【登場人物紹介】



桂木 翔(かつらぎ しょう)

神奈川商経大学付属高校2年生
男子レスリング部 副将
身長165cm 55kg
実質的に部内で最強の選手
インターハイ出場経験あり


楠 梨奈(くすのき りな)

神奈川商経大学付属高校1年生
女子レスリング部 部員
身長158cm 47kg
今年レスリングを始めたばかりの新人
天性の身体のばねを活かした投げ技には光るものがある



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ジャッジの笛が高らかに鳴り響くと同時に、少女がゆっくりと立ち上がった。
マット中央で倒れたままの男はぐったりとして動かない。

「嘘だろ……」

試合を見ていた男子部員たちは他の言葉を紡ぎ出せなかった。
倒された男はレスリング部の3年生だった。
大会優勝の経験こそないが、部内でもそこそこ強いレベル。
後輩の面倒見が良くて、いつも頼られる先輩。
だが目の前にいる自分たちよりも明らかに細い女子の体さばきに手も足も出なかった。

「もしかして先輩、私に対して手加減してくださったのですか?」

言葉こそ丁寧だが口元にはうっすらと勝者の笑みが浮かんでいる。
彼女は腰に手を当てたまま、自分より年上の先輩男子部員を見下すように言い放った。

立ち上がった彼女の名前は楠 梨奈(くすのき りな)という。
女子レスリング部に3ヶ月前に入ったばかりの新人だ。

第1ピリオドの2分間も終わらないうちに、両肩をしっかりとマットに付けられてのフォール負け。
体重が5kg以上も下回る相手に対しての惨敗。男にとってこれ以上の屈辱は無い。

「はぁっ、はぁっ……はぁ、なん……だとぉっ!」

何も言い返せるはずがなかった。
彼にしてみれば相手が女子で、しかも新人だからと聞いて胸を貸してやるつもりで臨んだ試合。
だが実際に対峙して見てすぐにわかった。
身体を細かく揺らしながらもしっかりと大地を掴んでいるような安定感。
少しでも隙を見せたらこちらがひっくり返されそうな雰囲気がビンビン伝わってきた。

(こいつは…………強い!)

その予感は見事に的中した。
試合開始早々、梨奈はまっすぐに彼に突っ込んできた。
直線的な攻撃。普通ならあっさり交わして相手の背後を奪える必勝ルート。
もちろん彼も定石どおりに梨奈のタックルを受け流す……つもりだった。

「なっ……!?」

交わせてない!
落ち着いてタックルを交わしたつもりだったのに片足に絡みつかれていた。
バランスを崩してそのまま倒れそうになるのをこらえたが、試合のリズムまでは取り戻せない。

「えいっ!」

可愛い掛け声と共に3度目のタックルで両手をマットにつかされた。
慌てて体をひねって亀になる。
素早く梨奈の細い腕が彼の肩から首に滑り込もうとするが、何とか阻止した。

(これでいったん離れられる…………うおおおっ!?)

そう思った刹那、信じられない腕力で少しだけ床から体を持ち上げられた!
亀になったまま身体を返され、背中をマットに叩きつけられた衝撃で彼は動けなくされた。




「あはっ、良かったわね梨奈さん。先輩がやさしく指導してくださったみたいで!」

梨奈の後ろで高らかに笑いながら男を見下す女生徒がいた。
八絵垣静香……女子レスリング部の主将だ。
男子たちは静香の屈辱的な笑い声に対して何もいえない。

「あんまりいい気になるなよ…………次は俺が出よう。」

女子からの挑発に耐え切れなくなったのか、一人の男子生徒が前に出てきた。
彼の名は桂木翔(かつらぎ しょう)。
男子部員の中で、いや県内でも屈指の実力者といわれている。
レスリングの技術だけでなく、勝負のときはクールに徹する彼のことだ。
きっと先輩の3年生の敵を討ってくれる……翔が出てきたことで男子たちの表情が和らいだ。




今回の男女対決のきっかけは些細な出来事だった。
レスリング部の練習場に男女の区別は無い。
どちらも同じ場所で毎日厳しいトレーニングを積んでいるのだ。

ある日の放課後、部活前に女子部員たちがアームレスリングをしていた。
そこへやってきた男子部員が女子に対戦を申し込まれて負けてしまった。
女子の手を握れるということで気を緩めていたのも事実だが、やはり負けると悔しいものだ。
男子部員はすぐに再戦を申し込み、今度は全力で女子をねじ伏せた。

「フン、女が男に勝てるわけねーだろ!」

意気揚々と更衣室に戻っていく男子の後姿が負けず嫌いの彼女たちの心に火をつけてしまった!

次の日、他の男子が女子からアームレスリングの挑戦を受けた。
対戦相手は女子の中でも可愛いと評判の新人一年生だった。
男子は軽い気持ちで新人一年生……梨奈の手を握った。

(やわらかい……)

すべすべの梨奈の手を公然と握れるというだけで彼は興奮してしまった。
目の前の美少女はクイクイッ……っと彼の手を何度か握って位置決めをしている。

(近くで見ると本当に可愛いなぁ)

梨奈のつややかで真っ黒な髪が少し揺れて、甘い香りがした。
真面目な表情の梨奈がチラリとこちらを覗いて、微笑みかけてきた。
そんなふしだらなことを考えているうちに勝負開始の掛け声が彼の耳に届いた。

「レディ……ゴー!!」


梨奈はにっこりしたまま彼の手のひらを握りつぶさんばかりに力を込めた。
ミシッ……っと鈍い音が握った手のひらの中に響いた。
彼の手のひらから痛みが脊髄を通って脳に届くまでの間に勝負は決していた。
梨奈は力いっぱいそのまま彼の手をテーブルにたたきつけた!


ゴギィッッッ!


「ぎゃああああああああああああぁぁぁ!!!!」

慌てて集まってくる男子部員。
彼の絶叫こそが男女レスリング部決闘の幕開けとなったのだ。





(本当に困ったものだ……)

男子部の副部長・桂木は目の前の後輩・楠梨奈を見つめながら心の中でつぶやいた。
その思いは梨奈に対してではない。
ましてや梨奈にやられた男子に対してでもない。
今回のいざこざ全般に対してだった。

もうすぐ夏の大会が始まる。
男子も女子もこんなことで争っている場合ではないのだ。
早々にこの騒ぎを収拾して自分たちの課題に取り組まなくてはならない。
日数は少なく、やるべきことはたくさんあるのだ。

普段はトレーニング以外ではあまり表に立たない彼が前に出てきたのもそのためだった。
ちょっと可愛そうだが目の前の一年生をねじ伏せて、男女共に痛み分けという形で終わらせたい。



試合が始まる前に彼は女子部の部長に断りを入れていた。

「八絵垣部長、本当にいいんですか?」

「あら、どういう意味かしら?」

「俺はレスリングに手加減はできませんよ」

「梨奈にそんな気遣いは無用ですわよ、桂木クン」

フフン、と鼻を鳴らさんばかりに静香は彼に言った。
新人いじめのために楠梨奈を男子にぶつけたわけではない―――と。
静香の話によれば、梨奈自身が男子と力比べをしたいと言い出したらしい。

「彼女、きっとレスリング界の星になれる器ですわ。あなたも気をつけることね?桂木クン」

静香が真顔でそう言うならあながち嘘ではないのかもしれない。
実際に桂木の前に梨奈と対戦した先輩男子部員は鮮やかにノックアウトされてしまった。
事前に静香の話を聞いてなければにわかには信じられない光景。


(まあいい……こうなったら全力でやるだけだ)

パンパンと両手で顔を叩いて気合を入れる。
彼なりの試合前の儀式だ。

「副部長が本気だ!」

その様子を見た周囲の男子部員たちがざわめいた。

そしてついに……試合開始の笛が鳴り響いた!







「なるほど……」

こいつはバケモノだ、と桂木は感じていた。
インターハイ出場経験すらある桂木である。
少なく見積もっても相手の実力は自分と同じかそれ以上 ――

実際にパッと見ただけではただの可愛い女子高生の梨奈だが、その身体は徹底的に鍛えこまれていた。
だからといってボディビルダーのようなごつい身体つきではない。
瞬発力、スピード重視の理想的な体型だ。
目の前のほっそりした体つきの梨奈からすさまじいオーラが漂ってくる!

(先輩は決して手を抜いてなかったんだ……すみませんでした、先輩)

さっきの試合を見ていて、第1ピリオドも終わらぬうちに完敗した3年生男子を心のどこかであざ笑っていた。
だがそれは自分の間違いだったと反省すると共に、倒された先輩に対して心の中で詫びた。

お互いにリズムを刻みながらも見えない手の出し合いをする。
梨奈の大きな瞳がこちらをじっと見据えている。
桂木は決して目をそらさず、さらに彼女の筋肉の動きにも着目していた。
視線移動ですら立派なフェイントだ。
梨奈の目がふっと笑った

「桂木先輩とやる機会ができて光栄です」

「…………」

「あなたみたいな強い人を倒せる日が来るなんてっ!」

桂木の視界から梨奈の姿がフッと消えた。
彼女は一瞬でしゃがみこむ寸前まで身体を縮め、その全身の筋力を使って桂木にタックルをかました!
その鋭い動きは先ほどの先輩部員を倒したときとは比較にならないほど速かった。

(……取った!!)

目指すは桂木の左足……一瞬で梨奈は間合いをつめた。
そしてテークダウンを奪い背後を取って1ポイント……のつもりだった。

「お前の力はこんなものか……?」

だが相手を倒すどころか動かない!……そして、頭上から降ってきた声に梨奈はハッとした。
まるで太さ数メートルはあろうかという大木に正面からぶつかったような感覚!
桂木はびくともしなかった。

(な、なんなの!?このタイミングで足を刈られて今まで倒れなかった人なんていないのに)

さすがの彼女も驚きを隠せない様子だ。
梨奈がタックルに移った瞬間、本能的に桂木は右足を後ろに引いた。
さらに軸足と上半身の重心をたくみにずらした。
梨奈が突進してくる方向に対して最大の負荷がかかるようにしていたのだ。

「はっ!?」

上半身と腰周りが抱え込まれた感覚で、梨奈は混乱から我に返った。
タックルをがっちり受け止めた桂木が自分を押しつぶそうとしている!!

(まずいわ……この体勢だとスピードは関係ない)

がぶった状態から背後を取られれば自分の思惑とは逆の展開になってしまう。
だがピンチの状態でも梨奈の体は勝利に向かって次の技を繰り出していた。

「むっ!」

桂木が押しつぶそうとした梨奈がさらに身を縮めた。
それに加えて左回りに移動して揺さぶりをかけてくる。

「させるかっ!!」

がぶった相手が背筋力で自分を跳ね飛ばそうとするのを桂木は何度も経験している。
この「がぶり返し」がもしも決まれば梨奈に5ポイント入ってしまう。
だがそれは不可能に近い。
桂木はこの体勢になって負けたことは無い。
彼の腕の力と重心移動で相手の技をことごとくつぶしてしまうからだ。

(しかし……)

それ以前に果たしてこの相手にそれほどの背筋力があるのか?
桂木のちょっとした油断が梨奈を捕らえる力を弱めた。

「はぁっ!!」

くんっ!

梨奈は一瞬だけ彼の正面にもぐりこむことができた。
そして左股に絡めた腕の力と背筋力で桂木を跳ね上げた!

「うおおおおおおっ!!」

大技「がぶり返し」が決まる。
このまま背中から桂木をマットに落とせば梨奈の勝ちだ。
だが彼は上体が浮き上がる直前、右足でマットを強く蹴っていた。











フワリ……

「えっ!?」

梨奈に左半身を跳ね上げられ、死に体になる直前に自分から桂木は跳んだ。
空中での彼の体重がゼロになる。

桂木の首を掴まんと、もがいた梨奈の左腕が空を切る。
彼女の背中が力強く跳ね上がる力を利用して、桂木は猫のように空中で身を翻した。

(なんとかしのいだ。ここからは――!!)

勢い良く体を跳ね、上体を起こした梨奈の横に着地した。
普通なら必勝パターンであるはずの「がぶり返し」を破られ、気持ちを切り替えられない梨奈に向かって鋭いタックルをかます。
一瞬でさらに低く身を沈め、両足にギュッと力を込めて敵の足を刈りにいく!

「はぁっ!!」

棒立ちのまま桂木に倒される梨奈。
ふわり……と宙に浮く体。

「い、いやぁっ」

背中からマットに落とされないように慌てて身をひねる。
しかし回避行動もむなしく、右肩がしっかりと地面についてしまった。

(ポイントなんて……!)

これで確実に桂木のポイントである。
だが逆にこれが梨奈の頭を切り替えさせるきっかけになった。

ポイントをとられたことは悔しいが、ここから得意のグラウンドで桂木をフォールしてしまえば問題ない。
結果がすべてだ。勝てばいい。


「さすがだな」

桂木は瞬時に体を丸めた梨奈の反応に舌を巻いた。
男子でもこれほど早く頭を切り替えられる部員はいないかもしれない。

「だが、潰す!」

それでもひるまず桂木は梨奈の後頭部に右ひじで押さえつけた。
自分の全体重をかけてグイグイと細い首筋を圧迫する。
少しでも隙があればそのままひっくり返すつもりだ。

「ううっ、あぁぁ……!」

梨奈の右頬がマットと桂木の肘に挟まれ激しく擦りつけられる。
美しい少女の顔が苦痛に歪む。

「ちっ……逃げられたか」

だがあと一歩のところで彼女の足がサークルの外に出た。
仕切りなおしだ。



フラリと立ち上がった梨奈がうつむいたまま口を開いた。

「桂木先輩……」

「なんだ?」

「もう許しません。みんなが見ている前で恥かかせてあげます」

静かな口調の中にも確実に桂木への敵意をみなぎらせる梨奈。
そういえば女子の部長から梨奈は未だ負け知らずだと聞かされていた。

(実際にこの力量ならそう簡単には負けないだろうな。)

立ち会ったときからそう思っていた。
それゆえに先ほども容赦なく首筋を攻め立てた。
桂木の執拗な攻めが彼女のプライドを痛く傷つけたのかもしれない。
それでも後輩相手に気後れする気などない。
まして相手は女子だ。


「……やってみろ!」

試合再開の笛が鳴った瞬間、梨奈が飛び込んできた。
だが腰が立っている。これなら容易にひっくり返せる!

頭で考えるより先に桂木は相手の下半身めがけてタックルをかました。
まるで梨奈の細い腰に誘われるかのように……









(2014.10.11現在 ここまで  未完)












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