『壁際にて』





 ある日、後輩ちゃんに呼び出された。しかも昼休みの屋上に。

「どうしたの?」
「呼び出ししてすみません、センパイ……」

 振り向いた後輩ちゃんはすでに屋上の壁際で俺を待っていた。
 春風にサラサラの髪を揺らしながら、憂いのある瞳で微笑みかけてきた。

「ずいぶんベタな場所に呼び出して……」
「壁ドンっていうの、体験してみたくて」

 ニコニコしながら彼女は言う。
 サークルの先輩と後輩の関係ではあるけれど、男女の関係ではない。まだ。

「えっ、恥ずかしくない?」
「そうですね、でも……」

 すると後輩ちゃんは突然俺の左手首を強く握ってきた。

「ああっ!」
「えいっ♪」

 鮮やかな場所入れ替え。腕を引くと同時に彼女が居た場所、壁際に俺が追いつめられてしまった。

「な、何をするんだ……」
「ふふ、センパイ? どうして自分が壁ドンされる側だって思わなかったんですかぁ?」
「!?」

 その時になって気づく。後輩ちゃんの目、笑ってない……!

どんっ!

 細い左手が俺の右耳の脇あたりを通過して壁を打つ。
 彼女との距離はもう30センチ以内だった。

「センパイ……」
「ま、待って……こんなのって!」
「ふううぅぅ~~~♪」

 何の前触れもなく、後輩ちゃんは俺に息を吹きかけてきた。

「あっ……」

 生暖かいそよ風に惑わされ、俺は何がなんだかわからなくなってしまった。

 彼女の行動の意味は? なぜ俺は彼女とこんなに近い距離に居る?

 壁ドンって、なんでこんなに……ドキドキさせられてしまうんだろう?

「私のものになりなさい」
「えっ」
「クスッ、今の表情……嫌いじゃないです」

 混濁したままの意識に、サクッと挿し込まれた言葉。
 それは想像以上に俺の心を強く揺さぶった。

「こ、後輩ちゃ、どうしてこんなことを」
「許せないんです」
「えっ……」
「まだわかりませんか? 私のほうが聞きたいです。どうして……?」

 彼女の質問の意味が全くわからない。
 しかし後輩ちゃんは淋しげな目で、さらに畳み掛けてくる。

「どうして私が居るところでいちゃつくの? 他の子とあんなに親しそうに」
「他の子って誰のこと……」
「無意識は罪ですよ。今日だって4人もお話して……私じゃ駄目なの? どうすればいいの?」

 壁ドンされたまま、至近距離で怒りと悲しみに揺れる後輩ちゃんの顔を見る。
 それはなぜかとても美しかった。
 今まで俺の前で見せたことのない表情に、背筋がゾクゾクと震えだす。

「死んじゃおうかな……」
「だ、駄目だよそんなの!!」
「センパイといっしょに」
「ちょ、怖いよ……目がマジになってる!? やめよう、ね? ほらこういうのは終わりにしてさ……」
「ううん、もう決めましたから」

 後輩ちゃんはぐっと距離を詰め、ほとんど密着した状態で俺を見上げてきた。

「うあああっ!」
「ずっと一緒にいましょう、センパイ」

 静かに回される腕、ゆっくりと俺の首を絡め取って……
 後輩ちゃんの髪の香り、涙のニオイ、揺れる瞳。

 それらがどんどん近づいてくる、近くなる、本当に近く――、

「ま、待って本当に……んううぅぅ!?」
「ん、ちゅっ……♪」

 呼吸が、奪われた。


「れろ……じゅるるるる~~~♪」

 柔らかな唇と、どこか冷めた心、黒い情熱を同時に与えられて俺は悶える。

 気づけば俺は彼女を強く抱きしめていた。
 細くて柔らかな体、花のような香りの髪、首筋に立てられた爪……それら全てに魅了されていくのを感じた。

「うあ、ああぁぁ……」
「センパイの心を貰っちゃった。死ぬのは一旦やめます」
「はぁ、はぁ、はぁ……どうして……」
「そんなの教えませんよ、ふふふふ♪」

 後輩ちゃんは何事もなかったかのように振り返り、満足げな様子で屋上をあとにした。
 俺は最後まで何がなんだかわからず、ただ彼女の背中を見つめるしかなかった。


(了)











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