『情報提供者の罠』
よく晴れた日曜日の午後、僕は都内某所の電気街にいた。
外国人観光客と中学生が多い見慣れた光景だ。
「そろそろ待ち合わせの時間だ……」
スマホの時計を見る。
まだ五分前だけどそわそわする。
今日はネットで知り合ったある人物との打ち合わせ。
話の内容的には資料提供ということになるんだけど、数日前に僕あてにダイレクトメッセージが届いた。
『そうすけ先生に有益な情報を提供できると思います。あたしは……』
長いメッセージだったけど、要約すると自分の体験談を直接聞いてほしいということだった。
そんな機会に巡り会えたことなんて今まで一度もなかった僕は、その話に食いついた。
僕は趣味で小説を書いている。
ハンドルネームは「そうすけ」だ。特に深い意味はない。
誘惑とか魅了などの状態異常が大好きで、そんな話ばかりを書き溜めていた。
それはお世辞にも官能小説なんて呼べない代物だけど、中には気に入ってくれる人もいる。
趣味が高じてサークルを作り、今度の夏も規模の大きい同人即売会に参加する予定だ。
丁度そのためのネタに難儀していたところで届いた先ほどのメッセージは、まさに渡りに船だった。
「しかし本当に来てくれるのだろうか。まあ冷やかしだったとしてもそれはそれでネタになるかな」
相手のハンドルネームは「ちなみん」さんというらしい。
自称女性。容姿はデフォルト画像(=わからない)。
フォロワー数やツイートの数からして新規登録した人。
いかにも怪しい出会い系かもしれないけど、送られてくるメッセージはコピペ文章でもないし僕の好みを理解したものだった。
なにより熱心に送ってくれたのが嬉しかった。
こういう人なら少しは期待してもいいだろう。
しかもあちらからの条件として、待ち合わせ場所で「ちなみん」さんを見て僕が少しでも怪しく思ったらそのまま帰っていいとまで言ってくれた。
新作につながるような有益な話が聞ければ僕はそれでいいのだけれど。
「あの、もしかして……そうすけ先生ですか?」
ふいに背後から声をかけられた。
しかもアイドルみたいに透き通った声で。
「えっ!」
慌てて振り返るとそこにはオレンジ色のサマーニットを着た女性がこちらを覗き込んでいた。
涼し気なトートバッグを肩にかけ、白いミニスカートとサンダル姿。
ふわっとした黒髪に、清潔感のある装い。
わりと僕好みの女性だと思った。
「……」
「ふぁああっ! やだ、人違いしちゃったかな……」
呆けている僕を見てその女性は口元を手のひらで押さえる。
事前にお互いの容姿についてはほとんど情報交換していなかった。
僕は黒い帽子とメガネをかぶっているとだけ伝えた。
たったそれだけの情報で自分にたどり着いたことに驚きを隠せない。
「いいえ、確かに僕がそうすけですけど……あなたが『ちなみん』さんですか」
「はい! あたし、ツイッターで連絡したチナです。はぁ、よかったぁ! 声掛ける相手を間違えなくて……」
自分のハンドルネームを略すんだ……それは別にいいか。
僕の言葉を聞いて彼女が表情を緩めた。
笑顔もけっこうかわいい。
「はじめてのときは緊張しますよね」
「あっ、今のなんだかエッチですぅー!」
「ご、ごめんなさい。初めて会うときはっていう意味で、他意はなかったのですが……」
「えへへ、いいです♪ 行きましょう」
僕たちは事前に打ち合わせしていた「会議室」へと向かうことにした。
◆
今回の眼目は実体験に基づく情報提供だ。
当然、成人向けの話になる。
公衆の面前で猥談はできない。だから密室が必要だった。
カラオケボックスという、今ではありふれた「会議室」が。
部屋に入ってワンドリンクを頼むと、さっそく僕は彼女と話し合いを始めた。
援助交際について、男を狂わせる性技について、名器について……
普通なら生身の人間相手に真面目に質問できる機会なんてほとんどない。
それ故に聞きたいことは山ほどあるのだ。
実際に異性から聞ける今日のチャンスを逃してなるものかと、僕は興奮気味に話を聞き続けた。
時々彼女の方からも僕に質問を投げかけてくる。
「そうすけ先生はどんな風にお話を書き始めるのですか?」
「えっ! そ、そうですね……お話を書くときは実体験が一番望ましいですが、サキュバスとエッチするわけにはいきませんし」
「ふむふむ。じゃあ相手に演技してもらうとか?」
可愛らしい声で、しかし真面目な表情で彼女が首を傾げる。
見た感じ真面目そうな女性がエッチに精通しているというシチュだけで興奮できる。
なるほど演技か……ありだけど難しいかも、などと考えながら言葉を返す。
「そうですね。でもあまり要求が多すぎると不自然になっちゃいますし」
「もしもですけど、あたしにだったらどんな演技を要求します?」
「えっ、それは、ちょっと……う、うーん、えっと、答えにくいかな」
「ふふふ、冗談ですよー。まじめなんですね、そうすけセンセー」
その時、正面の一人がけソファに座っていた彼女が、ゆっくり立ち上がって僕の隣へ場所移動してきた。
まるで恋人同士みたいにぴったりと張り付くようにして……
「あのっ、あのっ!」
「どうしたんですかぁ?」
僕の右足と彼女の左足がちょこんと触れ合う。
短めのスカートから伸びた白い脚がほんのり温かくて、とびきりやわらかい……
「あまりくっつかれると、ちょっと困るんで……」
「あーあ、嫌われちゃった! チナ悲しいです~」
僕に対して慣れ始めてきたせいなのか、ちなみんさんの話し方までも変化している!
右手でペンを握る僕の手に彼女の細い指がそっと絡みつく。
(や、やわらかい……あぁ、女の人に触られてる!)
思わずギュッと拳を握ってしまう。
自然な流れで動きを封じ込まれたように僕は身動きできなくなる。
普段エッチな話を書いているからと言って、自分自身は異性に免疫がないのだ。
しかもいつものクセで、勝手にこの先の展開を考えてドキドキしてしまう。
それが自分にとって都合よく、恥ずかしくて口にできないようなものだとしても。
「えっと、ちなみんさん……本当にもう少し離れていただかないと」
「いただかないと?」
「一応、ここは密室ですし。男女ペアですから何が起きてもおかしくないっていうか……」
「うんうんっ、やっと気づいてくれました?」
「!?」
突然右腕に柔らかいものが押し当てられた……。
気持ちを落ち着かせるために物理的に距離を取る提案をしたというのに、逆に彼女は距離を縮めてきたのだ。
(お、おっぱい! おっぱいが触れて、それにあし、あ、あしもおおおおお!!)
軽いパニック状態になる。
細くて長い左足が、ゆっくり僕の右足……ふとももに乗せられていた。
キラキラ輝いてる足の爪に目を奪われ、ふくらはぎの柔らかさがジーンズ越しに伝わってくる。
(こんなのやばい、勃起しちゃうッ!!)
頭の中で妄想が広がっていく。
密室で、可愛らしい人に迫られてる自分。
でもこれが許されていいのは二次元だけだ。
このままもしも自分から手を出して、彼女が拒否して絶叫でもしようものなら次の日の新聞の記事にされてしまうだろう。
もちろんネットでも炎上、アカウント停止、その他諸々袋叩き……
だからこそ今は動けない。
なんとかして言葉だけで彼女を遠ざけなければならない。
「ち、ち、ちなみんさん? こんなに近づいたら、僕だって一応男なんですし!」
「そうすけセンセー、今の言葉はセンセーがチナのことを襲っちゃうぞーって意味ですよね?」
「へ……いえいえいえいえ! けっしてそういうことでは」
「別にチナはそれでもいいですけど」
「いいの!?」
「でもきっと、逆になっちゃうとおもいますよー?」
しっかりと僕を見つめながら甘ったるい口調で彼女が言った。
耳の中をねっとりと舐められたみたいに全身がゾクゾクする。
まさか彼女は――!
「チ、チナさん!?」
「センセーはどうして自分が襲われちゃうかもって考えなかったんですかぁ?」
僕を襲うつもりだった!?
はじめからそんな事を考えてるなんて……
「ねぇ、どうなんですかぁ?」
美しい彼女の顔が近づくと、ほんのり甘い果物の香りがした。
いつの間にか僕の左手首がしっかりと握られている!?
背中から回された彼女の左手が僕を捕まえていた。
嘘だろ、僕が逆レイプされる……ありえない、そんなの絶対!
「ちち、チナさん!? あの、あのっ!!」
「クスッ、センセー……もう何も言わなくても、わかるよね? うふふふふ」
わからない。僕は動けない。
頭の中が熱くなってぼんやりしてる。
握られた右手が熱すぎて、密着した彼女の左脚が柔らかすぎて正気を保てそうにない。
「ぼ、僕にどうしろっていうんですか……」
絞り出すように僕がいうと、彼女は嬉しそうに笑った。
まだ実際は何もされていないに等しい。
それなのに僕の気持ちはすでに彼女に溶かされかかっていた。
こんな可愛らしい人が、清楚な女性が僕を誘惑してくる。
密室で体を預けて甘く囁いてくる……まるで自分がいつも考えている小説みたいに。
じっとりと汗ばむ僕を見ながら、ちなみんさんが静かに告げる。
「センセーがいつもお話に書いてるみたいなゲームしましょう?」
「ゲームって? まさか!」
「ふふっ、そーです。バトルファックと色仕掛けってやつです」
横目でちらりと彼女の顔を見る。
その表情は、すでに僕に対して圧倒的に優位に立っている女性の顔つきだった。
(つづく) 2019.06.06更新部分ここまで