『少しドキドキするだけのお話』






 粕里香菜はクラスの一番うしろの席だった。
 自慢の黒髪の先っぽを指で弄びながら、級友の後頭部をぼんやりと見つめる。
 見慣れた風景だった。最近は茶髪が少し増えてきた気もする。

 新学期が始まって暫く経つが、未だ席替えをする気配はない。
 このクラスでは担任の鶴の一声で席順が決まることが多い。

 そして多くの場合、香菜は高確率で真ん中より後ろに配置される。
 女子生徒の中では背が高い方であるという理由もあるのだろう。

 また、彼女自身はおしゃべりではないが友人からよく話しかけられる。
 髪型を少し変えればそれが話題になるし、体育の時間に活躍すれば褒められる。
 本人が気づいてないだけで、比較的人気が高いようだ。

 次の席替えに思いを馳せながら手元の雑誌のページをめくる。

 冬までに恋人特集と表紙に書かれている雑誌には、いかにして意中の男性と結ばれるかについてページが割かれていた。

「恋人握りかぁ」
「どうしたの? 香菜ちゃん」

 その声に彼女の隣の人物が反応した。
 セルフレームの眼鏡と三つ編みのせいで真面目な印象しか相手に与えない彼女は、藪沢友梨という。
 もともとはそれほど仲良しというわけでもなかったが、この席になってから話す機会が増えた。
 彼女の穏やかな性格は、香菜だけでなく他の誰からも嫌われる要素が少ない。
 香菜は友梨のクリクリした瞳をじっと見つめる。

「あー、うるさかった? ごめんね、友梨。なんかさ、憧れちゃうよなーって」
「ふぅーん……彼氏いるのに手をつないだりしないんだ?」
「あれはセックス前提だから除外で。それにもう別れた」

 我ながら口が滑ったと香菜は心の中で舌打ちをした。
 しかし友梨からそれ以上の追求はなかった。

「なぁ、やっぱり友梨は男より女のほうが好きなのか?」
「そんなの、名前通りとは限らないでしょっ!」
「ははっ、図星だったかな」
「もう、しらないっ!」

 それきり友梨はぷいっと横を向いてしまった。
 形の良い耳がほんのり赤くなっている気がする。
 地肌が白いから尚更そう見えるだけかもしれないが。
 友梨の怒った様子を香菜は少し可愛いと感じていた。


「でも、私も少しその気持ちわかるかも」
「おっ?」
「さっきはごめんね。取り乱しちゃって」

 数十秒後、機嫌を直したのか友梨の方から仲直りを求めてきた。
 香菜もそれほど怒っていたわけではないので笑顔を返した。

 すると友梨は、真剣な表情で香菜の左手に自分の手をそっと重ねてきた。

「ゆ、友梨……?」
「なんかこうすると、もっと仲良くなれるような気がするよね」

 重ねられた手が少し動いて、香菜の左手の指と指の間を友梨がこじ開けようとしてきた。
 香菜は特に抵抗するでもなく友梨に任せていたが、やがて雑誌で見たような恋人握りの形にされてしまう。

(指、すごく柔らかくて、小さい……)

 表情は変えずに、香菜は軽い感動を覚えていた。
 だがこの手を握り返して良いものかどうか迷っているうちに、友梨の方からきゅっと指先に力を込めてきた。

「香菜ちゃんともっと仲良しになれる気がする……」
「へ、へぇ、仲良しだからするんじゃなくて?」
「すでに仲良しだったらあんまりしないかもしれないよ」
「どうして?」

 すると友梨は少し俯いて、小声でつぶやいた。

「だって、ドキドキするじゃない……」

 照れた様子の友梨を目の前にして、香菜はどうして良いものかわからず、黙り込むしかなかった。
 別れた彼氏ともこういった場面に遭遇したことはない。

「もしかして友梨、今すごくドキドキしてるの?」

 問いかけられた友梨は小さく首を縦に振る。
 そしてまた無言。

 もちろん周囲には他のクラスメイトもまばらに固まって話しているものの、どこか気持ちが落ち着かない。
 座席の位置の関係で、手を握られていることはバレないだろうが、正体不明の背徳感が去ることはなかった。

「そ、そうかぁ」
「香菜ちゃん……あっ……!」

 小さく叫ぶ友梨。
 彼女が驚いた理由は、不意に香菜の細長い指が自分の手を握り返してきたからだった。
「じつはあたしも、なんだよね……ははは、おかしいよね……」
「全然おかしく、ないよ……」

 音量は小さくても力のこもった声だった。

「友梨……」
「あのね、なんだか……離したくなくなっちゃった」

 友梨はすがるような目で香菜を見つめている。
 もはや香菜は自分の心臓の音を意識せずにはいられなかった。

(ちょっ! さっきより力が強いんですけど!?)

 それ以上に顔が熱い、自分の鼓動が激しい。
 別に女の子同士の交流は嫌いじゃないけど、なぜ元カレと付き合っているときより興奮してしまうのか、自分の中に答えが見つからない。

「……ねえ、香菜ちゃん。今は彼氏いないんだよね?」
「う、うん……」
「しばらく、ううん、もう募集しないで欲しいなぁ」


 その日、香菜は初めて友梨と一緒に帰り道を歩いた。
 二人で歩いている最中、繋いだ手が離れることはなかった。



(了)











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