俺に向かって敵がゆっくりと歩み寄ってくる。

傷みかけた右手首に力を込め、すでに震えが止まらなくなった膝を鷲掴みしつつ俺は立ち上がろうとした。

相手の射程距離に入るギリギリまで粘って、わずかでも体力を取り戻さねばならない。



「もう何度やっても同じだと思うよ。キミの行動パターンは覚えたから」

「なんだと……?」

目の前にいる黒ギャルが余裕たっぷりに俺を見つめている。
正直言って、こいつがここまでの実力者だとは思っていなかった。

試合を始める前は相手が女であることへの戸惑いもあった。
奢りや余裕もあったと思う。

だが今は違う。
さっきまでの余裕などどこ吹く風だ。


「ふふっ、どうしたの? そんなに怖いのかしら」

冷ややかな視線を浴びながら、俺は一昨日のことを思い出していた。






――昼休み。

「小林が体育館裏でボコにされていた? おいおい嘘だろ」

俺が部室で飯を食っていたら後輩の山田が血相を変えて俺に報告してきた。
話に出た小林は既に病院に搬送されたという。
それはにわかに信じられないことだった。

俺が主将を務める総合格闘部の三番手、それが小林カズキという男だ。
彼は空手黒帯の有段者。
試合ならともかく普通に考えれば喧嘩を売る方が自殺行為というものだ。

「それで、どんなやつがアイツをそんな目に合わせたんだ?」

「え、ええ……」

山田に尋ねながら小林のことを考える。
鶴のように長い手足から繰り出される速射砲のような突きや蹴りを思い出す。
たまに部活で乱取りすることもあるが、アイツの懐に入り込むのは至難の業だ。

お世辞にもうちの学園は規律正しい生徒ばかりではない。
他校から恨みを買うこともあるだろう。
だが小林は比較的真面目というか、少なくとも俺よりはまともな生徒だという認識はある。
誰かに喧嘩を売られるなら俺のほうが優先順位は先だと思う。

「おい山田、どうした?」


「それが……長瀬という女らしくて」

「長瀬? まさかあの……うちのクラスにいる……長瀬やよいのことか」

言いよどむ山田の口から出た言葉を、小林を病院送りにした相手の名前を聞いて、俺はどうしても疑わざるを得なかった。







ゆらりと立ち上がった俺は、目の前の長瀬を睨む。
身長なら俺のほうが15センチ以上高い。
体重ならさらに俺のほうが上だろう。
普段はどこからどう見てもただの女子校生。それも黒ギャル風の遊び人にしか見えないというのに――

「早くおいでよ。遊んであげるからさ」



「ちいいぃっ!」

生意気に手招きして挑発してきやがった。
俺はその細い体をへし折るつもりで襲いかかる。

長い髪を二つに分けて、黄色いフィットネス用の水着姿にパンチンググローブ。
足元はレスリング用のブーツを履いているが体格的にはどう考えてもフライ級。


「はい、これも予想通りの展開だね」

無造作に掴みかかる俺の腕をかいくぐり、長瀬の身体が一瞬だけ密着する。
そして組み付いたと思った瞬間に突き放される。

(く、くそっ、またか……!)

二人の間にあるほんの少しの隙間に両腕を滑りこませ、腕立て伏せをするように空間を作る。
俺の両腕の付け根をしっかりと手のひらで押し戻しながら掴んでくる。
逆に俺の両手は相手の両肩の脇、空気を掴まされる。

「このっ……!」

「ふふふ♪」

力を入れてもビクともしない。空回りさせられてるのがわかる。
俺の右腕の付け根に添えられた手のひらがスルリと滑り、右上腕部へと回されて引き寄せられる。
女の細腕とは思えない凄い力だ!

「うオオォォっ!?」

「はい、このまま両膝を付いて~」

否応もなくバランスを崩され、右半身が下方へ引きずり込まれる。
その悔しさに歯噛みする暇もなく、俺の両腕の中で彼女の身体が独楽のように回る。
左腕の付け根を突っ張っていた手がするりと抜けて、そのまま小さな身体が沈み込む。

「また転がしてあげるわ。ほらっ!」

あっという間に俺の下に潜り込んが彼女が、そのまま自分の背中で俺をすべらせるように投げ技に移行する。
右腕と太ももをガッチリ掴まれたまま、身体を浮かされた俺はそのまま彼女のなすがままに一回転した。

腕を引きこまれてから完全に身体を浮かされ、肩をクイッと上げているだけにしか見えない動作。
しかしその全てが理にかなっており、回避することは困難だった。

「がはぁっ!」

脳天から叩きつけられ、その次に背中を強打。呼吸の乱れと痛みが順番にやってくる。
まるでマットの硬い部分だけを選んだかのように、激しい痛みが俺の背中を支配する。

「まだまだぁ!」

そして間髪入れずに長瀬が俺の上半身を抑えこむ。
さっきと同じように投げ飛ばされたと同時に顔面が何かに潰された。

「――ッ!!」

「どう? キミみたいに大きな男の子でも、こうすれば簡単に投げられちゃうんだよ」

それは柔道でいうところの袈裟固め。
長瀬は瞬時に俺の上に乗って、右腕を首に回してグイグイと締め付けてきた。

(胸が――ぐふっ!)

柔らかいなにかに顔面を押しつぶされ、呼吸があっという間に塞がれる。
恥ずかしいとかそんなことにかまっている暇はない。
彼女は袈裟固めをしつつ素早く俺の右手をひねり、自分の右膝に巻き込むようにロックしているのだから。
このままだと腱がねじ切れる。すでに指先の感覚が消えかけてる。
早くこの技から逃れなければ――!



選択肢

1・なんとか逃れよう。必死でもがく。


2・ギブアップする。



















































1・なんとか逃れよう。必死でもがく。



長瀬に技を決められながら、俺は昨日のことを思い出していた。

ホームルームの後、席を立ち上がろうとした長瀬の肩を俺は無造作に掴んだ。

「長瀬、お前何故……小林にあんなことをした?」

「別に。気に入らなかっただけよ」

特に悪いことをした様子もなさ気に彼女は言った。
そして肩にかかった俺の手を軽く払いのけ、じっと睨んできた。

今までろくに会話もしたことなかったけど、やはり予想通りの反応。
だが意外なことに見た目の頭の悪さは感じさせない。

「それ以前に本当にお前がやったのか? 俺にはまだ信じられないのだが」

「キミもそういう目で見るんだ。女だと思って下に見てるんでしょ」



俺を気にせず立ち上がる長瀬の体つきを観察する。
顔は思ったよりも小さくて、手足も細い。
どう考えても小林が倒されるなどありえないのだが、間違いなく彼女がやったという。

俺は眼光鋭く長瀬を睨み返した。

「俺は女でも許す気はない。うちの大事な部員を傷つけやがって……」

「許さなくていいよ、リベンジ受けてあげる。キミの好きな総合格闘技のルールで」


「私闘は禁じられている。部活の存続に関わるからな」

「じゃあ審判もつければいいじゃない。恥かくだけだと思うけど」

結局審判は付けず、部活が始まる前にリング……練習場を使うことにした。
大事なのはこの生意気な女にお灸をすえてやることだ。

こうして俺達は今、向かいあっているわけだが――





はっきり言ってこいつは強い。誤算だった。
打撃系は今のところ大したこと無いけど、こちらの打撃をかいくぐって寝技に持ち込むのが上手い。
特に関節技を仕掛けられてからの技の連携は早過ぎる。

俺は上体を抑えこまれ、呼吸を乱されながら藻掻いた。こんなところで負けてなるものか!

「うおおおおっ!」

しっかりと歯を食いしばり、マットに脚を突っ張りながら俺は上体を起こそうとした。
腹筋と背筋がギシギシと音を立てているようだ。

「そんなに力任せにしたら肩が外れちゃうよ? えいっ」

「ぐはぁぁっ!」

長瀬は巧みな重心移動で起き上がろうとする俺をマットに沈めた。

「腕の一本ぐらい構わねえ……このままマットに叩きつけてお前をノックアウトしてやる!!」

「あっそ……試してあげる」

「!?」

右腕の痛みが一瞬だけ遠のく。
彼女の右膝のロックが解除されたのだ。
しかし次の瞬間、今度は右手首と肘の間をガッチリと挟み込まれた。

「ほらほらぁ!」

「あぎゃああああああぁぁぁぁっ!!」

手首ではなく肘関節が悲鳴を上げる。
血液を止められた状態で長瀬の膝がギュウギュウと肘から先の筋肉……総指伸筋を痛めつける。一瞬取り戻した指先の感覚が再び途切れ、代わりに激痛がもたらされる。

「切れちゃう? それとも伸びきっちゃう?」

「お、ぐおおぉぉ……!!」

しかし俺は耐える。
そして体中の力をかき集めて素早く起き上がろうとした。

左手でこいつを抱え込んで、そのままコーナーポストに――!


「残念、外されちゃったか!」

突然身体が軽くなった。

俺が動くより早く長瀬が立ち上がって距離を取る。


「お前がわざと外しただろ。何のつもりだ……」

「フフッ、敢闘賞。キミはまだまだ楽しませてくれそうだからね?」

目の前で不敵に笑う長瀬を睨みながら拳を握ろうとしたが、激痛に遮断されてしまった。
握力を感じない……それに右腕の感覚はすでにない。



今ならあの手練、小林がこいつにボコられて入院させられたのも納得できる。

俺は再び自らに活を入れ、次の攻撃に備えた。

→次へ

























































2・ギブアップする。



技をかけられながら俺は昨日のことを思い出していた。


ホームルームの後、席を立ち上がろうとした長瀬の肩を俺は無造作に掴んだ。

「長瀬、お前何故……小林にあんなことをした?」

「別に。気に入らなかっただけよ」



特に悪いことをした様子もなさ気に彼女は言う。
そして肩にかかった俺の手をパシッと軽く払いのけ、睨みつけきた。

今までろくに会話もしたことなかったけど、やはり予想通りの反応。
だが意外なことに見た目の頭の悪さは感じさせない。

「それ以前に本当にお前がやったのか? 俺にはまだ信じられないのだが」

「キミもそういう目で見るんだ。女だと思って格下だと思ってるんでしょ」

俺を気にせず立ち上がる長瀬の体つきを観察する。

顔は思ったよりも小さくて、手足も細い。

どう考えても小林が倒されるなどありえないのだが、間違いなく彼女がやったという。

俺は眼光鋭く長瀬を睨み返した。

「お前が女でも許す気はない。うちの大事な部員を傷つけやがって……」

「許さなくていいよ、リベンジ受けてあげる。キミの好きな総合格闘技のルールで」


「私闘は禁じられている。部活の存続に関わるからな」

「じゃあ審判もつければいいじゃない。恥かくだけだと思うけど」

結局審判は付けず、部活が始まる前にリング……練習場を使うことにした。
大事なのはこの生意気な女にお灸をすえてやることだ。

こうして俺達は今、向かいあっているわけだが――







(強い……!)

流れるような動作で関節を二箇所決められ、呼吸すらままならない。

首に回された細い腕はしっかりとロックされ、左手一本で剥がせそうにない。

そして一方的に傷めつけられている右手首は、今にももげ落ちそうなほど悲鳴を上げさせられている。何よりもこのままでは俺の右腕が死ぬ。

「ギブ……だ……」

俺は左手で三回ほど彼女の体を叩いた。

「もう終わり? 入院させたアイツは最後まで泣き事言わなかったのに」

「うがああああぁぁぁっ……あぶぅぅっ――!」

長瀬は俺のタップを無視して、ひときわ強く腕を引き寄せた。
彼女の胸に鼻や口、顔全体が押しつぶされる。

「――っ!?」

「もう息ができないでしょ。声も出せないね。このまま右手、壊してあげる」

長瀬の声は聞き取れたが目の前が真っ暗だ。
しかし次の瞬間、今までで一番の痛みが俺の右半身を駆け抜けた。

「~~~~~~~~~~~~っ!!」

相変わらず声は出せないが、俺は激しくのたうち回った。

「暴れても無駄。このまま何度も繰り返すから」

ギロチンのように俺の右手首を何度も処刑する長瀬の膝裏。
まるで神経をむき出しにされたまま嫐られているような……言葉では表せないほどの痛みが俺に容赦なく突き刺さる。

気を失うこともできず、ビクビクと悶える俺の視界が明るくなった。

「あはっ、すごい顔になっちゃったね~」

「ぁ……がああぁぁ……」

右手の肘から先の感覚がない。本当に切断されたのではないかと思って顔を右に向けると、すっかり血の気がなくなった自分の手が見えた。

しかし、俺が気を抜いている間に長瀬は次の行動に出ていた。

呼吸が乱れたまま反撃できない俺の体を起こし、背中に回って後ろから腕を首にからませてきた。


「ぐっ! うあ、がふっ……!!」

「じゃあこのまま堕とすね……」

耳元で彼女の声が聞こえた刹那、細い腕が喉元に食い込んできた。

(ス、スリーパー……!)

慌てて右手を動かそうとしても不可能、一瞬遅れて左手で長瀬の腕をつかもうとした瞬間、彼女の長い左脚が邪魔をしてきた。


「惨めに飛ばしてあげる。左腕ごと胴体も締め付ければ逃げられないよね?」

長瀬は俺の首を締め付けながら身体を後ろに倒す。

完璧に決まったスリーパーホールドと胴体へのカニバサミによって俺の意識が刈り取られてゆく……。


「こんなにあっさり負けを認めるような男なんて、心も体も全部折ってあげる。悔しかったら返してみなさいよ。許さないって言ったよね……私の事」

耳元で罵倒されながら抵抗もできずに気が遠くなってゆく。

「あ……んあはああぁぁ!

部員の仇も討てず、右手を壊されたまま俺はついに気を失った。

女の子に背中を抱かれたまま、細い腕で失神させられる屈辱。

体中の力が抜けた俺は彼女に体を預けてしまう。


「はいおしまい。みっともない叫び声だったね」



ぐったりと身動きができなくなった俺を放り投げると、長瀬は二度三度と俺の身体を足の先で弄んだ。

薄れ行く意識の中、つまらなそうに俺を見つめる彼女の涼し気な顔を見て、何故か俺は射精してしまうのだった。

(BADEND)