『あなたの願いは聞いてあげない♪』



 それは雨が降る土曜日の午後の出来事。

「私に許可なく勝手に射精したら、わかってるよね?」
「はい……」

 妖しい香りが漂う8畳くらいの空間で、僕は目の前の女性に念を押されていた。
 寒色の下地に金の糸が織り込まれたような部屋の壁紙を背に彼女は笑う。

「ホント、めんどくさい子……」
「あああぁぁ!」
「いけない、こんな言葉でもご褒美になっちゃうんだよね。ふふふふ」

 僕の顎にそっと手を添えながら美女はささやく。
 それだけで僕の全身に快感が突き抜けた。

 左耳から入り込んだ彼女の声は瞬く間に脳内を駆け抜け、指先をしびれさせる。
 ゆるくウェーブの掛かったロングヘアが僕の肌に触れるのを感じる。

「気持ちいいんだ?」
「は、い……」
「ふぅん?」

 カチャリ、と背中で鎖がこすれる音がした。
 入室直後から僕は手を後ろで組まされて拘束された。
 手首から肘の間に巻きつける革の手錠だった。

 彼女が身にまとっている黒い革の水着は、ボンテージと言うには少しカジュアルな印象だった。
 だがそれでも豊かなバストを覆い隠すことで自然と色気が滲み出す。
 かなり窮屈そうだ……少なくともGカップ以上はあるのだろう。

 小麦色の肌に黒髪という組み合わせのおかげで、日本人でありながらラテン系の美女にも見える。
 ここは都内でも屈指の人気店だった。
 いわゆるSMの店、それもCFNMという……この用語がわからない人は気にしないでほしい。
 とにかくそういうお店なのだ。

「射精する時間があとになればなるほど、あなたは満足できるわけなんだけど」

 正面から僕の目を見つめながら彼女が言う。
 じっと見つめ返すと、こちらが吸い込まれそうになる。
 体の芯がとろ火で焼かれていくような感覚。

「あ……」

 下半身全体がじわりととろけた。
 視線を落とさずに理解できる刺激。彼女の指先が蛇のようにカリ首を弄んでいる。

 そうしてしばらく見つめ合いながら主従関係を確認しつつ、美女は微笑んだ。

「私が邪魔してあげる♪」
「え……」

 その短い言葉に、僕の心はあっさり切り裂かれた。

「だって、射精すると気持ちいいんでしょ? 少なくとも肉体的には」
「それはそうだけど、でも、ちがう……違うんです!」

 必死で打ち消そうとするけど言葉が続かない!
 普通のSM体験が欲しくて僕はこの店に来たわけではないから。

 この女王様・愛佳(あいか)さんはもちろん僕の好みを知っている。
 すでに何回も僕を絶頂させた経験があり、毎回僕が指名する大切なパートナーなのだから。

「きゃはははははっ、もう泣いちゃいそう? でもダメ。今日は体だけ満足させてアゲル♪」
「あ、愛佳さんやめて! わかってるくせに、そんなの、んはあああああああああああああ!!」

 言葉を遮るように、彼女の膝が僕の股間に押し当てられる。
 そのままグリグリと快感を練り込むように膝の先が左右に揺らめく。

 愛佳さんは両手を僕の肩に置いたままじっと目を見つめている。
 腰から下の動きだけで僕を悶絶させているのだ。

「だめえええ、これ、で、出る! 出ちゃうよおおお!!」
「だせば?」
「いやああああああああ!! イ、イったらダメなのにいいいいい!」
「そうよね。心が満たされなくなっちゃうもんね? うふふふふ」

 その妖しい微笑を見ていると、射精が近づくようだった。
 やっぱり知ってる、完全に理解してる……それはとても幸せなことなのに、なんで今日はこんなに残酷に感じるのだろう。

「私ね、貢がせマゾって言葉がよくわからなかったんだけど、今のあなたを見てるとなんとなく理解できるわ」

 そう、僕は貢ぎマゾなんだ。
 それを気づかせてくれたのは彼女だった。

 初めて彼女を体験した時、あまりの気持ちよさに僕はチップを差し出した。
 その時、彼女は喜ぶ前にこういったんだ。

『規定料金以上に支払っちゃうなんて、お金持ち? それとも私にお財布を空っぽにされたいの?』

 空っぽにされたいの、という言葉に僕は心底参ってしまった。
 魂を揺さぶられる、核心を突く言葉だったのだ。

 心も体も満たしてほしいはずなのに、同じくらい吸いつくされたいという願望。
 きっと彼女ならそれができる、してくれる……

 愛佳さんは初対面で僕が秘めた願望を見抜いた。
 恍惚感あふれる目で彼女を見つめていると、そっと名刺が差し出された。

 僕はそのちっぽけな紙片を大切に持ち帰って、自室で愛佳さんを思い出して自分を慰めた。

 彼女と僕の関係はそんなふうに始まったのだ。

「あなた、心の奥底では役に立ちたい、貢いだ相手に喜んで欲しい……」
「そうだけど、やめて……」

 肩に置いた両手でふわりと僕の顔を包み込む。
 そして赤ん坊のように首を横に振る僕を無理やり押さえつける。

「フッ……欺瞞ね」
「い、言わないでくだ……んひゃあああああああああ!!」

 彼女の膝がさらに深く沈み込んで、それ以上僕は言葉を紡げなくなった。
 我慢汁はドバドバ溢れ、すでに精液が出かかっている……

「このままイかせるのは簡単だけど、どうしようかな?」
「あ、あああぁぁ……!」

 口をパクパクさせている僕を見つめながら、愛佳さんは少し考え込む。
 そして……、

「うん、そーだ! こういうのはいかが? 射精しちゃったら、私の方から奉仕してあげるの」
「!!!」

 一瞬意味がわからなかった。
 でも反射的に僕は返事をしていた。

「やだ、や、やです、そんなの、絶対に!!」
「じゃあ我慢し続けることね。時間は残り8分くらいね」

 ベッドの脇にある時計をちらりと見る。

「そんなに……」
「いい? 射精したら、あなたに貢がせてあげない」

 今日は短めのコースを選んだけど、今はそれがとても遠くに感じる。

「はじめてのお客さんみたいに扱ってあげる。杓子定規にお辞儀をして、お疲れ様でしたと言って終わりにしてあげるわ」
「そ、そんな!!」

 我慢できなかった場合、彼女は通常のSM嬢として振る舞うという。
 それだと貢げない、貢いでも受け付けないという。

 なにより普通のお客さんとして扱われるなんて嫌だ!

「じゃあ愛撫を続けるわ」
「まっ……んあ、ふ、くううぅぅ!!」

 グニグニと膝先でペニスをもてあそばれる。
 かなり強烈な刺激だったが、

「くはっ、こ、これくらいなら……」
「あら、そう? じゃあこれはどうかしら」

 すっと膝を持ち上げて、正面から彼女が抱きついてきた。

 左腕を僕の首に回してから、右手はお互いのお腹の間に滑り込ませる。
 そこには当然ドロドロになった僕のペニスが……!

ヌチュウウ♪

「ふああああああああああああ!!」
「抱きしめながら、いじめてあげる」

 エナメルのグローブに包まれた指先が、ねっとりと僕を責め始めた。

(きもちい、きもちいよおおおお!!)

 ヌルついた指先に先端を舐めあげられるたびに背筋が震えた。
 ペロリペロリと緩慢に、でも途切れなく彼女はペニスを責め続ける。

「このままキスしよっか」
「え……」
「とびきり情熱的なやつ、あなたは嫌いじゃないよね?」」
「だ……っ、ま、まって! それ、だめ、だめです、あ、ああああああ!!」

んちゅ、うううううぅぅぅぅ……

 言葉を最後まで出し切る前に、僕の呼吸はあっさりと彼女のものになる。
 ペニスを指先で転がされながら、唇を奪われて舌先で蹂躙される。

(だ、め、だ……あつすぎて、これぇ……!)

 ちゅっちゅっちゅ、と小気味よくキスがまぶされ、音と柔らかさに幻惑される。

 小さなキスが十回を超えた頃、思い切り彼女の舌先が僕の構内に突き刺さった!

ちゅぷうううううう!!

「んうっ、うううううううううーーーーーーーーーーーーーっ!!」

ビュクビュクビュクウウウッ!!

 まるで舌先で心をかき混ぜられたみたいで、僕はもう我慢できなかった。
 射精を感じ取った彼女の指先が最後の一滴まで搾り取るような動きを見せる。

(で、る、でてるうう、すご、なんで!? とまらないいいいいい!!)

 ギュッギュッギュ、と強めに先端をしごかれる度に僕の口からため息が、ペニスからは白濁がもぎ取られていく。

 やがて搾り尽くされた頃、タイマーの電子音が無情にも鳴り響いた。

「クスッ、残念でしたね? ご主人様」
「うああああああああああああああああああああああ!!!!」
「くすっ、サービスがお気に召しませんでしたかぁ?」

 その言葉に僕は静かに首を横に振る。

 おずおずと見上げた彼女の顔を見て胸が締め付けられる。
 いつもと違う朗らかな彼女の営業スマイルに心が切り刻まれた。

 最後の悪あがきで貢ごうとしていた封筒を差し出しても、あっさりと拒絶される。

 まるで僕自信が拒絶されたみたいで切なかった。

 体だけは興奮で火照ったままなのに、心が全然満たされていないのを感じる。

「お客様、またのご来店をお待ちしております」
「はい、ありがとう……ございます……」

 僕の背中を見て、愛佳さんがニヤリと笑っているような気がした。





(了)










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