「じゃあライム、僕は先に行くよ」
「ええ、そうして。あとで追いつくから」
お互いに近づいて軽く抱擁する。
無事に帰ってくることを約束するかのように。
ライムの言葉を聞いてから、ウィルは先に出かけていった。
ハンター協会からの急な依頼。
それはいつものことではあるが、ライムは心の中で舌打ちをしていた。
(どうして今日に限って任務が重なるのよっ!)
今日はホワイトデー。何もなければウィルと海のほうへ出かける予定だった。
いつもは彼と二人一組で行動するライムだったが、今日は分散して任務にあたることになった。
今回はカベルネという町に凶悪なスライムが複数現れたという。
山脈のふもとに位置するカベルネは、町の入口と山側の出口が正反対にある。
ウィルは表門から、ライムは裏門から敵を挟み撃ちにして制圧する予定だ。
敵の情報を聞く限り難易度はBクラス。
この二人にとってはそれほどの問題ではない。
「とにかく私も急がなきゃ。さっさと終わらせて帰るのよ!」
忙しい二人なら仕事帰りのデートも悪くない。
ウィルに少し遅れて、ライムも目的地へと向かった。
ところ変わってここはカベルネの町。
この町をほぼ支配下に置いたスライムたちは占領した酒場で祝杯を挙げていた。
「リング様にかんぱーい!!」
「オオー!!」
抵抗勢力もあとわずか。半日もあれば完全にここを落とせる。
そうなれば淫界へのゲートを安定させて、増援に告ぐ増援で人間たちを圧倒できる。
ここにいるスライムたちのリーダーであるリングは次なる一手を画策していた。
そこへ息を切らせて一匹のスライムが飛び込んできた。
「リング姉さんやばいよっ! スライムバスターが来るって情報が!!」
「あわてないで、リース」
飛び込んできたスライムはリースという名前だった。
淡い緑色のポニーテールをした幼い容姿の彼女だが、首領であるリングの右腕だった。
「でもたしかに憂慮すべき事態ではあるわ」
「私たちだけで大丈夫かな? 今すぐ増援要請しないとまずいかなっ!?」
「二度も言わせないで。あわてないで、と言ったはずよ?」
取り乱す部下に対して冷徹な視線を送るリング。
その冷たい口調に酒場にいた全員が静まり返った。
しばらくの静寂のあと、恐る恐るリースは切り出した。
「姉さんなら……勝てる?」
「どうかしら? だって私、人間のハンターや勇者に負けたことないもの」
今度は優しい笑みを浮かべながら、リングはリースの問いに答えた。
カベルネの町の入り口に着いたウィルを待ち構えていたのは十数匹のスライムたちだった。
今回の敵は見た目が妙に統制が取れている。
ポニーテールやツインテール、三つ網など、全員なぜか髪を結んでいるのだ。
「ずいぶんなお出迎えだね」
「くすくすくす……」
ウィルと向かい合ったうちの数匹は彼の言葉には答えずにただ微笑むだけだった。
「だって、私たちにとって初めてのスライムバスター様ですから大歓迎しますわ」
「でも本当に強いのかしら? ぜんぜん弱そう~」
「思ったより可愛い顔してるー」
事前の情報では、この町の近くに常駐している戦士やハンターはいないということだった。
それをいいことにスライムたちは好き放題に町を荒らしていたのだろう。
(許せない……)
静かに燃えるその思いが青いオーラとなって彼の両手に降り積もる。
「まあいいや。はじめようか?」
彼女たちに対して、いつもどおりのリラックスした状態で闘志を高め始めるウィル。
スライムたちは相変わらず腕組みなどしながらクスクスと微笑んでいる。
客観的に状況を見ればすでに勝負はついていた。
言うなれば、相手の力量を見誤ってライオンの攻撃範囲内に入ってしまった草食動物。
それが十数匹のスライムたちの置かれた状況。
彼女たちはまだ目の前にいる優男が、自分たちの天敵であることを把握していなかった。
そのころリングは、右腕であるリースとスライムバスター撃退作戦を打ち合わせしていた。
そこへ酒場のハーフドアが勢いよく開いて、仲魔が一匹ころがりこんできた。
彼女は緊急の伝令係りである。
「リーダー、大変です! う、裏門に……」
「まあ……」
「裏門がどうしたのよっ」
わなわなと震えだす伝令係りを抱きとめながらリースが問いただした。
「ラ、ライムさまがっ! リップスの行方不明のっ、あのライムさまが暴れています!!」
「「なんですって!!!」」
彼女たちにとってライムは雲の上の存在。
人間を1000人奴隷にしたとか、毎日単独で町を壊滅させたとか……
仲魔うちでは「紅の魔女」の異名と共に数々の武勇伝を打ち立てた英雄。
もちろんリングもリースも知らないわけがない。
「暴れているって……とにかく裏門へ行きますわよ、リース!」
「はいっ、姉さん!!」
伝令係を残して、二人は町の裏門へと向かっていった。
カベルネの表門では一匹のスライムが金縛りにあったかのように固まっていた。
ほんの数分前までいた同胞たち。
それがたった一人の人間の男によって自分以外は全員昇天した。
昇天といっても消滅ではなく、ギリギリのところで生殺しにされ続けている。
ところどころで喘ぎ声が断続的に聞こえる。
「これがスライム……バスター…………」
カチカチと歯を鳴らしながらウィルのほうを見る彼女。
もはや戦意喪失の相手にウィルは牙を向けなかった。
「この中にキミたちのリーダーはいたのかな?」
「ひっ!」
敵からの問いかけに激しく首を横に振るスライム。
その口調は優しくても、町を襲ったスライムに対する彼の怒りは充分に感じ取れた。
「しょうがないね。町の中を全部探すか」
ウィルはそういい残して表門を後にした。
裏門に着いたリングとリースは目の前の惨状に声を失った。
門を警備していた仲魔を含め、数十人の同胞たちが地に伏して悶絶していた!
あたり一面が喘ぎ声と不完全燃焼の淫気でくすぶっていた。
そんな中、彼女たちの前には噂どおり真紅の淫気を全開にしているライムが立ちはだかっていた。
(あれはライム様に間違いないですわ。でも……)
(ななな、なんでこんなに怒っているの? リング姉さん)
淫魔同士がイかせ合いをしても消滅することはない。
しかしライム程の淫気を下級淫魔が受ければそれだけでイってしまうのだ。
ひそひそ話をする二人に向かってライムが言った。
「ねえ……アンタたち、まだやる気?」
「くっ……」
悔しそうな表情でがっくりと肩を落とすリース。
「もうすぐウィルも来るわよ。彼はもっと容赦ないわよ」
腰に手を当てて面倒臭そうにライムは言った。
リングもリースも返す言葉がなかった。
勇者やハンターがいない地域を選んだつもりだったのに、最強の討伐隊がやってきてしまった。
自分たちの読みが甘かったとしかいえない。
今はただ絶望するあまり……
「でもね、あたしは今日は忙しいの。見逃してあげるから、さっさと淫界に帰りなさい」
「なんですとっ……」
「えっ?」
もはやこれまで、と死を覚悟していた。
信じられない言葉に目をパチパチさせるリングとリース。
顔を見合わせる二人に向かって、引きつった笑顔と共にライムはもう一度囁いた。
「か え り な さ い」
「はっ、ははー!!」
ライムの言葉が終わった瞬間、リースとリングは一目散に駆け出していった。
これでもう彼女たちが人間界に触手を伸ばそうとすることはないだろう。
少なくともこの地域には。
「ライムー!」
遠くからウィルの声がする。
全部のスライムたちをゲートに追いやった頃、あたりはすっかり日が暮れて暗くなっていた。
「こっちは終わったわ。だ、だから、あの、あのね……」
「ありがとう。じゃあ僕は今から協会に行ってこないと」
「あっそ…………」
声のするほうを見ると、50mくらい先に彼の影が見えた。
町の情報を集めてから、ハンター協会にスライム討伐完了を知らせに行くに違いない。
任務に関してはウィルは真面目すぎるのだ。
そんな彼を責める気はないのだが、ライムは何か物足りなかった。
早く帰って美味しいものを食べましょう、というつもりだったのになぜか言葉が出なかった。
ウィルのいる方に向かってライムは大きな声で叫んだ。
「今日は疲れたからもう帰るわ。あとはよろしく」
彼に向かって軽く手を上げてから、ライムは背中を向けて歩き出した。
(なんであたしがこんなに気を使ってるの……こんなのイヤ!)
仕事が終わったので一足先に家路につく。
いつもは彼と一緒の帰り道。
距離も時間も一人きりだと長く感じるものだ。
ライムは意地っ張りな自分に嫌気が差していた。
「ウィルの奴…今日が何の日なのか絶対忘れてる!」
彼が仕事以外のことに鈍感なのは今に始まったことではない。
ライムだって別に何かを期待していたわけじゃない。
それでも彼女の切れ長の瞳からは何故かうっすらと涙がにじんでいた。
(べ、別に寂しいとか…じゃないんだから!!)
自分自身に強がりをぶつけるたびに、気持ちの落ち込みがひどくなっていく。
やがてライムは立ち止まった。
心なしか彼女の背中は震えていた。
いつだって強気と元気と余裕が似合う彼女である。
でも今日だけは……
誰にも聞かれないはずの嗚咽を、宵闇の静寂だけが包んでいた。
「ぅん…? 何よこれ……!」
しばらくして落ち着きを取り戻したライムは、上着のポケットに見慣れない包みが入っているのを見つけた。
手のひらより少し小さな、青い包み紙を開いてみる。
「わぁ……」
包みの中にあったのは、月の光を反射する細い銀の鎖とダイヤの形をしたペンダント。
それと手紙が入っていた。いや、手紙というよりはメモ用紙。
見慣れた筆跡だった。
ライムはゆっくりと文章を読み始めた。
『ライムへ ――
いつもありがとう。こないだのお返しです。うまくいえないけど、
君がいてくれて良かった。今も、これからも、ずっと一緒にいたい。 ―― ウィル』
きっと彼は慌てて書いたのだろう。でもそんなところもウィルらしいとおもう。
「ば、馬鹿じゃないの……面と向かって渡せばいいのに!」
さっきまで泣いていたのに思わず笑顔がこぼれる。
恋人からの短い手紙。
少なくともライムは彼のことを恋人だと思っている。
彼が本当にライムを好きかどうかは自信がないのだが……
たった数行の言葉だけで、ライムは元気を取り戻した!
「うちに帰ったらウィルが元気出るようなものを作ってあげようかな」
さっきまでとは全然違う軽い足取りで、ライムは再び歩き始めた。
ふたりにとって幸せな夜でありますように。
END