もうすぐバレンタインデー。
クリスマスみたいなイルミネーションはないけど、なんとなく街が華やいでる。
今年のバレンタインは何かが起きる予感がする。
そう感じる理由が俺にはあった。



「今年は先輩と一緒にバレンタインを過ごせるんですね」




会社の帰り道、俺の左側を歩く女性が嬉しそうに言った。

彼女は2歳年下の後輩社員。

名前は原佳奈(はら かな)という。

今日は黒いコートに水色のマフラーが良く似合っている。
ありがちな冬のコーディネートだけど、彼女の魅力を充分引き出している。

去年のクリスマスに彼女から告白されて、そのまま付き合うことになった。
仕事の飲み込みが早くて、いつも頼りにしてしまう大事な存在。

「今夜も冷えますね……」

肌を刺す冬の空気が彼女の頬を赤く染めている。
佳奈ちゃんは入社してからずっとロングのストレートだった。
腰の辺りまで伸ばしていた髪は最近短く切った。

なんでも「俺の好みに合わせた」ということらしいが、ショートが好きなんて誰から聞いたのだろう?
それでも、今時珍しい黒髪はそのままだ。
俺も茶色の髪より黒いほうが好き。

「髪型、似合うよね」

「ふふっ♪ うれしいな……」

ポツリと呟いてから、佳奈ちゃんはマフラーに顔を深く埋めた。
その言葉をかける相手は、俺なんかでいいのだろうか。
チラリと横目で彼女を見る。
声も仕草も表情も本当に可愛い。
ちょうど人通りも少ない時間帯なので、思い切って彼女を抱き寄せた。

「やだ、やめて!」

別に人前でキスしようとしたわけじゃない。
恋人なら許されるであろう行為のはずなんだが、彼女は体の接触を極度に嫌うのだ。

「はぁ……」

おかげで今でもキスさえ許してもらえない。
ため息のひとつも出るさ……


「ごめんなさい、私まだ気持ちが」

「いいんだよ。俺も悪かった」

そして元通りに少し距離を置いて歩き出す。
今年はバレンタインデーを一緒に過ごす彼女がいるというのに、腕も組めない。
本当ならキスしたり、甘い言葉を囁きあったり、エッチなことをしたり……


( し た い の か ? )

その時、頭の中で聞き慣れない女性の声が響いた。
決して不愉快な声質ではなく、今の俺には素直に染み込む色気のある声だった。

その問いかけに心の中で答える。



彼女と腕を組んで歩きたい。

彼女とイチャイチャしたい。

彼女と……激しいセックスがしたい。



「じゃあボクが夢をかなえてあげる!」


今度は頭の中だけじゃない。
さっきよりも確実に大きな声が周囲に響いた。

「誰っ!?」

声に気づいた佳奈ちゃんが辺りを見回す。
人影はないが、確実に誰かが俺たちの近くにいる。

「あはっ、今年はこの身体に決めたよッ」

頭の上からさっきの女性の声がした。
俺と佳奈ちゃんは二人同時空を見上げる。

コウモリみたいな黒い翼。
エナメルのような黒い衣装。
露出した肌は青白く光り、夜だというのに輝きを放つ瞳。
とっさに思い浮かぶその姿はまるで……

悪魔――!


月の明かりが遮られる。
悪魔の身体が半透明になり、佳奈ちゃんに重なった。

「きゃあああああああああぁぁ!」

彼女の小さな体が跳ね上がる。
爪先立ちになった佳奈ちゃんを、すかさず抱きとめる。

長いまつげがピクピク動きはするが、まぶたは閉じたままだ。

(どうしよう……)

突然の事件に慌てふためく。
腕の中でグッタリする彼女を救いたい。
警察か病院か、とにかくケータイで誰かを呼ぼうとした俺の手に彼女の左手が重なった。

「もう大丈夫」

「えっ……」

目を閉じたまま佳奈ちゃんが口を開いた。
俺の手に重なった手のひらに力がこもる。

「佳奈ちゃん、本当に大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。でもボクの名前はカナじゃないよ」

なんだこの違和感は。
今、佳奈ちゃんが自分のことを「ボク」っていったような……
ふらりと立ち上がった彼女が俺のほうを見つめている。


「目が……!」

「宝石みたいに綺麗な色だろう? この娘の身体に入り込めた証拠だよ」

俺は基本的にオカルトとか、超常現象は信じない。
でも目の前で起こったことを分析することは出来る。

脳裏をよぎる悪い予感。
さっきの悪魔が佳奈ちゃんの中に住み着いたのか!?

「佳奈ちゃんを返せ! いや、出て行け」

「だからもうカナじゃないんだってば」

そっと身を寄せて、背中に腕を回してくる佳奈ちゃん……いや、悪魔。
戸惑う俺を見上げながら、少し背伸びをして両手で頬を押さえ込んできた。

「やめ……」

んちゅ♪

悪魔に唇を奪われる。
今度は俺に乗り移るのか!?

パリッ……

悪魔の唇から電流のようなものが流れて、身体が動かせない!

「ん……ふふっ、おとなしくなったね?」

鼓動がいつもより激しい。
それに身体に力が入らない。

これでも佳奈ちゃんからキスされたことには違いない。
でもこんな形はいやだ……
俺の思いを遮るように、再び重ねられる唇。

「うっ!」

唇を通して、電流ではない何かが俺の中に流れた。

「君は……」

「えへへっ、これが正しいキスの使い方。悪くないだろう?」

プチュウウッ

さらにもう一度キスをされると、今度ははっきりと認識できた。
頭の中に浮かんだ文字。
それはきっと、この悪魔の名前。


「ボクの名前、覚えた?」

「レン……」

佳奈ちゃんの身体を操り、レンはにっこりと微笑んだ。

(相手は悪魔なのに……)

ちょっと色気があって、可愛らしくて思わず見惚れてしまう。
佳奈ちゃんのこんな表情は見たことがない。

「そんなに見つめられると照れる」

「あっ、ごめん……」

「これからはボクが君の彼女になってあげるよ」

レンはいたずらな瞳で俺を見つめ返した。






そのまま路上で抱き合っているわけにもいかないので、俺はレンを自分のアパートに連れて行った。
人目を気にせず手を握って足早に歩く。

「キミ、思ったより強引なんだね」

「うっさい!」

振り向いてレンをにらみつける。
俺が強引だって?
勝手に人の彼女の体を奪ったお前が言うな。
レンはすでに佳奈ちゃんの身体に馴染んできたようで、髪の色も少しブラウンになりかけていた。
しかも髪型も微妙に外はねになって、おとなしくて穏やかな彼女のイメージが息を潜めている。
ちゃんと元に戻せるんだろうな、これ……

「えへへっ」

レンはペロリと舌を出して笑った。
悔しいが、これはこれで可愛い……

そして五分後、アパートにたどり着いた。


「……で、なぜ佳奈ちゃんの身体に入り込めるんだ?」

我ながら馬鹿な質問をしている。
目の前にいるのは人知を超越した悪魔である。
ぶっちゃけ何でもありの存在。

しかし心の奥がモヤモヤする。
なぜだろう……レンのことをすべて否定する気にならない。

「なんか飲むか?」

「ビターチョコ入りのコーヒーちょうだい!」

この部屋にはインスタントしかないぜ。
出されたコーヒーをすすりながら、レンが答えた。

「バレンタインが近くなると、女の子の心に隙ができるの」

「それで?」

「その隙間に自分を割り込ませただけ」

「……」

俺もコーヒーをすする。

だめだ、やっぱりわからない……
聞かなきゃ良かった。

「とにかくだな、彼女の体を元に戻してくれ」

「あきらめて」

「そこをなんとか!」

テーブルで土下座してみる。
通じるかな?

「お断りします」

「上司の命令だぞッ」

「なにそれ?」

だめか。完全に押し問答だ。
追い出す方法も思いつかないし、こちらとしてはお願いするしかないのだが。

「ボクが満足するまでは出て行く気はないから」

「何が望みだ? 金なら無いぞ。それ以外で頼む」

「そうね……」

レンはコーヒーカップをテーブルにおいて、俺を見つめた。
悪魔に乗り移られたとはいえ、真紅に染まる佳奈ちゃんの瞳はルビーみたいで美しかった。


「この身体を満足させられたら、でいいよ?」

「なっ」

今度は俺がコーヒーをこぼしそうになった。
レンは相変わらずニコニコしている。

「悪い取引じゃないと思うけどな?」

「しかし……」

確かに俺は佳奈ちゃんが好きで、彼女と契りたいとは思ってる。
でもこれは本位じゃない。
きっと佳奈ちゃんだって許してくれない。
レンのせいとはいえ、これじゃレイプと変わらない。

「あと数時間したら完全にこの身体はボクのもの」

「なっ!」

迷っている俺に向かって、レンは冷たく言い放った。

「やる気になった?」

「おまえ……」

決してエッチをする気になんてなれない。
しかし前言撤回。
彼女の存在を……佳奈ちゃんを失うくらいなら、レンを満足させてさっさと追い出してやる!

「あっ……」

席を立って彼女の背後に回る。
背中から抱きしめてキスをした。

「んふ……」

突然のキスに戸惑うこともなく、レンは俺を受け入れた。
お互いの口から熱い吐息がこぼれる。

「キス、うまい……ボクより上手なんじゃない?」

誉められたのは嬉しいが、相手は悪魔だ。素直に喜べない。
かまわずレンの体を抱きしめて、ベッドに押し倒した。

「優しくして……この娘、怖がってる」

「怖い……?」

息を弾ませながら目を潤ませるレン。
真っ赤な瞳がさらに色を深める。

(かわいい……佳奈ちゃんの魅力に、レンの存在が上乗せされて)

じっと見つめていると逆に魅了されてしまいそうなので、慌てて目を逸らす。
無言で佳奈ちゃんが着ていた服を脱がす。
クリーム色のブラウスの下には、上品なレースのブラが隠れていた。
肌を傷つけないようにゆっくりと一枚ずつ……

「キミの肌に触れて、自分が止められなくなるのを怖がってる。カナはけっこう淫乱かもね」

「ふざけるな!」

レンが口にした淫乱という言葉に反応してしまう。
見た目がどんなに可愛くても、佳奈ちゃんのことを悪く言うのは許せない。

「ふふっ、本当に強引だね……キミ」

妖しく微笑むレン。
ふるんっ、と揺れる佳奈ちゃんのバストは想像以上に大きかった。
サイズで言えば軽くFカップオーバーだ。
佳奈ちゃんのウエストまわりは女性らしいくびれを主張しているので、着痩せして見える。

(ごめん、佳奈ちゃん……)

早々にこの悪魔を退散させるためとはいえ、佳奈ちゃんを全裸にしてしまった。
チクリと心が痛むけど、俺も素早く衣服を脱いだ。

「男の子のそういうとこ、キライじゃないよ」

「そりゃどうも」

シーツに身体を滑り込ませて、レンと肌を重ねる。
さりげなく背中をさすってみる。

「あんっ、この身体! すごく敏感だよぉ」

目をきゅっと閉じて悶えるレンを見ながら、何でも背中を撫でてやる。

「キミのことが好きだから、感じやすくなってるみたい!」

どうやら本気で感じているようだ。
背中を撫でる手を可愛らしいお尻に移すと、少し汗ばんでいた。

「ダメ……そこ、気持ちいいのおおぉぉ」

腕枕をするような姿勢から、彼女を抱き起こして座位になる。
すでにペニスは大きく脈を打っているが、それは悟られたくない。
ほっそりした佳奈ちゃんの身体が予想以上に心地よくて、気を抜いたら溺れてしまいそうだった。

「ああぁぁぁっ!」

レンが背中をのけぞらせる。
俺の指先が乳首をつまんだからだ。

「あんっ、あはあぁぁ……」

ぜんぜん遊んでいないと言わんばかりに、綺麗な桃色。
愛しい女性のつぼみを、そっと口に含む。

「きゃふっ! やめて……このままじゃボクが一方的に感じちゃう!」

喘ぎながらこちらにしがみついてくるレン。
彼女の腰が跳ねて、お尻が少し持ち上がる。
その時の俺は気づけなかった。
レンが操る佳奈ちゃんの右手が、彼女と俺の体の間で悶えるペニスに狙いをつけていたことを。





「ねえ、あそこがお留守だよ?」

くちゅううぅぅぅ……


「ぐああぁ!?」

背筋を走る快感に、バストを愛撫していた舌先が止まる。

くちゅっ、くちゅ……

部屋の中で響く淫らな効果音が、だんだん規則正しいリズムになってきた。

「ふふっ、ふふふ」

「あうっ、手! その手を動かすなああぁぁ!」

レンはにやりと笑うと、さらに指先を細かく震わせながら反撃してきた。
滑らかな手つきで亀頭付近を優しく撫で上げ、裏筋に指を這わせてくる。
爪の先が敏感な筋を削るようにひっかきながら、快感の跡を刻む。

「スライムローションハンド。初級の淫魔術だけど、恋人同士なら効くでしょ?」

右手をそっと持ちあげ、こちらに見せ付けてくる。
淡い光を放つ指先から不自然な粘液が流れ出ている!?

「キミのエッチなお汁と、ボクの魔法のローション……どっちが気持ちいいのかな?」

再び手のひらで亀頭を包み、優しく円を描く。
ローションで光る指先がペニスの表面をかすめるたびに腰が砕けそうになる。

「うあっ、あぁぁ……」

「もうこんなにしちゃってる。ボクが慰めてあげるよ」

たっぷりとローションをペニスに絡ませて、獲物である俺をたっぷり焦らして弱らせる。
手のひらでギュウっと強く握られると思わずイきそうになる。
指先でコチョコチョされるたびに腰がヒクヒクと前後に動いてしまう。

「次はキミを夢中にさせた、この唇で」

こちらが息を乱しているのをいいことに、レンはいったん俺から離れた。
そして顔を股間に近づけると、大きく口を開いてペニスを飲み込んだ。

「あむっ……じゅる、ぷちゅ……大きいねぇ」

軽く前髪をかきあげて、上目遣いでこちらの顔色を窺う。
その様子はいつもの佳奈ちゃんでは想像できないほどエロくて、思わず見つめ返してしまう。
視線が逸らせない。

小さな顔が上下に揺れるたび、身体の芯が疼いて何かを捧げたくなってしまう。
目で、指で、唇で……レンは容赦なく愛撫を重ねた。

「あははっ、ボクの勝ちみたいだね」

「な……にを! あ、あひいぃぃ!?」

股間で悶えるペニスを解放したレンが不敵な笑みを浮かべた。
そのあと3秒もしないうちに、股間がとろけるような快感で包まれて何も考えられなくなってしまった。

(で、でる……触れられてないのに漏れちゃうよおぉぉぉ!?)

歯を食いしばって堪えてみたものの、体がすでに言うことを聞いてくれなかった。
ビクビクと腰が震えながら射精運動を開始しようとする。
自然に腰を前に突き出して、俺はレンに更なる刺激を求めた。

「触って欲しいの?」

「あ、ああ。早く触ってくれ!」

「はずかしいねぇ……いいよ。ボクがとどめ刺してあげるよ」

レンは指先を唇に当てた。
そしてトロリとした軽く唾液を乗せた。

「いくよぉ」

ゆっくりと指先が近づいてくる。
親指と人差し指、それに中指が軽く開いて亀頭をやさしく包み込んだ。


「ああああああああぁぁぁ!!」


どぴゅどぴゅどぴゅ~~~~~!!!

スローモーションで流れる指先の動きに翻弄されて、盛大に射精してしまった。
レンはさりげなく亀頭を手のひらで包み込んで、精液が飛び散らないようにしてくれた。


「もうっ! ボクの手のひらがキミの塊でドロドロだよぉ」

数回の脈打ちを経て、ペニスがおとなしくなったところで彼女は言った。
もう少しでレンをイかせることが出来た状況だったのに、あっさり逆転されてしまった。

「くそっ……」

「もう一度やる? ボクと勝負してみる?」

「もちろんだ!」

「いい返事。でもその前に、いただいちゃうね?」

手のひらに出来た精液の水たまりを見つめて、レンが呪文を唱えた。
次の瞬間、彼女の手のひらに光が溢れた。
なぜか俺の体中に疲労感が駆け巡る。
俺の中の何かがレンに吸収されてしまった。







「ぐああああぁぁぁ!!」

どぴゅぴゅぴゅ~~~~!!

またあの技……魔性のローション攻撃に悶える俺。
あれから軽く10回以上イかされてしまった。

「だんだんイくまでの時間が延びてきたね。ボクの技に慣れてきたのかな。やるじゃない」

慣れるはずなんてなかった。
レンの指先がペニスに触れるたび、あっという間に搾られてしまう。
しかも俺が気絶しないように、手加減しながら何度も何度も丁寧に……

「はぁっ、はぁっ……ぜんぜん大したことないな、悪魔のクセに」

「ふふっ、意地っ張りだね。この調子なら、もうすぐここから出て行ってあげてもいいよ?」

「なんだと?」

このまま俺が死ぬまで搾り取る気じゃなかったのか?
レンの意外な言葉に驚く。

「ほら。キミからもらった精が……ボクの中に満ちてきたからね」

レンの右手が白く光る。
ボンヤリとした輝きがゆっくりと彼女の全身に広がっていく。
はじめは手のひら程度の大きさしか光らなかったはずなのに。

「最初からボクの狙いはキミだったんだよ?」

「俺を? なぜだ」

「気づいてなかったの? キミは魔族の王家の血筋。その力を吸い取るのがボクの目的」

にわかに信じられない話だった。
俺は平凡なサラリーマンで、今までの生活で自分の血筋など考えたこともなかった。
それにも増して魔族ってなんだよ?
俺は魔法なんて使えないぞ。

その疑問はレンの次の言葉で解決した。

「君自身は魔法使いと言うわけじゃなくて、魔力を高める効果を持つ血筋って意味だよ」

「よくわからないが……それが済んだら彼女を解放してくれるんだな?」

「うん」

コクリと頷く彼女を見て、その言葉に嘘はないと感じた。


「じゃあ好きにしろ。俺の身体から、魔族の血を抜き取ればいい」

「ほえ。思ったより諦めが早いんだね」

「それで佳奈ちゃんと……お前が助かるのなら」

「えっ!!」

先ほどから何度も精液を吐き出しているうちに、なんとなくわかったことがある。
キスの時と同じで、射精の瞬間に彼女の手のひらを通じて何かが流れ込んできた。
それはレンが意識したわけではなく、偶然伝わってきた不確かなビジョン。

「必要なのだろう? レン……」

「ああ、確かに必要だよ。ボクが自由になるためには」

彼女は元々こんな姿ではなかったらしい。
今は黒い翼の悪魔に成り果ててしまったが、本当の彼女は違うんだ。
それがどんな姿なのかはわからないのだが……決して悪い娘ではないということはわかった。

「でも、キミの魔力を吸ったボクを逃がしたら大変なことになるよ?」

「今さら何をいってやがる……」

腕を上げることもままならないほど疲労した俺にとっては、すでに大変な状況なのだ。
レンは少し真面目な表情をした。

「世界が滅んじゃうかもしれないんだよ。冗談抜きで」

「ああ、それもなんとなくわかるさ」

レンが言うように俺の精を吸い取ることで強大な力を手に入れられるなら、当然そうなるだろう。

「それでもボクを自由にしたいの?」

「俺のおかげでお前が自由になるのなら、そのほうがずっとマシだ」

ペニスをしごいていた指の動きが止まった。
真っ赤な瞳が俺をじっと見つめている。
彼女が世界の破滅を望むとは思わない。
俺の勘と言うより、魔族の血がそう思わせているのかもしれない。

「ヘンだよ……」

「うん?」

「キミの言ってることはヘンだって、言ってるの!」

レンは俺から視線を逸らすと、顔を下に向けた。

「そんなこと……言われたら、ボクは逃げられないじゃないか」

さっきまでは自由を求めて俺の精を搾り取ろうとしていた悪魔が、腕の中で震えている。
俺に抱きつきながら、肩を震わせている。

「レン……」

「キミの勝ちだよ。ボクはもう、キミから逃げられない。だって好きになってしまったから!」

顔を上げたレンは、溢れる想いに身を任せて、俺に唇を重ねてきた。
そのキスはまるでチョコレートみたいに甘く切なかった。



長いキスが終わると、レンは不思議そうに尋ねてきた。

「なんでわかったの?」

「さぁな……」

なんとなく、とはいいたくなかった。
初めて会った時から何かを感じていたから。

俺の答えに不満そうに、レンは横を向いた。
チラリと真横を向くと、瞳の色が燃えるような赤から落ち着いた青に変わっていた。

「ボク、この姿になってから優しくされたことなんてなかったんだよ……」

「それは仕方ないと思うけどな」

どんなに綺麗な女性の姿をしていても、背中に黒い羽が生えていれば誰だって身構えてしまうだろう。
もっとも、それが白い天使の翼だったとしても同じことだ。

「本気で皆死んじゃえばいいって、ずっとずっと思ってたのに」

「思ってたのに?」

「……心変わりしちゃった。ずるいよ、キミ」

突然、俺の隣で三角座りしていた彼女の身体が震えた。
蝶がサナギから孵化するように、レンは佳奈ちゃんの身体から抜け出そうとしていた。
その姿は最初に見たような漆黒の衣装ではなくて、白い羽衣に身を包んだ清らかな聖女のようだった。

「レン……」

透き通った青い瞳がこちらを見つめている。
赤ワインみたいな色だった髪が、透明感のあるピンクになっていた。
背中に見え隠れしている翼の色も黒から白に変わっていた。


「ボクといっしょにいてくれるんだよね?」

「……ああ」

佳奈ちゃんには悪いけど、俺は本気でレンを好きになりかけていた。
こんなに綺麗で、可愛くて、そして寂しげな女性に気持ちを求められたら応えるしかないだろう。

「嬉しいな。これからもキミとボクはずっと一緒だよ……」

レンは優しく微笑みながら、背中の翼を広げた。
狭い部屋中をまばゆい光が照らした。


















「あ、あれ?」

俺の腕の中で気を失っていた佳奈ちゃんが目を覚ました。

「先輩、私……なんでここにいるの?」

「覚えてないの?」

不安そうな目をして、コクリと頷く彼女。
そのほうが俺にとっても好都合ではある。
一瞬とは言え、目の前の彼女以外に心を奪われてしまったのだから。

「なにそれ……なんのこと?」

それとなくいくつか質問をしてみたけれど、佳奈ちゃんは全て首を横に振った。
光の中へ旅立つ前に、レンが彼女の記憶を消し去ってくれたらしい。

「本当に何も覚えていないんだね」

「……うん。でもね、ひとつだけ覚えてる」

「えっ……」

なんてことだ!
まさかレンのやつ、エッチした記憶を残していきやがったのか!

内心穏やかでない俺に向かって、佳奈ちゃんは恥ずかしそうに言った。



「先輩がボクをいっぱい愛してくれたことを、身体が覚えてる」

「そっか…………って、ボク?」

「あ、あれっ? 今、私……自分のこと……!?」

無意識に佳奈ちゃんの口から飛び出した「ボク」というフレーズ。
それはきっとレンから俺への秘密のメッセージ。

おろおろする佳奈ちゃんを見ながら、ほんの少し前の出来事を思い出す。


「……先輩、キスしてくれますか?」

そんな俺に向けて、小さな声で届いた彼女からのリクエスト。
上目遣いで俺にキスをねだる彼女に、そっと顔を近づける。

「いいの?」

「うん……」

下を向いて真っ赤になる佳奈ちゃんの頬は、思ったよりも熱かった。
俺たちにとって、レンは初めから悪魔ではなく天使だったのかもしれない。







(了)