第十六話



リンゴーン……

リンゴーン……


何処からか、鐘を叩く音がする。


気付くと、爆は教会の中にいた。


隣には、顔は見えないが純白のウェンディングドレスを着て、手にはブーケを持った花嫁がいて、自分もまた純白のタキシードを着込んでいる。

「(……夢か)」

それはそうだ。

自分は今、寮の部屋で寝ている筈なのだから。
バージンロードなど歩いているわけが無い。

しかし、そんな爆の意などまるで無視して、体は着実に祭壇に近づいている。

「(まあ良い。どうせ夢だ)」

勝手に結婚させられる事には腹が立ったが、どうせすぐに覚める夢。

抵抗する意味も無い。

珍しく、されるがままになる爆。

と、そこで教会の長椅子に座る人々に気がついた。

座っているのは、一様に制服を着た、ピンクやカイなどの、元GC仲間達。
他には激や、現郎や炎までいた。

みんなぱちぱちと拍手をし、笑顔で二人の入場を見守っている。

「(夢とは言っても……)」

かなり異様な光景である。

そんな事を思っていると、何時の間にか神父の立つ祭壇まで来ていた。

白い髭を蓄えた神父が、聖書を手に長々とした祝辞を述べる。


「―――では、誓いのキスを」


そうして、爆と花嫁は向かい合った。

「(誰かは知らんが、どうせ夢だ。別に)」


花嫁の顔を見た時の、爆の衝撃はいかばかりであったか。


――――雹、だった。

「(うおおおおおおおおッッ!! やめろおおおッッ!!)」

もはや夢だなどと割り切れず、心中で全力でもがき、必死の抵抗を試みる。
だが、その意思とは完全に反し、爆の顔が、蛸か何かの様に唇を突き出す雹に近づいていく。

ゆっくり、ゆっくりという所が、さらに恐怖を倍増させた。

「(あああああああッ!!! ああああああああ!!ッ)」


声にならぬ絶叫、絶叫、絶叫。


すべて無駄だった。


「うふふふ、やっと、この時が……」

雹が薄気味悪いな笑いを浮かべる。

顔と顔の距離がどんどん狭まっていく。
そして、ついに……

「(ギィイイイヤアアアアアアアッッ!!! やめろオオオオ!!!)」


「嫌だぁああッッ!!!」

割れ鐘を叩くような悲鳴が轟く。
ばっと布団を吹き飛ばし、爆が飛び起きた。

「はあ……はあ……はあ……」

「……どうしたでござるか?爆殿……」

今の叫び声で起こしてしまったらしく、楓の心配そうな声がする。
転げ落ちたジバクくんも『ヂィ?』と鳴く。
双子は夢の中の様で、すーすーと穏やかな寝息を立てていた。

それを見て、先程のがやはり夢だったという事に、心からの安堵の溜め息をついた。

「すまん……だいじょうぶだ」

壁に掛けられた時計と、窓の外を見る。
午前ではあるが、まだ夜だと言われる時間帯。

「……地獄を一巡して来たような顔でござるよ」

確かに、爆の顔には夜の物では無い暗い影が差し、全身は大量の汗で濡れていた。
重病人の方が、まだいい顔をするのではないか。

それに、爆が酷く憂鬱そうに答えた。

「夢を、見ただけだ。そう、どんでも無い、悪夢をな……」

思い出しそうになって、爆の体ががたがたと震える。

―――あんな事が、あってたまるか。

払拭するように、爆は体にばさりと毛布を被せた。
その時初めて、ろくに信じてもいない神に文句を言った。

もう、あんな夢は金輪際ごめんだ、と。


―――翌朝。

太陽が燦々と照りつけ、過ごすには快適な気温。
爆、楓、鳴滝姉妹、ジバクくんの四人と一匹は校舎へと向かっていた。
ぴょんぴょんと前を飛び跳ねながら、風香が楽しげに言った。

「今日はいい天気だね〜爆さん」

「……そうだな」

爆が、いつも以上の無愛想で応じる。

「どうかしたんですか?爆さん?」

史伽が、不安げに爆の顔を覗き込んだ。
どこかしら顔色が悪いように見える。

「……少し、悪夢を見たんでな」

「悪夢?」

「……悪いが、その話はさせるな。思い出しそうだ……」

「「?」」

風香と史伽は、あの爆をここまで衰弱させるほどの悪夢が気になったが、暗い影の差す爆に追及はしなかった。

そんな折、後方から真名と刹那がやって来た。

「やあ爆さん。おはよう」

「おはようございます」

気さくに片手を上げて挨拶する真名と、深々と礼儀正しくお辞儀をする、対照的な二人であった。

「……ああ、おはよう」

やはり、爆は暗く挨拶を返した。
昨晩の夢が余程ショックだったのだろう。

「どうしたんだ?そんな悪霊にでもとり憑かれた様な顔して?」

不思議そうな顔をする真名に、爆は嘆くように言った。

「悪霊だったらどれ程良かったか……」

はあ、と大仰に溜め息を吐き出した。

「「?」」

刹那と真名は首を傾げた。

と、その時である。

「!!」

爆の背中に、突然どんと衝撃が走った。
同時に、細い腕が爆の首に捲かれる。

「(また木乃香か……)」

近頃、木乃香は爆の姿を見つけると、いきなり走り寄って来て抱きついて来るのだ。
その度に、爆は窒息しそうになるのだが……

「おい木乃香。その挨拶はやめろといつも言って……」

やれやれと首を動かして、彼が注意しようとした、その時。

爆と、頭のジバクくんの表情が、ぴしりと凍りついた。

見れば、周りにいる楓も、風香も、史伽も、刹那も、真名も、目をいっぱいに見開いて硬直している。

それは当然の反応だ。

何故なら、爆の首に組み付いているのが、純白のウェンディングドレスを身に纏った花嫁だったから。

しかし、爆の驚愕はそれだけでは無い。
問題は、その内容物。

それは―――


「ふふふふ……爆くぅん……やっと見つけたよぉ……」


―――雹、だった。


どッわァアアアアアアアアア――――

―――ゴシャア


朝の麻帆良に、爆のこの世の物とは思えぬ絶叫と、何か硬い物を殴る音が響き渡った。

「ひ、ひひひ雹! 何で貴様がここにいる!?しかもそんないかれた格好で!!」

「うふふふ血のバージンロード……」

得体の知れない事を口走りながら、雹は血に染まった銀髪を掻き揚げた。

「決まってるじゃないか。爆くんと結婚しに来たのさッッ!!」

背後に大量の薔薇を咲かせて、雹がその目をらりーんと輝かせる。
彼は一般的に美形と呼ばれる人種だが、その一挙一動がそれを台無しにしていた。

「というか、どうやってここに……」

その爆の問いに、雹はミュージカルの様に大仰に両手を広げて答えた。

「そんな物、君と僕の間に繋がっている赤い有刺鉄線を辿って来たに決まってるじゃないか!」

あくまで糸では無いらしい。

「そんな禍々しい絆はいらんッッ!!」

漠然とその光景を想像し、爆は恐怖に身を震わせた。
この男の執念なら、在りえない事ではない。
雹が、再び爆の体にがしっと抱きつく。

「さあ爆くん!! 今度こそ契りを……」

「うぎゃあああ!! よせぇ!!」

ぐいっと唇を寄せる雹に爆が絶叫した、その時。

―――とすっ

雹の後頭部に、一枚の手裏剣が突き刺さった。

「ぐはッッ!!」

その隙を見逃さず、爆が雹の腕から逃れる。

「誰だッ!!」

手裏剣を地面に叩きつけて、雹が憤怒に振り返る。
そこに立っていたのは、硬直から立ち直った楓、真名、刹那の三人。

「何者かは知らないでござるが……結婚しに、というのは聞き捨てなら無いでござるな……」

「そう言う事だ……妻の座は私の物だからな」

「……それも十分聞き捨てなりませんが……貴方に渡すわけには行きません」

それぞれ、怒りに満ちた視線を雹に送った。
彼は、しばらく呆然としていたが、やがて、かたかたと不気味に震え始めた。

「ふふ、ふふふふふ……爆くん……僕というものがありながら、浮気をするなんて……」

底冷えする様な声を発して、自分の体を抱きしめる。

そして、次の瞬間。


「男の嫉妬容量は女の五万倍だァーーーッッ!!!!」


天を仰いで咆哮すると、ウェンディングドレスをばさりと破り捨てた。
その中から現れたのは、彼がGS時代に着ていた様な黒いスーツだった。
更に、どこに隠し持っていたのか、二本の長刀を両手に構える。

そしてその背中の、白い鳥人の翼も露出する。

「!? 羽……?」

刹那が目を剥いた。
そんな彼女に気付かず、雹は爆に向かって狂気の笑みを浮かべた。

「ふふふ……待っててね爆くん……このアバズレどもを片付けたらしたら次は君の番だから……」

そう呪詛の言葉を言い残すと、雹は三人に踊りかかった。

すぐにかん高い金属音が鳴り響く。

「「爆さ〜ん……」」

避難してきた風香と史伽が、泣きながら爆の方に寄って来た。
多少忍術を齧っているとはいえ、戦闘に巻き込まれてはたまらない。

「何なんですかあの人……」

「変態の代名詞だ」

爆が至極もっともな評価をすると、街路樹の陰から、

「よお、爆。久しぶりだなぁ」

癖のある茶髪を揺らし、眠たそうな目の青年、現郎が現れた。

「現郎!!」

「いやぁーびっくりしたぜ。まさか、異世界なんてもんが本当にあるとはよ」

言葉とは裏腹に、その口調はのんびりとしたものだった。

「だが、どうやってここに……」

「あん?ああ、あれだ、お前GSウォッチまだ持ってんだろ? 俺も久々に使ってよ、お前の信号見つけたんだ。そしたら、お前の代わりに時空の歪があったから、試しにワープゾーンの装置作ったんだよ」

そう簡単に言って、現郎は欠伸をして締め括った。
のらりくらりとしているが、やはりこの男もただ者では無い。
しかし―――

「では、雹の奴を連れてきたのもお前かッッ!?」

二本の刀を振り回し、手裏剣を叩き落とす雹を指差した。

「連れてけ連れてけってうるさかったんだよアイツ……止めなくていーのか?」

腕を組んで木に寄り掛かりながら、刹那と激しい剣戟を繰り広げる雹を顎で指し示す。

「むう……」

爆は、冷や汗を垂らしながら唸った。


雹は、例えナルシストの上変態でも、最強の戦士GSの称号を背負っていたのだ。
その実力は、やはり生半可な物では無い。

自慢の二刀流の冴えは楓達三人を相手取って
も負けず劣らず、それどころか圧倒さえしていた。

残酷な笑みを浮かべ、肩で息をする三人に悠然と歩み寄る。

「フフフフフ……僕から爆くんを奪おうなんて……許せない……許せないよ……」

ちゃき、と十字に組み合わされた刃が、みなぎる殺気にぎらりと光る。

「くっ……」

全身に浅い切り傷を作った楓が、悔しげに唇を噛む。

「これで終わりだ……地獄に逝けッッ!!」

地獄に逝ったのは、雹だった。
刀を振り上げた、その瞬間。
彼の眼前にピンク色の球体が出現した。

言うまでも無く、テレポーテーションで送られたジバクくんである。
もちろん、両手は全開だ。

「あっ……」


ちゅどーーーーんッッ!!


爆風に巻き上げられ、雹は錐揉み回転をしながら宙を舞い、やがてどさりと落下した。

全身ボロボロで、仰向けに地面に倒れ付しながら、彼は、

「ふ……不意打ち……そ……そんな爆くんも、好き……」

などと呻きながら、がくりと首を折って気絶した。


「はあ……もう帰るのか……」

雹が悲しげに溜め息をついた。

「何時でも来られるんだからいーだろ……」

と、現郎が宙に浮かぶ渦巻きの様なゲートを親指で指した。
彼らがいるのは世界樹のそびえる広場で、そこからツェルブワールドへの道が繋がっている。
ちなみに、あちらの世界のゲートは、巨大なカエルの形をしているので、楓が見たら卒倒する事間違い無しである。

「そうは言ってもさ〜〜……」

なおも食い下がる雹。

その時、広場に一人の少女がやって来た。
刹那である。

「お前は……!!」

その姿を見て、雹は刀を抜こうとする。
しかし、刹那は無言で上着を脱ぐと、自らの翼を広げて見せた。

「ッ!!……こっちにも、鳥人がいたのか……」

絶句し、拍子抜けた様に柄から手を離した。
刹那はすぐに羽をしまうと、神妙な顔つきで、雹に向かって訊ねた。

「……あの、爆さんが、貴方と初めて出会った時、爆さんは、どんな顔をしましたか?」

刹那は不安だった。

爆が自分を受け入れたのも、単に鳥人が見慣れた存在だったからでは無いのか?

もし、自分が初めてだったら、爆は忌避したのでは無いか?

そんな疑念にとり憑かれ、刹那は居ても立ってもいられず、雹に会いに来たのだった。

雹はそれを察すると、

「……爆くんが最初に出会った鳥人は僕じゃ無い。ハヤテって奴でね、そいつから、色々話を聞いたよ」

木の影から覗く空を見ながら、独り言でも言う様に、穏やかに語り出した。


―――爆が鳥人ハヤテと出合ったのは、十の世界、テンパに立ち寄った時の事だった。

そこで、彼はGCであるハヤテを冷遇する村人達に、怒ったのだ。


『俺には感謝の言葉を言えるくせに、昨日の夜、貴様らなぜハヤテには一言も声をかけなかった』


森の奥に位置する、『悪魔の口』と呼ばれる大穴の中で、迫り来る『0の樹』の根の前で、爆は怒ったのだ。


『0の樹さえなければ変異種なんて生まれなかった。ハヤテも一人にならず村の人達と一緒に暮らせていた……貴様らが勝手にハヤテの運命を作ったんだッッ!!』


当時、爆はトラブルキッズとして全世界に指名手配されていたため、ハヤテとも戦う運命にあった。

しかし、爆はそんなハヤテのために、心から怒ったのだ。
一度は自分を殺そうとした、ハヤテのために。

「……」

「本当に、爆くんは馬鹿だ。でも、だから僕は彼が好きなんだ」

それだけじゃないけどね、と胸中で付け加える。
それを語るのは、何時の日になるか。

「気は済んだかい?」

「……はい」

刹那は安堵した。
同時に、疑った事を強く恥じる。

雹はにこりと微笑むと、次の瞬間、鬼の如き形相をした。

「でも、爆くんに手を出したら殺すから」

地獄の底から響くような声で、きっぱりと言う。

「……それだけは譲れません」

刹那も負けじと、雹を睨み付けた。

一歩も譲らない二人に、それまで黙りこくっていた現郎が眠たげな声で感想を述べた。

「アホらしい……」


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