第四話



空が暗色に塗り固められた頃、煉瓦造りの道を進む影があった。
背に大剣を背負い、カウボーイハットを被った青年―――爆だ。

「異世界といっても、空はそう変わらんなあ、ジバクくん」

雲一つ見当たらない晴れ晴れとした夜空に首を傾け、肩の聖霊にどこか感慨深げに語りかける。
時折頬を撫でる微風に目を細める。

彼が今歩んでいるのは駅前から校舎に繋がる低く幅広い階段だった。
朝は生徒達で殺人的なまでに混雑しているこの場所も、真夜中となっては静寂の中で眠りについている。

「しかし、暇だな……」

担当の警備エリアを一周したが、現在の時点で侵入者らしき影は発見していない。
そうでなければ、今頃爆発音の一つでも轟いている筈だ。

爆は階段の最上段にどかりと腰を下ろすと、頬杖を突きつつ遠方に見える街の光を眺めた。

「今日は、楓の奴は休みだしな」

仕事に出かける前に聞いた話だが、彼女もまた警備員のアルバイトをしていて、先日出会った時もその途中だったらしい。
しかし今夜はスケジュールには入っておらず、今頃は鳴滝姉妹と仲良く夢の中だろう。

「それにしても……」

不意に、爆はゆっくりと頭を回し、横目で後方を睨み付けた。


「さっきから何の用だ、桜咲刹那」


夜闇に、射抜く様に言い放つ。

「……」

物陰から姿を現したのは、口を固く閉ざす少女。
手には長刀を携えている。
爆は続けて、別の方向に視線を転じた。

「そこにいるお前もだ。さっさと出て来い」

「ほう、よく気付いたな」

別の物陰から歩み出てきたのは、長身の黒い肌を持った少女だ。
その手には黒光りするライフルが抱えられている。

「ずっと尾行していたが、何のつもりだ」

爆の睨みながらの問い掛けには刹那が応じた。

「……爆とやら、貴様には不審な点が多すぎる」

冴え渡る声には明確な敵意が含まれていた。
音も無く抜刀すると、闇夜に銀色の光が出現する。

「お嬢様に仇なす者ならば、ここで消えてもらう」

刹那の双眸がそれこそ刃の如く細められ、氷のように怜悧な言葉が響く。
しかし一方で、爆は彼女の言葉の真意が分からず、眉を顰めた。

「お嬢さま? 何の事を言ってるんだ?」

「問答無用!!」

爆の疑問を撥ね付ける様に、刀を正眼に構えた刹那が地面を蹴る。

「はっ!」

気合の一声と共に、爆の頭上に刀が振り下ろされた。

「まったく、何でここの連中は人の話を聞かないんだ……」

そう毒突きながら、爆は半身になって剣閃を避けた。

「くっ!」

目標を外し、刃が地面に接触する寸前、刹那は刀を斜めに返し切り上げた。

一瞬で首まで迫った刀を、爆は冷静な目で見つめると、

「遅いぞ」

と、身を反らして優雅に避ける。
続けざまに三つの銃声が轟いたのはその時だった。

「ちっ」

爆は舌打ちと同時にバックステップを踏んだ。
一瞬後、三発の弾丸が爆の胴と頭があった空間を貫く。

目を向けると、色黒の少女の構えるライフルが硝煙を上げている。

「……この距離で避けるとは」

悔しそうに呟く。

あの密接した状態で躊躇いも無く引き金を引いたという事は、余程腕に自身があるのだろう。

そして、殺す覚悟も十分に出来ているという事だ。

爆はカウボーイハットを片手で押さえつけると、憂鬱に溜め息を吐き出した。

それから、両目を瞑ると、

「お前ら、どうしても俺を殺したいらしいな」

静かに、だがはっきりとそう言って、

「女を傷つけるのは嫌だが、仕方ない」

両目を勢い良く開いた。
それと同時に、爆は一瞬で刹那に肉迫した。

「!?」

攻撃する暇も与えず、爆は背中に手を回し、大剣を振り抜き、刹那の刀に斬り付けた。

「うあっ!!」

その圧倒的な威力に耐え切れず、刹那は体勢を崩し地面に背中から倒れ込んだ。

「―――ちぃっ!」

援護すべく、少女のライフルが火を吹いた。
だが、それより一瞬先に行動を起こしたのは爆だった。
彼は剣を逆手に持ち変えるや、素早く腕を上げて体を覆い隠した。

鉄板の様に厚い刀身が弾丸を弾く。

「今度はこっちの番だ」

剣を下ろし、空いている左手を少女の足元に向けた。
そして、精神を集中させる。
思い描くのは、鉄で造られた円筒形。

「―――サイコバズーカー!!」

イメージを解き放つ。
左腕から突如出現したのは、紛れも無い本物の質量を備えたバズーカ砲だった。

「何だと……」

少女が驚愕に呻くのとほぼ同時に、砲口から砲弾が放たれる。

「うわあっ!!」

少女の足元を撃ち抜いた砲弾は着弾の瞬間に炸裂し、爆風でその長身を木の葉の様に吹き飛ばした。
舞い上がった少女は一瞬の滞空の後、地面に叩きつけられる。


「これで終わりだ」


切っ先を煉瓦に突き刺すと共に、爆は倒れ伏す少女達に向けて言い放った。

攻撃には手加減が加えてあり、外傷は皆無に等しい。
しかし、これ程までの実力差を見せ付けられては、通常の精神力ならば立ち上がる事も容易ではないだろう。


―――しかし。


「……まだだ……」

刀を杖代わりに、刹那が力無くも懸命に立ち上がった。
黒い瞳に輝くのは、執念の光だ。

「お嬢さまを守るためなら……これくらいっ……」

そのただならぬ気拍に、爆も身構えた。
が―――。


「っ! 避けろ!!」


爆が警告を発した時には、少女の衣服を突き破り、長大な針がその背中を穿っていた。

「あっ……」

本能的に悲鳴を上げようとしたが、一瞬にして全身を駆け巡った痺れがそれを許さなかった。


『ひゃっほー!! 一匹仕留めたぜぇ!!』


夜空から、暗い喜悦に包まれた声がした。
爆が見上げると、そこには巨大な蜂が、背中の四枚の薄羽を叫喚させ宙に浮かんでいる。

気付けば爆達の周囲を、無数の巨大な昆虫達が包囲しているではないか。。

「しまった! 妖怪ども……」

銃口を向けるのも忘れて、褐色の少女は悲鳴にも似た叫び声を上げる。

『いつも俺達を狩ってる奴が、無様だなあ!!』

甲虫の妖怪が嘲る。
それが合図だったかの様に、他の虫達も壊れたスピーカーを通しているかの様な声音で、口々に少女達を口汚く罵倒した。

「くそ……」

刹那が悔しさに睨みつけるが、力を込めている筈の手足は普段の常識を忘れて主人の体を起こしてはくれなかった。
手に握り締めたままの刀も、振り上げる事すらままならない。

『どうよ俺の毒は。動けねえだろ?でも痛みは残ってるんだぜぇ!!』

蜂の言葉の意味する事に気付いて、刹那は息を呑んだ。
―――嬲りものにするつもりなのだ。

『爪先からよぉ、ゆっくりと齧りとってやるぜ!!』

地を這っていた甲虫が背中の羽を展開させ、夜気を振るわせて宙に浮遊した。

『まずはその目だぁ!!』

振り上げられ鉄杭の如き鉤爪が、刹那の顔を狙った。

「刹那!!」

叫ぶ少女も、自らに殺到する虫達の相手で精一杯で、とても甲虫を撃墜する余裕は無い。。

刹那は、これより襲い掛かる筈の苦痛に覚悟を決め、目蓋を閉ざした。


これから自分は、あの妖怪達にゆっくりと、時間を掛けながら殺される。

それはいい。

自分の命など、最初から捨てている。

だが、唯一心残りなのは。


「(このちゃん……)」


自分が守ると誓った、幼馴染。

虫の羽音が、間近で耳朶を叩く。


「(ごめんね……)」


しかし。

『がっ……か……』

突如掻き消えた羽音の代わりに聞こえて来たのは苦悶の声だった。

「え?」

刹那は目蓋を開いた。

「まったく、世話を焼かせる所まで楓と同じとは」

ほぼ確定となっていた刹那の死を遠ざけたのは、カウボーイハットの青年だった。

手に持つ大剣の切っ先には甲虫が丈夫そうな外殻を砕かれ、刀の錆となっている。

「な……何で敵の私を……?」

震える唇から吐き出された問いに、爆は強く剣を振るい甲虫の死骸を払い落としてから、目も暮れずに答えた。

「ふん。敵だろうが何だろうが、目の前で女が死ぬのは好かん。死ぬなら俺の見てない所で舌かんで死ね」

次の瞬間には、少女の体はふわりと持ち上げられていた。

「きゃっ……」

横抱きにされて狼狽する刹那に構わず、爆は剣を背中に収めてテレポートする。

「わっ……」

褐色の少女をライフルごと藁か何かのように肩に掛け、虫達の包囲網から再度テレポートして脱出した。
一分にも満たない迅速な行動だった。

「きゃあっ」

「うあっ」

二つの悲鳴が上がったのは、爆が重い荷物を扱うが如く乱暴に少女達を降ろしたからである。
彼は女を傷つけるのを嫌うが、決してフェミニストでは無い。

「さて、なぜ俺を殺そうとしたかは後でたっぷりと聞かせてもらう事にして、まずはあいつらだ」

爆は二人を一瞥してから、虫の軍勢に視線を転じる。

「待て! いくらお前が強くとも、あの数と戦えば……」

褐色の少女の警告は、しかし青年の唇を弦月に割っただけの効果しか持たなかった。

「俺は世界制覇をする男だ。あんな虫けらどもに、舐められてたまるか」

おもむろに肩に座するジバクくんを掴み、胸の前に差し伸べる。

「大体、わざわざ突っ込む必要も無い」

そう呟いた時には、爆の周囲にシンハの念力球が浮かび上がっている。
ジバクくんを大きく振り被った青年の手首が撓った。

「バクシンハ!!」

シンハと投擲されたジバクくんが融合を果し、一体となって虫の群れに吸い込まれて行く。


『ギャアアアアアアッ!!!』


盛大な爆炎と爆風が煉瓦の敷き詰められた地面ごと夜気を粉砕する。
虫達の断末魔と独特の爆音が、大気を震撼させた。

消えた爆炎の後に残ったのは、隕石孔の如き大穴。

「……やりすぎたか」

爆は声を漏らしながらも、その結果に満足して、復活し爆心地から駆け寄ってきたジバクくんを掌に乗せた。


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