。


 なあ、俺が悪かったのは謝るから、そろそろ機嫌直してくれよ…こんな状態のまま別れるのは、お互いにイヤだろ?
「………」
 ごめん、悪かったよ。頼むから、機嫌直してくれよ。
「…私の言うことを聞いてくれたら、許してやる」
 う…、いろいろ嫌な予感がするが、聞いてやるよ。
「先に言っておくが、『聞いただけ』ってのはナシだぞ」
 …ちっ。あ、いえ、なんでもないです。嫌だなぁ、俺がそんなことするわけないじゃないか、ハッハッハ。
「わかりやすいヤツだな…。まあ、そう言ったからにはちゃんと聞いてもらうぞ」
 わーったよ。どうせ、悪いのは俺だ。なんでも聞いてやるよ。
「それじゃあ…この呪いを解け」
 あ、それは無理。
「いきなり、聞いてないじゃないか!」
 わー、待て、落ち着け。物投げるな。うぉ、危ねえ。中身入ってるビール瓶投げんな。
「なんでも、聞くんじゃなかったのか!?」
 俺の話も聞けって。実はその呪い、かなり適当にかけたから俺にも解けないんだよ。
「貴様のかけた呪いだろうが! それにさっき、帰ってきたら解いてやるって言ってたぞ!」
 あー、それな。一応、精霊との契約が三年間なんだよ。それまでは解けないけど、三年が過ぎれば強制力も弱まるから解けるようになると思う…多分。
「多分ってなんだ、多分って! 大体、三年も私は中学生してなきゃならないのか!?」
 中学は三年間なんだから、ちょうどいいじゃん。俺もその頃には帰ってこれるだろうし、その時にはちゃんと解いてやるよ。


「…じゃあ三年間、ずっと私の傍にいろ。それなら許してやる」
 ………
「…どうした、いきなり黙って?」
 …すまん…それも無理だ。
「な! ど、どーしてだ! 大体、三年間も貴様は何処で何をする気だ?」
 …それは言えない…すまん。
「き、貴様はさっきから謝ってばかりだ! せめて言えない理由くらい聞かせろ! じゃないと私は納得しないぞ」
 …それも言えない…だけど、必ず三年後には戻ってくる。だから…待っていてくれ。
「くっ…、貴様はいつもそうだ! 大事なことは一つも教えてくれない…全部、自分で抱え込んで、解決しようとする…私はお前にとって、そんなに信用できない相手なのか!」
 そうじゃない! …けど、これは俺の問題なんだ。お前を巻き込むわけにはいかない。分かってくれ…エヴァンジェリン。
「…なんで…なんでなんだ…」
 …すまない。
「…ぐすっ…う、ううぅぅ…」
 あー、泣くな! 頼むから、もう泣かないでくれ!
「うぅ、うわあぁぁぁぁぁ! ぐすっ、うあぁぁぁぁぁ!」

先ほどまでのすすり泣きとは違い、大声で泣き始めるエヴァンジェリン。涙を堪えようとも、拭おうともせず、大粒の涙が頬を伝わって流れ続ける。

 泣くなって…頼むから…

そんなエヴァンジェリンを見て俺がとった行動は、エヴァンジェリンを抱きしめることだった。
自分でもやった後で驚いているが、何故か身体が勝手に動いていた。自分の胸元にエヴァンジェリンの頭を抱え、優しく撫でる。
細く綺麗な髪が指に心地良く絡まり、その感触を確かめるように何度も撫で続ける。

 泣かないでくれよ…

優しく語り掛けるが、それでもエヴァンジェリンは俺の腕の中で泣き続けた。その間、俺はずっとエヴァンジェリンの頭を撫で続けた。
泣かないで欲しい。
ただ、それだけを思って。
やがて落ち着いてきたのか、次第に泣き声は小さくなっていく。

「…子ども扱い…するな…」

泣き腫らして真っ赤になった目で、俺の腕の中から見上げるエヴァンジェリン。少し勿体無く思いながらも、俺はエヴァンジェリンの頭から手を離す。

「…お前は…思い違いをしている」

俺の腕の中から抜け出すと、エヴァンジェリンは俺から目を逸らして呟いた。

「…お前は、謝りすぎなんだ」
 え? 
「言えない理由があるなら、謝らなくてもいいだろう! そんな目で謝られるから、期待してしまうんじゃないか!」
 え、えっ!?
「私の言っていることが、ただのわがままだっていうのは自分でも分かってるんだ!
いちいち反応しないで聞き流せばいいじゃないか! 本気にして謝るから、優しくするから…私は…私がお前にとって、どういう存在なのか…期待してしまうんだ…」
 え、あ…

反射的に言いかけた謝罪の言葉を、俺は無理矢理飲み込む。自分の何気ない行動が、エヴァンジェリンを苦しめていたという事実に、俺は少なからずショックを受けていた。
確かにエヴァンジェリンの言うとおりだ。
約一年間、エヴァンジェリンと一緒に旅…正確には追いかけられていたのだが、その間に情が移ったのは確かだ。
なんだかんだいって、追いかけられるのも楽しかったし、一緒にいると妙に和んでいる自分もいた。
その居心地のいい空気に甘えて、エヴァンジェリンと自分の関係をあいまいなままにしてしまったのが、今回の原因になってしまったというわけだ。
それは確かに、反省すべき点だ。
でも…でもな。

 思い違いしているのはお互い様だ。
「え…」 

エヴァンジェリンは顔を上げて、俺のほうに向き直る。俺は恥ずかしさを堪えるようにぼりぼりと頭をかきながら、言葉を作る。

 確かに謝りすぎてたかもしれないけど…何の気もなかったら、謝る以前にちょっかいすらかけねえよ。
「それって…」
 あー、もう、恥ずかしいから一回しか言わないぞ!
 俺は、お前が、気になって気になって仕方ねえんだよ! 一緒にいて楽しいし、ほっとするし、大事にしたいと思うんだよ!
「お、お前…」
 好きなんだよ、お前のことが!

 あー、言っちまった…
 くそ、言わないまま別れるつもりだったのに…

「う、うぁ…」
 ん…って、オイ!
「う、うわあぁぁぁぁ、ああぁぁぁぁ!」
 また泣くのかよ、お前は!
「だ、だって、ぐすっ…好きだって言ってもらえるなんて、ぇうっ、思わなかったから…うぅ」
 泣くなよ、そんな事で…
「う、うるさい! 嬉しくて泣く事だってあるんだ! ぐすっ…」
 あ、あぁ、そうなのか、すまん。
「だから、謝るな! あ、あの時も謝りおって…」
 あの時?
「お、お前にその、ごにょごにょ…された後だ…あの時もお前は謝っただろう!」
 あ、あぁ…って、ん? あれは普通謝るだろう、男として。
「だからお前はバカなんだ! 女にとって、好きな相手に抱かれた後に謝られるのは、屈辱以外の何者でもないんだ!」
 え、あれ…そうなの?
「そうなんだよ! そ、それなのに、お前はいきなり『ごめん』って…」
 え、じゃ、じゃあ、あの時泣き出したのは俺に抱かれたのが嫌だったんじゃなくて…
「お前に謝られたのが、悔しかったんだよ! 私はお前に抱かれて…う、嬉しかったのに…」

この時、俺の頭の中で何かがはじけた。
色々な事が一気に起こって、頭がパンク状態になりかけてたが、それでも一つ、はっきりと分かったことがある。
俺は、エヴァンジェリンに、本気で惚れた。

 てりゃ!
「ん? って、何するんだ!」
 何って、キスだけど。
「さ、さっきといい、今といい、お前は人に了承というものをとらないのか!?」
 んじゃ、了承とったらいいのか?
「あ、う、ま、まあ内容にもよるけど…」
 んじゃ、改めて…俺はお前にキスしたいと思ったりしてますけどよろしいでしょうか?
「言葉使いがバカだぞ、オイ」
 んなこといっても、俺だってキスするのにどう言って了承とればいいかなんてわからんしなぁ。
「も、もっと普通に言えないのか…」
 この場合の普通って、どんなんだよ?
「キ、キスしたいんだったらもっとそれなりのムードってもんがあるだろ!」
 ああ、なるほど。それでは…

俺はエヴァンジェリンを抱きしめる。いきなりの行動にエヴァンジェリンはまたもや何かを言いかけるが、俺が目を覗き込むと、顔を真っ赤にして視線を逸らす。

 キスしていいか?

エヴァンジェリンはしばらく俯いてモジモジしていたが、やがて俺の目を見て、そしてゆっくりと目を閉じた。
わずかに顎を突き出して、形のいい唇を俺のほうへと向ける。
その唇に、俺はついばむ様に軽くキスをした。
唇を離すと、エヴァンジェリンが俺のほうを見ていた。顔を真っ赤にして、上目がちにこっちを見ている。
うわぁ、なんか、めちゃくちゃ恥ずかしい。
俺の顔も真っ赤になってるんじゃねえか?
そんな恥ずかしさをごまかすかのように、俺はもう一度エヴァンジェリンにキスをする。今度はさっきよりも、少しだけ長くキスをした。

 …ごちそうさまでした。
「キスした後のセリフがそれか!? ムードぶち壊しじゃないか!」
 いや、まあ、率直な感想を述べたまでだが…
「述べなくていい! ったく、お前はシリアスが十秒以上続かないのか?」
 そんなの無理に決まってるだろ。
「威張るな! ってゆーか、直せ!」
 ハハ、まあ、考えておくよ…あ、そういえば。
「なんだ?」
 さっき、お前の言うこと聞くって言ってたな…なんか、リクエストあるか?
「あ、あぁ…あることはあるが…」
 言ってみ。今の俺は寛大だから、大抵のことは聞いてやるよ。
「あー、けど…、その…」
 なんか、いきなり歯切れ悪くなったな。そんなに言いにくいものなのか?
「う、うー、むー、なー」
 人語しゃべれ。
「あー、その、もう一度…」
 もう一度?
「今度はこの姿のまま…」
 この姿のまま?
「抱いて欲しい…かも」
 …
「…」
 …
「なんか、リアクションしろ!」
 あ、ごめん、ちょっと思考停止してた…えーと、マジですか?
「冗談でこんなこと言うか!」

エヴァンジェリンは真っ赤な顔のまま、頬を膨らませてそっぽを向く。
年相応のその仕草と不釣合いな要求とのギャップに、俺はもう今すぐに押し倒してしまいたいという欲求がムクムクと頭をもたげてくる。
だが、しかしだ。
このまま押し倒して、エヴァンジェリンの要求を聞くのもいいが、ここはもっと焦らしてみるのもいいかもしれない。
だいたい、こんなエヴァンジェリンの姿を見れるのは、もうないかもしれないし。

 あー、えーと、よく聞こえなかったのでもう一度、大きな声で言ってくれんか?
「なっ!」
 あと、人にもの頼むときはちゃんと言い方があるよな。
「う…、き、貴様…」
 で、何して欲しいって?
「わ、私を………さい」
 よく、聞こえませーん。

我ながら、アホなことしてるなーと思う。なんか、好きな子をわざといじめているガキの気分がちょっと分かった。
エヴァンジェリンは上目遣いで俺を恨めしそうに睨むと、観念したのか、目をぎゅっと瞑って声を絞り出す。

「わ、私を…この姿の私を…抱いてください…」

そして俺は、エヴァンジェリンを優しく抱きしめた。