『淫転の魔窟』





 ――この迷宮で、俺が出会った淫魔の話をしよう。



 「淫転の魔窟」と呼ばれるギルドランキング上位者のみに挑戦を許された地下迷宮がある。
 名前の由来は諸説あり、「魔物への攻撃が反転する」「淫魔がたくさんいた!」「気がついたら石の中に転送されていた」などなど……。
 最深部に控えていると言われるラスボスは「淫転の悪魔」と呼ばれ、冒険者からは畏怖されている。
 だがその姿を見たものは居ない。
 噂だけが独り歩きしている……それもまた不思議な話だった。

 迷宮に挑む冒険者は数が一日あたり二十人程度に制限されている。
 不思議なことに一定数以上は足を踏み込めない呪いがかかっているらしい。

 お宝の質がよく、生存率も高く、死亡する怖れが少ない場所なので人気はある。
 だが難攻不落であることに変わりはない。

 初挑戦の俺は気を引き締めて迷宮内を一歩一歩、足を進めてゆくのだが……







 第一層、第二層は見慣れた魔物ばかりだった。
 それなりにレベルも高く手強いが、問題なく倒して進んでゆく。

 第二層のフロアマスターはミノタウロスだった。
 これも時間はかかったが、なんとか倒すことはできた。
 パーティなら連携で短期決戦も可能な相手だが、俺は常にソロプレイなのでその辺りは諦めている。

 しかし第三層からは様子が異なってきた。
 女性型の魔物が急に増えてきたのだ。

「くすくすっ♪」

 魔物たちの好奇の視線に混じって、時々笑い声が聞こえる。
 この階層にいる冒険者の数は少なく、遠巻きに俺を観察している気配を感じる。
 しかし襲いかかってくる様子がない。

 俺は警戒しつつ歩き続けた。
 相手が襲いかかってこない以上、こちらとしても無駄に戦う必要性もない。
 体力と魔力を温存したまま奥へと進んでゆく。

 やがて第三層を通過し、第四層の終わりに差し掛かり俺は足を止めた。

 俺の目の前には両開きの、鉄製の枠で補強された大きな扉がある。

(この向こう側に何か、強敵が居る……!)

 冒険者としての直感だ。
 おそらく間違いない。
 そして注意深く扉を調べ、罠がないことを確認してから俺は内部へ体を滑り込ませた。


「淫転の間へようこそ♪」

 扉の向こうは、まるで舞踏会が行われる会場のような広さと明るさだっった。

 そして俺を出迎えたのは、室内にほのかに香る甘い匂いと、緊張感の薄いサキュバスの声だった。



 そのサキュバスは美しかった。
 だがそれが何故なのかを上手く説明できない。
 肌の露出が多い紫の衣装も、少し尖った耳も、背中に生えた翼や尻尾もそれほど気にならない。
 基本的に魔物を忌避する俺にとって、既にそれは異常事態だった。

 顔立ちは少女から大人へ変わる寸前であり、愛らしく憎めない大きな瞳と、小さく整った鼻と口、それに明るいブラウンの長い髪。
 胸の大きさは申し分なく、大きい。触れば絶対に柔らかいと思わせるような造形。
 少なくとも巨乳と言って差し支えない大きさだろう。

 肌のきめ細やかさも素晴らしく見える。
 透き通るような白さは、人間である限りどんな美しい女性でも敵わない気がする。

 手足はすらりとして長く、無駄な肉がついていない。
 腰のクビレなどは思わず抱きつきたくなるような細さだった。

 全てが凡庸であり、極上にも見える。

 強いて言うなら全体の雰囲気が、見事なバランスを保っているのだ。

 非の打ち所がない女性像と言ってよかった。

 そのサキュバスが口を開く。

「えっとぉ、ここから先は通しません!」

 その声に俺は気を取り直し、武器を構えた。

「そうか。では死んでくれ」
「わわわ! 待って待ってー!」
「命乞いは時間の無駄だ」

 俺の中で何かが切り替わる。
 敵とわかれば見た目など関係ない。
 ゴブリンもドラゴンもウィザードも皆同じだ。勿論目の前のサキュバスも――、

「違うの、私を殺すと貴方はここに閉じ込められちゃうの! おうちに帰ることも、先にいくこともできなくなっちゃうよ!」
「なっ……」
「このお部屋には、そういう呪いがかけられてるのよぉ……」

 そこまで話し終えて、サキュバスはしょんぼりとうなだれた。
 俺も構えた剣先を下げる。
 少なくとも敵意は感じない。
 だがそうなると、最初のセリフは何だ?

 もやもやした何かを振り払うため、彼女に幾つか質問を投げかけた。
 サキュバスは少し考えながら素直に答えてゆく。

 彼女に名前を尋ねると、恥ずかしそうに「ノエル」と言った。

 また、「淫転」というのは、淫魔が転生するまで解けない呪い……という意味らしい。
 つまりこのサキュバス、ここから出ることができないらしい。

「やれやれ、門番にはうってつけ、ということか……」

 豪華な装飾の部屋の奥で鈍く光る、場違いな金属製の扉を眺めつつ俺は愚痴った。
 聞けばあの扉の向こうが第五層だと言う。

「ノエルのせいで先に進めなくてごめんなさい」
「待て。俺が先に進むにはどうすればいい?」

「それは、ノエルと仲良くなることかなぁ。私が満足すれば扉は開くって」
「……俺は真面目に聞いているのだが」

「やめてっ、怖いから武器を構えないで~~~!」

 泣き出しそうになるノエルの顔を見ていたら、急に胸が締め付けられたような気がした。
 俺は武器を床において、彼女の頭をポンと手のひらで撫でた。

「えへ……♪ お名前、なんて言うんですかぁ?」
「俺か? ヴィト、だよ」

 もちろん偽名だ。
 悪魔に向かって真名を口にする訳にはいかない。
 だがノエルは俺の隣に座り、嬉しそうに微笑んでいる。

「ヴィトさん、いい名前……うふふふ」
「何がそんなに嬉しいの?」
「昔の話ですけどぉ、ノエルは1、2時間くらいひたすら頭撫でられ続けたことがあるのです」
「ふぅん」

 どうやら彼女は頭を撫でられるのが好きらしい。
 それなら魔力も体力も必要ない。
 俺は手触りの良いノエルの髪を優しく何度も撫であげる。

「んぅー♪ ︎ヴィトさん、すきですー♪︎ もっと……なでてください……♪︎」
「簡単にすきとか言っちゃだめだ……」

 そう言いながら俺はノエルの髪を熱心に撫でている。この感触はちょっと、やみつきになる。

「きれいな髪だね」
「ありがとぉ♪」
「すきって言わなければもっと優しくしてあげるから……」

 自分でも少し意地が悪いと思う。だがノエルは仮にもサキュバスだ。
 好意的な言葉で魅了されるわけにはいかない。

「あぅー♪︎ なでなでだめです……♪ ︎すきになっちゃいます♪ ︎ノエルの髪ほめてくれてうれしいです♪︎ やさしくされたい……もっとなでなでして欲しいです……♪︎ うぅ……」

 その可愛らしい声は、こちらの警戒心を無視して染み込んでくる。

「ノエル、ずるい子だ……でも可愛いから許す」
「嬉しい……♪ もっと褒めてぇ♪」
「うん、いいよ。でもその代り、ちょっとだけ意地悪をして……心を揺らしてから、揺れが収まるまで見つめてあげる」
「そんなぁ……意地悪しないで……」
「もっともっとノエルを柔らかくして、泣きそうになる直前でぎゅーってしてあげる……」

 柔らかい髪を撫でながら俺はそんなふうに囁き続ける。
 時々彼女を抱きしめると、その抱きごこちにこちらが酔いそうになる。
 抱きしめながら頭を撫でると、彼女はさらに嬉しそうに微笑む。

「あぅぅ……♪ ︎もう心揺れちゃってます……♪ ︎みつめられるのもすきだし……ぎゅーもすきだし……ヴィトさん……ずるいです……♪︎♪︎」

 可愛い、本気でそう思い始めていた……その気持を隠すように、何度も頭を撫でてやる。
 ノエルが脱力してゆく。
 堕とすのも堕とされるのも好きなサキュバスにとって、これは最高の焦らし責めになる。

「わかってる。ずっとこうされていたいんだろ?」

 手の動きと連動して、ノエルはどんどん脱力してゆく。
 呼吸は悩ましく熱くなって、心なしか両脚がモジモジし始めている。

 このまま一時間くらい続けたら彼女はどうなるのだろう。
 そう思いながら腕の中にノエルを収め、顎の先をくいっと持ち上げてみる。

「なんで……こんなにノエルの弱点えぐって来るんですかぁ♪ ︎ほんとーに……だめ……です……♪︎ んぅーー……♪︎ ヴィトさんだいすきです……♪︎」

 たまらなく可愛い。さっきよりも断然……もっと可愛い姿が見たい。
 ノエルに対して無意識にそんな気持ちを持ち始めていた。

 可愛いから、もっとも可愛くしてあげたい。

 心の痛みすら気持ちよくなるほど優しく抉ってあげたい。

 ゆっくり心の皮を剥いて、撫で回して、力を奪って動けなくしてあげたい。

 自然と引き込まれていることに俺は気付けないでいた。
 あまりにも心地よい彼女とのやり取りが全てを麻痺させているのだ。


「好きって言わない約束だよね? 言葉に頼らなくてもノエルは魅力的だよ……」

 今度は背中も撫でてやった。
 服の上からでも判るほど、とても綺麗な背中だった。
 それを熱心に撫でると、ノエルは体をくねらせた。

「あぅぅ……♪ ︎ヴィトさんにすきにされたい……です……♪ ︎すきっていわないです……すりすりされて……♪︎♪ ︎せなかなでられて……ふわふわします……♪︎♪︎」

 すっかり力が抜けちたノエルを抱きしめる。
 可愛い。なすがままの彼女を思い切り抱きしめてみた。

「ぎゅーってされるのは好き?」
「だいすきですぅ♪」
「柔らかくて折れそうだ。でも、もっとしてほしい?」
「はい、もっと……もっとすきにして♪」

 恍惚とした表情のノエルを見ているうちに自分まで同じくらいドキドキしていると気づいた。
 ゆっくりゆっくりと背中を撫でる。
 同時に彼女を抱きしめ、頭も撫でる。
 目の前に形に良い彼女の耳が見えたので、そっと息を吹きかけてみると……、

「ぁぅ……ちからぬけて……我慢できないです……♪ ︎強くぎゅってされるの、ほんとなんかみたされます♪ ︎もっとしてください……♪︎ なでなできもちぃ……♪ ︎あたまもせなかもなでられて……変な声でちゃう……♪ ︎おみみはまって……まってくださいぃ……♪︎♪︎」

 心を溶かされたように彼女は懇願してくる。
 それがまた可愛らしくて、どうしても虐めてみたくなる。

「待たないよ。耳、震えてる……声出しちゃダメだから」
「んんんっ♪︎がまん……んぁあ♪」
「ちゃんと口を結んで我慢して、ほらぁ、ふうぅ~~……ちょっと感じすぎ? それとも演技か……もう一度するよ。ふうぅ~」
「︎演技じゃ……ひゃうぅ♪︎♪」

 叩けば響く感じ方をするノエルに対して、いつの間にか自分でも驚くほど積極的に振る舞っていた。

「ノエルは感じやすいんだね。疑ってしまったお詫びに、暫く耳を責めてあげる。もちろん抱きしめながら」
「︎抱かれながらだと……ちからぬけて……おみみもっときもちよくなるぅ……♪︎♪︎ ぞくぞくしちゃうぅ……♪︎」

 頬を上気させ、すっかり汗だくになったノエルをさらに責め立てる。

「ヴィトさんの言葉がすごいささるし、すごいすき♪ 勝手に、ちからぬけてくる……」
「どうされたい?」
「めちゃくちゃに……なりたいです……♪︎♪」︎
「じゃあ、戻れなくしてあげようか……」
「もうだいぶもどりたくないです……♪︎」

 そう言ってから、ノエルは遠慮がちに両腕を俺の首に回してきた。
 密着感が高まって、柔らかいバストが二人の間で形を変える。

「んぅ♪ ︎ヴィトさんありがとうございます♪︎♪ ︎きもちいいです……♪ ︎ちからぬけちゃう……♪」

 うっとりした表情で見上げてくるノエルの髪を優しく指の間に通す。
 絹糸のような手触りが心地よい。

「︎髪の毛すかれるのきもちよくてすきです♪ ︎でも笑顔っていうか蕩けた顔になっちゃうので……あんまり見ないでください……あぅ♪︎」

 見るなと言われたので、逆に凝視してみると、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
 だがその蕩けた顔はとても魅力的で、もっと骨抜きにしてやりたくなる。

「だめ……ほんとに蕩けた顔しちゃってて……はずかしいからだめです……♪」
「わがまま言うんだ?」
「︎うぅ……♪︎ ノエル、わがままなんかじゃないですよぅー……♪︎ でもなでなで止めちゃだめです……♪︎んぅ♪︎」

 優しく頭を撫で続けると、彼女は面白いように喘ぎ続けた。
 その姿を見ているだけで多少のわがままなど気にならなくなる。

「その顔、じっと見てあげる。頭の中が蕩けて、だらしなく緩んだ顔を見ながら髪を撫でてあげる。」
「えへへ♪ ︎なでなですきぃ♪ ︎でもお顔はだめです……♪ ︎恥ずかしくてぞくぞくしちゃう……♪︎ んん♪」
「ノエルは、自分の道連れに相手も快楽に堕とそうとしてくる……」

 冒険者としてはあるまじきことだが、できればノエルと一緒に堕ちたい……そう思った瞬間の出来事だった。

「私、全然相手のことを一緒におとそうとしてないです……でも今はヴィトさんといっしょにおちたい……です♪︎♪︎ぎゅぅ……♪︎」
「なっ!!」

 瞬間的に、俺の体から力が抜け落ちた。
 完全に不意打ちだった。
 今、この瞬間までノエルのほうから俺に抱きついてきたことはなかったのだから。

「えへへ、気持ちよかったですかぁ?」
「気絶してた……そっちから、ぎゅぅするのは……反則……ぅ……ああああああああ!」

「もーっとぎゅうってするから……ノエルのこともっとなでて……♪︎ぎゅぅぅうう♪︎ヴィトさんすきですよ……♪︎ちぅ♪︎」

 そして今度はキス……目の前が桃色に染まる。
 意識が溶ける、上書きされて、ノエルのことが好きになっていく……!

(ノエル、手強すぎる……堕としたつもりが、チャームかけられてた……)

 もはや自分の意志とは無関係に、俺の手が彼女の髪を撫でる。
 サラサラの心地よさは健在で、意識が溶けかかった俺にとってはそれもまた危険な責め苦だった。

「すきすきすき♪ ぎゅうぅぅ~~~」
「あああっ!」

 そしてノエルもまたそれが心地よいらしくて、俺にすがりついてくる。

(ぐうっ、こっちがなでなですると、ぎゅう~っって返されて……ヤバい、理性が剥ぎ取られて全然回復が追いつかない!)

 しっかりと俺の背中に手を回し、ふにふにした頬を胸板に擦り付けてくる。
 彼女と触れ合っている部分から、自分自身が蕩けて流れ出ていくように感じてしまう!

「えへへ、もういっかい、ちゅ♪ ちゅっちゅっちゅ、ぅ~~♪」

 最上級のチョコみたいに甘いキス……小さな花びらみたいな唇が俺の呼吸を奪い、弄ぶ。
 それが心地よすぎて、全く抵抗できない。

(しかも今、チュッて何度もされ……好きと言わせないようにしてたのに、こっちから言ってしまいそう……もう一度気絶しないと!)

「ぎゅううぅぅ~~~! ノエルのこと、もっとほめてください♪ いいこいいこして喜ばせて~」

 彼女の言われるままに頭を撫でて、お礼に抱きしめられ、キスされる。
 何度も繰り返されるうちに、すっかり俺は彼女の虜になってしまった。

「駄目、おち、る……ぅ……!」
「ノエル、おちてますよー♪ ︎ヴィトさんきもちよすぎて……♪ ︎えへへ♪ ︎またノエルのこときもちよくしてくださいね♪ ︎ぎゅぅぅううう♪ ︎すーき♪︎♪︎♪︎」

 彼女に抱かれるたびに心臓が大きく跳ね上がる。
 体だけじゃなくて、心を思い切り抱きしめられているから逃げられない……。
 この上なく甘い声が耳の中で何度も響き合って、目の前はピンク色になって、ノエルの事以外何も考えられないまま、俺は静かに意識を手放した……。







 気がついた時には、俺はまたこの場所へ戻ってきていた。
 自分の足で戻ってきたわけではない証拠に、装備品のうち一つだけが無くなっていた。
 それは道具屋で購入できるポーション……魔力補充のための水薬。
 金額もたいしたことないので損害のうちに入らないのだが、道具入れの空いたスペースに小さな手紙が埋め込まれていた。

『帰りの魔力が足りないので、一つ貰いますね。大好きです。チュッ♪』

 手紙には心当たりがある。相手が誰なのかもわかる。

 一見すると何も盗まれていない俺だったが、冒険者として大切なものを喪失していた。

 迷宮の主を、邪悪な淫魔を討伐するという闘志や使命感が今はない。
 その一方で厄介なものを敵から植え付けられていたのだった。

「また行こう……彼女に会うために」

 道具屋でポーションを一つ補充してから、俺は再び迷宮内へと足を踏み入れた。

 淫転の悪魔は、既に俺の中に住み着いている――。





『淫転の魔窟』(了)










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